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2009/06/29

I am under obligation to you!

 文化祭の代休。家族を送り出してから、久しぶりの晴れなので、自転車でサイクリングロードを走る。いいねー、やっぱり。

 レコーディング終了。8月下旬に発売される『フレーズで覚える英単語(1400?)』のレコーディングのために、人形町まで。久しぶりに会った友人のJ氏と親子丼を食べてから、スタジオに。
 録音自体は、とにかく順調。3時間の予定時間が、2時間で終了し、ホッとしました。英語のナレーターをお願いしたVさん、日本語のナレーターのMさん。両方ともすてきな発音と声です。場合によっては突っ込むことを考えてたJ氏が、「Vさんの発音はパーフェクト」というほど。Mさんもプロ意識が高く、「どこがまずいの??」と思うような箇所でも自分が納得してなければ、「もう一度、お願いします」とリテイク。
 今度のCDは、英語→日本語と、英語のみのバージョンという2種類の音声が入ります。聞いているだけで、なんとなく頭に入ってくる英語→日本語バージョン、集中してしっかりと聞きたい英語バージョン。1枚のCDで2通りがあるのは、なかなかよさげでは。って、相変わらずの自画自賛だけどねー(笑)

 録音を終えてから、細かい打ち合わせを編集者のKさんとドトールで行い、5時頃解散。徐々に細かい部分の打ち合わせになってきていて、初稿前のせわしい時期に突入。せっかくの人形町なので人形焼きを買ったのですが、残念ながら電車の中に忘れてしまいました。残念down 15個入りはいずこに?

 帰りに、書店に行くために途中駅で降りたら、卒業生のK君と会う。2時間もかけて大学に行っていることのたいへんさを聞きましたが、自分の好きな勉強をしているという充実感を聞いて、なにやらうれしい気分になりました。

 編集者のKさんから、G社の新刊の話を伺う。「短文で覚える英単語」と似たようなタイトルを出したと思ったら、今度は「これでわかる基礎英語」のコンセプトに似た類書を出したとのこと。なんかうれしいですねー。似ていないのは、売れ行きだとか(あ、もちろん、売れているのはG社の方です;苦笑)

 そうそう、昨日はとある私立高校の校長さんと話すことに。職員を信用していないトップでは、そのもとで働く先生方の志気が上がるはずもないだろうに、という感想です。信用していなければ管理を強め、管理が強まれば、職員は自分の仕事以外はしなくなるし、仕事に魂が入らなくなる。これは、どこの世界でも同じだろう。人間が変わるのは管理をされたときではなく、他者の具体的な成果、しかも自分のためではなく、他者のための成果を見たときではないだろうか。(死に直面したときもそうでしょうけど) 
 日本文化は、義理人情を重んじるのだから、信頼関係こそ大切なのになぁ。

 昨日の続きは、また次回にでも。今日も、全く英語教育とは関係のない話でした。

2009/06/28

居場所のある英語教育③

文化祭も終了。今年は入場門を作る団体がなく、もう1人の担当の先生と、文化委員の生徒数人で制作。ビニールハウスの骨組みを使って、そこに風船でデコレーションをしただけだったのですが、ビニールハウスの骨組みに四苦八苦しましたsweat01 やっぱり、プロはすごいよねぇ。あまりの素人ぶりにか、学校前の土木事務所の方がヘルプをして下さったのですが、やはりプロはすごい。。。感謝感謝です。あと、風船は直射日光にここまで弱いとは、知りませんでした。天気がいいと、すぐに破裂するんですね。

内田ブログを読んでいたら、むのたけじ著「日本の教師に訴える」を思い出しました。(サイン本だったのですが、バイト先(学生の時ね)の知人に貸したまま戻ってこなくて残念) 思い出したところは、次の場所。

  • 「教育現場から市場経済の思考と語法を一掃せよ」と書いたせいで、あちこちの学校から「その話をしてください」と言われる。話をすると、どなたも「深く共感」してくださる。深く共感してくださるということは、私と「ほとんど同じ意見」だということである。同じ意見をお持ちなら、私を招くには及ばない。それでも私が講演に招かれるのは、その「同じ意見」を「公言すること」に対して、現場ではいまだに強い禁忌が働いているということである。(2009/6/27)

