« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009/12/31

希望のある1年へ

リハビリも兼ねて、映画鑑賞。見てきた映画はこちら。

相変わらずのムーア節全開。メモを取っていないのでしっかりと覚えていないのですが、「アメリカンドリームを信じている人は、文句は言わない」というような部分がありました。いくら貧しくても「いつか自分だって!」とアメリカンドリームを信じていれば、今の状況に文句はいわないというわけです。もちろん、そんなドリームを手に入れられる人はほとんどいないのにもかかわらず、なのですが。
大学で学ぶために学生ローンを借りて、その返済のために苦しんでいる若い労働者。自分たちの資産を運用しようといわれたあげくに、家を追い出される労働者。少しでも安く経費を上げるために、その家の清掃を自分たちで行わせる銀行。政治家と癒着をして、自分たちに有利な法案を成立させるウォールストリートの住人たち。政治家をリタイヤしたあとに、そういう企業の顧問となる元政治家。日本でも似た状況も一部ありますよね。奨学金を返還しなければブラックリストに載せるぞと脅かされています。あ、そうそう、かの慶応大学教授にして、自民党の元参議院議員であられる竹中平蔵元大臣だって、自分が旗振りした政策で大いに恩恵を受けたパソナの会長に就任なさいました。

日本社会は閉塞感に覆われているとよくいわれています。実際に、そんな気もします。景気のいい話などなく、暗い話しばかりが続きます。新聞を読んでいてもそう。週刊誌を読んでいてもそう。人と話していてもそう。
ジョーカーを引くのが自分じゃないことに、ホッとする。「○○という会社は、ボーナスが全額カットだって。良かったー、自分じゃなくて」とか、「○○手当廃止だって。よかったー、自分じゃなくて」、「公共事業が大幅カットだって。よかったー、自分と関係なくて」、「派遣労働者が退寮させられるって。よかったー、自分は正社員で」とまぁ、こんな感じで、ありとあらゆる場面で、自分が多数派にいることに、ホッとしていることが多いのでは。そして、常に多数派にいたいと思うようになります。
ここには、市民がつながって、何かを作り上げていくという環境はありません。

これ、英語の先生たちも似ている状況があるかもしれません。

英語教育の指導的立場の方々が焦っているのはよーく分かります。焦っていることに共感しているのではなく、あの人たちが「このままじゃダメだ!」と思って焦っているのだろうなぁということです。そしてもっといえば、「どーして自分たちのいっている正しいことを、(圧倒的多数の)英語教員は分かってくれないんだよ!」とさえ思っているのかもしれません。だから、英語の授業は英語で行えと強権的なことをしてみたり、コミュニケーション英語なんていう科目を作ってみたり、その他いろいろなことを考えているわけです。
どんなことを行ったとしても、自分たちだけが優れていると思っている人たちが何をしても、圧倒的多数の人々はついていきません。強権的に何かやろうとすれば、表面的には動いているように見えますが、底流はさらに動かなくなります。先鋭化する流れには、人々はついてこないことを歴史から学んでいないんでしょうね。1つ予想すれば、どんな教科書を作らせ、どんな学習指導要領を書こうが、あまり変わらないはずです。いや、先鋭化しすぎれば、逆に方向に流れる可能性だってあります。しかし、主流の人たちには見えないのでしょうね。

