« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011/08/24

我慢させるということ

来週から授業なので、改めて教材研究。部活動と勉強との両立は習慣にありということで、「帰宅したら制服のままで5分間学習習慣化計画」を発動させる予定。(ちょっとエヴァ的に攻めてみる) 忙しいをいいわけに先延ばしにするのではなく、自分のなすべきことをする人間になってもらいたいという願いも込めてです。

いろいろな場合で、我慢は必要です。例示するまでもなく、誰しも我慢をするってことはいくらでもあります。自分と距離が離れているとき=無関心に近いときには我慢をすることは、我慢と呼べないくらいに簡単だけど、身近なものごとの時には、それなりにストレスがかかってきます。

教師が生徒に我慢を強いるときには、2つのタイプがあるんじゃないかな。

  1. 自分の考え(意見・ポリシー・管理しやすさ)が根底にある我慢
  2. 大局的見地から(生徒のことを思って)の我慢

いやね、私も含めて、生徒に我慢を強いるときには、「これは、君たちのことを考えているんだ」といいますよ。うん、思い込んでいるときさえあったし、あるし、これからもあるかもしれない。でも、よほど素直すぎる生徒/同じような感覚を持つ生徒ではない限り、表面的には大局的なものでさえ、実際は教師の管理しやすさ、教師にとって都合の良さが根底にある強いられる我慢に気づいているのではないと私は思うのです。

時にはかなりの制約を受ける我慢があります。たとえば、丁稚(見習い)。彼(女)たちは、低賃金・長時間労働、時には髪型も強制されれば、プライベートだって制約される。しかし、それに耐えられるのは、そこで得られる広い意味での技術を学ぶことができるからです。だから、師匠から学べないと思ったら、丁稚(見習い)はその師匠から離れて、新しい先生の元に行く自由があります。師匠は技術と人間性の両方を見られているわけです。


目崎君が「小学生の金髪はアリか?」という記事を書いている。教師に成り立ての時、私もそう思っていたし、それが自分の意思であるならば、あまり違和感を持つこともないだろう。(幼稚園、ときにはまだ言葉も話せない子どもの金髪を見ると、子どもは親のアクセサリーではないという怒りを感じます、念のため)

その一方で、茶髪の生徒には、無断欠席や遅刻、そして勉強をしないという傾向もあることも皮膚感覚として私にはある。初任校での経験だが、私なんかよりもよっぽどリベラルな先生(美術)が茶髪の生徒に対して、「俺は髪の毛の色なんてどーでもいいと思っているのに、おまえみたいに勉強しねーわ、学校にはこねーわ、掃除はさぼるわ、なんていうのを見ていると、○○先生がいうように、黒髪を強制しなきゃならないのかって思っちゃうんだよ!」と怒っていた。その怒り(気持ちではない)、よく分かります。

その一方、全体の秩序というのも考えなければならない。掃除されていない教室、中途半端に仕掛けされていない黒板、授業中に生徒が寝ることを黙認することなど、「安全」という意味での秩序とは一見、関係がないようなものでも、あるべき姿を大切にしないと学校の雰囲気が悪くなるものもある。

もし、生徒の髪型に対して「2」の意識で茶髪(金髪)を制限するのであれば、規制をする教師が清掃や授業を大切にしなければならないが、掃除監督に行かなかったり、生徒が寝ていることを黙認しているようであれば、いくら口で「2」といったところで、「1」にしか過ぎない。「生徒のため」といいながら、結局は「自分が管理しやすいため」に過ぎないわけなんですよ。我慢を強いられる生徒は、教員が「1」なのか「2」なのかは、本能で分かるものなんですよ。最初は分からなくても、時間が経つにつれ、分かってくるものです。
ちなみに自分の子どもには、勉強も大切だけど、私は掃除をしっかりとできて、周囲が気持ちよくその場にいられるような環境を作る人間になって欲しいと考えています。

