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2009/03/31

ストレス? それとも邪気?

 同業の学校の先生方とお話しするのも好きですが、異業種の方とのお話はなかなかおもしろいもの。いちばんいいのは、しがらみがないことでしょうか。
 先日、あまりにも腰が痛く(どうも、自転車のサドルが悪いらしい)、鍼灸に。そこで、「邪気」と「ストレス」との違いは何だろうかという問いかけをすると、鍼灸師いわく。。。

  • 適度なストレスは成長を促すが、邪気はわずかでも悪影響がある。

ウーム。なるほど。ヨガでは空気すらストレスと考えるということで、そのストレスをはね除けて植物は上に伸びていく。邪気は、利己的な欲(支配欲もそうだろうなぁ)が他者に対して与えるパワーだろうか。
 適度なストレスは、成長を促すが、適度でないストレスや、その場にふさわしくないストレスは成長を阻害させる。その一方、「優しさ」を与えすぎても、マイナスが増えてくる。植物に水をかけすぎれば根が腐るのと一緒か。

 本日は、現在の勤務校への勤務最終日。9年間という勤務年月は長くもあり、短くもありました。あまり詳しくは書けないし、書きたくないものの、この9年間を考えてみると、極寒→春→夏という時期に分けられ、最後の3年間を夏で終わらせることのできた私は幸せ者です。その夏という時期を与えてくれた同僚、特に学年主任のS先生には心から感謝。彼のおかげで、私は自転車という楽しみを見つけられたし、新しいbikeも買うことにしましたnote 新任校には、週2回は自転車で通いたいなぁ。(あくまでも、目標ですが・・・) 

 初任校は、年齢構成も若かったこともあり、教員の世界が活気あふれていました。なにせ、初めて受け持った学年の担任団は、7人中4人が20代、残り3人が30代という今では考えられない集団だったほどです。(1日、何時間、学校にいたろうか?) あの時の同僚は、「同僚」というよりも、「仲間」という呼び名がぴったりだったなぁ。今でも仲良くしているのは、あの時のスタッフですね。

 (中略;ピーの連続になりました(笑)) 

 この14年間の中で、本ではなく、経験と想像力から、生徒指導を学びました。生徒指導のことは、英語の授業に比べると、守秘義務の度合いが非常に高いので、ほとんど書けなかったのだけど、こちらを鍛えてくれました。
 生徒指導とは、髪の毛が茶色いのを注意するとか、スカートが短いのを注意するなんていう表面的なことだけではなく、家庭のことやその生徒の存在そのものに直撃することまでいろいろとあります。匿名でも、決して話せないことも多くあります。(いや、ホントに多くなんです) 虐待なら、ぼかしていえるかもしれませんが、ぼかしてもいえないことだってたくさんあります。
 生徒の退学については、「進路変更」という言い方で、「退学」という感覚が麻痺してくるものです。私はこの「退学」についての感覚が教師を分けるリトマス試験紙だと考えています。はっきり言えば、「手のかかる生徒が退学すれば、クラスが楽になる」と思う教師と、「手のかかる生徒が、(結果的には退学するかもしれないが)、学校内に居場所を見つける援助をしよう」と思う教師との2種類です。

 いつのことか忘れましたが、退学した生徒が振り込め詐欺のグループの一員となったというウワサを卒業生から聞きました。確かに、退学した彼らはどちらかといえば、手のかかる生徒でした。
 でもね、家庭に居場所がなくて、学校から「捨てられた」と思うようになったら、社会のために生きようとか、他者のために生きようなんていう気持ちははたして芽生えるのかなぁ。(これは、「進学校」の生徒も同じかもな。家庭が子どもの学校名をアクセサリーにして、学校が生徒を進学実績にしたら、どうなるんだろうか)

 その時に、前任校で一緒だったH先生から、「生徒が辞めて学校は楽になるかもしれないけど、社会全体としてみたら、いいことなんだろうか」という初任の時の言葉が思い出されました。
 退学したということになったとしても、「あそこまで、自分に付き合ってくれた大人がいた」という気持ちがあれば、心のどこかにストッパーが働くかもしれない、、というロマンチストの私は考えます。しかし、あくまでも「かもしれない」というリアリストでもありますが。
 しかし、教育はこの「かもしれない」というポジティブでロマンチックな幻想の積み重ねのうち、どれかしらが役に立つというリアリズムの世界なのでしょうね。その証拠に、卒業生から、こちらが忘れているような話しを持ち出され、「あの言葉(経験)が、今でも役に立っています」といわれた先生も多いのでは?

 偉そうにいいましたど、私たちはいつ「その人」になるかもしれない、「その瞬間」に立ち会うか分からないという緊張感があります。生徒が成長を始めたときに居合わせることのできるのは、この仕事の醍醐味です。その瞬間まで、待つことは辛いことだし、その瞬間がくるかも分からないけど、「かもしれない」を積み重ねしか、「その瞬間」を促す手段はないものでは? だから、教育現場に対する行きすぎた管理は行われてはならないよね。(行きすぎた管理を是とする人たちは、「その瞬間」をどうやって待つのだろうか?)

