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2012/09/29

軸とモチベーション

 ふぅ。あまり気が乗らなかったのですが、生徒からのリクエストもあり、入試センター試験の長文の過去問。長文を読むのが苦手だ、時間がかかるという生徒もいたので、自分なりのやり方をなぞる形での演習でした。結果的に、どうして要約をするのか、どうして文章のテーマを決めているのかということがなんとなく分かったようで、何より何より。参考書の使い方として、「さくいん」を教える必要があるように、不器用なまでに生真面目すぎる生徒には、「なぞるような演習」が必要なのかなぁ、モチベーション維持のために。モチベーションの維持(上昇)は、理屈ではない。分かるようになった、出来るようになった、点数が取れるようになった、という体験が大きな要素となります。

 モチベーションの与え方は、これは教師ひとり一人の職人的な技法です。授業だけでなく、ふだんの人間関係のあり方、その先生のパーソナリティなど、まったく同じ方法などないでしょう。私のスタイル(モチベーションを与えられているかどうかは脇に置いておいてw)を他の先生が真似をしてもあまり意味はないし、私が他の先生のスタイルを真似しても意味はありません。それどころか、自分と違うスタイルを強制されると、ストレスとなって、生産性は低くなります、間違いなく、ハイ。

しかし、うまくいったスタイルが、万人に共通すると思う人が、残念なことにいるようです。(このことは、いつか書きたいな)

多くの学校で「小テスト」なるものが行われているでしょう。放課後に時間を取って単語テストをしてみたり、構文テストをしてみたり、そう、あのテストです。授業と連動しているケースもあるかもしれませんが、何か単語帳を渡して、「1ページから10ページまで」というスタイルが一般的かもしれません。これって、本当に効果があるのでしょうか?

池谷裕二氏が、「やる気は脳ではなく体や環境から生まれる」の中で英単語の覚え方について次のように述べています。少し長いですが、とてもおもしろい実験なので、引用してみます。

  • 学生に彼らがまったく知らないスワヒリ語の単語を覚えてもらうという実験から分かりました。英単語とそれに対応するスワヒリ語が40組書かれた紙を配り、学生に丸暗記してもらいます。その後テストをして、全問正解するまで繰り返すのですが、下記のように異なる条件の四つのグループに分けて行われました。
  • A)40単語を記憶する→テスト→単語リストを一通り覚え直す→40単語を再テスト
  • B)40単語を記憶する→テスト→間違えた単語だけ覚え直す→40単語を再テスト
  • C)40単語を記憶する→テスト→単語リストを一通り覚え直す→テストで間違えた単語だけを再テスト
  • D)40単語を記憶する→テスト→間違えた単語だけ覚え直す→テストで間違えた単語だけ再テスト
  • どのグループの学生も、記憶とテストのサイクルを4、5回繰り返すとだいたい満点が取れたそうです。ここで差がつかないことも興味深いのですが、1週間後にもう一度集まってもらって同じテストをしたら、まさに劇的な結果となりました。40単語すべてを再テストしたグループ(AとB)は80点ぐらいだったのに対し、残りの二つのグループ(CとD)は20点前後しか取れなかったのです。つまり、問題を再度全部やったほうが記憶の定着率が高かったということで、特に、間違えた単語だけ覚え直してもテストを全問やれば効果が高かったのは特筆すべきです(Bの場合)。情報を詰め込んだら試しに使ってみるのがどれほど重要かを、この実験結果はまざまざと示しています。

この実験から分かることは、「小テストをする」→間違ったところ直させる(課題を提出する)ということをしても、大して意味はないということです。もちろん、この小テストがきっかけとなり単語を増やそうと思う生徒(モチベーションアップするグループ)もいるかもしれませんが、「やらされている感」の強い生徒のモチベーションは低下するでしょう。だって、努力の割には成果が低いんですから。

