人生を豊かにすることが学びの原点
本日のtwitterには大阪維新の会の「家庭教育支援条例案」に驚き。ガセ情報に踊らされたり、卒業生へ場違いの「謝罪」をしたりと、ニュースにはこと欠かない同会ですが、今回の条例案にはとにかく驚きしかありません。
特に驚いたのは次の通り。
- わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する(18条)
- 児童虐待の背景にはさまざまな要因があるが、テレビや携帯電話を見ながら授乳している「ながら授乳」が8割を占めるなど、親心の喪失と親の保護能力の衰退という根本的問題がある(前文)
広い意味での支援は、親が必要だと感じたときに気軽に相談したり、愚痴を聞いてもらえたり、「ママ(パパ)友」と語り合えたりしたときの「場」の提供です。啓蒙するかのよな、子育て論(べき論)なんて、親にとってありがたくもない迷惑に過ぎない。相談や愚痴なんていうものは、彼らにとっては「無駄」と見えるかもしれません。なにせ、「こどもの家事業」の廃止を2013から廃止しようとしている人たちですから。(その訴えは、「こどもセンター職員一同より緊急のお願いです」をご覧下さい)
残念なことに、維新の人たちは表層的にしか、教育をご存じない。田中康夫氏が「国歌・国旗」「憲法9条・護憲」を保守・革新をリトマス試験紙とすることを愚かしいと喝破していますが、偏差値の高い高校や大学に入学させることのみをメインの「成果」とすることが、教員としての優劣だなんていうのも、愚かしいのです。人生の基本哲学なき教員集団こそ問題だと私は思う。批判を恐れつついえば、人生哲学がなく、進学実績に一喜一憂したり、管理職になりたいと実績作りに励んだりしていては何かがおかしくなります。生徒に届くことばさえ、見つけることが出来ないでしょう。
むしろ親に対して、学校名にこだわるのではなく、子どもが自分の人生を自分で決定して、それに対して責任をとれる生き方を考えていきましょうよ、と私は「啓蒙」したいのです。親は世間を知っているだけでなく、見栄もある。子どもをついつい、ブローチ代わりにしてしまう。(私もそうです) だからこそ、ちょっと離れたところから、教師が冷静に親と向かい合うことが必要なんです。人間の人生はその人のものであるからこそ、人生を大切に生きてもらいたい、と相手を信用し、サポートすることは養育者として必要なことだと私は思う。
少し話がそれちゃいました。いつものことですが。ちなみに、「育て方」と「発達障害」とが無関係であると、長崎県こども政策局が次のようにいっています。
- 違います。生まれつき脳の機能に障害があることが原因です。
「親のしつけが悪い」という周囲の誤った非難によって、子どもだけでなく親までも傷ついていることが多くあります。
発達障害児の問題行動は、子どものわがままや、親のしつけが原因ではありません。親だけでなく、周りの人たちが軽度発達障害について正しく理解することがとても大切です。(発達障害に関する相談)
少し、授業のことを考えてみました。
「しっくりと絡み合う授業」とは、現場の先生でなければ分からない感覚でしょう。生徒のベクトルと教師のベクトルとの方向が一致し、長さはちょっとだけ教師の方が長い。いくらすばらしい教案を書いたり、目標を掲げていても、方向が違うと生徒は集中しなくなるし、教師の長さが短いとお見限りとなる。教師が長すぎると空回りする。
このバランスを皮膚で感じられないところが転勤したときのストレスの原因のひとつでしょう。
空回りすると、生徒をどうにかコントロールしたくなるものです。「おい、いうこと聞けよ」っていうやつです。民間企業の上司であれば、人事権(評価)を使って、「おい、いうこと聞けよ」ということもあるかもしれません。しかし、ここは学校。そんな評価など、生徒はあまり気にしてくれません。
だから、「間違っていない」ことで、生徒を脅します。それが、「大学入試対策」です。「これは、試験に出る」ということをすれば、生徒はコントロールできます。「試験に出るから英単語」「試験に出るから文法」「試験に出るから長文」「試験に出るからリスニング」という対策だけしていれば、コントロールできるでしょう。
でも、人間がいちばん力を出すのは、支配されたときでも、強制されたときでも、コントロールされたときでもなく、相手と同じ方向を見たときです。(サン=テグジュペリのことばが有名ですよね、「愛とは見つめ合うことではなく、同じ方向を向き合うことだ」) 人生は学ぶことによって、深く・広くなり、楽しいものとなる。そんな学びこそ、人間にとってもっとも有意義なものだと私は思います。その枠組みの中で、英語教育はどうあるのか。そんな原点は忘れたくないものです。
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維新の会も困った問題です。
それにしても、学校でも、数値目標など、目に見える実績を、殊更、重視するようになって以来、学校本来の働きが歪められてしまっているように思えてなりません。
投稿: mikarin | 2012/05/03 21:19
☆mikarinさん
目に見える実績は、結果的に目に見えたものと、目に見えるために作ったものとでは天と地との差があります。後者でPRしようとするから、歪んでしまうんですよね。
投稿: 倫太郎 | 2012/05/05 07:36