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2013/10/30

「これでわかる基礎英語」の追加問題を作ってみました(第1章)

さて、そんなことはともかく、拙著『高校これでわかる基礎英語』の追加問題を作りました。今回は第1章です。ミスがあれば、ご連絡をお願いします、コソッとね(笑)

「chapter1.PDF」をダウンロード

今回の目的は、http://rintaro.way-nifty.com/tsurezure/2013/10/post-3a33.htmlで書いたような「術式」を作ることです。手前味噌ですが、『これでわかる基礎英語』は分かりやすく説明はされていますけど、問題数が少ない。これは、章末の英文を音読することで英語を理解しようというコンセプトが大きいのですが、やはり問題をやりたいという人も少なくないようです。
そこで、本体とは全く異なる形式の問題を作りました。ご購入なさった方も、そうでない方も、ご活用下さい。今回のターゲットはbe動詞。進行形と受け身も併せて学習するなかで、疑問文や否定文という、学習者が苦手なところに少しだけ、フォーカスしました。

そこで、このような追加問題をこれからどんどんアップしていきます。今年度中に、全ての問題(TRY)で、追加問題を作ります。

この追加問題で、中学校レベルの英文法はほぼカバーできます。また、追加問題には一切、透かしや、プロテクトはかけておりません。どこでもお使い下さい。


なお、不規則変化動詞などの本書の音声は、文英堂のサイトからDLできます。

10/31追記
 問題にミスがあったので、訂正しました。everyday→every day。ご指摘下さった I 先生、ありがとうございました!

2013/10/23

わかりやすい授業で学力はあがる?

明けたので、昨日は試験最終日。1年生4クラスで教室のペンキ塗りをしました。前任校では改装が近いという話しがあったので行いませんでしたが、昔からの「行事」みたいなものです。教室の雰囲気が一気に明るくなりました。ペンキ塗りは初体験という先生と生徒にローラーや刷毛の使い方、ペンキの薄め方などを説明して、なんとか3時間で完成です。今朝、早めに教室に行き、養生テープをとらないと。

「養生8割、ペンキ2割」と生徒に話し、準備の大切さをペンキの作業をしながら話すと中に入るような気がします、気がするだけどね。なんでも準備が8-9割、本番は1-2割みたいなものです。

この頃というか、最近ずっと、英語教師(英語教育)の矛盾を感じています。こんな命題について皆さんはどう思いますか?

  • 分かりやすい授業を行えば、生徒の学力があがる
  • 教師の英語力があれば、分かりやすい授業を行われ、生徒の学力があがる
  • 理論的な枠組みを教師が知っていれば、分かりやすい授業が行われ、生徒の学力が上がる
  • すばらしい試験問題であれば、生徒はそれに向けて学習をし、学力があがる

条件説の部分は、英語の先生が拘りたいところです。「分かりやすい授業」「自分の英語力」「理論的な枠組み」「試験問題」、その他にも「発音」なんかもあるかもしれません。

「分かりやすい授業を行えば、生徒の学力が上がる」という命題については、私は2点ほどよく分からないことがあります。
1点目は、分かりやすい授業(生徒がなるほど!)と分かった授業では、生徒がそこで納得してしまい、復習をしなくなり、定着しない。これは、説明タイプの授業に多い気がします。そうそう、私が人からパソコンを習ったときみたいなものです。その場ではできた気になるんだけど、数日後になるとよく分かっていないというケースは少なくありません(苦笑)。自分で実際にやってみないとだめなんです。英語の授業で「実際にやってみる」というと、どんな方法があるんでしょうか。コミュニケーション英語1でいうと、「アクティビティだよ、アクティビティ」という人もいるでしょうが、40人の生徒をアクティビティでコントロールするのは至難の業です。だったら、問題集を使う? それも違うような気がします。

2点目は、教師の授業技術と、クラスの平均点は一致しないということです。たとえば、同じ先生が同じように教えても、クラスによって平均点は異なります。時には、「こっちの方が上手に授業ができているんだけどな」と思っているクラスの平均点が低いことだってあります。授業技術と平均点が一致するなら、どのクラスも同じくらいの平均点になるはずですが、そうならない。
確かに先生によっても多少の差はあります。ではその差は、教授技術の差かといえば、必ずしもそれだけでない。別の部分の方が大きいと私には思われます。

営業トークが上手な人よりも、すこししゃべりが下手な人の方が営業成績がいい、なんて聞いたことがあります。立て板に水の授業をする人よりも、あまり上手ではないが、だからこそ生徒が勉強するということもあるんですよねぇ。

2013/10/21

広島から戻りました

広島大学でお話しが終了。3年目ということもあり、毎年、いちばん自分が感じていることを話題にしているので、かなり緊張しながら、自分を試みるいい機会でもありました。こういう機会を下さった柳瀬先生に心から感謝。そして、真剣に耳を傾けて下さった広島大学の学生さんやK先生にも感謝。