「進学に対する何かしらの取り組み」として英単語や構文の小テストをするのは、「私たちはこのような意識付けをしていますよ!こんな取り組みをしていますよ!」というアピールに過ぎないのではないか、とさえ私には思えます。それで生徒の力がつかなかったら、「まだ、生徒の意識が高くなっていない」といえば、誰も文句はいってきませんから。教師サイドは取り組みをしている、そして生徒はその取り組みに応えていない。そのような図式は教師の最高のエクスキューズになる。その「取り組み」の意味論は脇に置き、「今までやっているから」「何かしらやらなければいけないから」という理由で行うことは、プロとして恥ずかしいことではないかと私は思う。何かしらをすればいいという員数主義は、学校には百害あって一利なし(二利ていどはあるかな?w)ではないのかなぁ。

小テストがうまくいく場合は、授業と連動している場合でしょう。もっといえば、その先生が必要だと思い、授業の中でも取り入れていることを、復習の観点から出題している場合ではないでしょうか?モチベーションが山のものとも海のものとも分からない中で、教材を渡して「これは大切だからやりなさいよ」ということに、私は強い違和感を持ちます。教師としての軸があるならば、その軸に沿った授業をして、小テストをするのであれば、それにそったテストをするべきだ。(これは、反省を込めて、ブログに書き留めておきたいのダ) 軸から外れたテストを何度やろうと、期待するほどの成果はでないだろうね、きっと。

何かしらの取り組みがエライのではない。軸を持って、そこからぶれない取り組みが、生徒にとって私はいちばんプラスになると思う。その軸を作るために努力は必要なんだけどね。

ある集団で、共通の軸があれば共通の取り組みは成り立つでしょうけど、共通でない軸なのに、無理やりに共通を作り上げたり、少数意見を多数派の軸に組み込もうとしたってうまくいかない。教師は生徒と真剣に付き合うためには、他者にゆずれないが、強制もしない軸が必要なんじゃないかなと私は思います。(軸を強制してしまうと、「宗教」になってしまいますから。)

それが、教師のモチベーションアップであり、生徒のモチベーションアップにつながると信じて疑いません。

2012/09/24

Stretch your legs according to your coverlet.

要約2日目。

要約をさせてみると、生徒の理解は、本文をそのまま理解しているわけではなく、自分が理解しているように、理解しているのが分ります。同じようなことが、進学補講でもあったなぁとデジャブ感。補講では次の英文を読ませました。

  • Carrots are grown on farms and in small family gardens throughout the world. They are easy to grow and easy to harvest. They have a pleasing taste. Also, they contain a lot of carotene which the body can change into Vitamin A.(『インサイト英語長文演習』 p.10 美誠社)

そしして、topicを考えさせると1番人気がこちら。

  • にんじんの良さ/良い点

そこで生徒に質問。どこが「にんじんの良さなの?」とたずねると、そこでつまる。筆者は「良さ」なんていっていないでしょ。自分の感覚は脇に置き、書いてあることだけを読み込んでいきましょう。自分の感情や知識にもたれかかるのではなく、生の文章を素直に受け入れていかないと、現代文でも足元をすくわれちゃうよ、なんて大きなお世話か(苦笑)

「こう書いていあるだろうな」という予測の上に解いていき、それがあっていれば、間違えない。でも、そんな偶然なんて、全ての問題で起こるわけではないから、文章をそのまま読んでいくことが大切だぞと話すと、おとといの模試で同じようなミスをした生徒が発言。説得力がありました。

話題は変わり、このごろ流行のCan-doリストについての疑問。

もちろん、専門家でもないし、細かいCan-doリストはすごいなぁと(嫌みではなく)思います。でも、このcan-doリストって、どのような使い方がベストなのかという疑問もある。

「ここが弱い」「ここをもう少し伸ばそう」「これはできているな」という「だいたいの基準」であり、「上から眺める」という視点であれば、それは分かるし、一定の役割があると思います。ところが、それを学校の現場に持ち込もうとすると、その「だいたいの基準」が、1年の1学期とか、2年の1学期というように、「より細かい基準」になってくる。おそらく作っているところは、そうなっているでしょう。確かに、small stepを明確にしていくことは、間違っていない。(「正しい」とはいっていません、念のため) これは、「自分はどのくらいできているか」という「上からの眺め」ではなく、「スタートしたら、このように学習していこう」という「下からの眺め」です。