 ずいぶんと話しがそれましたが、優しさなき厳しい生徒指導など「邪気」であり、優しさのある、時には厳しく、時にはあまり生徒指導が「ストレス」なのでしょう。(後者は教師にとってリスクを負わせる可能性もあります)


 最後に、なんちゃって英語教師(a sham English teacher?)らしくいうと、勉強の苦手な生徒も、分かるようになりたいという気持ちはほとんど持っているものです。これは断言できます。だから、分かるようになり、その結果が出ると喜ぶものです。シール1枚が教科書に張られるだけでも、提出したプリントに"Good!"と手書きで書かれるだけでも喜んでくれます。(「検」スタンプのみだと、「しっかりと見てくれたの?」という非難囂々でした;苦笑)

 何度も同じことの繰り返しのようにみえるけど、なだかならせん階段を上がっていくという作業が、英語の授業でした。(だから、ブログのネタがなくなることもよくあったりしたけど;笑) でも、授業中に寝る生徒がほとんどいない(気づいたら起こしますよ、もちろん)こと、そして、ほとんどの生徒が着席ではなく、参加していることは、生徒の感謝すると同時に、自分自身のプライドでもありました。

 現在でも、教科指導の前提として考えられている生徒像は、「向上心を持って学習する生徒」「理解力が高い生徒」のような気がします。でもね、そういう生徒ばかりではない。そして、その理由は、世間でいわれているように、貧困が根底にあったり、家庭の問題が根底にあったりします。生徒自身が原因ではなく、「被害者」であることも多々あるもの。
 その問題を乗り越えられるように勇気づけし、授業を通じて達成感=自尊感情を育てていく。それが、私にとって「夏」の時代にひとつの答えが現れたものでした。

 まぁ、読み返してみると、妙にウソっぽく、そして偽善的になるものですね(笑) ブログってそんなものなのかなcoldsweats01

2009/03/28

自転車

 4月から新たに勤務をする学校まで学年主任のS先生と自転車で。ちなみに、彼はトライアスリートで、100kmマラソンにも出場します。
 S先生のレーサーと、私のなんちゃってマウンテンバイクとで、片道17kmのツーリング。思ったより遠くないなぁというのが、正直な感想でした。毎日は無理でも、週2回はジテツー(ツーキニスト?)になりたいものです。

 ということで、9年間勤めた勤務校から転勤となります。今までとは全く違う雰囲気の学校なので、早くモードを変えたいとは思うのですが、どうなることやらsweat01

 転勤前に職場で使用していたノートPCは、作業上の関係で、専用アカウントを使用していました。それも、完全に削除をしたので、おそらく足跡を付けているサイトのIDが変わっていると思います。

2009/03/25

奥歯につまっている?(笑)

 終業式も終了。その後、LL教室の大掃除。掃除をしていると、自分はハウスダストには強かったんだろうなぁと感じました。それほど、すごいホコリでした(苦笑) そして、指導要録をほぼ完成させて、あとは事務的な作業が中心に。

 昼休みに、学年会計のことで、他学年の先生と話しをする。先日の卒業学年は、返金がずいぶんとありました。考えてみれば、あまりお金を遣うことのないように取り組んだ学年でした。学校で大きな金額が出ていくのはだいたい決まっているので、それを100円単位で削っていき、それが「山」となっていたんだなぁと実感。
 授業料の減免や生活保護を受けている家庭、また母子家庭の経済状況を考えれば、削れるところは削りたいという共通した思いが学年にありました。それもあり、卒業記念品はお断りもしましたから。
 とある配送会社に勤める保護者の方が、3歳の弟を風邪で保育園に預けられなかったということで、その子どもを助手席に乗せて配送をしているところを、偶然に見ました。ケンシロウ的な「悲しみ」(憐れみではない!)を感じて、現実の中で、どうやって生徒の成長を援助していけばいいのか、そんなことを感じたものです。

 私なりの結論は、学力をつけるもの、自尊感情を育てるものなど、生徒が自立した社会人となったときの「養分」となるべきものには、お金を遣うべきだ、というものでした。生徒は保護され続けるものでも、「可愛そうな」人でもありません。近い将来に社会の構成員として生きていく若者です。適切な自尊感情がなければ、自分を大切に出来ないし、周囲も大切に出来ません。(ありすぎると、PDになってしまいますが)

 成長の援助するためには、「居場所」としての教室(ホームルーム)と、「トレーニング」としての授業、そして人間関係を知る部活動などの課外活動の3本が基本です。
 ホームルームの大切さは、関心の有無だけではなく、守秘義務もあり、なかなか書けないこともあります。人間にとって、子どもから大人まで、居場所は必要なものです。居場所がなかったら、精神的に厳しいですよね。私だって、あの時は、あーで、こーで、その時のことは今でもホニャラ、ホニャラ・・・(笑) 早い話が、居場所を踏みにじる相手には、恨みしか残りませんよねぇ。
 でも、居場所さえあれば、自分が自分として認めてもらえる居場所があれば、人間は辛いことでも、苦労することでも、その居場所のため(他者のため)に働ける(学べる)ものなんじゃないかなぁ。