むの氏も、「あの話しをしてくれ」と教員の集まりで、話されることが多かったとか。教師も、勇気づけられたいという気持ちが大きいんだよね、私もそうですけど。自分の行っていることが本当にそれでいいのか、という自問自答。そして、もう少しやりようがあったのではないかという後悔。もう少し、やりようがあるのではないかという不安感。全てをひと言でまとめるなら、「畏れ」。この「畏れ」のない人とは、私は話しをしたくないなぁ。

私たちを勇気づけてくれるのは、やはり生徒の反応です。たとえ最初は授業を聞く気がなかったり、ボーっとしていたりしても、だんだんとこちらの授業に参加してくれる。これが、私たちにとって最高の勇気づけです。参加してくれるということは、授業というその時間に、生徒が居場所を見つけられたということですから。

強制的な研修で、わけの分からない話を聞くことを想像して下さい。50分間、ずーっとそこにいるのは、辛いことですよねぇ。本を読もうとしたって、集中なんか出来ない。しかも、最後にテストでもあろうものなら、ある程度は聞いていなきゃいけない。

手を変え品を変え、バリエーションを取り入れたって、あまり楽しくはない。中学生がやるようなペアワークを高校教員の研修で取り入れたって、盛り上がりには欠けるだろうし。(この逆も十分にあるよね) ちなみに、大人の研修でこういうアクティビティを積極的に取り入れようと思ったら、その講師の人間的総合力がないと無理でしょうね。特に、強制研修のように積極的な受講生が少ない場合には。

さてさて、生徒にとっての授業も、同じことだと思いませんか。もちろん、最初から積極的に授業を受けてくれる生徒もいるかもしれませんが、全体で見たときには圧倒的に少数です。4月のはじめての授業で、その教科に対する意欲がマイナス発進の生徒だって少なくありません(とくに英語と数学)。授業だけ切り離してその生徒の人格があるわけではないのだから、学校の内外の人間関係や家庭関係で、学習どころではないケースだっていくらでもあります。

そんな状況で、「自分もこの授業に参加することができ、この授業は面白い」と2つの要素をもてれば、授業が居場所になります。ここでいう面白いというのは、知的に深みがあるとか、自分が成長できるとか、集中できるとか、そのような意味で面白いということです。

参加できるということは、自分にとって適切なアクティビティ(タスク)が授業の中にあるということ。もちろん、自分の力よりも高かったり、低かったりする課題もあるけど、適切なものもあるということ。

だから、最初に本文のリスニングをさせて、"What is this passage about?"とか"What is the topic of this passage?"という設問を三択でしています。得意な生徒は1回目で答えられ、苦手な生徒でも2回目には分かるように、1つは明後日の方向、もう1つはかすり気味の選択肢を用意します。

その後、本文のQ&A。これは3題。1問目はYes/No質問。得意な生徒は、Yes(No), he does(doesn't).のように答え、不得意な生徒はYes/Noだけで答えられるようにします。2,3問目は、2問目が短い答え、3問目はディクテーション的な要素が入ったちょっと難しめの答えを入れます。ちなみに、2問目は新出語句を答えになるようにすると、これも大きなヒントとなります。
そして、次のページに行くと、1~3問目が四択になっていて、これがセーフティネットになります。ちなみに、リスニングクイズのみで、5回のリスニング。「何となく理解」で答えられるリスニングは、かなりの生徒が参加できます。(8割の生徒が参加しようとすると、残りの2割も参加せざるを得ないような雰囲気になるんですよね)

そして、本文はグループ学習で解釈させます(ヒント付き)。早めに終わったグループのために、辞書で用例を引かせたり、英作文をさせたりという課題を与えておけば、進行もある程度調整が可能です。

そして、音読。自分が取り組んだ英文であれば、生徒は音読をします。その後の重ね読みも、最初からが難しければ、頭の中→小さい声→大きな声、という3つのステップの組み合わせで、生徒はトライしようとします。そして、時間が余れば、Flip&Write。

