« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »

2008/07/30

ランディ・パウシュ

この日曜日から、読書のできるステキな生活。インプットがないと、やはりダメですよね。

  • 戦争絶滅へ、人間復活へ―93歳・ジャーナリストの発言 (岩波新書、むのたけじ・黒岩比佐子著)
  • 最後の授業 ぼくの命があるうちに(ランダムハウス講談社、ランディ・パウシュ、ジェフリー・ザスロー著)
  • 日本人はどこまでバカになるのか(青灯社ブックス、尾木直樹著)

このうち、ブックオフで購入した本が一冊あり(笑)
 むのたけじ氏のことは、大学の時に知りました。「たいまつ16年」という本を読み、手紙を書いたところ、とても丁寧な返信を下さるほどの誠実なジャーナリストです。友人と2人でむの氏のご自宅まで伺い、直接に話しをできたことは、自分が今の仕事を選ぶ1つのきっかけになりました。その時に氏にいただいた色紙は、部屋に飾ってあります。
    ランディ・パウシュ氏は7月25日に他界されたようです。AERAでの書評で興味を持ち、DVD付きの本をamazonで注文したその日に亡くなってしまいました。DVDでは明るく、人生を楽しむということをベースに書いてありますが、本を読むと、そう思えるようになるまでの心の動きが読みとれます。
 バーチャルリアリティの第一人者である彼だからこそ、その言葉は重たい。「手持ちのカードは変えられない」という言葉が、いちばん印象に残った言葉です。
 本物は、努力を怠らないだけではなく、決して偉ぶらないのですよね。職業人として尊敬される人は努力を怠らない人、その上、人間として尊敬される人は偉ぶらない人、なのかな。

 職員室の雑談で出た会話のトホホ話しです。

  • 人前で、「正論」を話す人間はどのような人間か?

 ネタバレ注意なので、ちょっとぼやかします(笑)。心の中に持っている「正論」はみんなあるのでしょうけど、でもそれを、人前で堂々と言えるのは、よい意味でも悪い意味でも、「すごい!」人です。
 「俺、カミさんのことを心から愛しているんだぜ~」と思っても、人前では「愚妻でどうしようもない
 「アタシ、彼氏にとっても愛されちゃっていてさ。とろけちゃうわよ~」と思っても、人前では「自分勝手な彼氏で、しょーがない人なんだぁ
 こんな風に、日本の文化には謙譲の心がある(青色の部分)。もしね、人前でこの赤字の部分を言っていたらどう思いますか? 若い人ならまだしも、30過ぎた人がいったら、「少しはわきまえろよ。ケッ」となる人も多い。古語を使えば、「ドン引き!」ってところか。
 しかし、昨日の英語科準備室での結論は違いました。少し、リアリストとして考えてみました(笑) これらは、正論を信じている人間が、何に疑問も持たずに正論を人前で述べている、いわば宗教的な信仰ではない。

  • 話す内容がなく、自分に自信のない人間
  • 正論に対して、不安を持っている人間

という結論に達しました(笑) そういえば、「アタシのこと、愛している?」と彼女が聞いてきたら、彼女の心は黄色信号です。これは、自分に対する不安の裏返しなんだよね。自分を信じ切れないから、相手のことを信じられず、聞いている(もちろん、トロケタ状態もたまにはあるかもしれないけど;笑)
 宗教的な意味ではないが、本物には人を引きつけるオーラがあります。例えば、身長は低いけど、オーラのある人は、大きな存在感を出します。声を荒らげないのに、妙に畏怖を感じさせます。
 一方、オーラのない人は、「よく見てください! 自分にはオーラがあるんですよ!!」とPRするために、小道具を用意してくる。私はこんなに妻に愛されているですよ! 私はこんなに学校を愛しているんですよ! 私はこんなに生徒に慕われているんですよ!などなど、アイテム持参の上、PRする(傾向がある)。

 私たちは建て前の世の中に住んでいるのではなく、現実の社会に住んでいます。だからこそ、建前論と教育論は一致しない。教育を建て前のものだと思う人とは、私は共通のことばを持っていない。さきほどの、ランディ・パウシュ氏ではないが、「手持ちのカードで、よりよくゲームを進めていくか」というのが教育ではないかな。多くの手持ちのカードのうち、見えているのはほんの一部。先に進めば、多くのカードが見えてくるけど、進む方向によっては見えないままで終わってしまう。「人生、先はどうなるか分からない」ということですね。
 手持ちのカードの中で、どうすれば良いカードをオープンできるか(≒夢を実現できるか)ということを、ランディ・パウシュ氏は自分の論を仰っていますので、どうぞご覧下さい。私は共感しました。

 多くの人がいうように、私たちは日本文化の中で生きているのだなぁって痛感します。だから、何か日本文化的ではないことをしようと思っても、日本文化に軸足を置き、その上で行動しない限り、どんなに理想的なことでも、なかなか到達できないのでは。その理想を実現とする、方法論として、地位を使ったり、権力を使ったりする人もいるけど、そこには共感がない。人は地位や権力には共感せず、「オーラ」に対して共感する。(地位や権力に共感する人もいるだろうけど、あまりお友だちにはなりたくない)
 英語教育に限らず、教育は日本文化に軸足をおいた方が良いのだろうが、方法論になるとどうも、日本文化で根付いていないところを、最終目標にしたり、その方法を最高のものだとする人がいるのはどうしてだろうか。私の感覚が違うのかな。
 

2008/07/29

焦らないで一休み

 近所のブックオフへ、子どもたちと。気になった本があったので、それを購入。併せて、大判の「北斗の拳」を一気に購入scissors いやぁ、いいねぇ、ケンシロウの生き様。残酷なシーンが多いんだけど、なぜかリアルそうで、リアルではないね。気になった本は、最初は同感することもあるけど、徐々に「ウーン、違うだろ」と思ってしまう一冊。偽善的な匂いのする彼の著書はどうしても好きになれないので、ブックオフで買うようにしています(←せこいなぁ、俺;笑)。

 自分の立ち位置に疑問を持ちながら、いつも自問自答している良心的な先生が私は好きだし、自分もそうあり続けたいと思っています。そういう先生方を、大所高所から「評論家」としてご高説を下さる人のことは、私はどうしても好きになれません。だってね、ホントに一生懸命に格闘している先生、多いんですよ。

 生徒との相性はもちろんある。これは、人間と人間とのことだから、仕方のないこと。理想社会ではなく、私たちは現実で生きているのだから、これは仕方がない。私たちにとって必要なのは、それを乗り越える大人の智恵なのかな。

