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2009/07/31

正論が聞きたいとき

リテイクのため渋谷。すっごい人、人、人。外国人観光客が、ハチ公口のあたりから、写真を撮っているのはどうして?? スタジオ近くのセブンイレブンでは、100円のドリップ式のコーヒーがあるけど、こんな機械があるのはなぜ?? どうみても高校生に見えない女の子たちが、制服を着ているとは、いまだにナンチャッテがはやっているの?? 田舎もののおじさんには全く分からないことばかりの、渋谷エクスカーション。

正論は説得力がなく、偽善に満ちあふれて、自分の限界を隠すときに使われる。

でも、愛がそこにあるときには、正論は説得力があるもの。いつもの週刊文春ネタ(2009/07/30) 『片山善博前鳥取県知事「よくがんばったね」6人の子を育てて逝った妻・弘子へ」)

  • 彼女は最初から従順な妻ではありませんでした(笑)。イヤなものはイヤ。自分のやりたいことは全部やっていました。自然保護活動や市民活動に取り組む一方、国政選挙でも市議選でも、自分で『これは!』と思った人を応援する。私は知事をやっていましたので、彼女を諫めると、『個人の自由でしょ。(何かにつけ)『自立』を言っているあなたが夫に従属しろというのは論理が矛盾しているんじゃない?』と反論される。正論なので『そうだね』と引き下がらざるを得ませんでした」(p.33)

いいなぁ、こういう夫婦、と思った人は多いのではないでしょうか? 

この正論が通じるのは、愛情があるからですよね。愛情がある場所で、正論は意味を持つもの。相手を思いやる気持ちがあるのに、正論をいうということは、相手のことを思っているからの証左です。

相手を支配するために正論をいっても、むなしく聞こえるだけ。(言っている人は、「支配するためだ」ということは絶対に否定するだろうけど) でも、愛情があると、こんなにすんなり入るものなんですよね。これは、体罰にもいえることかもしれないなぁ。あ、もちろん、自分の子どもに対してですよ、生徒ではなく。

生徒に愛情を持っている先生が私は好きです。どんな雰囲気の学校だろうが、生徒に愛情を持っている先生の正論は、聞いていて、心地よいものですね。

2009/07/30

授業料の無償化に賛成します

まもなく総選挙。といっても、まだ一ヶ月以上あるんだよなぁ。ブログでは政治的なことは極力避けるようにしているけど、本日は授業料の無償化について。

これは、どの政権になったとしても実行してもらいたいものです。教育に対する日本のお金の使い方が低いということはよく知られているところです。

授業料の無償化は、新自由主義が好きな「グローバルスタンダード」へ近づく方策の1つなんだろうね。

これから述べることは、あくまでも教員としての皮膚感覚です。データ的なことではなく、タクシードライバーの「景気感覚」と同じようなレベルだと思って下さい。

「新自由主義」ということばが出てきてから、経済的な問題が強くなってきた気がします。その一方で、授業料の滞納は減ってきました。これは、滞納せずに減免の手続きを全体として促しているということもあるかもしれませんが、責任感を保護者が意識しているからだと私には思われます。

「新自由主義」という言葉で濁していますが、まぁ、どっかの大学の先生が政治の世界に入り、骨太のナントカをはじめた頃からかなぁ。前の職場では3回卒業生を出しましたけど、だんだんと経済的に苦しい家庭が増えていきました。株価が上がりその恩恵を大きく受ける人と、母子加算がカットされ苦しむ人とでは、違う世界に暮らしているのではないかという錯覚を持ったほどです。

経済的な問題といちばん直面するのは、生徒の進路相談の時です。経済的に、本当に上級学校に行くことが出来るのだろうか、入学一時金の支払いが本当に出来るのだろうかということです。3年次の面談の時には、大学や専門学校へのお金は大丈夫なのかということを、全ての面談で確認を取るようにもなりました。

母子家庭で、母親が運送業のドライバー。子どもが高校生と未就学児というケースがありました。未就学児の弟が風邪で熱を出したため保育園に行けず、高校生の姉が学校を休んで自宅で看病をするか、母親が車に同乗させるかというケースもありました。(このケースも増えてきた)