この取り組みは、前任校でも現任校でも変わりません。多少、対照的な学校ですけど、どちらでも可能でした。
これは、自分の個性にあったスタイルなので、他の先生はご自分の個性にあったスタイルで行うのが絶対にいいと思っています。自分が絶対だとなんて思ってません。英語で英語を理解していくというスタイルの先生はそうすればいいだけで、それを絶対視して、押しつけるのは勘弁してもらいたい。自分の方法を絶対視すると、批判を受け入れられなくなり、それに賛同する人たちは、同人化(宗教化)していくんだけどなぁ。

まぁ、でも俺の授業は英語のみでやってはいないので、2013年以降は「ダメな授業」の典型になりそうだけどなー。あ、英語を英語で理解するなんていうことも、全く考えていません。さらに、「ダメな授業」度が高くなりそうだけどねー。
「授業を英語で行わないと、告発されたらどうします?(笑)」と某大新聞の記者から冗談半分で尋ねられましたが、どうなっちゃうんでしょ(笑)。むのたけじ氏や内田樹氏に「勇気の出る話し」をしてもらうしかないのかなぁ。

でもね、ダメな授業かもしれないけど、居場所のある授業にはなっている、、、と多少は思っています。ちょっと控えめだけどねー。

学力は、結果的について来るというのが、学校教育での本来のあり方ではないかなぁと控えめに主張したいものだね。居場所を感じられる場所なら、誰しも力を発揮しようとするのだから。

2009/06/24

居場所のある英語教育②

 気分はヘビメタ。つくづく、自分はあそこと関係を持たずに良かったと思う出来事あり。気の置けない友人には、お話しをしてみました。いつかメッキははげるだろう。
 水虫は、一カ所に固まり、周囲に対して組織防衛していくそうです。だから、皮をはいで、そこに薬を付けてやると効果的だとか。梅雨の時期だから水虫に困る人もたくさんいるかもしれませんね。まぁ、梅雨が長すぎるのかもしれないけど。

 さてさて、前回の続き。

 受験戦争の時も、ゆとり教育の時も、そして現在推し進められつつある教科書の難易度の上昇でも、生徒の居場所を大切にしようという論調は多くなかったように思います。あえて言うなら、ゆとり教育の時に似た流れがあったかもしれないけど、少なくとも英語教育の中でこれが出ていることは寡聞にして知りません。

 もちろん、学力をつける援助をすることが大切なことだから、いかにして学力がついたかという実践例が大切にされるのはいうまでもありません。でも、だから英語教師の間で共通の言葉がなくなっていきます。(英語以外の教科で、ここまでガツガツ、間違えた、熱心に指導する人が多い教科はあるのか知りませんけど)
 いわゆる進学校や英語に重点を置いている学校の先生と、普通の学校(あえて、「普通」と使います)の先生とでは、共通の感覚がなくなってきます。

 大学進学希望者が多い学校では、大学進学≒偏差値を上げること、を至上命題として考えるでしょう。数値目標があれば、なおさらです。国立大学100人とか、早慶上智に30人とか、数値目標を掲げれば、それに合格できるような学力をつけていこうとする。これはこれで、当然のことなのでしょうし、非難されることでもないのかもしれません。
 でも、だったら、この流れから脱落してしまった生徒はどうなるのか。
 学びの楽しさはどう伝わるのか。(もしかしたら、脱落してしまった生徒を見ての、恐怖感が学びの原動力になっていないか?) たとえ、志望大学に合格しても、その後、全く勉強しないんじゃ仕方ないですよね、いくら数値目標を達成したとしても。
 あと、予備校などに行っている生徒は、学校と予備校、どちらが自分の学びにとってプラスになっているか生徒にアンケートを採ってみると、どうなるのかなぁ。自分たちが生徒の学力上昇に大いに貢献していると思っているのに、予備校の方がプラスになっていると思っているようなら、ショックを受けてしまいますよねぇ。たとえ、実際にはそうではなくても、生徒の気持ちがそうなら、自分だったら立ち直れないかもcoldsweats01