 教師のメンタルヘルスが言われるようになってきたけど、この頃、方向性が間違っているのではないかと強く思う。曰く、「不安に思ったら相談を」「鬱は心の風邪なので、メンタルクリニックへ受診を」などなど、広報よろしくしている。
 一生懸命にやっている先生ほど、ストレスを抱えている。生徒の服装について、学習について、一生懸命にやればやるほど、イライラしてくる。こちらの思いが強ければ強いほど、その思いとは遠い現実に、イライラするのは世の常です。

 穏やかになっている人は、よい意味で悟りが開けている人か、それとも無関心か。イライラしたときに、心のブレーキとなるような、そんな魔法の言葉が欲しいものです。

 教師のメンタルヘルス(もしくは多忙)が話題になると、必ず「雑用」が出てくる。でも、この「雑用」と十把一絡げにして良いのか悪いのか。(「雑用」の定義はさておき) というのも、必要な雑用もあれば、不必要(と私には思われる)な雑用もある。生徒のためになる雑用は、これはストレスにならない。調査書や推薦書を書くことはもとより、進路での話しから、家庭の課題、友人関係のことなど、いろんな話しも聞くことがある。でも、いくら時間がかかろうと、それはストレスにはならない先生が多いのではないかな?

 それよりも、不必要と思われるような、ナントカの調査だとか、学校をPRするためのナントカの会議だとか、えらーい人たちが変わると新しく始まり、それはえらーい人が変わっても無くなることのない、生徒とはほとんど(全く)関係のない仕事がストレスになりませんか? 
 例えばアンケート。例えば、「何時に寝ていますか?」というアンケートを採って、「今の高校生は、遅くまで起きている」という結果が出たとします。だから、「生活を整えるように指導しましょう」というお題目が出されるでしょう。

 でも、担任にとって必要なことは、統計ではない。「A君が授業中にウトウトすることが増えてきた、どうしてだろう」という、現実なのです。それで、話を聞いてみると、「試験前だから、明け方まで勉強してしまう」と答える。そこで、「しっかりと睡眠をとらなければいけないのだから、その学習計画を変えてみないか?」という具体策が必要なんです。だから、「高校生の生活調査」は、学者や研究者には意味があることかもしれないけど、担任には、全体的な傾向を知る以上の意味はありません。

 何度も言うように、教育は評論するものではなく、実践するものだと私は思っています。だから、研究のための調査や、調査のための調査の仕事など、もしくは「こういうことをやっていますよ」というPRするための仕事には、エネルギーを吸い取られる先生は多いのではないかな?

 カイオウの魔闘気を臆させるほどのケンシロウのオーラ。オーラは纏おうと思って纏えるものではなく、修行や生き方で成長しているものです。

 話は全く変わります。

 教育相談に入ったときに、現在は名古屋女子大学で教鞭を執られる恩師のW先生の実践と考え方に大きく影響を与えられました。「どうして、教育相談が広まらないのだろうか」と尋ねたとき(俺も若かったなぁ;笑)、W先生はこういいました。

  • もしね、学校全体が教育相談を意識していたら、ヘンだと思いませんか?

その通り。教員全体がカウンセリングマインドで生徒と接していたり、常に教育相談を意識していたら、確かにヘンな学校だろうな(笑)。そして、その先生はこうつけ加えました。

  • 実践は1人でもできる。そして、スキルを上げてからではなく、気持ちがあれば、今からでもできるんですよ。

ずいぶんと救われた言葉でした。

2008/07/25

奨学金はビジネス?

 暑い。。。午前11時に日頃いるLL教室(4F)の温度計を見ると、35度を超えていました。PCの熱まできになるほどです。ガマンできなくなり、PCなど一式を抱えて、英語科準備室(3F)へ。おぉ、ここは涼しい! 32度じゃないか~。西日が入ってくるまでは、ここで過ごせる。

 生徒の進路が決定するときになると、「成績」「経済」という2つの課題が出てきます。「奨学金はどうにかならないの?」と生徒からいわれたり、「大学に入って奨学金を借りればいい」と指導されたりする先生もおられますが(私もそうするときもあります)、連れ合いが奨学金で400万円以上を返しているので、そうも言えません。(ちなみに、一定以上の年齢の教員は、旧「日本育英会」から借りた奨学金は免除されているかな)

 奨学金を借りられたとしても、その生徒が希望する卒業後の進路が、一定の収入がある場合でなければ、なかなか奨学金は勧められません。給与が低いといわれる仕事を考えている場合には、どうしても躊躇してしまいます。(Sickoによれば、アメリカでは学生ローンで借金まみれにした新卒労働者は、文句を言わないから重宝されるとありましたが。。。)
 卒業後の平均収入や、具体的にお金がいくらかかるかをシミュレーションして、その上で、奨学金の返還はどうなるのか、という話しをします。その上で、「奨学金を借りられるようにする?」と問いかけるようにしています。

 毎朝、必ずチェックしている「ささやかな思考の足跡」というサイトで、「今度は奨学金バッシングか」という記事がありました。そして、その記事のリンク先に「奨学金の会」があり、そこには憂慮すべき、いや、もっと本音で言えば、反吐(へど)が出そうな流れが書かれていました。

 奨学金とは、ビジネスではないでしょう。「昔は…」というご老人もおりますが、国立大学の授業料が1000円程度だった時のことなんて、どうでもいい。これだけ、ワーキングプアが増えている一方で、大学では4年間で500万程度はかかります。これじゃ、麦を食ったって、学費なんて稼げないでしょう。そういう生徒も含め、学びたいと思う生徒がしっかりと学ぶことができるために、社会保障としての奨学金があると考えるのが普通です。

 先ほどの「奨学金の会」によれば、

  • 渡辺行革担当相は閣僚交渉で「機構の奨学金事業は廃止し、民間の金融機関か、もしくは政策金融公庫に引き継ぐべき」と発言しました。

といっているようです。その上、返還滞納率の高い大学名の公表や、回収の民間委託など、これって、社会保障ではなく、ビジネスでしょう?という内容です。

 「民間でできることは民間で!」というスローガンに酔いしれた社会もあったような気もしますが、採算が取れないけど、必要なことは国がやらずに、誰がやるのでしょうか? 道路作りには、採算が取れなくても続けるというのに、人間作りは採算が取れなければ、手を緩めるというのでしょうか。「自己責任」という名前の元に、社会の矛盾(制度の矛盾)を隠すようなことを、私はすべきではないと思います。

 新聞を見ると、防衛利権。東京都教育委員会も、数十人もの政治家に合格者を教える。

 一方、現実に目を向けると、高い志を持っているのに、経済的な理由のために、進学に躊躇してしまう生徒もいる。

 同じ国に住む、同じ郷土に暮らすのに、この差は何なんだろうか。30度を超える職場でも文句はいうまい。

2008/07/24

この国は弱いものいじめが通るのか?