偏見を承知で申し上げます。

英語教育が多くの人にアツク語られるのに、どうしても私は入り込めない理由の1つに、英語教育のオピニオンリーダー的な先生方の多くは、進学校と呼ばれる学校に勤務していて、こういう経済的な苦しさを知らない人が多いということがあります。

あの教材がいい、このテストがいい、あれがいい、これがいい。。。確かにそうかもしれない。でもね、ぜーんぶお金がかかるでしょ? だったら、自分で作りなさいよ、と思うんですよね。あなた達の住んでいる世界が全てではない。

安く、しっかりした教材を作れよな、出版社も。あのブリッジ教材のいい加減さはどうにかならないかい。16ページや32ページものの、あの下らない作りはどうにかならないのか。安ければいいってもんじゃないだろうに。

以前にもいいましたが、Road34の原稿は、学校の先生にはお渡ししています、もちろん無料で。必要な方は、メールを下さいね。

「英語はこれから必要だ」ということをまことしやかに仰る先生もいる。確かに、あなたの住んでいる世界では必要かもしれない。しかし、必要のない世界で幸せに生きている人だっていくらでもいるわけです。

コミュニケーション能力の必要性を説く英語の教員が、自分の知っている世界だけでコミュニケーションを取ろうとしている、この非コミュニケーション能力。マンガ以外の何物でもないでしょうに。でも、自分ではそこに気づいていないんだよね。分かっているのか、お前は。

英語を通じての生徒の発達を考える英語教育を考えてこなかった「しわ寄せ」が出ていることに気づかない人たちは、「生徒の学力が低くなってきた」と嘆く人です。学力をガツガツして高めようとしなくても、英語という授業を通じて、出来ないことが出来たという自信、学ぶということは楽しいことだという経験。そうすれば、結果的に生徒は学習するようになり、学力だって向上していきます(これは断言できる)。この視点がない授業など、少数派に過ぎない=普通の学校では通用しないのに、どうして少数派がもてはやされるのだろうか(笑)

英語教師が、最前線の現場で働く専門家としての矜持を持っているのなら、英語教育を生徒の「臓器」の1つとして捕らえ、その「臓器」を強めることで、体全体を強くしていくという哲学があってもいいのではないか、とさえ思う。赤ワインは心臓にいいと飲み過ぎて、肝臓にダメージがあったら仕方ないでしょう。それと、同じことです。でも、「英語教育には赤ワインがいいんだゼ」といって飲み過ぎて、他教科の先生から冷笑を受けていることに気づいていない人もいたりねーcoldsweats01

なんだか、話しがぜーんぜん、違う方向に進んでしまいました。

「ばらまき」という言い方で、子どもにお金を使うことを批判する人たちの意識が私には全く理解できない。最高税率の引き下げは、富裕層に対するばらまきだという批判ってありましたか? 乾ききった田畑に水をかけることを批判する人たちの頭の構造ってどうなっているんだろうか。

必要なところにお金を分配するという国家としての機能は、必要なのではないか。奨学金の拡充といったって、日本の場合は奨学金ではなく、学生ローンでしょ。しかも、利子なしは全体の20-30%程度で、それ以外は利子を取っているローンですよ。さらに、そこには文部科学省の天下り理事が2人もいるし。
そんなところにお金を回すよりも、「給付」として渡した方が家計にはよっぽど助けになるという考え方は間違っているのかなぁ。

そして、学校を退職された先生方が、利潤をほとんど考えないような塾は出来ないものか。子どもも独立して、年金も受給している人たちが、経済的に苦しい家庭の子供たちからは授業料を「出世払い」にするような塾なんて絵空事かなぁ。将来の教師志望の学生を講師として雇い、私塾「教師塾」として鍛えていく場所にもなりうると思うんだけどなぁ。
あと、15年間、待たなければなりませんかね。

2009/07/26

たかが英語じゃないの

本日はお見合いの仲人。ちょっとだけ驚きの展開。人の相性はよく分からないというか、自分の感覚が絶対ではないという当然のことを見せつけらました(笑) アルコールの弱い人には、アルコールを飲ませちゃいけないね、ホントにsweat01