 一方、普通の学校では、英語の授業が「こなす」ことだけが目的となっているケースがある。学習意欲は高くはないし、学力もないケースも少なくない。進路を考えても、ほとんどの短大や専門学校では誰でもウエルカムしてくれるし、多くの人が想像しているより多くの大学では推薦入試は全入時代。たとえ推薦入試の規定に達しなくても、AOという制度で「復活」できる大学だって、少なくない。
 でも、だったら、学校で英語を教える意義ってなんなんだろうか。

 表面的には共通点のない両者ですが、共通して考えられるのが、「居場所」という概念ではないでしょうか。でも、「英語教育」が机上の論理として語られるときには仕方がないとしても、実践として語られるときに、この居場所が話題に乗らないのはどうしてなんだろうか。双方に共通しているのに、その共通点が思考に入らず、学校や生徒独自の特性に焦点があてられるというのは、表面的な実践報告を超えない。そうなると、学問にはなり得ないと俺は思うんだけど、いかがなもんだろうか。

 極端な話しかもしれないけど、その場が自分の居場所だと考えるのなら、その場所のために自分の力を発揮するだろうし、ルールも守るでしょう。その居場所の保証をどのようにするか、その概念を持たない限り、どんな教科指導だって、どんな教科教育だって、私には大した意味のあるものとは思えません。
 「出来ない生徒はあまり意識しないで」という人もいるけど、だったら、「出来る生徒」と「出来ない生徒」の線引きって何だろうか? 授業を進めていくウチに、「出来る生徒」の条件が高まっていき、最終的にはほとんどいなくなった、では仕方ないでしょう。だから、「出来る生徒(出来ない生徒)に合わせる」という考えは、危うい可能性がある。だから、よくいわれる2:6:2の考えが必要なんだよなぁ、と俺は思う。

 何度もいうように、居場所が確保できているかどうかは、アンケートでは分かりません。というのも、アンケートは美しい幻想を与えてくれます。大人が、楽しくもないのにニコニコとすることがあるように、生徒は面白くもないのに楽しいといってくれるし、充実していたと思ってもいなくても、有意義だったと答えてくれます。その幻想を見て、「自分は成功していた」と思うと、勘違いヤローになる可能性があります。無記名だってそうですよ。

 生徒のポジティブなニーズを感じ取れるだけでなく、そのニーズが透き通った意味で、生徒のためになると(その延長線上に社会のためになること)判断した方向に、居場所があるのだろうな。

 起業した友人(独身)が、カネにまとわる名言をいっていました。でも、ちょっとお下品なので、こちらでは書きません。あちらで、いつものような本音トークでもしちゃいます! 興味のある人は、あっちを見てねー。

 羽生名人、お見事。名人戦、2勝3敗からの逆転です。郷田9段も、あと一歩でした。最後のつめを誤った第3局が悔やまれるだろうな。

2009/06/20

What morals do you draw?

居場所について書こうかなと思っていましたけど、一回お休み。

とある出版社の営業の方がお見えになるのが最後だとか。あの出版社の流れを考えると、突然の解雇かと疑いたくなりますね。そもそも、教科書を作っている会社が外資になるというのはいかがなものでしょうか。日本的な文化であれば、どんな業種でも、営業は客を持っているもの。会社と客がつながっているのは、最初から客であるけど、営業努力で捕まえた客はその営業者が持っている。転勤ならまだしも、もし解雇だったら、それも切れちゃうんじゃないかな? それに、「高校の英語参考書といえばあれ!」というほど爆発的なヒットを続けている参考書を持っている、あの会社が100%外資であるということを、どれほど知られているのかな。

LECリーガルマインド大学が学生の募集をやめるとのこと。このニュースを聞いたとき、内田ブログには何が書かれるかと楽しみにしていたのですけど、うんうんとうなずきながら読んでいました。

それはともかく、経済学者の中谷巌さんの週刊文春(2009年5月28日)での対談が興味深い。(ちょっと古いけど) 気になったところを抜粋します。

(ロジックの積み上げで発展する学問などに対して)

  • (阿川)そこに人の気持ちは入らない?
  • (中谷)入らない。日本のような歴史の長い複雑な国とは全然違う。

(イギリスでの勝者総取りのゲームが日本で受け入れられなかったことについて)