今回のテーマは、「教育」と「クローズアップされている学校の目標」でした。「教育」の目的の大きなひとつに、「学力の向上」があります。これは当然のこと。しかし、その「学力の向上」の先にある「クローズアップされている学校の目標」に、「大学合格実績」が位置してしまうと、本来の「教育」の目的と変わってきてしまうのではないか、ということでした。

  • 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。(教育基本法1条、教育の目的)

ここには、「国立大学○○名合格」なんていう数値目標や、大学合格実績という文言は出てきません。教育とは、子どもを大人にし、この社会を作り上げていけるような、すてきな心を持った人々を多くしようではありませんか!ということと、私は勝手に理解しています。

もちろん、有名中学→有名高校→有名大学→一流企業・キャリア官僚など、という「方程式」の先に、この目的の達成があるのであれば、それは目指すのが当然となるでしょう。でも、こんな方程式はありませんよね。

ここが難しいところです。

その一方、予備校や塾、そして一部の私立高校(一部が大きいか少ないかは分かりませんが)では、合格実績が経営に直結してきますから、きれい事ではうまくいかない。従業員や教員、その家族の生活がかかっているのですから、きれい事だけで話しは進まない。それは当然のことです。自分たちの教育の理念を捨て去らずに、でも進学実績をPRすることは納得できます。しかし、教育の理念がどこかにいってしまい、進学実績をあげることを、教育の理念のように前面に出すかどうかで、予備校・塾と私立学校との間には差があるのでしょう。(一部の私立学校や公立学校でも、この意味での予備校化が始まっていることは嘆かわしい)

もちろん、先ほどの方程式に対する疑問は「持てる者の疑問」という批判があることは重々承知の上です。ただ私は「何を持つか」ということを疑問に持っており、そのことを「持つ」ことにより、人生が豊かになれることと直結するわけではないのに、どうして学生時代という貴重な時間を、「それを持つこと」を至上命題にするのだろうか、という疑問を呈しただけです。

また、受験といっても、大学に行かない高校生は約半分もおります。受験至上主義になってしまうと、その半分の高校生の英語教育の目的は何になるというのか。受験する人の目的と、しない人の目的とでは違っていいのですか? これは、教育基本法の「教育の目的」と、受験至上主義の目的とは相容れないということなんです。誰しもが学ぶことを楽しめるような世の中が私は理想だと思うんですけどね。

そう考えると、今のクラスサイズは本当に大きすぎる。全員の生徒を勇気づけることはできなくても、勇気づけられるような「中間層」をどれだけ拡げていくかが、私は教師の技術だと思います。その技術は授業の中で完結するものではなく、授業外での行動も大切になってきます。ただ、その「授業外での行動」については、全く研修がない。自分の感性であったり、同僚を手本としたり、自分の経験であったりと、試行錯誤をしながら見つけるしかない。その上、方法論も数値もないわけです。(その先生のオーラに表れるというと、エビデンスドベース主義者は笑うだろうが、そんな主義者は人間を知らないよな、うん)

そのオーラとは、教師としての哲学を持った人が内面からにじみ出てくるものです。ホントににじみ出てくるんだよなぁ。一方、授業の方法論に焦点をおいている人は、「技術者としてのオーラ」はあるけれど、「教育者としてのオーラ」は私には感じられない。もちろん、この両者のハイブリッドであればいちばんなのでしょうが、なかなか難しいですよね。

広島大学での講演で使った資料を添付します。見直してみると、手直しがまだまだ必要ですが、手直しをしていません。

「2013.ppt」をダウンロード

今年も、懇親会ではお世話になりました。幹事をして下さったM君、おじさんの話に付き合ってくれたS子さん、天然さんや右となりにいた男子学生(名前を聞いていませんでした・・・)をはじめとする学生の皆さん、そして今年もお世話になったK葉先生と楽しい時間を過ごすこともできました。

ちなみに翌日は行きたかった錦帯橋。錦帯橋って広島県にあるとばかり思っていました(苦笑)

2013/10/14

「術式」を作りたい

久しぶりのブログです。

昨日は、ちょっとした縁で、塾関係のセミナーに参加してきました。ふたつの基調講演は時間を忘れさせるほどのすばらしいものでした。
ひとつ目の講演はリーダー論。「何をいったかではなく、相手に何が伝わったか」 これは私も気をつけるようにしています。「しっかりといったのに、つたわっていない」とは職員室でよく出る話題かもしれませんが、伝わっていないなら、それは自分のピースと相手のピースとがマッチしていなかった証拠でしょう。相手のピースに合わせる必要があります。
もうひとつは、「私が実現したいことは何か」を常に考えているということ。忙しいと、「私がしなければいけないこと」に忙殺されてしまいますが、自分が実現したいことを意識して行動していくことが大切ですね。