前回の記事でも書いた、ラーメンD。そこの店長として活躍している卒業生(といっても、30だけどね)のX君は、よく働くし、社長との相性もよく、ずいぶんとかわいがってもらっている。確かに彼はいつ寝ているのだろうかとこちらが心配になるほど、長い時間、働いている。彼にとってそれは、辛いことではなく、自己実現の1つの方法のようだ。前の職場に7年間勤めていた彼の転機は、偶然に見た求人のビラ。行き詰まりを感じていたときだったので、そのまま辞表を提出し、今の職場へ弟子入りをした。「将来、自分のなりたいことを考えてみよう」なんていう偽善的な教師の問いかけや、どっかの会社でやっているワケのわからん「進路適性検査」など、たった1枚のビラに敵わなかったのだ。ちなみに、英語は全く出来ない生徒だったし、勉強しようという気持ちもほとんどない生徒だった。

X君の同級生のY君。現在は、流通業界で働いている。現在の職場が2つ目であり、仕事も朝の10時から、早いときでも9時、普通は10~11時。遅いときには終電になるという。プライベートも順調で、休みの日には伊豆にダイビングに行ったり、恋人との時間も大切にしている。コンピュータを専門学校で学び、最初は職場はコンピュータ系であった。でも、「進路適性検査」で勧められ、「自分の将来の夢」として考えていたIT系は自分の本当の適性ではない感じ、今の仕事に転職をした。もちろん、幸せだという。彼もほとんど英語が出来ない生徒だったし、積極的に勉強もしない生徒であった。

ナントカ定刻だとか、ナントカコマ戦だとか、3月か4月だとか、そんな大学には行っていない。高卒と専門卒である。しかし、2人とも幸せそうだし、年収も私よりも多い(苦笑) 

こういうときに、英語教育とは何なのかなと感じる。

血眼になって、偏差値を上げるために単語を覚えさせ、英検の資格を取らせようと過去問題にこだわり、長文読解のためのストラテジーを身につけさせようとしている、それ自体にどれだけの意味があるのだろうか、なんて感じる。

それは、手段であって、目的として捕らえてはいけないのではないか、と。

目的として捕らえられないことを「弱虫」と思うならそれでもいいけど、その感性は「故障しても投げ続ける投手」を美談と考える、無責任の外野に通じるものがないだろうか。見ているその瞬間を美しいと考えるが、誰もその投手のそれから先の人生に責任を持たないし、感じもしないだろう。

法律を見るまでもなく、教育とは人格の完成を目指すもの。人格の完成のために、英語教育はどのような役割を担えるのだろうか。英語教育それ自体を目的として考えることもあるだろうが、1つの手段として考えてもいいのだと思う。(もちろん、後者のために手抜きをしてもいいということではないですよ、念のため。)

目的として考えていくと、偏差値の上昇にガツガツしていく。ガツガツしなくても、必要だとか、面白いと当事者が思えば、自然と伸びていくもの。ガツガツしてうまくいくことなんて、レアケースだと思うんだけど、その「レアケース」を報告して、「ガツガツでこう伸びたぜ。すっげーだろsign01」という人たちがいる。その人たちの特徴は、「出来る生徒にあわせる」ということ。自分にあわない生徒は切り捨てていっていることに、気づいてないんだよね、あの人たちは。いくらソフトな人間性の仮面をかぶったところで、苦手な生徒を切り捨てる人は本当に優れた教員なんだろうか?

そういう人たちの団体は、邪気の発散に過ぎない。同人誌の同人誌のゆえんはそこにある。

もちろん、教材研究のために時間もかけるし、生徒の英語力の向上のためには、色々と考えていく。でもね、自分が望むような英語力上昇の結果を唯一の目的とせずに、取り組みの中で生徒の成長の一翼を担うことが出来れば、それでいいじゃないの、という心の余裕を持ったらどうだろうか。

たかが英語じゃないですか。それで人生が決まるワケじゃないんだから。

それよりも、いろんな大人がいて、いろんな人生があり、そして自分の学力のためにこんなに時間と手間をかけてくれるあなたがいた、と生徒がいつか感じてくれることの喜びの方が、教師冥利につきませんか。

2009/07/25

So Wonderful!