腹立たしい。

大分の教員採用試験を巡る事件で、ついに若い先生が辞職をしたとの報道があった。朝日新聞のサイトには、彼女の辞表に添付された書類に

  • 全く知らなかったとはいえ、自分も責任の一端を感じずにはいられない。事態の沈静化と教職員全体への信頼回復のため、職を辞することを決意した

とあったらしい。

何も知らなかったとはいえ、この先生は今回の事件が発覚してから、学校に行くのが辛かっただろう。ずいぶんと、辛い中での決断だったろう。

 その一方で、教育長が辞職をしないのはどうして? 県の教育のトップが、「知らなかった」だけで、その職にとどまるのでしょうか。武士としての志が全く感じられない。そんな人間が、教育畑で偉くなっていくのって、ホントに良いんですか。 

 教育委員は誰か辞めてはいないんですか? 

 秘書が口利きをしたといわれている議員が辞職しないのはどうして? 報道で名前が出てこなければ良いんですか? 結局は、秘書が行ったこと、自分は知らなかったで通すつもりなのだろうか。日本の政治って、所詮はこんなもんなんでしょうか。

 だいたい、今回の件は大分だけなのかい? そして、教員だけなのかい? 地方自治体の公務員にコネってないのかい? これについて、どうしようもないほどの、腹立たしさがあるけれど、あえて言うまい。

 しかし、組織的な矛盾について、若い教師が辞めることで、一件落着にしてはいけないだろう。

 愛国者であり、愛郷土者である私は、自分たちの立場を利用して利権をむさぼるこういう人々を決して誇りには思えない。「知らなかった」と堂々と、マスコミの前で言ってしまうような教育長を、誇りには思えない。だいたい、彼らの姿勢は「我が国と郷土を愛する態度」と矛盾しませんか? 

 「不正採用された人には辞めてもらう」なんていっているようだが、そういう体質のど真ん中にいる人こそ、いちばんの責任者だろうに。若い人材という弱い立場だけをいじめて、解決なんて私にはおかしいとしか思えない。今回の事件に関わった偉い人が辞職をすれば、採用されるはずだった若い先生を採用できませんか? 

 これこそ、教育現場のもののふとしての自覚はこういう人にはないのだろうか。これじゃ、大人が手本を示さず、子どもに何を教えようというのだろうか。

 寅さんではないけれど、「それをいっちゃぁ、お終いよ」と同じように、「それをやっちゃぁ、お終いよ」ということがあるだろう。『「心の傷」は言ったもん勝ち』の中嶋聡氏は

  • 「おふざけ」「お遊び」といえる(中略)「お」がつく程度のこと、自然に「お」をつけて呼べる程度のこと

という基準で、世の中のグレーゾーンを認めてもいいだろうと言っています。確かにそうでしょう、私もそう思います。「お」が付けられないことは、「それをやっちゃぁ、お終いよ」なんです。

 さて、今回の事件。「お」をつけることが出来るのでしょうか?

2008/07/23

ロマンチックなリアリスト

 昨日の「浮かれた日」の午後。

 生徒が信じられないというので、モニターを写真に撮り、全員にmail。1次試験、2次試験ともに合格最低点でパスしたE君、良かったねぇscissors よい意味で、こちらの予想を裏切ってくれたよ。こと、英検に限っていうと、生徒はこちらの予想を裏切ってくれることが多い、学年です。ベネッセのテストは、悪い意味で裏切ってくれるんだけど、これはどうしてだろうか?
 同じく、1次ギリギリ合格、2次最低点合格だったCさんも良かったねぇ。ホッとしました。その他に、大学で英語を学びたいといっている2人の生徒は、2次試験もかなりの余裕でした。君たちなら、大学でも十分に学んでいけるだろうね。途中から参加してきたSさんも、ちょっとばかりの余裕を持って合格したし。いやぁ、良かった。ちなみに、CさんとSさんは、大学では英語を学ぶつもりはあまりないようなのは残念だけど、違う方面で活躍できるように、これからは勉強していきましょう。

 午後には同僚の先生から、「何をやっているの?」と授業についての質問あり。授業は授業で切り離して考えられるものではなく、生徒の成長を促す1つの要因に過ぎないのですが、いつものお話を。

英語の基礎(1年次)

  • 英語的しつけ(音読、筆写、宿題や小テストへの姿勢)
  • 名詞は□で視覚化
  • 動詞はアンダーバー
  • 前置詞グループは(     )やA of Bは「BのA」で大きな□
  • SVについて
  • 生徒主体のタスクは、それほど多くない
  • 音読や筆写の時間を、授業内で確保する(これは、時間的にきついんですけど)
  • リスニングの時間は少ない
  • 「短文で覚える英単語1700」で英文を暗記させたり、教科書を学びながら、上記のことを行う。

英語の育成(2年次) 

  • 生徒のタスクは、多少増やす
  • 筆写に掛ける時間を減らしていく
  • リスニングの時間を増やし、topicを考えるクセを付ける(2学期後半から、リスニングから始める授業に変えていく)
  • 1年次の徹底の毎日(2年次でクラス替えがあるので、授業スタイルを作ることから始めるのがキツイ)。教科書の英文が難しくなるので、1年次のスタイルができるようになれば、学力的に上昇している。
  • 中だるみの時期なので、生徒の様子を見ながら、手綱を緩めたり、締めたり。(この感覚、大切です。ようやく、緩める勇気を持てるようになりました) 3学期からは完全に締めていきます。
  • 高校2年の12月には、上位1割程度は英検準2級に合格できるようになり、上位7~8割は3級に合格できる力が付いてきました。

英語の発展(3年次)

  • リスニングから入る授業への完全以降
  • 学習スタイルの徹底(3年次でもクラス替えがあるので、4~5月初旬はマジメにきつかった)
  • 教師主導の授業は行わず、生徒が作業を行い、教員はそのサポート。基本は、生徒同士によるグループ学習。
  • 上位2割程度は英検準2級に合格できるようになっている。

日頃の授業は、こんな感じですね。ただ、目標に向かって授業をしていこうとするのではなく、こういう積み重ねの結果、力が付きました。(どっちから見るか、という感覚は小さいようで、大きな違いになるかな) 

 「高校生としての目標」として低すぎるのでは? というお叱りをいただくこともありますけど、そういう方との共通のことばがなかなか見つからないのはどうしてだろう?
 現場を経験したことのない、英語教育の研究者の多くの人と、共通のことばが見つからないのはどうしてだろう?