どうして、こんな風になるのか。答えは簡単です。

ほとんどの先生方が、自分たちで課題を持って、悩みながら、よりよい授業を行おうと思って実践しているからです。生徒が授業に参加してくれれば嬉しいものだし、うまく波長が合わなければ辛いものです。授業中にウトウトとされたら、やはり辛い。だから、なんとかよりよい授業が出来ないかなぁと、考える。
その思いを常に持っている先生もいるかもしれないし、もしかしたら、授業中の一瞬だけの先生もいるかもしれない。もちろん、その中間の先生もいるかもしれない。
こういう状態で、一方的に、「お前たちのやり方はダメだ」と行間に書いてあるような文章を強制されても、そして研修会で「叱咤激励」を受けても、何にも変わらないわけです。「そんなことをいうなら、民間では。。。」という「出羽の守」おられますが、中小企業の民間経営者は、経営責任を持っています。公務員という経営責任を持たない人が、「民間では」といったところで、相手の心に言葉は届かないものです。自分がたいしたリスクを背負わない指導者的立場の人間が、相手が求めていない課題を与えても、大きな成果などあるはずもない。逆に、相手のやる気をそいでしまうことにこういう人は気づかないんだよねぇ。
それよりも、1人1人の先生が、専門家としてのプライドを持ち、ポジティブに教育活動を行った方が学校の生産性は上がると思うんですけどねぇ。それをサポートするのではなく、逆にやる気をそいでいる現実をもう少し考えた方がいいよ。

もっとね、多様化を許容できる英語教育にはならないものかな。「出汁(だし)」さえあれば、後は、もっと教員にゆだねてもいいと思う。やれ、コミュニケーション活動がないだの、やれ自己表現がないだのきゃーきゃーぴーぴーと騒ぐ人もいるけど、本当にコミュニケーション能力のある人は騒がないし、本当に自己表現が出来る人はもっと上手に相手に伝わる表現活動が出来る。

自分の実践をどんどん発信していきましょうよ。そして、興味のある人は、自分の教材をどんどんネットで発表していきましょうよ。たくさんの実践例があれば、自分の課題とぴったりと合うものが見つかる可能性がより高くなります。教師は1人1人が専門家であり、そして実践家であって、私たちは評論家ではないのですから。
(1月1日加筆)

2009/12/25

キュン死!

猫の睡眠時間と同じくらいに横になる生活。復活したときに、筋力が心配だなぁ。
本日は読んだ本。

  • 湯浅誠著『岩盤を穿つ』(文藝春秋)

今までも彼の著作は読んだことはありましたが、社会的不条理と闘う彼の生き方が見える一冊です。現場に足を踏み入れず、政治家や官僚、経済人たちとあーでもない、こーでもないと絶対安全地帯から評論を行う人間は、湯浅氏の前ではその存在などかすむでしょう。彼の生き方にキュン死しちゃいそうです。

さて、本日はクリスマスプレゼントに英語の問題を出してみます。

QUESTION: Do you have any readout of the Secretary’s meetings yesterday with the Japanese ambassador? I had heard she called him in to talk about Futenma.
MR. CROWLEY: The – I think the Japanese ambassador 1came by to see both Assistant Secretary Kurt Campbell, 2stopped by to see Secretary Clinton. During the course of the meeting, the ambassador gave us an indication that they needed more time to work through issues related to the basing agreement. We continue to believe that the current plan provides the best way forward, but 3we’ll continue our discussions with Japan on this issue.
(http://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2009/dec/133952.htm)

(問題)
(1) 下線部1および2の意味として適当なものを次から選び、記号で答えなさい。

  1. 呼びつけた
  2. 立ち寄った
  3. 呼びつけられた
  4. ウソをついた

(2) 以下の新聞記事を参考にしても構わないが、下線部3を正しく日本語にしなさい。

<参考>
【ワシントン=小川聡】クリントン米国務長官は21日昼(日本時間22日未明)、藤崎一郎駐米大使を国務省に緊急に召請し、沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題について会談した。
 長官は、日米合意に基づき、同県名護市辺野古への移設計画を早期に実施するよう改めて求めた。国務長官が駐米大使を呼んで会談することは極めて異例で、鳩山首相に対する米政府の不信感の高まりを示すものといえる。
 普天間問題をめぐり、首相は17日、コペンハーゲンで長官に対し、名護市辺野古以外の新たな移設先を検討するため、結論を来年に先送りする、との 鳩山政権の方針を説明。これについて、首相は18日、「(長官に)十分に理解いただいた」と記者団に説明した。クリントン長官の緊急召請は、米政府の基本 方針は現行計画の履行であり、コペンハーゲンでの首相の説明を了承していないことを示す狙いがあったと見られる。
 藤崎大使によると、21日朝、長官側から急きょ連絡があり、会談が決まった。長官は大使に「(自分の)考えを改めて伝えたい」と会談の趣旨を述べたという。大使は会談後、「国務長官が大使を呼ぶということは、めったにないことだ。重く受け止める」と語った。