 その枠組みの中で、授業を考えたい。HRと授業とは、相互効果があるものです。最大限の効果を考えるためには、HRを耕して、授業で鍛えるという人間関係が生徒と作り上げることが出来れば、HRは収穫の多い畑となるものです。授業とは、教師の自己実現の場ではなく、生徒の成長の場であるという単純なことが忘れ去られるときはないのかなぁ。ううん、「忘れ去られる」というのが言い過ぎなら、「関心が薄まる」という言葉が適切かな。これは、自省の意味を込めてです。

 高校では、その場所によって、ニーズが異なってきます。中には、学力がスーパー高校生ともいうような生徒もいれば、その正反対までいます。その場に応じて、個々の生徒に応じて、どうやって学力を伸ばせばいいのか、授業で引きつけるのか、違ってきます。

 以前にも書きましたけど、高校での英語は生徒の成長を助けるのに、条件がいちばん揃っている教科だと私は思います。社会的な要求というプレッシャーはあるものの、苦手で毛嫌いする生徒は多いのに、その多くが出来るようになりたいと思っています。これは、他教科では考えられないことじゃないかな?
 「中学校での漢字が書けるようになった!」と喜ぶ高校生はあまりいませんけど、「英検3級に合格できた!」と喜ぶ高校生はいくらでもいます。それに、3級に合格して、「今度は準2級を目指す!」と自発的にいう生徒って多いんですよ。もちろん、そうなると授業への真剣さが増してきます。

 なんだか、ここ数日は奥歯にものが挟まったようなブログですが、その理由は明後日あたりに書けるかな?

 久しぶりに、F先生から手紙をいただきました。とても胸を打つ内容。そして、同僚で非常勤講師であったS先生も、某私立高校での採用がきまったとのこと。その私立高校は、得をしましたねー。
 ともかく、すてきな同僚や友人に支えられ、仕事ができていることに感謝ですsign03

 もうすぐ新たな、「デュエル」が始まる4月ですね。

2009/03/24

「3月31日までは高校生です!」

 見慣れた顔が制服で現れる。と思ったら、卒業した生徒じゃないの! どうして制服で来たのか尋ねると、「3月31日までは高校生だから、自覚を持って行動しなさい、って言われたから。。。」。いやいやsweat01  私服と制服とで迷ったみたいだけど、上履きまで持参するSさんに心が洗われました。ちなみに、同じように制服で学校にやってきたのは彼女が2人目。手作りのクッキーを先生方に配りにやってきたのでした。ホントに、いい生徒に私たちは巡り会えました。

 財団法人日本青少年研究所の行っている日米中韓の中高生の意識調査結果について、栄美通信のメルマガで知る。孫引きも何なので、実際の調査結果はこちらをご覧下さい。

 この調査の概要の(3)自己に対する認識を見ると、やっぱりなぁという思いがある。

  • 「私は人並みの能力がある」「自分はダメな人間だと思う」「自分の意思をもって行動できるほうだ」では、日本の中高生は、他の国に比較して、自分の能力に対する信頼や自信に欠けている。

これは、大きな問題ですよね。「自分はダメな人間だと思う」という調査結果の数字をもう少し見てみました。すると、日本の中学生でこの質問に対して「とてもそう思う」「まあそう思う」と答えたのは約55%、高校生では65%にものぼります。

 ざっと目を通しただけですが、他者を傷つける不適切な行為については行わないのに、自分を傷つける不適切な行為については、「その人の自由である」という意識が目立つ気がします。他者は傷つけないが、自分のことは傷つける、というのは寂しいものです。「自分が悪いんだ」という思いのために、システム上の不利益に鈍感になっているとしたら、いや鈍感にさせられているとしたら、これは大きな問題です。

 

 最初に出てきたSさん、卒業アルバムを持ってきました。メッセージを書いて欲しいということで、以前にむのたけじ氏からいただいた色紙のメッセージをお借りしました。
 「人間は人の間を耕す」ということばですが、「教師は生徒の心を耕す」と強引にまとめ、生徒の「自傷的精神状態」が解決できるように援助をしたいものです。

2009/03/22

社会保障としての高校4

 昔は本当に良かったのか。この頃、その思いはさらに強くなってきます。アラフォー世代にとっては、「ビー・バップ・ハイスクール」、「スクールウオーズ」って、本当に学力をつけて、どの生徒も幸せを感じられていた時代だったのかなぁ。もしね、今、あのような高校があったとしたら、どのように報道されるんだろうか?
 夜に歩きタバコをしているおじさんや、酔っぱらってくだを巻いているおじさん、その人たちの行動を注意したところで、まず聞かないでしょう。いや、逆ギレ状態になるかもしれません。