 たぶんね、「生徒の成長」という意識をどれほど、心の中に持てるかどうかという違いじゃないかな。この意識がない限り、学習者である生徒は「目標として力をつけるもの」という「目標」が最初に出てきます。でもね、現場の教員にとっては、目標は結果であり、学校の役割は生徒の成長だと思えるのです。この差は、小さいようで、乗り越えられない壁であるように私には感じられます。(だから、数値目標なんていうことを、学校が持つこと自体、私には大きな違和感があります)

 目標を最初に持つと、そこに近づこうとするために、生徒の変化に気づかないときがあります。生徒との関係が良いときはいいけど、いったん悪くなると、ギスギスしてしまう。このギスギスを受け入れるために、「生徒の雰囲気が悪いんだよね」と思うと、その感覚は絶対に生徒に伝わってしまいます。こうなると、絶対にうまくいかないよね。教師はロマンチストだけでは、ロマンチックが壊れると、状況を受け入れにくいかな。

 「この雰囲気、どうすればいいだろうか?」とリアリストとして考えて、解決方法や、次善の策を選ぶことも、大切なんだと思うのですけどね。

2008/07/22

速報

英検の合格発表がありました。

2級は、7人受験して、1次試験通過が5名。2次試験は全員が合格しました。

準2級は、1次試験通過(免除も含む)4名、2次試験は全員が合格です。

2年次で2級に合格している生徒が1名いるので、これであわせて2級に6名合格ですscissors

今宵は、東京で従弟と祝勝会を開いてきます。(って、分かる人には分かりますよね;笑)

2008/07/20

ここから? 向こうから?

 イチロー選手が日米通算で2993本(3000本まであと7本)のヒット。野球をあまりしらないせいか、これがどれほどすごいかは実感を持つことができませんが、何となく偉業なんだろうなぁとは感じられます。

 この本数について、イチロー選手のインタビュー記事(イチローの孤独感 記録を追うものと見つめるもの)がおもしろい。

  • 僕は1本増えてると思っているけど、見てる人は減っていると思っている
  • 多分と言うか…、絶対的にそこが違う

 野球はよく分からないけど、この感覚は分かります。そう、例の自己表現活動を巡ってのことです。

 あの記事を書いた後、書いてはみたものの、どうもしっくり来ませんでした。大体こういうときは、自分でもまとまっていないときなんですよね。そして、普段にないコメント数をいただいて、さらに、しっくり感とは離れたところにいきました。なんとなく、感覚の差というか、自分の感性が違うところにあるというか。。。

 考えてみると、私の中では英語教育はあまり大きなウエイトがありません。英語教育の教授法や今までの歴史など、学問的なことには全くといっていいほど、興味関心がない(これは、断言できます)。「実用的な英語」なんていうこともありますけど、学校を卒業したらその実用は使わなくなる生徒がほとんどですから、火の気のないところなのに、防火対策をしっかりと立てようという、感覚がほとんど無いのです。

 関心があるものは、生徒の成長です。社会の構成員として、自分自身のことをかけがえのない「その人」だと思えるようになり、同じように他者のことも考えられる、そんな人間に成長して欲しいと願っています。英語教育はそのための手段であり、目的ではありません。(これは、同意しない人が多いかな;苦笑)

 だから、理論的なものよりも、実用的なことに私は感心があります。100の理屈よりも、1つの実践に興味があります。理論的なことは学者に任せればいいだけで、教諭は実践家であればいいと思っています。ただ、その実践のためにはある程度の理論が必要となってくるので、必要に迫られて、学んではいます。パクリだろうが何だろうが、使えそうなものは使っちゃいますcoldsweats01

 学力を高めることは必要だけど、これはエリクソンの「学童期」の勤勉性のためであり、英語力を純粋に伸ばしたいという感覚は私にはありません。だから、ナントカ国際高校の実践とかSELHiの実践はすごいとは思うけれど、関心が無いんですよね(瞬間的に影響されることはあるけどsweat01)。興味があるのは、生徒の取り組みの結果、何かが変わった実践なんです(林竹二の影響でしょうか、この感覚は)

 点数的に高い生徒でも、低い生徒でも、この感覚を大切にしたい。そして、授業だけでなく、部活動(特に運動部)の顧問として活躍している先生を尊敬します。生徒の成長は、教室の中だけで行われるものではなく、外でだって行われるものだろうし。

 そして、生徒が成長をして、その結果、学力が上がればいい。3000本という向こう側から見るのではなく、1つ1つの積み重ねが、3000本になるものではないかなぁ、学校の授業は。

 もちろん、偉そうにいっていますけど、気づくと曲がっていることもあります。(前々回の記事のようにね) でも、自分の中では大切にしていきたいものです、この感覚は。

2008/07/19

「そうやって、教員になっていくんだよね」

 前任校でお世話になった先生(すでに退職)と、出先で偶然に会う。生意気盛りだった初任の時を知っている先生と話すのは、照れくさくもあり、懐かしくもあるものです。

 最寄り駅まで送ってもらえることになったので、彼の車に乗っていたら突然、

  • この道を通るのは30年ぶり以上だなぁ。昔、無断で早退をした生徒がいて、自宅まで追いかけて、ひっぱたいたんだよ。

と仰りました。いやぁ、驚いた。紳士的な先生で、生徒のことは「くん」「さん」付けで呼ぶこの先生が、無断早退の生徒の自宅まで行って、ひっぱたいたんですか?? 私のイメージでは全く想像もできません。
 そんなことを話すと、

  • 倫太郎さんだって、初任の時にずいぶんと、とんでもないことをしていたじゃないの(笑)

と、いわれました。うーん、考えてみればそうだなぁ、って、どんな「とんでもないこと」かは、ここには書かない方がいいかも(笑)

 授業でもそうでした。いま考えれば、英語力のない生徒に対して、Wordsworthの詩を読ませてみたり、成田の英語ガイドを作らせてみたりなど、いまの自分だったら絶対にやらないことをしていたなぁ(苦笑) 当時、三省堂のVISTAがチンプンカンプンの生徒に、WordsworthのThe RainbowやThe Thornを読ませちゃいました。
 部活動にしても、毎週末はBBQをしていたし、独身だったからずいぶんと遊ばせてもらっていました。(マイナー競技だったけど、素人が顧問をして、7人全員がインターハイに行ったんですよ) 素人だったので、毎週のように他の学校に行き、教えてもらい、多くの人に助けられたものです。

