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2013/07/26

先生の成長2

箱の開け方が分からなければ、箱の開け方を教えられます。
釣りの仕方が分からないなら、釣りの仕方を教えられます。

当然といえば当然なのですが、実用的な「教え」とは、こういうものでしょう。自分の目的の答えを持った人がいて、その人にその答え(方法)を教えてもらう。箱の明け方にしても、釣りの仕方にしても、なんでも具体的な答えが決まっていれば、明確に教えてもらえるわけです。

しかし、教育の目的である人間の生き方については、答えが明確に決まっていません。経済が右肩上がりで、バブルの絶頂期のころまでであれば、一定の「方程式」があったのかもしれません。(その「方程式」が本当に正しいものであったと現代の若者がどれほど信じているか私は疑問ですが)。

しっかりと勉強する。偏差値の高い高校に入学し、有名大学に進学し、大手企業に就職することが、人生の目的であり、幸福へのチケットであると信じているナイーブな大人はどのくらいいるのでしょうか。わざわざ仕事や大学を休み、東日本大震災の被災地にボランティアとして活動をしにいく多くの若者の行動は、それとは対角線の位置にあると私には思われます。有名私立中学・高校、そして有名大学に入学、大企業に就職をしたことで自分は幸せになったと思っている人はどのくらいいるのでしょうか。もちろん、権力や資産の魅力にとりつかれている人もいるでしょうが、実際に「自分は学歴や学力で幸せになった」という人は極めて少数派なのではないかな? そうではない何か、人とのつながりや自分が生きていることの存在意義、社会的な役割、自分の人生を自分で選ぶことの力などで幸せを感じるのではないかなぁと私は思ってしまいます。人は幸せになるために生きているのであり、学校での学ぶということは、人生の目的=幸せになることにつながっていくものだと私は思っています。次の世代にこの社会を受け渡し、よりよい世の中にしていけるような人材を育てることが、抽象的ですが、学校教育が目的とする「人材育成ポリシー」なんだと私は思います。

人生論や宗教論的になってしまいましたが、もうすでに、勉強をすることによって得られる「果実」として「学歴」や「就職」があったにせよ、それが私たちの幸せ・不幸せが決めるものではないということは、今の40代以上を見れば分かるでしょう。出身大学順に「幸福度の偏差値」が決まっているわけではありません。私たちの若いときに出現した「フリーター」は、「フリーター」的な生き方があって、それを社会を受け入れたという若者にきっかけがあったのか、私は疑問です。というのも、「非正規雇用にならないように」と子どもにいっても、20代前半の若者の非正規雇用の割合が40%を超えている現状は、若者が非正規雇用を求めているからではなく、企業側の論理です。それなのに、職業として身分が安定している教育行政に携わる人々や、教員が、「非正規雇用にならないように」なんていっても、説得力はないでしょう。そんなことをいうくらいなら、社会から非正規雇用がなくなる方向への活動をするべきじゃありませんか。それとも、あなたが目の前で教えている生徒さえ良ければいいですか? 自分が安定している受け皿に乗っているせいか、「受け皿」が小さくなっていくことに目を背け、いかにしてその受け皿に滑り込めるかを考えるよりも、どうやって大きくしていこうとするかを考えるほうが、よっぽど次世代のためになるのでは。「そんなことをいわれても」という声が出てくるかもしれませが、私たちができることは、自分の虚栄心を意識した上で、それを満たすための行動を生徒を使ってしないことだと私は思う。

 多くの大人が、子どもに対して勉強のモチベーションとして、「方程式的な幸せ」を長い間与えてきたことも、紛れもない事実です。その上、残念なことに、一部の学校には国立大学合格何名だとか、早慶上智に何名だとかという、「数値目標」がいまだに掲げられています。(売り上げを自分の力で上げる数値目標なら分かるけど、勉強をするのは生徒なのに、その生徒の「努力」の数値目標というのも、私には違和感があります) 
 こういう目標があれば、そこで働き続けるためには、「教える技術」に目を奪われる先生方が出てくるのも当然でしょう。「学力をあげるための指導技術」があれば、飛びつきたくなる。もちろん、生徒の学力を上げたいという思う気持ちは私も同じですが、そのバックボーンが受験なのか、人間的な成長を信じることなのか、全く違うのです。

本来であれば、好きだから学ぶ、というのが基本です。役に立つかどうかではなく、好きだから、興味があるから学ぶのが本来の学びです。それがどうして、こうも変わってしまうのか。受験を通じて、人間力が鍛えられるという側面もあることもよく分かります。自分と向き合うわけですから、自分が鍛えられますが、それはラッキーな副反応ともいうべきものです。

誤解なきように念を押せば、私は受験制度を廃止せよといっているのではありません。大学のオープンキャンパスも生徒には勧めているし、大学で学ぶすばらしさも伝えていますよ。生徒が自分で調べ、「○○大学に行きたい」と決めたならば、それは全力で応援したい。それは生徒が自分の人生を自分で決めようとしているのですから、そのサポートは喜んでします。(今までもそれはしてきている) 
そうではなく、教師自身(親)が自分の虚栄心を隠しつつ、「この生徒は勉強が出来そうだから、○○大学を目指して頑張らせたい」「今年は二桁の国立大学を目指させたい」ということは止めましょうよ、と私はいっているのです。そして、それを動機としての「学力向上」に強い違和感を持っているのです。

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