 天使のような微笑みを見せる幼稚園児ですが、だんだんと生きていく課題が出てきます。両親の不仲や虐待など、学習できる環境を持ちづらい状態で小学校を過ごす児童だって少なくない人数です。
 小学生のうちは、「厳しい指導」とやらで押さえつけることもできるでしょうけど、自我が芽生え、自分で行動できる高校生になってくると力で押さえつけることはもう無理です。押さえつけていると思っていても、それは押さえられている振りをしているに過ぎないというケースがほとんどではないかな。
 自我が未成熟な若者に、高校生であるとか、制服を着るとか、校則を守るといった「枠組み」は必要です。枠組みがないと、不安定になってしまうパーソナリティを持つ少年も多くいます。その枠組みとは、「管理しやすいための枠組み」という思想ではなく、「生徒の成長を促す枠組み」という思想がベースである必要があるんじゃないかな。

 高校が社会保障としての機能を強くしようとするのであれば、まずは授業が大切になります。だって、学校で過ごす大部分は授業ですから。
 休み時間ではありません。
 生徒が寝ている授業をしている人が、どんなに厳しい生徒指導をすることなど、マンガに過ぎない。授業から逃げて、「生徒指導」(「 」をあえてつけますね)に走っても、教員としてのむなしさが残るだけじゃないかな。
 もっといえば、授業を通じて生徒と分かり合えている先生には、「厳しい生徒指導」など無用です。だって、生徒と気持ちが通じているのですから。

 同僚の物理の先生で、面白い実験を重ねて、生徒を引きつける先生がいます。滑車の実験で自分が乗っかってみたり、画用紙でカメラを作ってみたりなど、高校時代にこういう授業を受けたかったと感じるほどです。
 彼の授業では、怒鳴り声なんて聞こえませんが、生徒は授業を受けています。「厳しい生徒指導」はありませんが、生徒は授業を受けている。そして、その先生の話を聞いている。

 これって、「あまい指導」でしょうか? 「生徒におもねる指導」でしょうか?「わかる授業」ということが、生徒指導に直結するものです。

 授業や、ホニャララで生徒に訴えかけられないときに、愛情のない厳しい生徒指導に逃げ込むというのは、俺の偏見なのかな。「管理しやすいための枠組み」の延長線上にあるものです。
 自分たちの若いときのことを棚に上げて、若者が理解できない人たちが、「厳しい指導」を望むことがある。確かに女子高生のスカートの長さには目を覆いたくなる。でも、アラフォー世代は、「スカートが長すぎる」と注意をされていたことを忘れてしまいましたか。こういうときに、遠藤周作のエッセーが思い出されるな。
 どうも、学校でいわれる「厳しい生徒指導」と、世間でいう「厳しい生徒指導」とは、字面が同じでも、小さいけれども、重大な差があるような気がします。
 全ての論理を超越するために、「甘やかされている」というセリフもむなしいだけ。もしね、「甘やかされている」というのであれば、これだけ虐待が増えてきていることをどう説明できるというのだろうか。授業料の減免や、奨学金を借りたいという生徒が増えてきていることをどう説明できるのでしょうか。アルバイトを自宅の家計に入れている高校生の人数は、社会の人の想像以上じゃないかなぁ。(誰か、統計をご存じではないですか?)

 近い将来に若者は、自立した社会の構成員となるのだから、愛情を持った壁になることが大人には必要なんではないかな。

 これは、授業も同じこと。「あの先生は、絶対に赤点を出さないから大丈夫だよ」と生徒に言われるにはなりたくないものです。(赤点を出すべきだといっているのではないのですよ) 

 何度もブログに書いていますけど、分からなかったことが分かるようになったとき、出来なかったことが出来るようになったとき、私たちは達成感を持つようになります。達成感の積み重ねで、新しいものへの挑戦を自分で行う勇気が得られるようになります。そして、自尊感情とは、こんな体験と、受けた愛情との組み合わせではないかな。
 だから、自分の子どもの教育って大変なんだよね。

 もしね、勉強だけで自尊感情ができあがるなら、若者があれほどまでに薬物汚染されてはいないと思うんだけどなぁ。。。

2009/03/20

社会保障としての高校(3)

 中学校の先生方は、高校の教員の対応のことを「冷たい」と感じるのでは?

 初任校で、私は教師のイロハを学びました。何の気なしの雑談の中で学ぶことがたくさんありました。印象に残っているのは、次の2つです。

  • 生徒をいちばんバカにしているのは俺たち、教員なんだよ。
  • 生徒が辞めたら、社会のどこに居場所があるのかを考えなければならない。

 確かに、生徒の中には常識では考えられないようなことをしてしまう生徒も少なからずいました。調査書の封筒に切手を貼って投函したと聞いたときには、coldsweats01になったしなぁ。ともかく、そんなことが、毎日のようにあったものです。生徒の行動に対して、愕然としたり、唖然としたりすることが少なくありませんでした。
 ただ、「だから、しっかりと教育をしなければいけない」と思う先生方と、「だから、しっかりと教育をしたって仕方がない」と思う先生方とに別れていました。初任で赴任した学校は、前者の先生が圧倒的に多く、その中で、「いちばんバカにしているのは俺たち」という発言だったのです。(文脈を誤解しないで下さいね)