(2009年12月22日11時01分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091222-OYT1T00430.htm

2009/12/20

技術と心

鎌田實著『がんばらない』(集英社文庫)を読了。腰痛で外に出られなければ出られないで、色々な楽しみができるものです。テレビドラマでも話題になった同著でありますが、そこに自然が普通にあるのと同じように、そこに「死」が普通にあるものです。ちょっと話題は異なりますが、BS11の「田中康夫のにっぽんサイコー!」の城内実衆議院議員の発言(いま「保守精神」を問う)と重なる部分が、『がんばらない』に感じられました。

  • (人里離れた地域の人たちが自分たちの地域を大切にしつつ、伝統や文化を守っているのを見て)コンクリートに囲まれて、君が代だ国旗だって、なんか左翼だか右翼だか分からない人がいますけれど、、、。<6分後半>

ここで、城内議員は、「八百万(やおよろず)の神」を感覚的に分かるようになると話しています。その場で人が普通に生きて、お互いに助け合いながら生きていくという当然のことの延長線上に、「死」もあるのです。生きとし生けるものの全ての歴史がそこには存在しているわけです。この感覚をベースとしたものが、本来の「保守」であると、田中康夫・城内実両議員は同意しています。
 日本の文化の1つに「職人」があります。難しいことを、いとも簡単そうに見せてしまう技術者です。『がんばらない』の中で、ターミナルステージの職人さんが、看護実習をしている学生に対してこういいます。

  • いい職人は技術だけではなく、必ず、心を持っている。看護婦さんの仕事も職人に似ているように見える。(p.257)

組織は、同質化してしまえばしまうほど、もろくなります。だから、英語教師は、いろんなタイプがいた方がいいと思っています。もちろん、音読やリスニングという「出汁」は必要ですが、味付けは個性があってしかるべきだと思います。だから私は「自分だけが正しい」という思いを持っているようにしか感じられない、「コミュニカティブ原理主義」者を心の底から、軽蔑しますし、個人崇拝になっているのではないかと思わせるようなホニャララ運動ともお友だちになりたいと思いません。さらに、英語教師(almost every?)に対する不信感を行間ににじませる人など、肩書き無くなれば、突然に連絡が来なくなりそうじゃないですか。英語教育のオピニオンリーダーがこんな人で良いはずもなく、私は今までの英語教師の歴史を大切にしたいなぁと思うんですよね。

ちょっと話しがそれすぎてしまいました。

その一方で、教職を目指す大学生や若い先生にとって、何か学びたいと思ったときに、どうやって学べばいいのかも難しいことがあります。いつからか分かりませんが、雑談=先輩教員による実地指導の余裕も無くなってきてしまったことを嘆いても仕方がありません。「貧困な政治のなかで、医療は向かい風をもろに受ける厳しい環境にある」(p.279)にも関わらず、鎌田医師が信頼される医療活動がなさったのと同じように、私たちも工夫しながら、教育活動(教科教育活動)の横のつながりを作りたいものです。出来るところから、ですけどね。

