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2011/02/17

技術力? 指導力?

 「30年前だったら私は死んでいたよ」とは、ガンから「生還」した人のセリフ。一昔前には救えなかった命が救えたり、治せなかった症状が治せるようになってきています。そして、同じ症例でも、患者にとって安全で、痛みの少ない手術が増えてきています。医療の進歩といってしまえば、その通りなのかもしれませんが、だったら、「医療の進歩」とは何なのでしょうか。

 父も脳腫瘍でなくなりましたが、最後の手術の時には、頭の中にある腫瘍がすべて取り除かれました。これは、30年前にはぜったいに出来なかったでしょう。(ちなみに亡父の直接的な死因は肺炎でした)
 昔に比べて、医師が器用=技術の向上があったのかといえば、それだけではないでしょう。腫瘍の部分をコンピュータのモニターで浮き上がるように表示し、そこを手術で取り除いていきます。

 では振り返って、英語教育。研究も盛んだし、実践も盛んだし、話題にも事欠きません。それでは、この英語教育って、進歩しているの?
 もし進歩しているのであれば、次のようなことが言えるでしょう。

  • 昔は読めなかった(書けなかった・話せなかった・聞き取れなかった;以下同じ)層が、読めるようになった。
  • 昔、「読めた層」が、より労力を使わずに、読めるようになってきている。

この2つについて、出来ているか、出来ていないかと考えると、おそらく多くの人が「昔と変わらないよ。いやもしかしたら、昔よりもひどくなっているかもしれないよ」なんて思うかもしれません。もしそうならば、次のような原因でしょう。

  • 人間の能力は昔と変わらないので、変化がない。もしくは、落ちてきている。
  • 教える人の技術が、昔に比べて落ちてきている。
  • 昔の方が、良い教材を使っていた。

もし、前者を是とするならば、研究なんて意味がないわけですよ。英語教育なんていう小さい世界で解決できるものではありません。もちろん、研究のための研究をよしとするならば、どんどんやればいい。象牙の塔に引きこもっているのであれば、勝手にやっていて下さいな、ぜったい安全地帯から。

後者であるとするならば、これだけ教授機材も増えて、情報も簡単に得ることが出来て、研究会も充実しているのに、教える人の技術が落ちているとは、なかなか考えにくい。昔ながらがいいというならば、「1文1文、訳してお終い」なんていう授業が良い授業だったのか。おそらく、Noでしょう。

だったら、昔の方が良い教材だったのか、ということは、私には判断は出来ません。昔にもよい教材もたくさんあったでしょうが、今だって良い教材もあります。

おそらく、象牙の塔の住人は、最初と最後はあまり考えないでしょう。もしね、最初を考えない理由は前に書きましたが、最後のことを考えるなら、もっと彼らは自分たちが「力がつく」と思う教材を世に問えばいいわけです、論文なんて書く前に。

だから、真ん中の英語教師に対する批判(本人たちは「教育」と思っている)が始まります。海外がどーだろうが、論文がどーだろうが、ビッグネームだろーが、多くの現場教員にとっちゃ全く関係ないことを取り上げて、私たちをご教育下さるわけです。肩書きってこういう時に、役に立つんですねぇ。アリガトウゴザイマス。

でもね、本当の研究者であれば、『医龍』の加藤のセリフをかみしめた方が良いでしょう。

  • どんな天才でも、おのれの技量以上に人は救えないけど、術式の進歩はそれを可能にする(19巻)

誰しもが朝田になれるわけでもないだろうし、シャーロックホームズにもなれるわけでもありません。コナンでもないし、金八先生でもないわけです。『医龍』の霧島でもなく、普通のどこにでもいる伊集院だったり、木原だったり、岡島だったりします。(それだって、すごい技術だよなぁ) そんな私たちのような『凡人』のための術式を考えてから、どうぞご批判下さいな、と私は強く思うわけです。「象牙の塔」から出て、「術式の進歩」をお作りになればいい。

 「自発的な学び」でなければ、血肉となる学びはあり得ず、その「自発的な学び」は他者から押しつけられて生まれるものでもなく、「自発的な学び」は、自分が必要だと思った時、自分がしたいと思ったときに初めて生まれるものです。その「自発的な学び」の援助が出来ることが本当の指導力だと思うんだけどなぁ。

 もちろんね、医療と教育とは違うものですから、喩えにならない部分があることは百も承知です。「術式の進歩」だけでは、人間の「自発的な学び」は生まれてきません。「自発的な学び」が生まれてくるためには、日頃の人間関係や、真摯さや、真剣さが土台となってくるものです。それをね、「指導力」=「教科指導の技術力」というテクニカルな問題として捉えるから、勘違いが生じてくるんです。この違いが分からない人は、一生分からないだろうし、分かる人はうなずいてくれるでしょう。