  • (中谷)結局、そのトップのこの賞品を減らして、残りをみんなに配ったと。それの何がいいかというと、子どもたちが「ああ、私もこのグループの一員なんだ」と安心して、次もみんなで仲良く頑張るという考え方になる。

(会社のリストラの話題で)

  • (中谷)無理矢理、仲間から切り離された人が精神的に自立できないんですよ。だから、今、人心が荒廃しているって感じません? そんな社会に誰がした。
  • (中谷)日本人に切り捨ての思想は危ないんです。それでもやっていける階級社会と、全然合わない日本の社会が、同じ論理で政策やっちゃいけないんですよね。

日本には日本文化があるわけですから、そこに根ざした方策でなければならないということを、対談で中谷氏は伝えていました。でも、新自由主義に多くの人が陶酔したきっかけについて、次のように書いています。

  • 癒着とか談合とか、しがらみの塊みたいな日本を徹底的に構造改革して、もっと競争原理を導入しないとダメだ、と思っていた人がたくさんいた。

なるほど。右がダメなら左、左がダメなら上、上がダメなら下、と振り子がぶれていくのは、どっかの世界だけじゃないのね。誰々さんのナントカだなんていうしがらみをなくしていこうというのではなくて、システムを改善していこうとするのではなく、結局は新しいものにうつってそれで失敗したということなのかな、中谷氏のいいたいことは。

新自由主義は、成果が出なければ、「改革が足りない」「もっと改革を」という方向に進み、人々が疲弊していくといわれています。これ、言い方を変えれば、先鋭化していくことと近くないでしょうか。

ここに素晴らしい理念や方法論がある。それについてこられない人は、改革が足りない、努力が足りない。その延長線上にあるのは、能力がないからダメだ、ということにつながるんじゃないのかなぁ。あ、もちろん、実行する人にとっても、その対象者にとってもです。

でも、色々な人がいるわけで、それが出来る人もいれば、出来ない人もいるし、受け入れられる人もいれば、受け入れられない(受け入れたいと思わない)人もいます。色々な人が世の中にいて、その人たちを排除して、自分たちのユートピアを作ろうとしたって、空中で育つ花を求めるようなもの。

もちろんね、どんな方策でも100%の人が不幸になったかと、100%の人にとってマイナスになったとか、そんなことはありません。全体で考えたときに、プラスかどうかですよね。でも時には、推し進める人たちは、成功した例のみ提示することが多い。「これで、こんなに幸福になった人がいるんだ」って。

まぁ、私は経済のことはほとんど分からないので、ここらへんでやめます。

はい? 今日のブログの話題ですか? やだなぁ、もちろん、経済のことですよ、経済。教育のコトじゃありませんってsign03

2009/06/15

居場所のある英語教育①

 先週はなぜだか卒業生ウイーク。偶然だなぁ、ホントに。偶然といえば、千葉に行くと、市長選挙の応援演説に、有名人が来ているではありませんか。ミーハー気分で聞きながら、「相手に理解してもらう」話し方について考えていました。抽象論はどうでもいい。具体論が相手の心に届くかどうか。届かなければ、相手を説得する話しにはならないものですね。考えてみると、お偉い方々のお話しも抽象論が多いと思うのは、仕方がないと言い切っていいものか。

 週末には、中学高校時代の友人のK君家族。豚インフルエンザ(どうして新型と言い換えたのかな?)の対応の話を聞いて、納得。「マスクなんて意味ないよ」というドクターである彼のお話しにこちらも納得。マスクよりも、手洗いとうがいだよね。

 やれ、学力を上げろ、やれ、授業時数を増やせ、やれ、手厚いケアなどを心がけろと、スローガンが増えてきて、どのくらい経つだろうか。小学校でも、遠足に行く前に授業をしたり、授業参観の後、午後まで授業をしたりなど、かわいそうなくらいの授業の多さ。何度もいうけれど、「スクールウオーズ」や「ビーバップハイスクール」の時代は、土曜日も授業があったし、単位数も多かったし、1単位でも落とすと卒業できなかったし、競争も激しかった。学力が高い生徒もいた反面、中学校では便器が壊されるなど器物破損も多かったし、少年の犯罪も多かった。受験で失敗した少年が自殺をしたり、社会を震撼させるような事件だってありましたよね。不登校もあったり、非行だって少なくなかった。

 そこで、ゆとり教育が始まる。詰め込みはやめよう、1人1人を大切にして、考えさせる時間を増やそうと方針が変わった。総合的学習の時間を通じて、じっくりと考える時間を大切にしようなんて時代もあった、と過去形を使っていいのかな?

