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2010/08/23

その先には何が見える?

久しぶりにtmrowingさんに会う。その日の東京はなぜか警察官が多かったのはどうして?お目当ての場所に行き、ファミレスで食事をして解散。その後、とある「塾」に行き、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を課題図書で受け取りました。心理学で学んできた内容とも合致するところも多く、というか、ほとんど合致しています。どうやって人間は生き甲斐を持って生きていくことができ、どうやって人間は自分の行動を選択できるか、そして指導的役割を持つ人は、どうすればそういう環境を作り上げていくことができるか、という一冊。教師にとっても有意義な一冊になるかも。

『英語教育』を読んでいたり、勉強会で感じたり、またまたは、過去の自分のブログを読み返したりして、違和感を持つようになりました。こういう違和感を持つようでは、私は今の環境では教師失格かも(苦笑)。

「(基礎)学力をつけること」ということは、多くの英語の先生にとって共通していることだと思います。誤解を恐れつつ書けば、この一点を諦めている人たちは、どんな批判を受けても仕方がないと思います。ちなみに、今までそういう先生と私は働いたことはありません。
どの先生も、(基礎)学力をつけたいと思うから、色々な工夫もするし、試行錯誤もするし、成功もすれば失敗もするし、時には生徒を怒るし、と、いろいろと活動をしていました。だから、生徒が勉強をしないとグチも出るし、少しでも勉強をするようになるとご機嫌になるしと、教員なんてとても単純な部分があります。ハイ、私もそうです。

「(基礎)学力をつける」ということは、教員にとって1つの目標です。だから、そのためにどうすればいいのか、ということで、勉強会もできるし、雑誌もあるし、mixiでの議論も活発だし、ブログだってたくさんあるわけです。
その中で「べき論」や「はず論」を展開する関係者もおられますよね。結局書かなかったけど、どっかの雑誌のリレーナントカでその典型もありましたが、今回はそういうことではありません。

小学校の時から、いろいろな教科・科目を私たちは学びます。国語や算数に始まり、理科や社会、体育や図工、音楽、そして英語や数学など、徐々にたくさんのことを学びます。これは、PISAで高い点数を取るためでも、偏差値を上げるためだけでもないでしょう。
自分たちの人生を自分たちで選ぶために、自分たちの行動を自分たちで決められるようにするために、私たちは多くのことを学ぶわけです。そして、他者のために生きること(他者から必要とされたり、自分が集団の中で役割を与えられたりすること)の重要性や、自分が幸せな人生を送っていくためにはどうすればいいかを考えていきます。

多感期に生徒は自分を見つめていきます。パワーのあるときに、内省をするのですから、時には大きなうねりとなって問題行動が出てくるのも仕方のないこと。昔の若者に比べて、今の若者は自分をコントロールできているのですから、立派です。

そんな時期に、教師は生徒と接するわけです。だから、教師にとって職業上のいちばんの資質は何かといえばかといえば、生徒に対する真摯さでしょう。(ここは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の影響か?;笑) 真摯さがなければ、どんな教授技術も、どんな理論も、猫に小判というか、豚に真珠というか、無用の長物というか、とにかく、小判や真珠、長物になってしまうのです。(ここを理解していない人が少なくないか)

真摯さがない人の中には、「(基礎)学力をつける」ことの先に、大学合格率を誇示したり、論文を発表してどっかの大学で職を得ようとしたり、する人が多いような気がしませんか?どっかの勉強会のように、主催者の先生の政治力のおこぼれをもらおうと主催者を祭り上げる人たちなど、まさに真摯さがない。お前たちの目はどこを向いているのか? 時流に乗るべく、その時流に乗れる学校だけを渡り歩いているお前の目はどこを向いているのか? 
生徒が希望する大学に合格できるように、精一杯の努力をすることは正しいことだと思います。だからこそ、自分がサポートした生徒の大学合格を誇示するべきではない。誇示するのであれば、それは下らない、いや醜い自尊心の表れです。(これは、2年前の自分への戒めです)