 そんな思い出話をされてから、その先生からは、

  • 若いときには生徒を向いていれば、無茶をしたって生徒はついてくる。でね、そうやってだんだんと、教員はバランスの取れた教師になるんだよね。でも、最初から無茶をさせないようにと、初任者研修を強化するのは、味のある教員をなくすことにならないかなぁ。

と続けました。

 ワインでいうならば、名作のワインを求めるのか、工場で品質管理されたワインを作るのか、職人ならどちらを選ぶでしょうか。教員であれば、「名作」の先生方が、現場でイロハを教えていたのでしょう、昔は。職員室での雑談や、飲みながらの愚痴などが、大きな研修だったなぁ。壁にぶつかって、情熱と周囲からのサポートで、教師になっていったと、前述の先生は話しておられました。

 管理の強化と、職人的な教師の育成。いまの状況では、二律背反の命題になってしまうのは、どうしてなんでしょうね。

2008/07/16

悪意無き論争

 のっけから何だが、三省堂のサイトの斎藤栄二先生の「これからの1 0 年間に備えよ」という記事をご覧下さい。(このサイトはチェックしていて、tmrowingさんのサイトでも紹介されていた。) なんで、ご覧いただいたかというと、ここには温度差を感じるからです。

 ここで、次のような事例が述べられています。少々長いですが、引用します。

(例 3)ある研究発表2
優れた研究発表であった。学生のレベルはかなり低い。それにどう対応するのか。そのための実践を紹介された。授業構成もしっかりしている。研究発表のあとフロアから質問が出た。
「自己表現力などはどのように伸ばされますか」発表者は「a やthe の使い分けもできていない学生ですから,自己表現力といっても,無理だと思います。やはりもう少し基礎を積みあげてからのことになると思います」と述べられた。会場の先生方の間には「それはそうだろう」という感じがあってなんとなく納得したようであった。しかしその日に呼ばれていた講演者は,心理学専攻の方であるが,その後の講演の中で,この考え方にやんわりと疑問を呈された。私はさすがに鋭いと思った。ただ研究発表したご本人にその意味が伝わったかどうか。

なるほど。それに対して、齋藤先生はこの例について言及はされていないが、「基礎」という言葉に着目され、その基礎とはいったい何なのだろうか?ということを仰っている。確かに、そういわれたら、何も言い返せません。

ただ、私はこの「例3」の先生が、フロアからの質問に対して、ホンネで「もう少し基礎を積みあげてからのことになると思います」といったとは思えないのです。

 モチベーションとは、なかなか難しいもので、自分の価値観で人は動くと人間は思う傾向があるのか、経済的な利益や社会的な立場、もしくは達成感に至るまでいろいろなアプローチがあると思います。「これを上げればいいんだよ」というのは簡単だけど、実際は苦労します。確かにモチベーションが上がれば、成果はあるでしょう。「少しでも偏差値が高い大学へ」「少しでもいい成績を取りたい!」「少しでも学力を伸ばしたい!」という理想的な学習者には、それこそ、いろんなアプローチがあるはずです。私のように、PCに対する意識の低い人間は、どんなモチベーションを持てといわれようと、学ぶ意欲は「0」です。

 でもね、ここで紹介されているような、学力的に高くない生徒は、理想的学習者であるはずがないのです。もし、理想的な学習者であれば、学力的に低いはずがない。
 「モチベーションをあげるのは教師の仕事だろ!」「それで、給料をもらっているのだろう!」というご説、ごもっとも。「政治家は国民の財産と生命を守るのが仕事だろ!」「警察は犯罪を0にするのが仕事だろ!」「得意先を増やすのがお前の仕事だろ!」「産業廃棄物の処分場を作るのがお前の仕事だろ!」「売れる小説を作るのがお前の仕事だろ!」とまぁ、100%正しい「お前の仕事」をあげれば、それがどれだけ大変なことかは分かるでしょう。でも、それは簡単にいくことでもないのです。

 「自己表現活動」は、それなりのモチベーションが必要です。信じられないなら、やってみるといい。Readingや英語Ⅱではそれなりに授業に参加していた生徒たちが、Writingの時間になると急に、「別人」になっていく。「別人」という言い方が不適当であれば、無力感を感じるようになっていく。そして、ボクは途方に暮れていく。1クラスの数人であれば、やってくれます。でも、集団として考えたとき、自己表現のような活動になると、とまどい、困り、どうしていいのか分からなくなり、あいまいな状態になっていくことを、何度も私も経験しています。
 ここを乗り越えることは、とてつもないハードルがあります。単なる教授テクニックだけでなく、学習者の生徒とのシンクロされた意識も必要です。教師だけの努力ではとどまらないのです、だって、行うのは生徒ですから。この関係を、クラスの生徒の平均以上と結べる先生はどれほどいるのだろうか。少なくとも、私は多数派です。

 フロアからの質問をした人は、そういう学校で経験をしたことがない人か、もしくは若い善意に溢れる人なのかな。発表をされた先生は、そこまでの道のりだって大変なわけですよ。それなのに、その先のことをいわれたって、クラスは解体されるし、生徒は卒業しちゃうし、どうしようもないわけです。
 だから、発表者は戸惑った。「そんなことをいわれても。。。」 でも、何か答えなければいけないから、観衆が納得してくれる「葵の御紋」をそこで出すわけです。

  • a やthe の使い分けもできていない学生ですから,自己表現力といっても,無理だと思います

こういわれれば、観衆も何もいえなくなる。確かにそうですよね、それじゃ無理ですよね、と。そして、観衆の中には、その先生の実践に対して、すっげー!と思った人さえも、やっぱり、自己表現までは無理なんだぁと、ホッとしてしまう。その気持ち、よく分かります(^^;;

 でもね、この言葉(「aやtheの~~思います」)をそのまま信じてしまうということは、「俺はフェラーリとベンツを持っているぜ」という見栄を、そのまま受け止めてしまうことにはなりはしませんか?額面通り受け止めるのは、真実に近づくことなんでしょうか。

 この生徒たちは、高校生か大学生でしょう。ということは、中学校や高校の時に、英語の授業で傷ついているわけです。えーごなんて、勉強したくねーよー!という生徒なのでしょう。その生徒が、自分たちの負のイメージを越えて、しっかりと授業に参加するまで、どれほど大変な状況だったのだろうか。

 だいたい、そこまでの実践をなさっている先生だったら、"aとtheの使い分け…"なんてことをいうはずはない。その先生の足下にも及ばないだろうが、私なら、「そこまでの余裕がない」とはっきりいうだろう。確かにそれは必要かもしれないことは重々承知している。でも、そこまで手が回りません、それは今後の課題です、と。