 子どもが減っていくというのに、短大を大学にしたり、学部を新規に作ったり、大学を新しく作ったりしてきた。その結果、18歳人口の約半分にあたる、60万人ほどの定員になってしまいました。1人1人のニーズに合わせた、とか、、、多様性あふれる大学、とか、、、いろんな理由があるよね。その結果というか、成果というか、歯学部や薬学部の定員さえ割れてきている。

 「教育改革」を訴えてきた人は、純粋に「改革」を信じてきたと思いたい。(これを訴える人は、どーも私は苦手です。ガツガツしているというか、時にはホニャララ教のように、「自分は正しい」というオーラガッツリ。あ、間違えた、「自分とその仲間は正しい」だった;笑)

 なんでことごとく、教育改革は次から次へと出てきているのかなぁ。実践に移されて、歪みが出ると全否定で方向転換。ちょっとやっては方向転換。時には、実践者の教師が批判されることもある。「おまえたちの力がないのだ」と。
 その延長線上に、教員免許状の更新制度が出てきたのか。

 改革をしたい人、現状を維持したい人、共通して「子どものため」ということが多い。

 これは、具体例はいくらでも出てくる。極端な話し、40人の生徒のうち、1人だけが納得して、39人が傷ついたとしても、1人を具体例として「提示」することが出来る。ごく一部の学校の事例、もしかしたら「恵まれた学校」の中の、選抜クラスの例だけを取り上げて、「ここの生徒にこんな実践をしたら、力がつきましたよ」なんて発表できちゃうかもしれない。たとえそれが、100校で1校しか実践の出来ないことであっても、、ね。

 たぶんね、改革や実践は、生徒に「居場所」が持てるような心遣いの出来る先生方にしかできない。居場所があれば、生徒はたとえ時間がかかっても、自然に花開いていく。ナントカとかカントカという手法がなくても、生徒をのばしている先生を、私はたくさん見てきました。生徒の居場所を考えなかったり、考える割合が低い人は、生徒を伸ばせはしない、と断言できる。(学力が伸びたって、自分で勉強していたり、予備校や塾のおかげかもしれないしねー)

 ただ、面倒なのが、「生徒の居場所を作ろうとした」ということを知るのは、生徒と教師しかいないということ。文字にしたり、発表したりすれば、それは真実を伝えないんですよね。信頼している担任を見るときの生徒の顔は、数字では計れないし、文字にだって出来ない。(これは、逆もまた真なり)
 居場所ができた生徒は、担任を尊敬するし、そういう先生は、自分を尊敬してくれる生徒のために、「誇り高く生きよう」(copyright『夢助』より)となる。
 誤解なきよういえば、居場所作りとは、生徒にとって自分がその場にいることを否定されず、その集団の1人として認識されていることです。(かゆいところにまで手が届くようなきめ細かさとは、イコールではつながりません。)その居場所があって始めて、教室内での営みは生きてくるし、生徒は教師の言葉が心の中に入っていく。
 居場所という概念が希薄だったり、自分の実践を過大評価している人は、「自分は上手にやっている」と考える傾向があると感じるのは、私のひがみかcoldsweats01 コトー先生じゃないけど、いつも怖いもんだよね、私は。

 なんだか、前置きが長くなりすぎたけど、居場所作りという概念が、英語教育の中にはあるのかなぁとふと思った。これがなければ、授業を英語で実践しようが、フォーカスオンフォームスだろーが、音読だろーが、パラフレーズだろうが、私にはあまり魅力的には感じません。たとえ学力はついたとしても、人間的な成長の援助を授業で行えていないかもしれないよねぇ。

 でもさ、居場所作りと英語教育が組み合わさると、すごい実践になるんですよね。(でも、居場所作りは伝わらないんだけど) 英語教育だけで論じても、空に咲く花を求めるようなものかもしれません。あ、でも、教師の人間関係のしがらみと英語教育が組み合わさるよりは、よっぽどいいけどねー。

(改題)

2009/06/14

A bad workman always blames his tools.