目崎君のブログで紹介されている例(運動会のときに、応援団をやりたくて、金髪をやめろと先生に言われた)というのは、「1」なのだろう。

教師が、世間体を考えすぎたり、「自己PR」を錦の御旗にして強すぎる自己顕示欲を正当化しようとしたときに、生徒にしわ寄せが表れるものです「パレートの法則」とか、「2:6:2の法則」を考えず、全体を数値で(もしくは一律に)管理しようとすると、しわ寄せがやってくるものですよ。ちなみに、私はいちばん「1」のタイプの「自己PR」をする人を見ると、生理的に受け付けないのです。「もっと敷居を低くした方がいいよ(笑)」とこの3月にリタイアした先生にいわれたのですが、どうしてもダメなんだよなぁ。私の欠点なんでしょう。

それはともかく、「学校で禁止されてるのに茶髪にしてくる生徒」に対しては、1年生の4月の段階と、2年生の4月、10月の段階、3年生の段階と、それぞれ意味が異なってくるものです。一律に「黒髪にしてこい」というだけではダメで、話を聞いているとその生徒の課題が見えてくる場合がほとんどです。話を聞いている期間は、目をつむって茶髪をそのままにしておいた方が、担任との関係はよくなりますし、担任とのチャンネルは切れないものです。髪の毛の色が変わったら、それが生徒との新しいチャンネル作りと思えば、チャンスということです。

2011/08/23

エゴとパワー

ある卒業生が在学中の話。

男子生徒A「彼女にするなら、性格がいいよりも、やっぱりかわいい子がいいよ。一緒に歩いているときに恥ずかしくないし、それに周りからチラチラ見られていると、なんとなく優越感あるからね」

女子生徒B「そんなこというなら、女だって、彼氏にするなら性格も大切かもしれないけど、イケメンかどうかって大切だよ。背が高くて、車を持っている人の方がいいよ。友だちと遊んでいるときに、かっこいい彼氏が車で迎えに来てもらえると、勝った気がするんだよね」

まぁ、彼氏とか彼女はアクセサリーってことで。それが卒業するとこうなってくる。

卒業生A「今の彼女、とってもホッとできるんですよ。疲れたときとか、困っているときに話を聞いてくれるし、やさしいんですよ」
卒業生B「彼氏も優しいんですよ。道路側を歩いてくれる気遣いもできるし、いつでも話を否定しないで聞いてくれるんですよ」

アクセサリーではなく、人間として好きってことだね。大人になったんだなぁ、みんな。



子どもが小学生の親(知人)の話。

知人A「子どもを、有名私立中学に入れたいじゃないですか。そうすれば、有名私立高校に入れるし、しっかりと受験指導をしてくれるので、有名大学にだって入れる。ほら、「御三家」と呼ばれる学校だと、○○がいちばん進学率はいいみたいですよ。今のご時勢、それなりの大学に行かないと、安定した職業には就けないからね」
知人B「うちは子どもは公立中学でいいな。いろいろなバックグラウンドを持った友だちを持ってもらいたいし、子ども自身も小学校の同級生と同じ学校に行きたいといっているからね」
知人C「うちは、子どもといろいろと話して、私立中学校を受験することにしたよ。自分の力を伸ばして、人のために生かすために、私立に行って勉強をしっかりとやることになりました」

子どもをアクセサリーにしている人は誰? ABCのうち誰? もしくは誰もいないのか。そして、誰と友だちになりたい?