そのために、なんとか横のつながりがもっと出来ないかなぁと思います。例えば、readingの指導であれば、○○先生と、△△先生、××先生がいて、英語力の高い先生なら○○先生に、中間層なら△△先生、低い生徒なら××先生の実践が面白そうだよ、というような「専門性」があってもいいんじゃないですか。中学校ならA先生、B先生、C先生。A先生の特長はライティングにあり、B先生はコミュニケーションであり、C先生なら読解であるなんていうようなデータベースがあって、気軽に相談できたり、もしくは気軽にそういう先生の実践例がみられるようなサイトがあったらいいのになぁと思います。もっといえば、授業実践記録のようなものが、ブログであれば、本当に大きな財産になりませんか。
若い先生や学生は、「英語教育はかくあらねばならぬ」というような世界から抜け出すことができ、ピピっときた(古い表現かsweat01)先生から、勝手に学ぶことができます。

ルールをいえば、多様性を大切にして、絶対に批判しないこと。批判をしてもいいのは、自分より立場が高い人に対してのみ。ほら、ホニャララ省関係者や大学の先生、ホニャララ主事、ホニャララ研究員みたいな人は、立場が高いですから、批判される覚悟を持っているはずです。でもね、中等教育で働く仲間に対しては批判はせず、「いいところ」と「さらによくなるところ」を伝えるだけでいい。自分の感性にあわないと思えば、右から左に受け流す(これも、古い表現かsweat01)。

そんな授業実践の記録が埋め込まれた本があります。


いろんな先生が、その場その場で努力していることに、勇気づけられます。あと、柳瀬先生のスタンスも興味深い。「技術と心」とのバランスを見事なまでにとられています。

2009/12/18

ひとりよがりは、お酒だけ。

一進一退へ。毎朝、布団からおきるときのあの「恐怖感」。ヘルニアンの皆様はお分かりいただけるでしょうか。ドキドキと今日の痛みを確認する一瞬でもありますよね。

暗い話をしても、さらに暗くなるだけなので、まずはうれしい話題から。拙著の「フレーズで覚える英単語1400」がなんと、あの安河内哲也氏のブログで紹介されました。拙著について、安河内氏がお子さんに使わせたいということは、人を介して聞いていたのですが、まさかブログで紹介してくださるとは。。。

この週末、どうぞ書店でご覧ください。英語教育では、広島大学の柳瀬陽介先生に続き、ビッグネームの方からのご紹介、本当にありがとうございましたm(__)m

今年の反省というか、備忘録的エントリー。

転勤して、自分の課題として理解できたことの1つに、「長文読解指導」についての反省があります。はっきりいって、私はこれをおろそかにしてきたなぁというか、行き当たりばったりで今まで英語の授業をしてきたということを、強く意識化させられた年でもありました。
日本的な「パラグラフリーディング」を疎かにしてきたというのではなく、長文をどう読んでいくか、長文を早く読むためのトレーニングなど、いわゆる長文問題をあまり重要視していませんでした。

教科書を5レベルに分けた場合、レベル3以下のものには、長文らしい長文はありません。もちろん、レッスン単位で見たときには、それなりの語数はあります。400語以上のレッスンだってあります。しかし、1回の授業で行うのは、せいぜいその1/8にすぎません。Readingの教科書でその程度なのですから、英語1での語数は更に少なくなります。予習をしてくる生徒はほとんどいませんし、復習をする生徒も皆無ですから、50分の授業の中で予習的・復習的なタスクも行います。
授業は「分かった感覚を持たせる」ことを主眼においていたので、1文1文を理解して、そして音読などにつなげていきます。そして「分かった感」を持たせることで、次の授業への動機付けにして、自信をもてる援助を行うという流れでした。

ここには長文読解がないわけです、ハイ。

転勤して、すぐに3年生のReadingを持つこととなり、困ったのは、こういう理由でした。スラッシュリーディング? いや、、やったことありませんcoldsweats01 パラグラフリーディング・・・? パラグラフライティングなら聞いたことあるんですが・・・sweat01などなど、ともかく困りました。
自分の経験を一般化しすぎることは危険ですが、前任校の経験が正しいものならば、その延長線上に長文読解もあるのでは、と思うようになったのです。(よく、偏差値的に下→上は、上→下に比べて早く慣れるというのは、延長線上にあるのか、それとも元をたどっていくのかの違いにあるのかもしれません。)