 生徒の不適切な行動が重なり、退学という流れになるとき、その生徒のそれからの居場所を考えることも大切なことです。高卒という資格は大きいものなので、通信制の高校を紹介したり、経済的な問題がある場合には、ギリギリ3月まで在籍の上で、公立の通信制高校への書類を取りそろえたり。2単位でも、3単位でも取得できるものは取得した方が、その後の通信制高校で有利になりますから。
 それと平行して、自分の今までのあり方を考えさせ、その結果としての現在の状況を考えさせることも大切なこと。現状を怒るだけではなく、その現状に行き着くまで、どこで、どういったことがあったのかを考えさせ、内面に訴えかける方が本当の「叱り」だと私は思っています。人からの批判にはいいわけが出来るけど、内面からの批判にはいいわけはききませんからね。

 幼稚園児を見ていて、みんなが笑顔でいて、うれしそうに幼稚園で駆け回っているのに、それからほんの数年で、表情がすさむようになったり、不適切な行動を行ったりするのは、どうしてなんでしょうか? 自立した社会の構成員として大人になるまでに、そういう少年たちのサポートを、もし家庭で賄えきれないというのであれば、地域に教育力がないというのであれば、学校が中心となって行うしかないでしょ、現実的な問題として。これは、現実的な問題として、「英語が国際語」となっていることを肌身で感じる英語の先生方には理解いただけるのではないでしょうか。(ちょっと強引かsweat01) 児童相談所は、現実的な問題として、虐待で精一杯でしょうから、そこまでの余力はないだろうし。

 ただ、そこまでやるには、教員側にも余裕がないと出来ないし、外野(準外野)から、あーだこーだいわれることが多いと、やる気も失せてしまいます。人間ですから、当然のことです。

 生徒を辞めせせることが「指導力」と勘違いしているトンデモ教員が、「厳しい指導」と自分のことをいっていることは、苦笑すらできません。いちばん厳しいことは、学校で学ぶことを続けさせ、自立した社会の構成員として成長させることだと私には思われるからです。
 もちろん、どんな手だてを行っても、辞めてしまう生徒がいることも確かです。でも、接し続けることと、授業を行うことで、私たち教員の出来ることも増えていくのではないかなぁ。

ということで、もう少しこの話題、ひっぱります。

2009/03/19

社会保障としての高校(2)

 昨秋からの不景気で、雇用が悪いらしい。マスコミでずいぶんと報道されています。なぜ「らしい」とわざと書いたかというと、公務員である公立高校の職員で、この雇用について実感している人は極めて少数だろうから、です。こう書くと、「生徒の就職でそれは分かる」と言われるかもしれないけど、でも自分たちの雇用とは直接的に関係がないので、実感というレベルには遠いのではないだろうか。(敵を作るような言い方だけどsweat01

 教員になった頃は、バブルの清算をしている最中でした。その時、初任者研修の校内指導をして下さった先生から、「求人情報の条件欄を見なさい」というアドバイスがありました。すると、アルバイトであれば雇用についての条件はほとんどありませんでしたが、正社員となると「高卒以上」という但し書きがあるものがほとんどでした。先生は、「車の運転免許以上に、高卒資格は社会にとって有意義である」ということを教えてくれました。「でも、教師は自分たちの雇用が安定していることと、学歴が大卒以上の人がほとんどだから、そのことに気づきにくい」

 一時、求人情報から「高卒以上」が少なくなりましたが、この頃はずいぶんと増えてきましたから、高校を中退してしまう生徒は、この条件を満たすことが出来ず、なかなか正社員になることができないのでしょう。

 今の30代後半(1969~1973生まれ)の頃は、受験が戦争状態でした。18歳人口が約200万人いて、大学への枠が40数万人程度。4~5人に1人しか入れない時代でした。その一方、少子化が進んでいる現在では、1学年は約120万人。当時の60%にまで減ってしまいました。これは、将来の労働人口に直結する問題です。
 少子化の利点とマイナス点は両方ともあるのでしょうが、これほどの急激な少子化はマイナス点の方が大きいのではないでしょうか。ホットな話題でいえば、日本の年金システムは仕送り式なのですから、労働人口が減っていけば、年金システムは維持が難しくなってきます。少子化が急に変化するとは考えられないし、現状維持のままでさえ、このシステムの維持は難しいという報道を読むたびに、辛い気持になります。今のアラフォー世代は大変だろうからねぇ。

 教師という職業であれば、少子化という問題意識は持ちつつも、貴重な労働力の担い手となる目の前の生徒をしっかりと教育することの方が大切だろうと私は思います。「少子化で大変だよね~。だって昔はさ。。。」というおとぎ話は脇に置いておいて、目の前の生徒を、将来の労働者として育てる(nourishという意味)の方が私には大切に思われます。

 正社員としての条件として求められることの多い「高卒以上」。そして、将来の労働力の担い手を育てる機関としての高校。こうすると、高校の中退を安易に考えはいけないのではないだろうか、と私は考えています。その生徒が中退するまでに、どれだけの援助を行うことが出来たのか、と自問自答することもあります。もちろん、どうしても手に負えない生徒もいましたし、いくら援助しても中退した生徒もいます。ただ、後者の生徒が「先生にはお世話になりました」と思ってくれるかどうかが、ひとつの目安ではないでしょうか。