 「基礎学力をつける」ことと、「自己表現力の育成」が同時進行であることは、理想的だ。自分自身も、力のある生徒はwritingを行うことで、自分の力の不十分さを感じてくれる。でもね、生徒のモチベーションを高めることを、「指導力」という言葉で割り切られても、正直言って困ってしまう。齋藤先生の文脈でいうと、教師の指導力で、実践して欲しいということになる。

 であれば、今までのほとんどの英語教師は、指導力がなかったことになる。英語教師を指導してきた、大学の先生方も間接的に、指導力がなかったことになりはしませんか?いや、もっといえば、今まで学力の低い生徒は「見えない」存在だったのではありませんか?それが、少子化で、学力低下がいわれるようになり、今まで大学に入学しなかった層の生徒が大学に入学するようになった。そこで、今まで「見えない」存在だった生徒(学生)を、目の当たりにしたのではないでしょうか。(これは、齋藤先生に論文に対していっているわけではありません、念のため)

 共通のことばは、その世界を経験した人でないと、なかなか共有できない。(私も、進学校と呼ばれる学校の先生とは、あまり共通のことばがないだろうなぁ、きっと) 学力の低い生徒の集団は、高い集団に比べて、人生が辛い季節から始まっている生徒が多いのではないかな。授業料の滞納状態や、中退率・転校率をみてみると、それは一目瞭然でしょう。経済的な事情のために修学旅行を断念する生徒、卒業証書が遅れる生徒、上級学校へ進学を考えられない生徒、もっといえば、母親の役割をしている生徒、アルバイトで生活費を稼いでいる生徒、もちろん自分の部屋を持っていない生徒、などなど、いくらでもいます。
 「それを言い訳にするな」という人もいるかもしれません。でもね、小学校(時にはもっと前)の時から複雑な家庭環境で、周囲を見ると、自分のような心配をする友人がほとんどいなくて、「それを言い訳にするな」とは私にはなかなか言えません。
 それを乗り越え、生きる力をつけるのが授業ではないですか? 学校ではないですか?

 さて、先ほどの齋藤先生はこの後の心理学者の方が講演で、発表に対してやんわりと批判をしたことに疑問を呈したことを評価し、その疑問が伝わったかと書かれている。この時点で、先生と発表者との間は、越えられない溝があるように思えるのは私だけ?
 心理学を専攻する人であれば、疑問を呈するのではなくて、そのような実践をした先生に対して、他のことを聞くことがなかったのかなぁ(って、聞いたのかもしれないけどね) 私なら、「先生が、授業を行う上で、生徒に対して意識をしていることは何ですか?」と聞きますね。この方が、授業で苦労している人には役に立つかもね。

 「理想的学習者」なら、いろんなことも出来るのかもしれませんが、「非理想的学習者」という事実の上で、どのような英語教育を行えるのか、いまだに試行錯誤の状況です。だってね、授業だけでなくて、生徒の存在そのものも、受け止めて初めて、人間関係が出来上がり、その上で授業が成り立っているじゃないかなぁ。(これこそ、同時並行だけどね)

 このやりとりは、まったく悪意が存在しません。あるのは、温度差だと私には思えるんですが、いかがなものでしょうか。

2008/07/15

名人とガン再発

羽生善治名人!

 いつか、ブログに!と思っていたのに、ついつい、、でした。羽生善治名人誕生はうれしいニュースです。小さいときには将棋少年で、小学校の時にはほとんど負け知らずでした、私。あの頃のあこがれの棋士は、谷川浩司棋士。将棋の本を読んでいて、月刊将棋だったかなぁ、名前は忘れたけど、雑誌の付録にあった「次の一手」を読むのが好きでした。
 中学校でバスケットをしていなかったら、今ごろはA級棋士だったのになぁ、なんて仮定法なら何でも言えますね(笑)

忌野清志郎、ガン再発
 正直、えっ!?と思いました。でも、「覚悟してたんでぜんぜんヘコんでないから。ブルースはまだまだ続いているというわけだ」というコメントに、彼の人となりを感じました。「覚悟」することは、言葉では簡単なことですけど、その覚悟を持った上で、どう生きていくかということに、それまで過ごした人生が現れるのかもしれません。
 ここに書いても伝わらないかもしれないけど、その生き方、尊敬します!

yahooのトップページを見ていると、

  1. 会議で自分の意見を通す術
  2. 仕事の効率化最新テクニック
  3. 増える名刺のスピード整理術

などがありました。これは、裏を返せば、、、

  1. 会議で自分の意見はなかなか通らない
  2. 仕事が効率的にできない
  3. 名刺の整理は難しい

と考えている人が多いということなのでしょう。なんか、ホッとしました(苦笑)

2008/07/14

もう一度だけ、大分の事件

 ブログには、マイナスのことをあまり書きたくない。というのも、マイナスのことを書いても、プラスになることがあるとはあまり思えないから。現状分析ということで、マイナスのことを書いたとしても、だったらその現状をどうすればいいと思うの?ということがない限り、読んでいてもイヤな思いをさせてしまうんではないかな。だから、マイナスのことは書きたくないだけです、というよりも、書いていないだけです。

 生徒が、図書館で「三国志」のマンガを読んでいた。吉川英治の原作を読んだこともあり、懐かしくなって覗いてみると、そこに孔明がいる。彼は自室にこもったまま、誰とも会わないで、解決策を考えている。そのことについて、

  • 軍師が出て行ったときに、解決策がなければ、人々は不安になるでしょう。解決策を見つけるまで、人前には出てこられなかった。

というようなことを言っていた。その通り。人々を不安に陥れるだけの現状分析と、人々の弱みにつけ込むどっかの宗教との相違はどこ? じゃ、君はどうすればいいと思うの?という問いかけに、後者は「祈りなさい、入信しなさい」という『解決策』の提案を持っているのに、前者はそれすら持たない。それでは、仲間は増えないし、同人誌の域は出ない。「思いが伝わらない」ということは実際にあるけど、どうやれば自分の思いが他者に伝わるかを考えずに自己発信をしたところで、大きな意味などあるのだろうか。

 世の中、あら探しをしていても寂しい限り。イタリアで落書きをした人、その落書きを写真にとって言いつける人、それを見て大騒ぎをする人、鬼の首を取ったかのように報道をするマスコミ、このレベルの低さの連鎖はどうにかならないものか? あら探しをしたって、生産性はないのに、どうしてあら探しをする?