その上、学習者に対して抱いていたイメージと、実際とに、いろいろな場面でギャップがありました。「これが分からないのか」とため息をつくときもあれば、その逆に「これが出来るんだ」と驚くときもあり、自分の軸足がともかくぶれまくりました。

以前と変わったことは、教科書以外の英語も積極的に活用するようになったことですね。例えば、英単語の意味をOALDやLDOCEなどを活用して暗記させたり、いいずな書店の速読教材を使ったりと、いろいろと幅広い作業をすることもできました。

名詞が出てきたら□でくくってみたり、前置詞のグループは(   )、動詞には という作業で何となくから脱却をして、それからスラッシュに入りました。「何となく読み」から少しでも脱却させたかったんですよね。そして音読・暗唱にシャドウイング、などなどに進んだんですが、正直、不完全燃焼。ずいぶんと私としてはフラストレーションのたまった1年間でしたが、少し光も見えてきたかな。。。

他教科の先生が研究室にやってきて、教材についてのお話をしばしば。思い入れがつよければコアなファンは増えても広まらない、広まらせようとすれば、思いを薄めるしかない。いかにして、思いを入れつつ、受け入れてもらえるか考えることが難しいんですよねぇという話にうなずいて頂き、ちょっとホッとしました。
英語教師の発信力の弱さは、思いの強さと関連していると思います。思いが強すぎるようになってくると、周囲が見えなくなり、独善的になり、他者を信頼できなくなるもの。ほら、ホニャララの肩書きを持ったアノ人みたいにね(笑) 自分に有利な現場に軸足ばかり持つと、そんな風になってしまうのですよ。水虫のように仲間だけ、ベールの中であーだこーだ議論をして、自分たちが世界を背負っているんだぜという人たちに、ついて行く人は、水虫菌か太鼓持ちか。ミズムシくんたちの文章は、他者への不信感に満ちあふれており、読後にいやぁな思いを感じさせるものです。
すべての現場に足を踏み込み、たくさんの軸足を持てば、思いと広がりとを両立できるようになるんではないかな。そういう先生方とのつながりが、成長させてもらえるし、助けてももらえるものです。存在自体が、心の支えになるんだよなぁ。

2009/12/14

ヘルニア宣言

ちょっとした光。実は私、8月から椎間板ヘルニアを患っております。筆舌に尽くしがたいほどの痛みを感じたこともあり、自分の足を切り落としたいほどの経験もしました。今は少々、小康状態になっておりますが、今月の上旬は歩けなかったり、朝、起きあがれなかったりすることさえありました。

そんな状態の時に、ある方からお医者さん(かなりの「職人」だそうです)を紹介していただき、そのドクターからお電話をいただきました。お忙しいのにもかかわらず、1時間以上にもわたってヘルニアのメカニズムから、Do&Don'tまで教えていただいてしまいました。今まで飲んでいた薬もバイバイ、コルセットもバイバイして、教えられた体操をしています。

そのドクターにお礼を申し上げたところ、「困っている人を助けるのが私たちの仕事ですから」という言葉にさらに感謝。プロって、こういうことなんですよね。英検からの取材の後、お電話をいただくことも多くありましたが、これからはもっと丁寧に対応したいものですね。

また、その医師からは、「治らない腰痛は、ガン以外はありません」ともいわれました。ホント、光が見えてきた気がします。生徒にもそんな光を見てもらえるような教育活動をしたいものです。

ということで、またブログは体調次第になると思いますが、これから書いていきたいですね。今は、時間があるときは横になることが、「仕事」みたいなものですから。

最後にですが、いつからでしょうか。政治家のレベルがこんなにも低くなってきたのは。ちょっと有名だとか、ちょっと物議を醸すだとか、そんな人が選ばれるようになってきましたねぇ。あ、これって、「教育の劣化」も1つの原因だったりして(笑) 

2009/12/13

Don't ride his coat tails!!