「教科指導力の技術力」を現場の教員が求めすぎると、実績をついつい考えてしまう危険性が出てきます。

「指導力」って何なのか、そんなことを考えて、行動していける凡人教員でありつづけたいと、私は考えています。

と書いていたら、せつこさんへの返事代わりのブログが書けませんでした。次の機会まで、お待ち下さいm(__)m

2011/02/13

簡単にはめられる木は、簡単に外れるんですよ

 「英語教育」(3月号)が届く。「やっておいて良かったこと・やっておけば良かったこと」ということで、「勤務校を変わってみて」という部分を書きました。現任校はまだ2年目なので、エラそうに何かいうことはしたくないので、初任校から前任校での記事となっています。懺悔でもあり、反省でもあり、覚悟でもあり、迷いでもある内容です。この延長線上に、現在の自分があるので、前回のような記事が出来てきます。

 久しぶりのブログなので、感じていることを少しずつ。

 前回の記事で少し誤解をされているところもあるみたいですが、私は競争自体を否定はしません。子どもの鬼ごっこも競争でしょうし、ドロ警も競争でしょう。自然発生的な競争を否定するつもりは全くありません。
 しかし、「作られた競争」には懐疑的です。しかも、「作られた競争」をプロデュースする人が、その競争を通じて、自分の理想とするような人間を育てようとする競争には、嫌悪感すら持ちます。人間は年を重ねると、「自分の理想とするような若者」を育てたくなるようです。「競争」ということばを「ぜったい正義」という錦の御旗にする人を私たちは信用してはいけないのではないでしょうか。
 「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」(藤沢久美、ダイヤモンド社)という本の最後に次のようなくだりがあります。多少長くなりますが、引用します。

  • 四〇〇社を超える経営者の方々からうかがったお話しの中で、とても印象深く残っている言葉があります。それは、「競争しない」という言葉です。特に何十年にもわたり黒字を続けている企業の経営者の方は、ほとんど皆さん「競争しない」とおっしゃっいます。(p.213)
  • 世の中一般で言われている「競争」は、「競争相手を倒し、生き残る」というイメージです。一方で、「競争しない」とおっしゃる企業にも、実は「競争」があるように思います。それは、「自社との競争」。自社との戦いと言った方が正確かもしれませんが、誰かを倒して生き残るのではなく、成功体験や昔ながらのやり方など、自社が築き上げてきたものと戦い、時にはそれを変えて、新しい市場を生み出していく。誰も倒すことなく、傷つけることなく、新しい活路を見出していく「自社との競争」があるように思います。(p.214)

ビジネスの世界と教育の世界、どちらが「競争」を求められるかといえば、もちろん前者でしょう。しかし、そのビジネスの社会でも、相手を意識しての競争よりも、自分との競争=自分を高めようとする方が、成長するようです。これは、日本文化も大きな要因なのでしょう。

 もうひとつは、大工さんとの会話。

  • 和室を作れない若い大工が増えてきた。
  • 墨つけができない若い大工がほとんどだ。
  • 回り階段を作れない若い大工がほとんどだ。
  • カンナを使えない若い大工がほとんどだ。刃を研ぐことが出来ない。
  • 建前の時に、金属で木を留めないと、危なくて2階を歩けないような家ばかりだ。
  • 5~7回踏み込むことで木を木に押し込んでいたが、今はすっと入る。
  • 同じ柱でも、目の位置や木の上の部分、下の部分かを考えて、柱は考えなければならないが、コンピュータで穴をあける人は、そんなことを考えない。だから、家が持たない。
  • 柱のクセを読んで、開くのではなく、内側に入るように柱を立てるのだが、柱を読めない大工は、工場から届いた木材をつなげるだけだから、家が持たない。
  • まぁ、早い話が、大工じゃなくて、組み立て工なんだよな、今の大工は。

便利な時代はいいものですが、便利すぎる時代は技術を失わせることがあるようです。大工もその一例のようです。今は、「大工」といっても、板を自分たちで切って階段を作るのではなく、工場から送られてきた板を組み合わせて、階段を作ることが多いとか。そうすると、階段の構造を大して知らなくても、階段が出来上がってしまうようです。(回り階段は、これでは作れないそうです)

学校でも、便利な教材が増えてきました。でも、それに頼りすぎてしまうと、教員の作問技術が落ちてしまうような気がします。目の前の生徒をイメージして作る、手作り教材は、教師の修行の1つだと思います。辞書や参考書、インターネットで例文を探しながら、どうやったらターゲットの文法が理解できるようになるかを考えることは、良い勉強の1つです。

もちろん、お手本として教材を使うことも必要です。いい教材もたくさんありますからね、Road34とか、フレーズで覚える英単語とか、、ほら♪(笑) しかし、そこから自分で問題を作っていくことも、必要じゃないかなぁと私は思いますが、いかがですか。

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