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2013/05/04

虚栄心は名誉欲は怖い。魅力的だからね。

tweetしたことまとめておきます。少々、誤解ないように一部加筆訂正してあります。

ここ10年以上の学校教育のひずみの根本にあるものは、「実績を残すこと」に拘りすぎている学校や教師、そしてそれを願う体制や保護者、それに乗っかりたい教育関連の企業なのではなかろうか。「実績」とは生徒の有名大学への合格だったり、虚栄心をみたすものだったりする。
「ありのまま」を受け入れようとせずに、「理想的な生徒」「理想的な教師」など「理想的な○○」を望みすぎたら、それこそ社会が歪む。(英語の教科書の登場人物ばかりだったら怖くない?w) 反社会的でない限り、生徒のありのままを受け入れればいいじゃないのか。
根本にある問題は、「幸福な生き方」にあるのではないか。有名大学に行くことやグローバル社会と呼ばれるところで活躍することを「目的」とすることが幸せ には直結しないのに、なぜか直結しているように大人は子どもを教育しようとする。それを信じて子どもは勉強し、その結果が学校(教師)の実績になる。その「実績」は数字としては残るが、生徒の人生にとってのプラスになるとは限らない。
幸福論についてはいろいろなことをいう人がいるけど、自分の人生を自分で決められること、そして友人(人間)関係が豊か(多さとは限らない)であることが もっとも大切だと思う。小学生だってひとつの人格を持っているのだから、自分で人生を選ばせたい。大人の役割は、背中を見せ、サポートすること。
今年26歳になる卒業生(女子)が結婚するという連絡を受けたのだが、その周囲はまだ結婚しないという。その理由は、お付き合いしている男性が、非正規雇 用だからだそうだ。結婚したくないのではなく、将来が不安で結婚できないという。この問題の方が、私はよっぽど根の深い問題だと思う。
目の前の生徒の幸福を考えるのであれば、大学合格の数を競うよりも、安心して働けて、生活を送ることができる社会作りを目指す方がよっぽど大切である。結 婚したいのに、目の前にいるお互いにとって大切な相手と結婚できない。この方が、国家にとってよっぽど大きな損失ではないだろうか。
若者を安い労働力、文句をいわない労働力として非正規で雇用している経済界の視点を、「民間の視点」として受け入れることは、若者を人生をどのように考えるかという点において、学校とはまったく相容れない。蟷螂の斧に過ぎないけど、私は疑問を持って、活動していきます。
大学合格者数に拘ったり、どっかから降ってわいてくるプロジェクトに教師が乗っかったりするのは、自分の実績を作りたい=つまらん虚栄心を満たしたいとい う欲求が根底にあるのではないか。本来、教育とはそういう下らないことから遠く離れたところに位置する。そういう人たちは、必ずグループを組む。それは、勝海舟の元に集まった志を持った集団ではなく、ピン立ちできなかったり、おこぼれにあやかろうとするチームである。大きなチームから、小さなチームまで、いろいろとあるでしょ。ほら、そこそこ。
くだらない虚栄心とかけ離れているから、「変人」が学校の教師として存在している。生徒のありのままを受け入れるから、「変人」が学校の先生として必要 だ。施政者が「枠」を作れば(緩やかな枠は必要だよね)、そこからはみ出てしまう子どもがでてくる。はみ出しすぎないためにも、「変人先生」は必要なんです。
そういう先生が「居場所」となって、生徒もありのままの自分を受け入れて、「ちょっとはみ出た場所」で過ごせるようになる。そうすれば、生徒はあっちまで、はみ出しすぎない。
ということで、大学の教職では、エリクソンのライフサイクルを1年間、じっくりと学んだらいいのではないかなぁと思う。人間はどのように生まれ、どのよう に死んでいくのか。「死」という視点があれば、虚栄心から冷静になれる。大切なときに、冷静になれるんです。(いつもじゃないよ)

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