 某大学の先生の来訪。新学科のスタートの案内ということだったのですが、夏期補習の様子をご覧になりたいということで、生徒と一緒に英語の発音練習。部活動で忙しい生徒が数人いるために、少人数になってしまったけど、出てきたメンバーはしっかりと発音をしていました。その日にどうしても発音できなかった生徒も、自宅で復習をしてきていることに、ちょっとホッとしました。発音というのは、利き手と逆の手で文字を書くような作業で、分かっているんだけど、出来ないという一面もありますね。それを乗り越えるのは、やはり練習しかないということも、同じなのでしょう。
 そのあと、その先生の専門の話しを2時間程度伺いました。(大学の案内は10分程度で終了したんだよね~;笑) 英語とは全く違うことがその先生のご専門なのですが、やはり違う分野の人とお話しすることは面白い。「勉強になる」というと偽善的だけど、とにかく引き込まれるようなお話しでした。そのあと、卒業生が店長をしているラーメンDに一緒に行きました。

 その時に伺った山口絵理子さんの番組がyoutubeにあった。

 すごい、、というか、形容詞が見つからないほどの感動というか、衝撃というか。「こと」を成し遂げるということ、そして、その「こと」は自分のためや、身内のためではなく、広く社会のためであるということ。この2つの条件を満たしたとき、私たちは心を揺すぶられるのだろうな。

 今まで使っていたバッグが古くなってきたので、新しいものを買おうと思っていたところだったので、近いうちに、買いに行ってみようかな。興味のある方は、マザーハウスへどうぞ。

 口先だけではなく、どう行動をしていくのか。その行動は、自分の利益を中心ではなく、他者やその共同体の利益となるものなのか。耳が痛いものです。

2009/07/22

Shame on YOOOOOOOOOU ! (again)

 夏休み突入。担任を持たないのは初任の時以来、14年ぶりなので、感覚が違うものです。今までの職場とは違い、夏休みの最初に面談期間があるので、担任の先生方は朝からずっと面談をしています。お疲れさまです。

 すると、子どもたちの家庭訪問も夏休みに入ってから行われると聞き、びっくり仰天。5月位じゃないのかな・・・?と思っていたのですけど、授業時間の確保ということで、夏休みに入って行われるとのこと。

 その一方で、運動会の準備のためにかなりの授業(2週間以上)をつぶしているのはなぜ? 以前に同僚の先生が、「小学校は親に見せるための運動会、高校は生徒が楽しむための運動会」と話していた。5月の家庭訪問は、学年の最初にその児童の自宅を見るという教育的配慮があったと思うのだが、授業時数が数時間ほどカットされる。ここに矛盾ってありませんか? その矛盾の源は、教育という枠組み全体として考えるか、それとも部分のみをみて、周囲へのPRを重要視していくかの違いというのは暴力的すぎるだろうか。
 福岡伸一先生は「週刊文春」で”移植法改正への危惧”というタイトルで次のように書いている。教育とは関係はないけど、非常に似通っている部分があると思うのは俺だけ?

  • 生命を構成する細胞は互いに関係しあっている。それゆえ生命は身体全体に宿っていると考えるからである。しかもそれは常に運動しつつバランスを取っている。
  • そもそも全体として恒常性を保っている身体には、切り取れる「部分」も、交換できるパーツも本来は存在しない。臓器が、モジュールのように外から組み込まれた機能単位に見えるのは、私たちの生命観がそう見なしているから。

教育と似通っているのは、教育は「子どもの成長」を福岡先生のいう「生命」として考えなければならないのに、別々に考えているのではないか。

そうそう、授業時間の確保といえば、内田ブログの反省しない人々というのも納得できる。大学の先生も、たいへんなんですね。自分たちの施策がうまくいかないときに、「施策は間違っていないけど、実行する人間の力量不足である」というロジックの上に立つから、「『優秀』な人間に実行させれば成功するはずだ」という考え方になる。そして、民間神話というナントカ時代を信じている人たちが、民間企業人として『優秀』な人材を教育という場に連れてきて、失敗した。LE○とか、あったじゃないの。