もう12月も半ば。今年は、転勤ということもあったけど、それ以上に、担任を持っていないことがブログがいちばん進まなかった原因かもしれません。(こう書くと、今年最後のブログみたいだけど;笑) もちろん、あの痛みとの戦いも書けない原因でもありましたが、それ以上に担任を持っていないけど、時間的に余裕がありますけど、ちょっと寂しいものですね。

英語教育よりも、教育に私は気持ちが向いているので、時間的に余裕があると教育に関するニュースがどうしても気になります。教育というのは不思議なもので、個人的体験を絶対的な事実として述べられがちです。だって、その人にとってその体験は、事実であり、絶対的なものなのですから。例え、その人の思いこみであろうと。

これは、何が事象があったときに、それに対する原因を自分の思いこみで堂々と、恥じることもなく、決めつけることにもつながります。ほらあるでしょ、「管理教育が悪い」「文部科学省が悪い」「日教組が悪い」「伝統軽視が悪い」といった、あの論調です。教育評論家としてご活躍遊ばれているどっかの大学の先生なんて、東京都の「小学校1年生問題」のことを、クラスサイズの問題だと断定していたよなぁ。確かにそれは1つの原因かもしれないけど、それが全てなんだろうかと私は疑問に思います。いや、というよりも、1つの原因で何かが起きるはずが無く、もっと多くの原因があるのだろうけど、こういう断定をすることは、人々を扇動するには十分に効果がありますからねぇ。

他にもたくさん書きたいことはありますけど、古の時代から答えが出ていないことを、断定できる人を私は信じることは出来ません。どっかの大学教授や、どっかの政治家が、数千年の先人たちの苦労の中で、そして現代の世界中の実践の中で、明確な「それ」が出ていないものを断定できるとは私にはとうてい思えないからです。

自分が今の痛みに苦労しているときに、何かの答えを断言してくれる人がいると、ついついすがりつきたくなるものです。冷静になってみれば、「これは、こうすると治る」というものがあれば、みーんなそれに飛びついているものです。でも飛びついていないということは、治る確率が必ずしも高くはない、というよりも、低いからなのでしょう。

「今の若い者は」という言葉が、シュメール文明に記されていたのと同じように、年を重ねて、昔を美化する年齢になってくると、若者に対して老人は難癖をつけたくなるものです。年をとれば、「七十而从心所欲」となるのですから、若者のパワーにジェラシーを感じる結果なのではないかと私には思えます。犯罪率など、今は昔に比べて、はるかに低くなっているのですから。

何かと比較するのが日本人ですが、教育については自分たちの都合のいいところばかり持ってきます。例えば、PISAの順位で日本の学力低下を主張したと思えば、アメリカやイギリスの学校システムを参考にせよという人。ちなみに、PISAの順位はアメリカやイギリスの方が日本より下なのに、何を参考にせよというのだろうか? 
学力低下の解決策として、授業時間数の確保を原理主義的に訴える人たち。ちなみに、授業時間数と学力との相関関係がないことが、文部科学省の資料にさえある。

この後者の資料は次のようにいっています。

  • 授業時間数の多寡との間に単純な関連性は認められない。日本や韓国など授業時間が少なく,かつ高い学習成果をあげている国は,教員やカリキュラムなど様々な要因により,効果的,効率的な授業が行われている 

何が「効果的」で「効率的」かはよく分かりませんが、こういう資料が「エビデンス」として存在するのに、どうして教師不信があるのだろうかなぁと思うわけです。もちろん、いろんな個性の人がいますよ。蒸留水には魚は住むことが出来ないのですから、いろんな水があっていいと私は思います。こうやって、十分に機能をしているのですから。今まで10数年間教師をしていて、自分の子どもはこの人に受け持ってもらいたくないと思う先生もいた一方で、こういう先生に受け持って欲しいと思う先生もたくさんいました。1人1人を見れば確かにそうだけど、それが「教員団」となったときに、なぜか平均化されるのですよね。ここ、とっても大切なところだと思います。英語の先生は嫌いだったけど、数学は好きだったとか、学年主任は嫌いだったけど、担任は好きだったとか、こんな風に色々な先生と出会うことで、平均化していくのです。