「先生、英検準1級取れたよ(GTECで600点をオーバーしたよ/TOEICで700点を取れたよ)。でね、いろいろと考えたんだけど、映画監督になりたいから、映像系の専門学校に行くことにした。授業で勉強した、あの映画みたいな作品を取りたいんだ」

と、偏差値70の生徒に言われたときに、その真意を確かめた上で、「そっか。自分の授業が君の選択に少しでもプラスになったんだね」と心から言うことができるか。「君ほどの学力があれば、医学部にだって合格できる。映画は趣味として医学部に受験したみたらどうだろうか?」と説得をして、醜い自己顕示欲の足しとするか。

(基礎)学力の先には何があるのか? 見えるものによって、その先生の教師としてのアイデンティティが決まってくるような気がするんですよね。もしかしたら、英語の先生と、他教科の先生とでは、見える風景が違うことが多いかもね。

2010/08/10

happy surprise!

久しぶりのブログ更新。といっても、どこかに出かけているというよりは、心境の変化。いつか近いうちにブログに備忘録として書き留めるかもしれませんが、自分なりの悟りが開けてきたというか、心境の変化というか、ガリバーの馬屋というか、なんとなく自分の精神的な居場所が変わってきたからかな。

そんな中で、卒業生から電話が来ました。今年の1月に電話があったとき、年賀状を出したいから住所を教えて欲しいという電話があって以来です。彼女は年賀状を出したのですが、なぜか私のところには届かなかった。珍しく年賀状とはどういうことかなと思っていたところ、彼女は手紙の中で結婚についての報告をしていたそうです。

そんな彼女は、最後の最後まで卒業が危ぶまれていました。卒業したいという漠然とした希望と、卒業まで自分が耐えられるかどうかという現実的な不安、ありがちな本人の周辺に起きる「問題」がありました。そんな彼女を最後まで励ましたのが、周囲の友だちでした。昨日の電話は、彼女へのお祝いのために集まったその友人たちも一緒でした。

そのお祝いの理由はこちら。

20100809192618
彼女が母親になったということです。
母親になり、自分の親への気持ちも変化があり、自分を心から信頼してくれる小さな命を愛おしいと思えるようになったとのこと。

我田引水。

授業を振り返ってみます。グループ学習を行っていたときに、「教え・教えられ」という関係が英語力をつけるためには効果的だと思っていましたが、「相互扶助」という関係性もあったなぁと思います。正直に申し上げて、後者はぜんぜん意識さえしていませんでした。卒業が危ぶまれる生徒に対する、友人からのサポート(ピアサポート)は、教員の直接的なサポートよりも効果的なことがあります。教員は、お互いに支え合える空間を生徒が作れるような環境作りをすればいいのであって、登場人物の1人として表に出る必要は必ずしもありません。

昨日、電話で話した卒業生のうち、大学進学したものは1名です。でもね、今でも6名が良い関係を結べ、お互いに幸福を祝福しあえ、サポートしあえていることは、うれしいことでした。
こういう時にまた考えます。有名大学に何名入れたとか、偏差値をいくつ伸ばしただとか、それだけに拘泥することに、どれほどの一般性があるのかなぁと。人間は幸せになる権利があるのだし、幸せになるために生きており、それは大学名や偏差値ということと、幸福とは一致しないことだっていくらでもあります。

基礎学力をつけたいというのであれば、その向こうに何があるのかを考えないといけないのですね。見えないこともあるかもしれませんが、ふたを開けてみると、想像もしなかった「良いもの」があるものだ、、、、昨日の電話で思いました。
エラそうに最後に書けば、ふたを開けたときに宝物が見えるかどうかは、方法論ではなく、教育論です。分からない人は、分からないし、分かる人は、すっと分かるものです。

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