知人Aのいうことって、結局はエゴじゃないの、という人もいるかもしれない。でも、エゴの強い人であれば、パワーがある。知人Cは、待ちの姿勢かもしれないけど、待ちの姿勢だとパワーはエゴほど強くない。待ちの姿勢は、何かを教えようとするのではなく、相手が自分で何かを気づいてくれることを待つしかないのだから、それほどパワーを必要としない。パワーもあり、待ちの姿勢もある、という人は、その人の人間性が優れている場合しかないんだけど、なかなかそんな人はいないだろうなぁ。

さて、教師はエゴを持っている人は多いのか、少ないのか。「生徒のため」というオブラートで自分のエゴを隠していませんかな。私は隠していたので、今でも後悔しています。

2011/08/20

「その人」なんだよな

教師ってホントに世間知らずなんだろうか。

ここでいう「世間」とは何をいっているのか分からないけど。おそらく、自分が住んでいる場所が「世間」であり、そのことを「知らない」といっているだけなのだと思う。そりゃ教師は知りません、資金繰りで銀行と折衝することや、記者クラブという妙なシステムのことや、鉄工所のことや、その他諸々、社会科見学で行くかもしれないけど、知るはずもありません。でも、それはほとんど全ての人が同じことで、自分の住んでいる「世間」以外のことは、深く体験したことないわけです。

この頃、民間の経営者の方と話す機会が多くあります。「初代」として会社を興した方はそれなりにオーラがありますけど、人間として尊敬できるかといえば、必ずしもそうでもない。表面的なお付き合いであれば、公務員批判をしたり、経営とはウンタラとごもっともなお話をちょうだい下さったり、職業論というご高説を下さったり、などなど「この方は、さすがに民間の経営者だなぁ」と思います。

しかし、ちょっと深く入っていくと、自分ことは棚に上げっぱなしだったり、平気でウソをついたり、自分の会社の利益のために相手をだまし、人としての道を外すことを何とも思わなかったり、なんていう人が60過ぎの人には多い。いや、ホントに多いんですよ。もちろん、そうでない人もいるけれど、圧倒的に少数です。

民間だって、結局は「その人」です。

友人が怒っていた。そのわけは、市役所の対応だという。彼曰く、「市役所は、税金みたいにカネを取るときは親切にするんだけど、逆にカネを出すときは、高飛車な態度になる」。「税金を取るときは、書類が不備だったら親切に対応するんだけど、その逆だと日付を書いていないだけで、人を見下した対応をする」 確かに、補助金などは市役所の人間がポケットマネーで出しているわけではなく、税金として集めたものを適切に分配しているだけで、別に窓口の人間がえらいわけじゃないんだよね。
全ての人がそういう対応をするの?と聞くと、「そうじゃない人もいるけどね、でもそういう人が多いんだよ」と続ける彼。

市役所の職員だって、結局は「その人」ということでしょう。

市役所に勤めている友人に議員の口利きって今でもあるの、と聞いてみた。「そりゃ、あるよ。許認可の件で議員を使って無理を通そうとしたり、手続きの期間を短くしようとしたりしてくる。中には落選している議員が電話をしてくることもあるんだから(苦笑)」
口利きといえば、やっぱりアノ党の議員が多いの?「確かにそうだけど、この頃はソッチの党も増えてきている(笑) でも、アノ党だろうと、ソッチ党だろうとしない人はしないよ」

議員だって、結局は「その人」なんです。

学校の役割として、「その人」作りがある。それは教えるのではなく、教師自身が、真剣な姿で生徒と接していくことではないかなぁ。数値化できるわけでもないし、具体的に例示できるものでもない。でも、それが教育なんだ。
いくら授業がうまくても、授業中に寝ている生徒をそのままにしていたり、掃除監督に来なかったり、なんていうのは「教師」として尊敬できる姿とは私は思えないのだよ。

2011/08/18

『成長する英語教師をめざしてー新人教師・学生時代に読んでおきたい教師の語り』

気がついてみるともう私も40を超えてもうすぐ2年が経ちます。気持ちはまだ20代ですが、書類に年齢を書くとき、そして長女が中学校に入学したとき、そして生徒から「先輩」と呼ばれなくなったなぁとふと思うとき、などなど自分の年齢を感じます。