それで自己反省しない人たちは、表紙を変えて、また何かをしようとしてきている。ただ、それだけの話しなのだろう。自己反省しない限り、そしてこういう施策の方向性を作る人脈が変わらない限り、いろんなことをしてくるだろうなぁ。次はどんなものを出てくるのだろうか、今から予想してくるといいかもしれないね(笑)

そもそも民間企業人として優秀ということは、その会社の収益を上げたということなんだろう。収益を上げるということは、生産性を高めるか、人件費など必要経費を下げていくかのどちらかしかない。デフレであれば、派遣労働という企業にとってはとても便利ではあるが、労働者にとっては結婚すら出来ないケースがあるというトンデモシステムを採用して、必要経費を下げている会社だって少なくない。日本という国家から、義理人情を失わせてもいるだろうに。そういう派遣労働者から様々な名目でピンハネをした、どっかの会社だってあったし、タクシー増車でタクシードライバーが辛い状況になる一方で、タクシーリースが増えたことでどっかのリース会社がかなりの利益をあげていた。共通しているのは、人間を大切にするよりも、利益を大切にしている姿勢だろう。銀行だって、「貸しはがし」をどれだけして、中小企業を苦しめてきたのだろうか。

その『優秀』といわれる人物が、「1人1人を大切にする教育」を行うということは、前言を翻すことになりはしないだろうか。『優秀』な人は、「1人1人を大切にする企業経営」を結果的に、してこなかったケースが少なくないのだろうから。
もしね、民間からやってきて学校で成功するとしたら、リストラをせず、1人1人の職員の労働意欲を高めて、収益を上げている会社の経営者ではないかなぁと私は思う。KYで有名な「空気」が明るくなければ生産性はあがらないし、集団の中で醸し出される「空気」は人を癒してくれるし、またその中の人はその「空気」をよりよくしようとして、+αの行動をしていく。それを実践した経営者であれば、学校運営も上手になさることだろう。

いま必要なのは、人間(生徒)1人1人が、生きていて楽しい、学んでいて楽しいという感覚を持つ援助をすることではないのかなぁと思う。そうすれば、全体としての生産性は高まっていく。1人10の仕事をするのはたいへんだけど、10人が1ずつの仕事をするのは、あまり辛いことではない。

そのためには、「出来る人(生徒)をのばせばいい」という方向性とは違う角度からのアプローチが必要で、空気作りという日本人が得意としてきたことが大きく役に立つのではないでしょうか。先ほど紹介した内田ブログにもこうある。

  • 日本社会全体を覆い尽くしているグローバル資本主義イデオロギー(「金の全能性」イデオロギー)が彼らの「学び」のモチベーションを根こそぎ奪っているのである。

あ、いけない。また、書きたいと思っていたことが、違う方向になっていた(^^;; ホントはね、「施策は間違っていないけど、実行する人間の力量不足である」というロジックをもろに受けているのは、英語教育だよねーということを書きたかったんですけどね。。。

2009/07/15

ツール・ド・成田

梅雨も明け、久しぶりに自転車通勤。少しずつ力がついてきたせいか、90回転/1分を少し重たいギアでも、出来るようになりましたgood 細かいことかもしれないけど、達成感があると、暑くても頑張ってしまいます。熱中症にならないように、水分の補給はしっかりとしないとね。ツール・ド・フランスも開催中。こういう時に自宅にテレビがないのは困ったものですけど、週末に実家でみたいな。

はじめての2期制なので、この時期に授業があることにちょっと驚き。リーディングとライティングの答案を1時間で終えて、余った1時間と通常日課の1時間とで、靜式発音トレーニング。ALTのD先生は日本語もかなり出来る方なので、English五七五や337拍子のおもしろさを、説明することなく理解してもらえるので、それは助かります。