 だからこそ、税金を高くしたとしても、高校の授業料を無料に出来ないのか、生活の支援が出来ないのかなぁ。一部のデキル生徒を伸ばすことももちろん大切なことだろうけど、全体を高めることはもっと大切なんじゃないかなぁ。

 ちょっと話しはそれたけど、高卒という「資格」の生徒側にとっての必要性と、クラス経営(運営)をしていく教師側にとってのやりやすさとのが、二律背反するケースがあります。この教師側の「やりやすさ」は、教師の「経営技術」である程度までは二律背反しないですむようにもなるものです。
 20代の若い先生には、地域の「大変な学校」と呼ばれる学校で、ぜひともこの「経営技術」を学んでほしいものです。

 中途半端ですが、続きは次回に。

2009/03/18

社会保障としての高校

 期日通りに原稿を編集者のKさんへ。色々と仕事が立て込んでいてお忙しいようだけど、数年来のお付き合いから、信頼関係は出来ているので、こちらとしても安心できます。あと、「短文で覚える英単語」の「競合書」(!?)を出しているG社の方も、拙著名で検索して、拙ブログをサーフィンするのではなく、メールを下されば、何でもお答えします。お気軽にどうぞ。

 単語と意味だけが書いてある単語集が減って、コロケーションやセンテンスで覚える単語集が増えた方が中学生にとっては有益だろうから、そういう教材が増えるのであれば喜んでご協力します。そうすれば、高校で劣等感コンプレックスを英語に感じる生徒も減るだろうし、英語教師のストレスも減るだろうし、悪いことなしですから。

 The Eiken Timesから取材をいただいたり、「無料ダウンロード」をブログに載せてから、多くの先生方から連絡をいただきました。約30名の先生方とつながりが出来て、本当に良かったなぁ。試行錯誤を繰り返しながら、Next Oneを目指している先生方からのメールや電話にはずいぶんと励まされました。

 ちなみに、意外だったお問い合わせに、

  • 無料で配布するからには、アンケートに答えたり、情報を収集されたりすることがありますか?

というものがあります。一切、ありませんので、ご安心下さい。共有できるものは共有したほうが全体のためになります。もし、改善したものを共有できるようにして下されば、さらにいいよねー。

なんて書いているうちに、日付が変わりそうなので、タイトルについてはまた明日に。。。

2009/03/17

担任のお仕事

 倫太郎、といってもリアルな倫太郎の卒園式。大きくなったものです。彼の小学校への入学までには、他の名前に変えないといけないかな。いつまでも、息子の名前をHNにすることも、なんだしねぇ。

 「フレーズで覚える英単語」(仮称)もそろそろ動き始める。企画が通過してから、かなり時間がかかりましたが、なんとか編集作業に向けて明後日から始まる予定。カナダ人のネイティブスピーカーにチェックをしてもらい、tongueが「舌」と「言語」と違う意味で名詞として2回出てきていますが、それ以外の1398語は、全く重複していないという優れものです。(←って、相変わらずの自画自賛;笑。ただし、品詞が違うものは別語としてカウント) 6月に文英堂から出版予定。偏差値40台から60を目指す「フレーズで覚える英単語」、偏差値50台から70を目指す「短文で覚える英単語」。そんなシリーズになるといいな。

 そろそろ、ストーブリーグも終盤になり、転勤についてのウワサもチラホラ入ってくる季節です。小学校や中学校は地区によってカラーがずいぶんと変わるのと同じように、高校は「偏差値」によってカラーがある程度は決まってきます。今までとは雰囲気の違う学校への転勤は、一種のストレスになるようです。

 「担任の仕事」は大切なことなのに、大学では教えてくれません。大学の先生の中で担任をした経験のある人はほとんどおられないでしょうから、これは当然のことです。でも、この担任の仕事は、もっとも大切なお仕事です。
 自分が児童・生徒時代の担任の先生の動きや、教員になってからの(同僚)教師の動きを見て、担任の仕事の基礎を学ぶしかありません。あとは、自分で試行錯誤を重ねるのみ。

 担任は大変な仕事だというのに、スタンダードもないし、フレッシュ教員向けのモデルがないというのも、変な話しです。これは、教師の仕事が職人のように、伝承されるという証なのかもしれないけど、変化していることも実際です。
 では、具体的に担任業務として、必要とされる仕事は何なのか。私なりの物差しで書いていきます。「生徒の実情の把握」なんていう、何をいいたいのか分からないような抽象的なことは、書きません。

生徒へのサポート編。

  • 生徒の話を聞く。
  • 家庭状況の把握。(特別な援助が必要な生徒は、特に要求される)
  • 発達障害の有無。ある場合には、専門機関につなぐ。
  • うつ病などの把握。
  • 変化の把握。(朝のSHRでの声や、授業中に変化は必ず現れる)
  • 進路意識など、目的を持つことが出来るような働きかけ。(授業と連携することが必要)
  • 「捨てない」という覚悟。