エリクソンのライフサイクルでも知られているように、人生には8つの段階があります。当然といえば当然なのですが、乳児期の課題と、思春期の課題、そして老年期の課題とでは全く違ってきます。そして、思春期は乳児期の上にあり、老年期は思春期を経験していなければ到達できません(これも当然のことですね)。

英語教師として限定するならば、「X軸」には、教師を志望する大学生だったり、臨任・非常勤だったり、初任者だったり、初めての担任だったり、中堅だったり、壮年だったりと、それぞれの立場があります。「Y軸」には、小学校で教えているのか、中学校か、高校か、大学かという軸があります。中学校と高校は、フォークギターとクラシックギターほど、形は似ていても全く異なるものです。そして、「Z軸」は、「どのような学校で教えているのか」というものがあります。小学校はあまり学校によって大きな差はないかもしれませんが、地域性や学力など、大学に進むに従ってその差は大きくなってきます。「3つの軸」のマトリクスで「英語教師」は活動しているので、共通の言葉を持つことが難しいときもあります。

もうひとつの軸に、「教師として生徒とどのようなスタンスか」というものもあります。英語教師を土台としているのか、教師(担任)を土台としているのか。時には出世を目指しているのか、という軸もあるかもしれません。

柳瀬陽介先生、奥住桂先生と共に共編著者として、来週ひつじ書房より刊行予定の『成長する英語教師をめざしてー新人教師・学生時代に読んでおきたい教師の語り』という書籍に関わることができました。この本は「3つの軸」の異なる地点の先生方に執筆を依頼して、英語教師としての多くのステージを一冊の本にまとめ上げたものです。現場の息吹が聞こえるような実践から、上から目線ではない「大所高所」からの提言まで、英語教師の現場・英語教師の哲学が満載された一冊です。

どうやって授業を展開するかというhow to本ではありません。人間相手の仕事ですから、即効性を求めることはふさわしくありません。

英語の先生を目指すあなたは、どのように生きていきたいのか、どのような先生になりたいのか。学校という場で英語を教えることはどういう意味を持つのか、そんなことを考えながら、自分で勝手に答えを探して、モデルを探していけます。一人一人、それぞれに歴史があり、思いがあります。

この本の編者を行えて幸せだったことは3つあります。ひとつ目は、原稿を誰よりも早く読むことができたことです。自分の中の何かを揺すぶってくれる実践・志がたくさんありました。担当することになった高校の先生や千葉大学の学生の方々には心から感謝しております。
ふたつ目は、多くの「出会い」です。お名前は存じ上げていましたが、実際にお目にかかったことのない先生とお付き合いすることができました。麻生先生や阿部先生、山岡先生といった先生方といった高校の先生方、真摯に私たちの話を聞いて下さったひつじ書房の松本社長はじめスタッフの方々。
最後が、「つながり」の再確認です。編集のお話しを下さった柳瀬先生や、ちょくちょく有っている奥住先生、夜に多い気がしますが(笑) そして、原稿の依頼を快諾して下さり、すばらしい原稿を書いてくださった高橋先生、福島先生、福水先生、山谷先生。

心から感謝申し上げるとともに、このブログをご覧のみなさんにも手にとっていただければと思います。

2011/08/07

鳥なき里の蝙蝠

政治的なことはブログには書かないできた。(twitterでは多少は書いてきたけど @kumita0921) でも、この頃、ほんとうに腹立たしいことがあるので書いていきます。

「ばらまき4K」というのがあるらしい。「子ども手当」「高校授業料無償化」「(農家への)戸別保証」「高速道路無料化」という4つだ。後ろ2つは脇におき、「子ども手当」「高校授業料無償化」は、ばらまきなんだろうか。

「子ども手当」をばらまきといわれたとき、「パチンコ代になる」という批判をしたのは国会議員の舛添要一前元生労働大臣だ。「親に渡したって、子どものために遣うとは限らないだろ!」という批判を今でも私は覚えている。
そして、その使途に関する調査を厚生労働省が行った。それが次のデータ。