発音練習は未体験ゾーンなので、夏休みの課外補習で続きを行う予定です。あのDVDをみましたけど、一貫していて面白い。やり方はそのままふしゅう、じゃなかった、とうしゅうしつつ、この方がわかりやすいかな、この方が誤解がないかな、という余計なスパイスを入れつつ、授業を展開しました。

昨日はs, t,  z。本日はf。

帰宅時に、自転車の好きな同僚のM先生に愛車をみてもらう。メーターの調子がおかしい理由を教えてもらい、調整もなんとかできました。好きなことをしているときの、醸し出すオーラはなんと邪気の正反対なのでしょう。メーターの調整の時に、自転車に関心を持っていないだろう先生も立ち止まり、メーターの話しや自転車談義に花が咲きました。

印旛沼のサイクリングロードを「ツール・ド・自宅」(笑)。ロード上に青大将がいてびっくり。大きいですね。帰宅して、シャワーを浴びたあとのビールが美味しい。6月に購入したビールが、ようやく2本目が空きました。自宅では飲まないので、なかなか減らないんですよね。(外で飲むことも多いわけではないけど)

夜は、「フレーズで覚える英単語」の音声チェック。iPodは本当に便利だなぁ。カタカナ読みは、シンプルさが大切だと思っているのですが、シンプルさをメインに置くと正確さが離れていき、正確さをメインに置くとシンプルさが離れていく。自分の中でどうバランスを取るかに悩まされます。

2009/07/08

真実? 自信過剰? 思い上がり? それとも・・・?

年に1度のバリウム。ちょうど試験中だったので、午後から休暇を取り、自宅で「静養」です。2月に胃カメラ、7月にバリウムと、40代を迎える準備が着々と完了しています(笑) 「ゲップをしないで下さいね」といわれてもねぇsweat01

ブログも柳瀬先生に紹介されたので、倍程度のアクセスが。もう少し、日本語を整えておくべきだったと後悔をしています。ただ、誤解ないように、蛇足になると恐れつつ、もう一度、書いてみます。

「医龍」というマンガが好きです。その中で、藤吉という内科のドクターがこのようにいいます。

  • 医者が人の命に関われるのは、せいぜい5パーセント程度

マンガじゃないのよ!というなかれ。マンガの中で藤吉医師は一流の内科医として描かれています。海外でも通用するほどの内科医です。その彼でさえ、5%。

振り返って、英語教育を考えてみます。

学校で行われる教育は、「授業」「部活」「HR(学年行事なども含む)」と大きく分けられます。そして、「授業」は9教科あり、英語教育はそのうちの1つに過ぎません。提供者側の教師は1教科しか教えていないので力が入る気持ちも分かりますが、生徒は9教科も受けているのですから、割合からいったら1/9に過ぎない。単位数で考えたって、英語1の標準単位は4なのですから、4/28程度に過ぎません。

それなのにどうして、英語先生たちは、自分の人生をかけているかのように、いやもっとはっきりといえば、生徒の英語力の向上させられるかどうかを、50%や60%、いや、もしかしたら、100%引き受けるかのような気持ちになってしまうのかなぁ。ガツガツやっていると、相思相愛の生徒はいいかもしれないけど、ストライクゾーンが狭くなるだけの危険性だってあるわけです。

5%程度なら、英語教育について研鑽しなくてもいいのかといえば、そんなことはない。どうやって5%に近づいていくか、そのために色々と学ぶことになります。その5%が学習者にとって、最初のきっかけになったり、中押しになったり、最後の一押しになったりと、計算通りになることもあれば、予期せぬような援助にだってなることもあるからです。

英語教育の5%だけで最大の援助が出来るかといえば、私にはどうもそうも思えない。(ここが、医療と異なるところでしょうか) その先生の持つ人柄や、ちょっとしたコミュニケーション、ちょっとした何かが、生徒にとって5%をα倍にする効果がある気がします。そして、このαが生徒にとって最後の勇気づけとなる部分、後になってみれば思い出になる部分になる気がします。そこを私は「居場所」というキーワードで書いてみました。(まだ完了していないんだけどね)