保護者へのサポート編

  • 話しを聞く。(話を聞いてもらいたくて、連絡をしてくるケースもある)
  • 孤立させない。特に生徒に発達障害やうつ病などの恐れがある場合には、担任も一緒に病院や専門機関に行くとスムーズに話が進むケースがある。
  • 上級学校にかかる金銭的な情報提供

学校外とのネットワーク編

  • 精神科・心療内科との連携(実際に一緒に行くと良い)
  • 保健所との連携(病院に行くよりも、保健所の方が敷居が低い)
  • 地域の少年へのサポート機関との連携
  • 役所との連携(福祉関係。生活保護受給の手伝いもある)

学費など金銭面でのサポート編

  • 生活保護などの申請の手伝い
  • 奨学金の把握や新規開拓
  • 国民金融公庫などの貸し付けの情報把握と提供

ざっと思いついただけで、こんなにあるなぁ。書いてみると、「その程度なら難しくない」と思われるかもしれませんが、スムーズに話を進めるためには、難しいものです。例えば、「大学ではこのくらいのお金がかかる」という話しをするのは簡単だけど、その家庭はどのくらいのお金を出すことができて、そして奨学金で不足分はまかなえるのか、公庫や銀行からの貸し付けは大丈夫なのか、など、ある程度は考えることもあります。(この「予測」が間違えると、時には大きなトラブルになる可能性もあります。)

 

2009/03/07

教師版「狭き門」

卒業式当日。久しぶりに髪の毛をセットしていくが、なれないセットなので髪の毛がはねるsweat01 朝、教室に行くと、卒業がいちばん危ぶまれていたN子が、いちばん早く学校に来ているではないですか! はねている髪の毛を見て、彼女がセットしてくれました(苦笑)。スプレーをかけられ、ドライヤーを器用に使い、はねている髪がどこにいったのかというほどのできばえです。お陰様で、恥をかかずに済みました。ありがとうm(__)m

卒業式は厳かに進み、無事に終了。呼名では、全員がおおきな声で返事をしてくれたことに、心から感謝。

式の終了後、学年主任の言葉が胸を打つ。

  • 私は学年を、船に喩えてきました。全員でオールを漕ぎ、海を渡ってきましたが、ようやく港に着きました。ここから新たな旅立ちが始まります。生徒の成長を今まで見てきて、とても楽しいものがありました。これから、彼らの成長を楽しみ、援助をすることができないことは残念でなりません。彼らとの付き合いは、本当に楽しいものでした。今後の彼らの成長を楽しみにしています。

とまぁ、こういう主旨の話でした。順風満帆だけでなく、向かい風が吹いてきたり、強く吹いてきたり、時には台風が来たこともありました。その時に、なんとか踏ん張り、船から生徒が飛び降りないように最大限に努力をしてこれたのも、学年主任のS先生のお人柄ですね。

すてきな生徒と、すてきな同僚に恵まれて、本当に幸せな3年間でした。卒業式には、前ALTのJ先生までも、参列してくれたことに心から感謝。

卒業式が終了し、クラスでは最後のホームルーム。何を話したかはヒミツですflair

その後は、恒例の写真大会。授業で受け持っていた生徒たちと写真を撮って、うれしい限りだね。送ってきて欲しいね。そして、アルバムにメッセージとサインを書き、お別れの時間を大切にしました。ESSの生徒からは、花束と手紙のプレゼントが! こちらが忘れていることが、生徒にとって大きな励みとなっていたようで、それが手紙から分かりました。

それと平行して、教室で打ち上げ。みんなで「実は~」の話題や、「PPPするぞ!」でもピーと被されるような話題もあり(笑) でも、違法行為はありませんので、念のため。ちなみに、打ち上げに出たかったX君は、彼女が「女の子が一緒にいるなら出ないでちょうだいsign03」というヤキモチに負けて、結局参加せず(笑)

こちらでも、花束と色紙をもらい、再びウルウルsweat02 所狭しに書かれたメッセージは、宝物にします。どうもありがとう。

12時半に始まった打ち上げは、4時過ぎまで続き、別れを惜しんでいたようです。ALTのJ先生と私は、職員室に戻り、ずっと話をしていました。彼とは、ALTと教師の関係ではなく、友人という関係なんですよね。だから、仕事を離れても、長く付き合っていられます。

「いい生徒」とは何なのかと考えると、「いい生徒」は最初から存在するのではなく、教師と生徒との関わりの中で、生徒が心を開いた結果なんだろうな、と思いました。

生徒が心を開かないとどうなるでしょうか? 高校生になると、表面的に「いい生徒」を演じることが出来ます。だから、表面的には変わらないけど、学校の中が荒れていくものです。

2009/03/05

卒業式前夜

 本日は卒業式の予行。その前に3年間の思い出を一本の思い出に学年主任がまとめ、プロジェクターで鑑賞大会。合格発表の時に子どもらしさが抜けない男の子が男の顔になったり、入学式での女の子が卒業式では女性の雰囲気を持つようになったり。そして、マラソン大会に文化祭、体育祭、メインイベントの修学旅行。思わずホロリとしてしまう内容と音楽でした。
 その後の卒業式の予行も無事に終わり、残すは本番のみ。