 この頃の閉塞感はどこから来ているのだろうか?社会を包み込むような閉塞感はどこから来ているのだろうか? エントロピーの法則(「ぐちゃぐちゃになる法則」だと物理の先生が仰っていた)に逆らうごとく、法則が適用されるような状態を、制度や仕組み、時には権力でコンクリートで固めていく。実態にその法則が強く適用されればされるほど、さらにそれを守るために制度はグレーゾーンが強くなり、反動的な動きは強化されていく。この動きは、人の理性に訴えかけるのではなく、感情に訴えかける。人々の感情をシンクロしてきたら、魔女狩りの状態になるよね。
 理性で考えようとすると、どうして感情に訴えかけるニュースが流れて来るという私の思いこみは、都市伝説にすぎないのかな。

 そういう閉塞感を持った上で、大分の事件、またこんな記事が出ている。想像はしていたものの、こんな記事が出てくると悲しくなる。

この中で、「「先生もお金を払っているんじゃないの」と教師に問い掛ける子供もいる」という記事に無性に悲しくなる。子ども特有の「何気ない悪意」の問いかけなのかもしれないし、その教員に対する不信感なのかもしれないけど、こんなことを言われたときに、「失礼なことを言うんじゃない!」と怒らなければいけないでしょう、これは。「信用失墜の行為」に対して厳しい処罰があるのならば、信用に関することは、毅然とした対応をしなければいけないでしょう。
 こんな時に、「こんなことを言われちゃって。。。」なんて思ったらダメ。それとこれとは違う問題だということを、教えることも立派な教育だと私は思います。
 その一方で、こういう悲しむべき生徒・児童とのやりとりを作った責任を教育委員会は取るべきです。(報道が進むたびに、いろんな人の名前が出てきているね。入り口での人事が、その集団のパワーの源泉だったのかもしれませんね)

 全ての都道府県の教育委員会で、採用に関する書類を全て開示することはできないのでしょうか。今までの問題から、採点基準、その会議用のリスト、そして誰が採用されたのかということまで、すべて明らかにすれば、疑心暗鬼はなくなります。名前の欄を黒塗りで出しさえすればいいのだと思うんですけど、どうなんでしょうか。
 そうすれば、先ほどのような不毛なやりとりなどなくなります。

2008/07/13

ようやく終了

 英検の2次試験もようやく終了。長かったなぁ、ここまで。結果が出ていないので、まだホッとするのも早いかもしれないけど、今からじたばたしても結果は変わらないので、まずはホッとすることにします。
 1年生の時に、部活動にも入っておらず、英語の勉強をするかなぁという生徒を集め、それこそbe動詞から一緒に学習してきたという気持ちが強いので、ゴール地点を過ぎて、電光掲示板の結果を待つ選手の脇にいるコーチの気持ちです。(って、くどすぎるなぁ)

 準2級とのW組は、朝から会場に行きましたが、午後のみの2級組は午前中にもういちど面接の練習をして、それから会場へ。唯一の男子E君は、最後の練習が終わって、「今までありがとうございました」といっていましたが、それは全部終わってからいただきます、と答えました。

 全員が終了してから、前ALTのJさんもお招きして、我が家でBBQ。2年間、本当に長かったねぇと思いつつ、ささやかな打ち上げです。冷蔵庫や冷凍庫にしまってあった魚や肉を取り出して、最後はお決まりの焼きそば。

 こういう生徒たちとの出会いは、教員冥利に尽きます。

 今日はそんな幸せ感を抱きながら、早めに休みます。

2008/07/12

生涯一教諭のススメ

 暑い1日。学校で常駐している部屋が4Fにあり、風の通りが悪い設計になっているので、こういう日はとにかく暑い。クーラーもなく、扇風機が一台の準備室とは、冷房病が無縁なんですhappy01 CO2削減のため、学校だけでなく、役所も全てエアコンを止めてみたらどうでしょうか?おそらく、健康的になりますよ。

 大分での、教員採用試験を巡る金銭などの授受や、管理職試験に関わる商品券などのやりとりも、どこまで根が深いのかなぁ。飲み屋の与太話のようなウワサは聞いたことのある人も多いのだろうけど、実際にこう事件となってくるとどこまで広がりを見せるのか。
 「数百万払っても教員になりたいのかねぇ?」「高額な商品券を渡してでも管理職になりたいのかねぇ?」とは友人の言です。確かに周囲を見回すと、子どもには教員だけは希望させたくないという同僚もいるし、管理職の希望者も減っているところもあるのだとか。(確かに、後者は私はなりたくないですね)
 でも、そういう思いを持つ人もいる一方で、それとは逆の気持ちを持つ人もいるのですね。逆の気持ちを持つ人は、教育者としての自覚が強いのか、それともそのポジションの「旨み」を知っているのか、どちらなのでしょう。
 今回の口利きは、国会議員の秘書までいたというから驚きです。県会議員もいたんだよね。日本では、ノーブレス・オブリージュという概念はいつから失われたのだろうか?

 どちらにしても、今回のような人たちは、現場で児童生徒と向き合っている先生方を傷つける行為をしていたのです。「トカゲのしっぽ切り」にとどまらず、厳罰で臨んで欲しいものです。
 「教育に対する信頼回復」なんて言葉がむなしく聞こえますけど、そのむなしさを具現化するのは、現場の先生方です。PR活動や新規事業で信頼が回復できると思ったらオメデタイだけで、現場の教員が行うしかないのです(しかも、自分たちの上司の尻ぬぐいをする大分県の先生は大変ですね)。

 こういう事件が、他の自治体に波及するの?と思わせるような新聞記事もあり。日本の教育は地方に任せた方が良いのか、それとも中央集権的な方が良いのか。

 何度も書いているように、教諭で採用されたら、ずっと教諭になれば良いだけだと私は思います。誰しもが、最初から管理職や行政職になりたくて教員を目指したわけではないでしょう。だったら、日頃から教員が生徒にいうように、「初志貫徹」すればいいだけなんだけどね。管理職には、行政の人でも、地域に人でも、全体をマネージメントしてくれるなればいいだけでしょう。その代わり、職員会議での教諭の発言をもっと大切にすればいい。

 どんなシステムでも最高のシステムなどありません。ただ、エントロピーの法則をごまかすために、外からセメントで形を整えるのではなく、常に生まれ変わっていく組織の方が強固なんだろうなぁ。『生物と無生物のあいだ』 (福岡伸一著、講談社現代新書)を読んだせいか、そんな気持ちを持ちます。

 本日は、生徒5名と英検の2次試験の練習。明日が2次試験なので、今日で練習も10回目です。最初の頃に比べると段違いに上手になっているのですが、本番は緊張するからねぇ。「普段の半分しか力が出なかったdown」という人もいるけど、だったら、力が2倍になるように練習すればいいだけのこと。そうすれば、想定していた力が出せるというものです。
 願掛けもあり、あまり深くは書きませんが、結果が出たらまた書いてみます。

 ひたむきに学習や部活動に勤しんでいる生徒を見てから、インターネットの大分の事件を読むと、むなしさに襲われるのは私だけではないでしょう。

 で、本当に、今時の若者はいけないんですか・・・・?