どうしてかって? うーん、うまく説明できないけど、なんとなくそう思うんです。

このαの部分がスムーズに出来る人ばかりなのでしょうか。少なくとも私はそれに迷っているし、畏れを持っているから心理学を学びはじめたし、ブログも書き始めたし、異業種の人たちと話すこともあります。ホント、いろんな異業種なのよ(笑) どーして、こんな職業の人たちと知り合うの?というような、いろんな職業の人との話は面白いんですよね。

またまたマンガからの引用になりますが、今度は「家栽の人」(8巻)より。

  • 調査官は、自分の人生を教科書にしてしごとをするんじゃないですか?
  • 私たちが少年に対してできることは、小さなことです。だけど小ささを恥じて、それをしまい込む人が多すぎるんです。

英語教育について学ぶのは、興味深いものです。ぼやーっとしている課題の解決法を提示してくれることもたくさんあります。たとえば、靜哲人先生の新著は、今の私の課題を解決してくれるヒント満載です。DVDまで購入してしまいました。(ただ、一部の英語ネイティブの発音で「?」というものもあったけど)
でも、これが前任校だったら受け止め方は全く違っていただろうな、とも思います。It isをイリィズと発音できない生徒もいました。(イリィズとは言えても、It isを読むと、イット イズになってしまうという意味ね) 昨年に読んでいたら、「なるほどー。でも、無理だね」で私は終えていたという妙な自信があります。

英語教育は受け入れ側の条件が整って、ストンと心に入ってくる傾向があるのでは? 受動態の導入方法で悩んでいるときに発音指導はストンと入らないだろうし、大学入試の長文読解で悩んでいるときに、be動詞もストンと入らないでしょう。

入らないときは、スルーしちゃいましょうよ、そういう話題は。なるほどなーと思えれば十分すぎるし、場合によってはその記事は飛ばしちゃってもいいかもしれない。そのくらいの心の余裕をもって、雑誌や本は読めばいいんじゃないだろうか。

あれも、これもやっていると、ついていけなくなったときに、辛くなってしまうでしょう。

あれも、これもやり続けられたら、ふと振り返ったときに孤独感を持つかもしれません。

だからこそ、5%の感覚を大切にしながら、英語教育と付き合っていけばいいのではないでしょうか。その5%を絶対視しすぎた結果、同人誌的なグループが出来上がったりさー、世の中の英語教育は俺が背負っているんだぜオーラギラギラの人たちの周囲にナメクジが発生したりさーお友達が集まったりさー、ともかく宗教的ともいえるような個人崇拝をしてしまうようなグループだってあるじゃないですかー。ホニャララ運動とか、ホニャララ会とかあるじゃないの。

それよりも、自分の気になる課題を解決できるような、緩やかな人的ネットワークを持てる方がよほど、健全だと私には思えます。

だからこそ、「べき」だとか、「はず」という語を多用しない方がいい。それは、教師を傷つけたり、長い目で見たときに、やる気を失わせたりする魔法の言葉。そんな魔法の帽子をかぶる人には気をつけた方がいいよ、ホント。英語教育で「はず」「べき」というのはあり得ない。人の倫ではないんだから。

あ、最後に攻撃的になってしまったけど、ともかく、肩の力を抜いて、自分のペースを大切にしたいものです。

2009/07/05

「はず」などないよ

 卒業生とbeer もう彼らも30ですか。私も年をとるはずです。ほぼ休みなく練習していたことや、インハイにいったことなど、話しが盛り上がりました。まさか、こうやって、この場所で飲むことなんて、あの時は考えもしなかったよな。時間の過ぎゆくのは早いですね。当時、56kg、83kgで出場していたのに、今では65kg、95kgに増えていて、こちらからも時間の過ぎゆく早さを感じられました(笑)。あの当時より、体重が減ったのは俺だけじゃないの。