 卒業式を明日に備え、「担任らしい仕事」が1つ入る。考えてみれば、こういう仕事のノウハウを私は全く持っていませんでした。でも、今では独り立ちしてある程度は対応できるようになっている。自分が対応できるだけでなく、自分のキャパを越えているケースでは、つなぐことも出来るようになりました。ラッキーな偶然が重なり、なんとかなりそうだなという期待をもてるようになってきたことは、幸いなことです。

 20代の先生には、英語教育も大切かもしれないけど、最初はぜひとも進学校とは反対の学校、いわゆる底辺校や課題集中校といわれる学校を希望してもらいたいものです。学校を通じて、世の中の不条理や不平等さを知るだけではなく、自分自身を見つめるきっかけになります。

 教育相談の学習会でA先生が、鬱傾向のある生徒の援助をしている先生が、同僚から「あなたのような知識がある人が受け持っているからいいけど、私が持っていたらどうしようもならないよね」と言われたと苦笑していました。
 教育相談は、教師の仕事です。教育相談の基本とは、生徒を理解して、その成長を援助することなのですから、スクールカウンセラーだけの仕事でもないし、養護教諭だけの仕事でもありません。担任を持ち、そして授業を持っている生徒を理解して、成長を援助する教諭の仕事でもあります。(ちなみに、私はSCという現行の制度には疑問を持っています。)
 先ほどのA先生の同僚であれば、そんなことをいうのであれば、少しでも鬱について学んだり、PDやPDDについて学べばいいだけです。学ぶことで今まで見えなかったことが見えてきて、それだけケースを持てるようになります。実際にケースを持ったり、事例検討を重ねることが、その先生の教師力を向上させてくれます。事例検討は、職員室で雑談としてでも可能なことです。

 本来、学習は生徒の成長を促すものであるはずなのに、そしてその結果として学力向上(=テストの点数の向上)があるはずなのに、いつのまにやら、ナントカ大学への人数が目的となってしまったり、英検やTOEICが目的となってしまったりと、目先のことばかり求めるから、教育が壊れてくるんだよね。資格を取ることは悪いことではないけど、取得を促す理念が自分の中でない限り、過去問を繰り返したり、パラグラフリーディングというものを作り上げてみたりなど、そんな作業を繰り返すのかもしれない。

 卒業式後に教室で卒業パーティをしたいという申し出が女子生徒からあったので、「第一回同窓会」が楽しみ。自分たちで色々と調べていて、どこで買うと安いだとか、できるだけ多くの人が参加するためにはどうすればいいかなど、よく考えています。
 帰り道に自転車をこいでいると、隣のクラスの女子三人もなにやら買い出しの帰りのよう。話を聞くと、こちらは「サプライズパーティ」を催すとのこと。「いい企画だねぇ。担任のS先生に明日の朝、伝えておくよ(笑)」というと、「ぜっっっっったい、だめぇぇぇぇぇぇぇsign03」(笑) 

 明日に卒業式を控え、私は優しい心を持っている生徒との素晴らしい出会いをくれたこの出会いに感謝しています。それに、ずいぶんと、こちらも鍛えられたしね(笑)。

2009/03/02

証書への押印

 間もなく卒業式。学年主任のS先生のお人柄のおかげで、とても楽しく担任を行うことが出来ました。担任をしないで、生徒指導について色々という人 は、やはり担任を行うべきだよなということを強く感じた3年間でもありました。ともかく、卒業式が無事に終えたところで、「担任としての能書き」でもたれ てみましょう。

 卒業式が近いということで、本日は卒業証書に押印。自然と、担任が自分のクラスに職印を押すことになったのですが、一人一人、色々な思いがあります。順調に高校生活を送れたように見せる生徒も、内面の嵐をいくつも乗り越えて、たくましくなってきているものです。もちろん、表面的にさえ順調でない生徒は、さらにたくさんの嵐を乗り越えてきたケースも少なからずあります。こんなに幼いときに、これほどの辛い経験をしているのかと考えるとやるせなくなってしまいます。
 でも、「同情」に流されることなく、生徒の成長への援助という気持ちを持ち続けることが出来たことは、退学者が「0」だったことと関連があるかな、と私の内面では自画自賛(笑)。

 本日の東京新聞(3月2日朝刊)の「誰かを助け救われ 日系ブラジル人炊き出しの会」の記事は秀逸。ネットで公開されていないのが残念。
 教師は自分の生徒にどのようなメッセージを送りたいのか、という気持ちをもたずに教科のみを教える存在なのだろうか。自分たちの幸せとは仕事を減らすことなのか、より高い給料を上げることなのか、それとも、自分の心にウソをついてまで名声を高めることなのか。そのウソをウソと感じられなくなったとき、鏡の中の自分はどんな顔をしているのだろうか。

 こうやって授業がなくなってみると、寂しいものですねぇ。ちょっと備忘録的な書き込み。

 教材作り(テスト作り)の時には、まずは経験から。でも、妥当性を求めると理論のサポートが必要となる。経験を重ねるうちに、妥当的な問題(授業の展開)を本能的に選ぶことが出来るようになってくるのかな。

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