細かい基準にすることは、分かりやすくなることになる。しかし、2年の1学期に目的としていたことが、結果として、2年の2学期の目標と同時に、生徒が理解することだってある。それまでよく分かっていなかった「縦糸」が、他の「縦糸」との横の繋がりが見えて、「あ、なるほど、こういうことだったんだ!」という気づきって誰にでもないかなぁと、私は思います。

それが、細かすぎるリストを作ってしまうと、そのポイントが出来ているかどうかになり、「後でこれは出来るかもしれないよ」ということがなくなる。だから、そのポイントを必死になって習得させようとする。つまり、そのポイントなしに、ゴールはないからです。

「上からの眺め」であれば、自分の授業や学習の振り返りとなりますが、「下からの眺め」だとそのポイントクリア自体が目的となってしまうのではないか、と私は思いますが、いかがなもんでしょうか。

全ての授業が終わってから、「あの時期はこういうことが全体として出来ていたな」という「振り返りリスト」と、「この1年はこういう計画で学習させていこう」という「予定リスト」では意味が変わってきます。何せ、相手は人間ですから、モチベーションが高いときもあれば、落ち込むときもあります。(エゴグラムでクラス平均をとってみると、おもしろいほどわかります。) 
「予定リスト」になってしまうと、そのポイント通過自体が目的とならないかなぁと私は思うんですけど、いかがなものなんでしょうね。

2012/09/20

要約初日

要約初日。今まで進学補講では要約を行ってはいたものの、授業でも要約を開始。授業と補講とでは違うんですよね。3年次になり、「単語」「音読」「要約」の3本柱だけで構わないと話してきましたが、自分の中での本丸である要約にようやくに入れた、というオヤジギャクはスルーされました(苦笑)

テキストは難しいので、少々やさしめの英文を引っ張ってきて、それを使います。パラグラフをざっと読み、まずは「topic」をひと言で生徒は書きます。そして、パラグラフ内の「要素」を箇条書きさせ、40字以内で要約します。初日はここまでで、終了。2つのパラグラフの要約で終わってしまいました。

気になったことは、「topicを抜き出せ」といったところ、パラグラフの最初の1文を「要約」していた生徒が1~2割程度いたこと(苦笑) あのさぁ、パラグラフリーディングとかいうものをどっかで聞きかじったのかもしれないけど、そんな理想的なパラグラフなんていうものはお目にかかれることはないと思いなさい。そのほかには、副詞・接続詞をもとに、「このパラグラフは順接的で・・・」とどっかの予備校(塾?)の知識がある生徒もいました。こちらも、ウーム。

後になって「なるほどねぇ」と思うことを、最初から知識として与えられることがいいこととは限らないんだけど、長文を苦手としている生徒にとっては、学校で教えられない「技術」は新鮮にうつるのかもしれないね。技術に頼って成功すると、基礎体力をつけようとしない傾向があるから、私は心配なんです。長文が苦手なら、単語を覚え、教科書を音読→暗誦をすることで大部分が解決できる、私の拙い経験では。面倒くさいし、時間もかかるし、生徒も即効性がないので飽きてくるけど、そこをフォローしながらクラスを作り上げていくのが教師の醍醐味だと思うんだけど、少数意見なんでしょうか。どんな英文にも対応できる力をつけるためにも、技術に頼るんじゃなくて、底力をつけてもらいたいなぁと私は思います。

そのほか、本日の生徒へのアドバイス。

  • 自分の勝手な読み方をしない。テキストの中ではcompletely disappearと書いているのに、「減少した」という要約が多数あったので、そこはチェック。
  • トピックからダイレクトにつながる文と、その文につながる「付け加えの文」とを区別すること。並列に考えてしまったため、要約が出来ないケースが多々ありました。

こちらが準備していないケースもいくつもあるし、授業での気づきもありますねぇ、相変わらず。

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