 広く「(英語)教育」というジャンルで本を考えてみると、「理論」と「実践(録)」に分かれるのではないでしょうか。
 「理論」とは、考え方や方法論など、学問的な内容です。現場ではダイレクトに使用することが出来ず、取り入れるためには適応させる必要があります。たとえば、パターンプラクティスでも、どのタイミングで、どの部分で行うかは、教師の適応させる能力で行われます。理論を描く人は、あくまでも「理論」にこだわればいい。でも、「理論」がいかにも実践ですとんと落ちると思うから勘違いする。理論を活用しようとする人は、それが現場で使用できないという必要はない。それを使用できるようにするかどうかは、その先生の感性次第なのですから、自分の皮膚感覚と合わなければ通り過ぎればいいわけです。(昔は、俺もそんなことをいっていた気がするけど;笑)

 「実践(録)」とは、自分の授業の実践です。授業でこんなことをやって、生徒の学力はこのように上昇しました、という授業の記録が中心となります。この実践録は、高校にもなると、学校種・地域の特性などが大きな問題となるので、共通の言葉がなくなってくる。しかも、それに加えて、教師の個性もおおきな要素として、授業を変えてきます。だから、実践者は、その場の条件でできるだけ効果が現れるような実践を目指せばいい。たとえば、1時間目の授業と、3時間目、5時間目、それに月曜日、水曜日、金曜日とでは、クラスの雰囲気も変わるかもしれません(これも学校の特性が大きい要素だろうな)。身を沈めてはじめて分かることもあるわけです。

 mixiの英語教育のコミュを見ていると、熱い思いを持っていることがよく分かります。他教科の人数よりも、圧倒的に多い。それだけ、関心が強いという証拠だし、あと、外面・内面からのプレッシャーが強いということになるかもしれません。

 そんなアツイ、英語教育だから、ある語を使うと、摩擦熱が生じてくる。この摩擦熱は、周囲を焦がし、時には不毛な消耗を引き起こす。その語とは、「はず」です。「はず」とは、自分の考え方が正しいという前提で使われる語で、それが実践できるかどうかという畏れなしに、力で強引に持っていく語です。この語は、悪意がない時に、そして正論の元でいわれるときに、実践として望ましくない条件で使用されるときに、その場にいる人たちを傷つける言葉です。この時に生じる摩擦熱は、誰も幸せにしないし、やる気にもさせない。

 たとえば、教師が授業の始まる1分前に行けば、生徒は着席を完了するはずだ、という命題に対して、○×が分かれるのではないでしょうか。というのも、授業は教師と生徒という2つの要素で完成するのではなく、それ以外にも影響を与えていることが多くあるからです。たとえば、学校の雰囲気もそうだし、生徒間の関係もそうだし、生徒の学校外での人間関係もそうだし、家庭もそうだし、などなど、色々なことを考える必要があります。たとえば、急に知らない男の人が母親のパートナーとして同居人となったときの男子生徒は、不安定になるケースがあり、授業は上の空になったり、気持ちがすさんだりするケースがあります。こんな時に、教師・生徒の関係性だけで「はず」といわれても難しい。もちろん、課題を超える関係性の構築も必要でしょうが、その関係性を築ける人は「はず」という語など使いません。あ、使わないはずです(笑)。

 本多勝一氏の本に、「その場を知りたければ、いちばん過ごしにくい時期に行くといい」とありました。たとえば、北海道だったら夏ではなくて冬、ということです。
 これは、学校でも同じだと思うんですよね。もし、概論者が自分の理論なり、考え方なりの正しさを知りたければ、いちばん課題を抱えている学校で実践をしてみるといい。均一の生徒ばかり集まっている学校で行いうまくいったとしても、その実践を自分の理論が普遍的であるという証左にすれば思い上がりです。普遍化しようとする人が使いたがるこういうときに使われる語が「はず」です。自分には出来た、だからそっちでも出来るはずだ、と。

 実践者は、その場での実践を普遍化しないものです。普遍化する怖さを知っていますから。だからこそ、その実践の中から、学校種が違ったとしても、ヒントとなるものが感じられます。そのヒントをどれだけ引き出せるかという感性が、大切なんではないかな。そして、それができると、理論からもヒントを得ることが出来て、実践に役立てることができるんではないかな。これが、理論と実践の融合なんではないかなぁ、実践の立場からの。

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