 自転車のパワーアップ。サドルを変えて、メーターをつけて、空気入れの購入。サドルを変えただけで、ずいぶんと楽になるものです。

 メーターを選ぶときに、Tサイクルのオーナーさんから、自転車に乗るときの様子を聞かれ、注意を受けました。

  • ギアを重くしすぎです。から回しに近い状態をキープして下さいね。

スピードを意識するあまり、ギアを重くする傾向が私にはあるらしく、それでは膝を痛めてしまいますという注意です。「プロのアドバイスをしっかりと聞くこと」と日頃、この口から言っているのに、逆の立場では実行してい自分に戒め。これじゃ、いけませんね。
 空気入れは、舶来モノ。レーサータイプの自転車は、空気圧を8程度にします。(自動車の4倍) そんなタイヤに入れられる空気入れを購入しました。

  • これは、商品ではなく、製品だと思って下さい。消耗品ではありません。一生ものになりますよ。

商品ではなく、製品ですか。。。ギアの件といい、プロの仕事とはこういうことなんだな。自転車の前輪の付け方、ブレーキングの仕方など、自転車を売るだけでなく、こちらの自転車ライフが楽しくなるような一手間をくれます。
 このオーナーさんのように、本物の人はどうしてガツガツしていないんだろうか。無色透明なんですよね。ガツガツしている人は、時には相手の無知につけ込み、自分のガツガツのペースに乗せようとしてくる。もちろん、そのガツガツのベースにあるものは全体を考えてではなく、自分たちの利益を考えてでの場合が多いんだけどね。(自分では気がついていないときが、悲劇なんだよなぁ) Tサイクルではなく、近くのナントカサイクルは、ガツガツ系だなぁ。

 顧客のニーズを考えて、その上で相手のリクエストを最大限に取り入れていく。これが、ホントの職人なんだよね。

2009/06/12

Why don't you declare an interest in THAT?

 ちょっとした願掛けも含め、ブログの更新が遅れるかも。日常については、あちらで書いてありますので、アチラをご覧下さい。

 writingはなんちゃってdictoglossからスタート。数十語のパッセージやダイアローグを使用して、相も変わらぬグループワーク。教科書で確認すれば難しいとはいえない英文なのに、それが書き取れなかったり、同じような発音(going, runningのようなingなど)が聞き取れないのは、どうしてかと話しをして、発音のお話。Englishの発音記号を調べさせて、「東京ガス/ガソリンスタンド/山形ガス」の発音。やっぱり、「山形ガス」を「ヤマガタゥガス」としてしまう生徒が多いね。
 次回はdictoglossの完成度を高めるように、作業の終了後に日本語を渡し、それで完成させます。それから、相も変わらず音読→対面リピート→キーセンテンスのFlip & Write。このパターンは、定まってきたかな。

 リーディングは、読みのスピードが速くなってきた。それは、作業時間の短縮でよく分かります。あとは、重ね読みもきれいにまとまってきた。ただ、クラスの取り組みの態度で短期間で、ここまで差がつくのかなぁという驚きもあります。いちばん乗ってくるのは、今まで何となく分かっていた程度(もしくは、何となく分からなかった生徒)が、「記号付けでクリアーに分かった」という気持ちを持った生徒ですね。逆に乗ってこないのは、自分のやり方に自信を持っていたり、予備校や塾の信者サマ。長文を読む力も高くないのに、イディオムにそんなに力を入れても仕方ないことに気づけなければ、仕方ないだろうな。まずは、音読や筆写(Flip&Writeも含む)の必要性について、もう一度話したけど、分かってくれるか、くれないか。こういう時に、1年次から担当してきたかどうかの差が出るかな。
 とはいえ、こちらを信用して、授業についてきてくれる生徒の力を伸ばすことを第一に考えていかないといけないな。