もうひとつは、The Body Shopを再生させた岩田松雄さんの講演。The Body Shopの「事業を通じて、社会を変革していく」という理念に基づいた経営、そのためにはウソをついたり、不安を煽るのではなく、正直に、誠実に行動していくことが生み出したThe Body Shopのブランド力のお話しにも引き込まれました。内側からにじみ出てくる理念をベースとした経営は大切なのですね。私がここにまとめるより、岩田氏の著書をぜひともご一読を!教師にとっても同じことで、内側からにじみ出てくる理念=教師としての哲学がなければ、薄っぺらいわけです。学んだり、行動したり、真剣に向き合うことではじめて、内側から哲学が生まれてきます。若い先生には、教師は自分の生き方が「栄養」になり、自分の体を作り出していくことを忘れないで欲しいな。学ぶことは大切だけど、純粋培養じゃだめだってことです。


その他、ベネッセの幼児英語教育もおもしろそう。懇親会で担当者の方にお話を伺うと、年齢別のcan-doリストや指導案まであると聞き、びっくり。確かに、専門的な講師が少ない中、子どもがはじめて英語に触れるときに、いいわけ的に講習を受けるだけではなく、マニュアル化することにより、「質の均質性」をとろうとしているのですね。おそらく、講師もなれてくれば、自分なりの方法が、指導案の上に乗っかってくるのでしょうが、ミニマムレベルを保証するためのものなのでしょう。さすがベネッセ。

その一方、英語の教材の紹介が目白押しでしたが、正直言って、全てがウームというものでした。inputとoutputを統合した教材です、という会社があるので、統合とはどういうことなのか、intakeの扱いはどうなっているのかと、ブースで質問したところ、intakeとは何でしょうか?というような会話にがっくし。その他にも、「使える英語」=「output」ということはわかるんだけど、だったらどのようにoutputをさせていくかという部分の説明が全くない。「教員免許のある在米のネイティブスピーカーとパソコンを使って会話をする」なんていう説明もある始末です。教員免許ってなんだ、それ。
他にも、教材を作っている某塾のお話しでは、その教材が画期的であると話していましたが、あとで見に行くと英語に関しては全く画期的ではない。断言します。はっきり言えば、なんだこれ、、、という教材でした。その教材を使うためには、「エリア限定」があるようで、使用するためにはそこの「会員」にならなければならないそうです。なんだかなぁ・・・。

確かに、英語の成績を伸ばすことは難しいことのようです、塾の方にとっては。「成績保証」をしている塾でも、「英語以外の4教科」としているようです。確かに、教員免許を持っているプロでさえ、どう教えるかに苦しんでいるのですから、(あえていうなら)素人さんが教えるのはさらに難しい。経験則で何とかなるものではないことが、圧倒的に多いでしょう。

「良い教材」とは何なのか、を考えてしまいました。これは、立場によって変わるはずです。第一義的には、出版社にすれば、「売れる教材」。塾にすれば、「集客できる教材」(成績が伸びれば、生徒が集まるといっていた)。そして、教師や生徒、保護者にすれば、「成績が伸びる教材」なわけです。これらは、全てその立場では当然のこと。どんないい教材でも売れなければ、出版社にとってはダメな教材です。生徒が来なければ経営が成り立たない塾にとっては、集客できなければダメなわけです(これは私立学校も同じかもしれません)。きれい事では済まされないわけですから、本当に当然のことです。(イヤミじゃありませんよ) そう考えると、純粋に学力アップを考えられる公立学校は恵まれているんですよね。ただ、公立学校には「それどころじゃないよ!」という部分があるところが辛いところです。

確かに第一義的にはそうですが、出版社にとっても塾にとっても、2番目に大切にするところは、「学力アップ」でしょう。ところが、その学力アップが難しいところです。
おそらくそれは、ベネッセが幼児教育で行うような、「手取り足取り」が難しいからだと私は思います。手術でいう、「術式」にあたるものです。

それは教材しかない、と私は思います。ある教材を最初から進めていけば、学力や自信といった広い意味での英語力(学ぶ力)がつく教材が必要だと思います。教える側に経験やスキルがなくても、その通りに進めていけば力がつくもの。本当は全て1冊でできればいいんですが、そうもいかない。単語もあり、文法もあり、作文もあり、長文などいくつかそろえて、自分のこだわりで、それぞれをピックアップできるような教材が理想だと思います。現場の先生だけでなく、大学の専門家にも、この教材作りに力を注いでもいいのではないか、論文と同じ感覚で教材作りをしてもいいのではないか、と思います。

教材とは、シラバスそのものです。どのような力を学習者につけてもらいたいかというイメージを持ち(イメージというと、批判がくるかな)、そのゴールに向けて、どのような学習を重ねていくか、どのような問題を出すのか。若い先生は、教員免許を持っていない人がこの教材で教えるとしたらできるだろうかという感覚で問題を作ってみると、いい勉強になると思うんですけどね。

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