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2009/06/24

居場所のある英語教育②

 気分はヘビメタ。つくづく、自分はあそこと関係を持たずに良かったと思う出来事あり。気の置けない友人には、お話しをしてみました。いつかメッキははげるだろう。
 水虫は、一カ所に固まり、周囲に対して組織防衛していくそうです。だから、皮をはいで、そこに薬を付けてやると効果的だとか。梅雨の時期だから水虫に困る人もたくさんいるかもしれませんね。まぁ、梅雨が長すぎるのかもしれないけど。

 さてさて、前回の続き。

 受験戦争の時も、ゆとり教育の時も、そして現在推し進められつつある教科書の難易度の上昇でも、生徒の居場所を大切にしようという論調は多くなかったように思います。あえて言うなら、ゆとり教育の時に似た流れがあったかもしれないけど、少なくとも英語教育の中でこれが出ていることは寡聞にして知りません。

 もちろん、学力をつける援助をすることが大切なことだから、いかにして学力がついたかという実践例が大切にされるのはいうまでもありません。でも、だから英語教師の間で共通の言葉がなくなっていきます。(英語以外の教科で、ここまでガツガツ、間違えた、熱心に指導する人が多い教科はあるのか知りませんけど)
 いわゆる進学校や英語に重点を置いている学校の先生と、普通の学校(あえて、「普通」と使います)の先生とでは、共通の感覚がなくなってきます。

 大学進学希望者が多い学校では、大学進学≒偏差値を上げること、を至上命題として考えるでしょう。数値目標があれば、なおさらです。国立大学100人とか、早慶上智に30人とか、数値目標を掲げれば、それに合格できるような学力をつけていこうとする。これはこれで、当然のことなのでしょうし、非難されることでもないのかもしれません。
 でも、だったら、この流れから脱落してしまった生徒はどうなるのか。
 学びの楽しさはどう伝わるのか。(もしかしたら、脱落してしまった生徒を見ての、恐怖感が学びの原動力になっていないか?) たとえ、志望大学に合格しても、その後、全く勉強しないんじゃ仕方ないですよね、いくら数値目標を達成したとしても。
 あと、予備校などに行っている生徒は、学校と予備校、どちらが自分の学びにとってプラスになっているか生徒にアンケートを採ってみると、どうなるのかなぁ。自分たちが生徒の学力上昇に大いに貢献していると思っているのに、予備校の方がプラスになっていると思っているようなら、ショックを受けてしまいますよねぇ。たとえ、実際にはそうではなくても、生徒の気持ちがそうなら、自分だったら立ち直れないかもcoldsweats01

 一方、普通の学校では、英語の授業が「こなす」ことだけが目的となっているケースがある。学習意欲は高くはないし、学力もないケースも少なくない。進路を考えても、ほとんどの短大や専門学校では誰でもウエルカムしてくれるし、多くの人が想像しているより多くの大学では推薦入試は全入時代。たとえ推薦入試の規定に達しなくても、AOという制度で「復活」できる大学だって、少なくない。
 でも、だったら、学校で英語を教える意義ってなんなんだろうか。

 表面的には共通点のない両者ですが、共通して考えられるのが、「居場所」という概念ではないでしょうか。でも、「英語教育」が机上の論理として語られるときには仕方がないとしても、実践として語られるときに、この居場所が話題に乗らないのはどうしてなんだろうか。双方に共通しているのに、その共通点が思考に入らず、学校や生徒独自の特性に焦点があてられるというのは、表面的な実践報告を超えない。そうなると、学問にはなり得ないと俺は思うんだけど、いかがなもんだろうか。

 極端な話しかもしれないけど、その場が自分の居場所だと考えるのなら、その場所のために自分の力を発揮するだろうし、ルールも守るでしょう。その居場所の保証をどのようにするか、その概念を持たない限り、どんな教科指導だって、どんな教科教育だって、私には大した意味のあるものとは思えません。
 「出来ない生徒はあまり意識しないで」という人もいるけど、だったら、「出来る生徒」と「出来ない生徒」の線引きって何だろうか? 授業を進めていくウチに、「出来る生徒」の条件が高まっていき、最終的にはほとんどいなくなった、では仕方ないでしょう。だから、「出来る生徒(出来ない生徒)に合わせる」という考えは、危うい可能性がある。だから、よくいわれる2:6:2の考えが必要なんだよなぁ、と俺は思う。

 何度もいうように、居場所が確保できているかどうかは、アンケートでは分かりません。というのも、アンケートは美しい幻想を与えてくれます。大人が、楽しくもないのにニコニコとすることがあるように、生徒は面白くもないのに楽しいといってくれるし、充実していたと思ってもいなくても、有意義だったと答えてくれます。その幻想を見て、「自分は成功していた」と思うと、勘違いヤローになる可能性があります。無記名だってそうですよ。

 生徒のポジティブなニーズを感じ取れるだけでなく、そのニーズが透き通った意味で、生徒のためになると(その延長線上に社会のためになること)判断した方向に、居場所があるのだろうな。

 起業した友人(独身)が、カネにまとわる名言をいっていました。でも、ちょっとお下品なので、こちらでは書きません。あちらで、いつものような本音トークでもしちゃいます! 興味のある人は、あっちを見てねー。

 羽生名人、お見事。名人戦、2勝3敗からの逆転です。郷田9段も、あと一歩でした。最後のつめを誤った第3局が悔やまれるだろうな。

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コメント

生徒 (学習者) の居場所と同様に、教師 (教授者) の居場所も求められているのだと感じる今日この頃です。

☆tmrowingさん
 教師の居場所がなくなるとキツイですよね。夏休みに、またお会いしたいものです。

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