 夜のファミレスで、突然、卒業生に話しかけられました。いやぁ、驚いた。7年ぶり。覚えていてくれてうれしいだけでなく、しっかりとした礼儀も身につけていて、「高校の時は、迷惑かけちゃってすみませんでしたsweat01」といわれ、あんなことや、こんなことが思い出される(笑)。the system(copyright村上春樹)を守ろうとするために内側にこもれば、そのシステムは劣化するだけだし、しぼんでいく。そんなことも、思い出した。どーしてだろうね。

2009/06/03

Poke your nose into your own business!

 前任校のバスケ部が県大会をかけて現任校で決勝戦。第1クオーターの残り1秒というところで、本当に下らないファール。そして、フリースロー→得点という最悪の第1クオーター。でも、第2~4で盛り返し、なんとか県大会への最後の切符を手に入れて、おめでとうございます。応援に来ていた卒業生が試合の後に、職員室に遊びに来てくれて、ミニ同窓会。人間の一生は、ずっと課題の連続なのだなぁ。

 古本屋で、娘と買い物に行ったところ、「家栽の人」が全巻あるではありませんか! 以前、全巻持っていたのですが、初任校に置き忘れたままなので、思い切って「大人買い」。このマンガの裏話を、実際の家庭裁判所の調査官の方に伺ったことを思い出しながら、読み直しています。少年のために何かをしようと思うのは、相手が求めてきたときにすればいい。そうでないときには、寄り添うだけでいい。ああしたい、こうしたいというのは、熱心であるかもしれないけど、知らず知らずのうちに、「木」の形を自分の思い通りにしたいという気持ちをもつ危険性も出てしまいます。そう、基本は寄り添うだけでいいんだよね。

 授業も同じかもしれない。「得意な生徒にあわせる」、「苦手な生徒にあわせる」、「中間にあわせる」ということを意識することは大切かもしれないけど、全てにとって役に立つ授業でもいいのではないかなぁと私は思います。得意な生徒が苦手な生徒を教えることで、得意な生徒は知識が整理され、苦手な生徒は分かるようになっていく。中間層がお互いに話すことで、新しい発見ができていく。
 リスニングでも、得意な生徒は英文を見ないで聞いたり、心で重ね読み、時にはシャドウイングして、苦手な生徒はテキストを見ながら追いついていけばいい。もちろん、あまりにも大きな差があるときには無理かもしれないけど、だいたいの場合には可能なのではないだろうか。

 当然なことなのだけど、当然のことを忘れたとき、自分の価値観を他者に押しつけたときに、間違いは始まることが多いものです。賛同してくれる人が、自分の心だけでもいいじゃないの。

  夕方に、F先生から電話があり。先日、ダウンロードコーナーのファイルを送ったのですが、そのお礼の電話です。いろいろと話しをしながら、明日からの授業の進め方も自分の中でようやくまとまりました。泥臭い授業だね、たぶん、私のスタイルは。自分のスタイルをベースとすればいいという当然のことを忘れていたときに、私の間違いも始まっていたのだろうか?
 自分自身が前任校で持っていた授業内の目標はあったけど、到達できないケースが多くありました、というより、ほとんど到達できませんでした。その目標、自分のイメージするものが正しいのであれば、そのイメージへと向かっていけばいいだけの話し。山を越えたら新しい山が見えるけど、まずは目の前の山越えをしない限り、新しい山の登り方を考えても仕方ないよね。

 ダウンロードコーナーにある「フレーズで覚える英単語」の編集作業も開始したと編集のKさんから連絡あり。ラフが送られてきたので、我が家の知恵袋と相談をして、そのリクエストを伝えました。知恵袋さんの感覚は、だいたい当たるんだよね。F先生から、「"tongue"以外は重複しないとは、すごいね」というお褒めの言葉。でしょー、ホント、重複していないって、すごいでしょ!と自画自賛(笑)

 名人戦第5局、羽生名人が敗れる。どーしちゃったの?という内容で、素人目には完封負け。何だかなぁ。

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