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2015/03/14

退職のご報告

 ここ数年間、悩んできたことでしたが、この3月を持って学校の教員を退職します。理由は複合的なもので、もともとあったこと、そして「風船の針」は別のものです。現在、2年生の担任なので彼らと一緒に卒業することを願っていたのですが、人生はなかなか思い通りには行かないことがあります。自分がやりたいことと、自分がしなければならないことが目の前にあり、その方向を選ばなければならないときに、後者を選ばなければなりませんでした。
 昨年末にこのことを決め、昨日にクラスの生徒に伝えました。4月からは全く教育とは関係のない仕事をすることになります。

 秋には千葉市内で塾を開こうと思っています。そちらをサポートしてくれる友人も増えてきており、英語に特化した小中高校生のための塾(中学生は数学付き)です。
 4月から授業ができなくなることがストレスになりそうです。バイト代もいらないないので、誰か教える機会を持てれば、教えたいですね。これは、本当にまじめな話です。家庭教師的なものではなく、2人以上が集まっていれば、千葉市の稲毛区や花見川区であれば、教えますので、ご連絡をください。メールはこちらまで。学習塾でも、保護者の方からでも、ご連絡をお待ちしております。

 このブログの閉鎖も考えたのですが、学校の教員としてはいいにくかったことを、これからは発信していきます。

 20年間ほど教員をしていたことになります。この20年間で、多くの生徒と保護者、先生方を見てきました。
 「いまの生徒は」「今の保護者は」「教師というものは・・・」と十把一絡げでいえないことは当然のことです。そして、学校は、生徒の学力と地域の文化によっても変わってきます。一般的に、田舎にある学校は落ち着いていますが、都心部にある学校は慌ただしいものです。生徒も違うし、保護者も違う、教師も違うし、学校は地域文化の中にある。つまり、学校を語るときにはなかなか一般化できないのです。一般化できないのですから、その場その場での異なる判断を、先生方はする必要があるのです。たとえば、携帯電話を授業中に使った生徒に対して、注意だけにとどめるか、反省文を書かせるか、取り上げるか、そして取り上げるなら本体ごとに取り上げるのか、電池パックだけ抜かせるか。一定のルールを決めたとしても、状況によって変わる必要性が出てきます。
 この微妙なさじ加減を誰が行うか?それは、先生方です。特に、担任の先生はその微妙なさじ加減は、論理ではなく、直感でできるようにならないといけないんです。今は押した方がいいのか、引いた方がいいのかという判断は、その場で生徒の顔(顔色じゃないですよ)を見ながら決めます。
 そのため、学校の先生には画一的な研修は似合わないのです。ラーメンでいうならば、インスタントラーメン程度の味で満足できるなら、今の研修システムはすぐれています。ラーメン店でも、自分で出汁も取らず、出汁の素を買う程度なら何とかなります。しかし、自分で出汁を取り、味にこだわり、少しでもよりよいラーメンを提供しようとするならば、今の画一的な研修なんて、大して役に立たないでしょう。教師自身が、いろいろな見聞を広めて、自分を成長させようとしない限り、できないからです。受け身的な研修では、まず身につかないものです。

 学校の先生方への不信感も分からない部分もなくはありません。確かに、ウームと腕を組んでため息をつきたくなる先生方もいるし、「この人には自分の子どもは絶対にみてもらいたくない」という先生もいます。
 その一方で、高校にもなると、保護者と担任との連絡がなかなか取れなくなります。コミュニケーションの時間の欠如から、学校に対する不信感が芽生えることも少なくないでしょう。こちらは、誤解のことが少なくないものです。
 自分の感覚では、9割以上の先生方はしっかりとしています。この人になら自分の子どもを預けたいなと思う先生がそのくらいの人数はいます。
 目についてしまうわずかな先生方をクローズアップして、教師のイメージを貶めるメディアや政治に私は辟易しています。だから、皆さんにはもっと学校の先生を信じてもらいたいし、応援してもらいたいと思います。人間なんですから、誰しも完璧にすべてのことに対処できることはありません。問題はそこに悪意があったのか、なかったのか、ではないでしょうか。いろいろな先生方を見ましたが、人間としてずるいなぁと思う人はほとんどいませんでしたよ。(片手で収まるくらいかな) 悪意がなく失敗したとしたら、それにいちばん気にするのはその先生自身です。

 学校の先生を貶めても、プラスになることはありません。「これだけひどい教師なんだから、給料をもっと下げろ!」という論調になれば、あちらの方にとっては、プラスかもしれませんが(苦笑)、先生方の「信用されていない感」が蔓延する方がよっぽどマイナスになってしまいます。

 教育の問題点として、家庭の経済力による格差と、教師の育成システムがあると私には思います。それは次回にでもまた書いていきます。

2015/03/11

みなさんを必要とする学校や職場

この頃、前任校の生徒との飲み会・食事会が多い。彼ら・彼女らが二十歳になったからということもあるし、人生を考えるという時期でもあるし、そして私へのお祝いであったりもするようです。

昨日は、1・2年次に私のクラスだった2人と水炊き。そのうちの1人に、「卒業間際の全校集会での先生の話で自分は救われた」といわれました。話した方がおぼろげにしか覚えていないんですが、聞いた方はよく覚えているものですね。
内田樹氏のブログを読んでいて、それを高校生版にアレンジした話でしたが、卒業生からリクエストがあったので、備忘録としてブログに書いておきます。

英語で「天職」はcallingといいます。自分たちがしたいと思う仕事ではなく、「あなたが必要だ」と君たちをcallしてくれるところが天職です。だから君たちは「やりがいのある仕事」と出会いたければ、しっかりと力をつけて、callしてくれるところを待っていなければならない。

大学も同じ。希望通りの大学に行く人もいれば、そうでない人もいるでしょう。希望している大学に行くことになった人は、そこで実力をつければいい。そうでなかった人は、君たちが進学する大学から「あなたの力が必要です」と呼ばれたわけなのだから、そこが君たちにとっていちばんの大学ということです。浪人をすることになった人は、自分の実力をつけて、来年度にcallされるようにがんばって下さい。

第一志望の大学に2人とも入学したわけでもないのですが、将来の夢を持って動いている卒業生です。

当然のことなんですが、希望通りの大学・高校、希望通りの就職をしたからといって、それで幸せになるとは限りません。「働き手」としてカウントされるのではなく、「あなた」として必要とされる学校や職場こそ、心地よく働けて、自分が成長し、学校や職場も成長できる場所なんでしょうね。

努力した人だけが、callされるものです。目標に向かって努力することは確かに尊いけど、その目標と結果が乖離した場合には、結果を受け入れた方が幸せになれることが多い気がします、たとえ順位の低い希望であったとしても、です。

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