そしてそれが今までの日本の「効果的、効率的な授業」を行わせてきたのではないかなぁと思うんですよね。そうすると、避けなければいけないのは、「教員団」を壊していくようなシステムなのではないかなと私は思うのですが、どうなんですかね。

英語教師としていうならば、分断化していくシステムは、善意の中にも含まれています。英語の授業はコミュニカティブでなければまかりならん!という「コミュニカティブ原理主義」。母語である日本語によるコミュニケーション能力がない人が、どうして英語によるコミュニケーションをいうのは、まさにお笑い劇場。同じように、「先行者」が若い先生や他のやり方に対して批判することもあまり望ましくない。批判からは何も生まれないと私は思うんですよね。何かが生まれるときは、必要に迫られたときだけです。その意味では、教師の転勤は今までとは違う必要に迫られるので、大きな飛躍になるのでしょう。必要に迫られたときに、相手の必要に応じて、サポートできる体勢が教員団を作り上げられるのだから、職員室での雑談は大いに意味があることです。初任者研修よりも、よっぽど役に立ったという実感を持つ人は多いのではないでしょうか。

なーんて、えらそうだね、今日のエントリーはsweat01

コメント欄ですが、スパムが増えてきたので、承認制にしています。ご了承下さい<_o_>

2009/12/03

真似をするための技術

相変わらずの痛みとの戦い。一進一退というか、二進一退が一進二退になったというか、困ったものです。一日の単位でも、良かったり悪かったり。これが昼間はいいけど夜は悪いとか、朝は辛いけど夕方は良くなるとか、そういうことがない。全て神の思し召しというか、神経のイタズラというか。

山口県英語教育フォーラムでanfieldroadさんは久保野先生にずいぶんと影響を受けていた。(彼のブログでもそれはよく分かります) そして、「久保野スタイルに影響を受けて授業を行うことになりそうだ」と話していました。その後、

  • でも、それが自分の中で残っていく中で、自分のスタイルが出来ていく

といっていたことに深く同意しました。氏は教授技術が高いので、真似をしているつもりでも、おそらく完全な真似になっていないでしょう。自分の中でかみ砕いて、実践するでしょうから、最終的に残ったものは借り物ではなく、自分のものです。

私たちは他の先生方の実践を見ていて、講師の方の話しと、それを素直に受け止める自分、それに加えて、自分の授業で何を取り入れることができるかなというメタ認知的な自分が存在しています。だから、みんなメモを重点的に取る場所が変わってきます。

よくね、「英語の勉強の仕方が分からない」という生徒と今まで出会いました。そういう時には、「音読をしなさい」とか、「筆写をしなさい」、「授業を聞きなさい」なんていうアドバイスが一般的かもしれませんが、生徒の問いかけているものは、言葉通りの意味だと私には思いません。

もちろん、それが「拒絶」の場合もあるかもしれないけど、もがいているのであれば、お手本が欲しいんだと思います。中学生であれば、教科書ガイドと参考書の中間のようなものがね。

英語の教授技術の高い先生は、このお手本を授業の中で示していく。生徒はそれを学び、自律的学習者となり、学力も伸びていきます。もちろん、そういう先生方の技術は文字だけでは表すことの出来ない眼差しや「間」もあるので完全には無理だろうけど、授業の中で軸となる要因を取り上げることで、ミニマムのマニュアルが作れるんじゃないかなぁとこの頃思う。
もしね、これがあれば、中学生や高校生が自分たちの学習スタイルを作るための「滑走路」になるだけではなく、ルーキー先生たちにとってとても役に立つでしょう。授業の骨組みというか、英語学習の骨組みというか。

だれか、作りませんか?

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
無料ブログはココログ

おすすめ