その部分長くなるが引用します。

  • 子どもに限定した使途が回答数の上位(1~3位、5~7位)を占めた(「子どもの将来のための貯蓄・保険料」(41.6%)、「子どもの衣類・服飾雑貨費」(16.4%)、「子どもの学校外教育費」(16.3%)など)。なお、複数回答にも関わらず、約半数の方は子ども手当の使途として貯蓄と回答していない。
  •  一番上の子どもの学齢区分別では、小学生以下は「子どもの将来のための貯蓄・保険料」が最も多く、0~3歳では55.2%、4~6歳では46.3%な どとなっている。一方、中学生では「子どもの将来のための貯蓄・保険料」が27.2%で、「子どもの学校外教育費」は30.8%と逆転するなど、学齢が上 がるにつれ教育関係費が多くなっている。

また増やした支出については次のような調査結果です。

  • 各家庭では子ども手当を様々な使途に用いることが想定される中、子どもに限定した使途を選択した方も多い(「子どもの将来のための貯蓄・保険料」 (34.1%)、「子どもの教育費等」(15.7%)、「子どもの生活費」(7.0%)など。「費用を増額したものはない」も31.6%)。

つまり、子どものために遣われていることが分かる。それなのに、これは「ばらまき」でしょうか。将来を担う子どもたちのために遣われるお金がバラマキでしょうか。「子どものために赤字国債を減らせ」といっているのなら、年金の減額が最初でしょ。この国の借金を作り、そしてその借金で反映してきたのは今の年金世代です。渡される年金は今の子どもの・若者が納めたお金という「仕送り方式」なのだから、その世代が支払わなければならない逃げられない借金=逃げられない負担を減らすというのであれば、まずはお年寄りの年金額を減らすべきでしょ。

高校の授業料無償化は、1人当たり年間12万円(所得に応じて24万円加算)です。3年間で36万円。この金額って、そんなに大きな金額ですか?ちなみに、この財源のひとつは「特定扶養控除」です。これは、16~23歳未満の子どもの教育費にお金がかかるから控除しましょうということでしたが、これは段階的に廃止されます。それでも、「バラマキ」なんですか?

一方、高齢者の雇用については、大企業50万円・中小企業90万円の補助が出ます。(特定求職者雇用開発助成金でググってみてね) 繰り返しになりますが、高校生の授業料は36万円です。

私には3人の子どもがいるので、「子ども手当が出て、お金持ちになるでしょ!」と冗談共につかないことをよくいわれました。でも、今までだって「児童手当」が出ていたし、子どもの扶養控除はあったし、特定扶養控除は子どもが高校生になればあったしと、それなりに税金も低かった。それがなくなったことと引き替えに、「子ども手当」「授業料無償化」ができたのだから、「純増」は1ヶ月13000円どころじゃないのだ。もっと低いんですよ。
子どもの教育費は高い。たとえば、幼稚園から大学まで全て公立(国立)に通ったとしても約1100万円ほどかかります。(平成20年度文部科学省調べ) 親として子どもの教育費を負担するのは当然かもしれませんが、子どもを教育していくことは公共の福祉として大切だと思うんですが、どうなんでしょうか。

で、結局、「バラマキ」と「補助金」の違いって何だろうか。自分たちにとって都合のいいことは「補助金」、コントロールできないものは「バラマキ」ってことなんだろうか。
年寄り世代がしゃぶってきた(いる)原発で苦労をするのも子ども。影響をいちばん受けるのも子ども。内部被曝の危険性があるのも子ども。法律違反である20ミリシーベルだって安全だぜとどっかの省庁から強制されているのも子ども。その子どもの健やかなる成長のために、年金に比べればわずかばかりの金額を手当として出そうとしたらバラマキ。国家百年の計である教育がこれじゃ、泣きますよ!

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト
無料ブログはココログ

おすすめ