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2015/02/15

良い学年が良い学校を作る

「よい学校」というものは存在しにくいと思う。それよりも「よい学年」は存在しやすい。

今まで私が「良い学年」と感じたのは、現任校という「現在」のことを脇に置けば、前任校と前々任校での3回があった。担任を持っていたあの9年は私の教師人生(英語教師人生ではありません)としてとても大好きな時間だった。

「存在」として、中堅~ベテランに対してはサポート役に徹してくれる学年主任。そしてプロ意識を持った担任。「担任の先生はどうしたいの?」と生徒指導ではまず学年主任が聞いてきて、そして担任は自分の仕事に責任を持っていく。

意見の相違は、教師という仕事柄、必ずどこにでもあった。しかし、この9年間は意見の相違があったとしても、すべてのことに「納得」することができた。(あくまでも英語教師としてではなく、教師としてです、念のため(笑)) 

  • 教師が同僚を見るのではなく、生徒を見ている。
  • 教師が生徒を小馬鹿にしていない。

当然のことであるかもしれないけど、このふたつは大切なんですよね。

いつか塾を開いたら、高校選びのアドバイザーはできるような気がするな、私は(笑)

2015/02/05

理論通りにいかないところが難しく、おもしろいのだ

 3学期に入ってから、2名の学生さんが授業を見に来てくれました。こちらもいい刺激になり、心から感謝m(__)m

 あまりにも久しぶりすぎるブログなので、書いたのだか書いてないのだかよく分からない内容です。
 「理屈に合った方法で授業を行うと、生徒の学力が上がっていくのか」と尋ねられれば、「いや、うーん、それは上がっていく、、、と考えてもいいんじゃないかなぁ、、、と私は思うんだけど。。。。」と、あまり自信がありません。いろいろと別のことも考えてしまうからです。

 その逆はどうでしょうか?

 「理屈にあっていない方法で授業を行うと、生徒の学力が上がらないのか」と尋ねられれば、「いやいや、そうとは限らないよ」とこれは断言できる。

 ここが医療と違います。皮膚炎なのに風邪薬という「理屈に合っていない」ものを与えても、意味はないでしょう。しかし、教育とは、理屈に合っていなくても効果があるときがあります。(なんでだろう)

 いい先生だったらクラスがまとまるかというと、そうとも限らない。ひどい先生だったらクラスがボロボロになるかといえば、逆にまとまることもある。人間と人間とが生み出す教育って、理屈や理論を超えたところに、本質的なところがあるんでしょうね。

 べつに英語教育の理論的な研究が無意味だといっているわけでもない。ただ、人間はA→Bというように単純な生き物ではなく、教えてくれる先生と生徒との相性や、先生の情熱、気持ちという、数字や理屈でははかれない部分に大きなウエイトが占められるというわけです。

 英語教育について研究をされている大学の先生方は、実際に中学生や高校生を相手に継続的に授業を受け持ってみたらいかがでしょうか?

 場所がない?

 いつか私は学校を辞めて塾を開こうと思っておりますので、そのときにはその場を提供いたします。そのときにはどうか、ご活用下さい。

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