2008/07/10

学習方法の共有

 タイトルがそのままだと、いくつまで行くか分からないので、タイトル変更。思ったよりも、細切れになりそうなので。

 本日は、来客あり。彼との話はいろいろな情報だけでなく、聞き上手な人だけに、話しているうちにこちらの考えもずいぶんとまとまってきます。本日は、首都圏の高校と、地方の高校との差異について教えてもらったことが、自分の中ではいちばん残ったことですね。これは、地方ほど、1~2ランク上の教科書を使うかということと一致しているのかな。
 教科書は、東日本は西日本に比べて、難しいものを使う傾向があると他社の方から伺いました。これも、同じことなのかな。この理由を単なる「傾向」とするのではなく、その地方の実情と絡めて考えると、面白い論文になると思うんだけどなぁ。

 さて本題。

  • それぞれにあった学習方法で勉強しよう

というアドバイスはおそらく100%正しいのでしょう。でも、100%正しいアドバイスは、必ずしも役に立たない。(というより、役に立たないことが多い) おそらく、100%正しいアドバイスはあまりにも普遍化しすぎたもので、個別的対応にとっては、抽象的過ぎるからだろうな。学習方法がまったく違っていたり、本当に必要としている層にとっては、そのような抽象的なものではなく、もっと具体的に教える必要があります。「え!こんなことまで!?」と思うなかれ。そこまで、必要なんです。それを、1年生の4~5月に使います。

 その基本的な学習は、以前にアップしたものです。(現在は削除済み) もし、お入用の先生がおられたらこちらまでメールを下さい。修正した完成版をお送りします。塾で使用されることは想定しておりません。一度、メールを下されば、その後のファイルができたらお送りします。(お手数をおかけしますが、メールには学校名もお書き下さい)

 やり方などの詳しい部分は、March 2008 を参照してください。

 このプリントで、基本的なルールができたら、次は実践!この実践が大切。実際に自分たちで行うようになると、必ず更なる文法(法則)が必要になったり、例外が出てきたりします。そのときは、まず考えさせて、教える。0の時に「考えさせて教える」ことには私は反対ですが、一定の素地があるのですから、考えさせて教えることは意味があるでしょう。

 今までのルールでは分からない。そこで、どうすればいいのか教えることで、生徒の中にすっと入っていく。ルールを広げるとはこういう事ではないかなぁ。
 生徒がそういう意識をもつようになるまでは、「例外は無視をして、シンプルに!」というのが大切だと私は思います。「なるほど。自分にも分かった!」と思わせるのが目的ですから、「こういう例外もあるんだけど、ここでは、、、」なんて教えない! 誤解を恐れつついえば、言い切れsign03です。生徒が「なるほど」と思った上で、「じゃ、これはどう考えればいいの?」と思ってはじめて、その上を学べることができる(=素地ができる)のだと私は思います。
 writingの目的のひとつは、この意識・素地を作ることですよね、tmrowingさんhappy01

具体的に、どうやって教えていくのか。拙著「短文で覚える英単語1700」を例にとってみると、、、

  • Can I sit ( next to you ) ?   (例文1)
  • Tom dedided to buy the chair ( for her ).(例文2)
  • ( In my experience ), saving money is very important.(例文11)

たとえば、例文1であれば、「ここの主語は I だけど、助動詞のcanが前にきて、、」とは私は言いません。「Can I ~?で『~していいですか』という意味だから、Can I sit で『座っていいですか』となる。そして、next to ~で『~の隣に』だから、next to youで『あなたの隣に』となる」という説明だけです。そして、音読や筆写、そして今なら対面リピートをします。
 例文11でも、saving moneyのsavingを動名詞だからとか、saveのeが取れているなんて説明はほとんどしません。「A is B.はA=B。Aはsaving moneだから『お金をためること』、Bはvery importantだから『とても重要』。savingはsaveの動名詞だね」しかいいません。そして、音読や筆写、そして今なら対面リピート。(って、しつこいか?;笑)

 授業を通じて、こちらから教えるルールだけでなく、音読や筆写を通じて、生徒に「分かる感」を持たせることで、それも共通の学習方法と自然となっていくのです。

2008/07/09

英検3級合格の方法③

 少し興味があり、中学校の6社の教科書を読んでいます。ざーっと目を通すことはあったけど、何かの目的があって読んでいくのもいいですね。正直、色々な意味で刺激があります。例えば、こんな難しい単語(句動詞)が教科書に出ているのかとか、例文で"thing"や"that"など何かよく分からないものを指す名詞を使うのは、よく分からないなぁ、など。例えば、

  • I am pleased to hear that.

は、学習者にはあまりイメージが湧かない例文ですね。著者にはthatが何を指しているの分かっているかもしれないけど(いや、考えていないかな)。 自分でも例文を逃げるときに、ついつい使用するので、これからは気をつけようっと!

 「英語的しつけ」は、大きく分けて2つに分かれます。

  1. 授業でのルール(宿題や小テストなど、日頃の学習に直結するもの)
  2. 学習方法の共有(勉強方法や考え方など、授業的な「押しつけ」)

教育相談でもそうですけど、思想から入ってもまず成功しません。「英語を学ぶ意義ってこういうことなんだよ~」から入っても、教員の片思いです。次に来るのは、「生徒は、こっちのいうことを、全然聞いてくれない」という言葉かな。中には、思想に共感して、さらに学習を進めてくれる層もいるのかもしれませんけど、私は今までそういう機会がありませんでしたので、よく分かりません。

1.授業でのルール
 予習と復習がありますけど、私は予習は生徒には課しませんでした。予習は生徒1人で学習する素地があることを前提としていますが、そういう生徒はほとんどおりません。だから、復習を中心に行いました。
 1年生1学期は、毎回小テストとして「短文~」を8題。1日につき4文ほど覚えるので、生徒が5~8を学習したら、次のテストは1~8。9~12を学習したら、テストは5~12。13~16を学習したら、9~16。このように、2回ほどテストを行いました。
 また、1学期限定で、合格点(5点)に達しなかった生徒は放課後集めて、再テスト。「でき抜け」です。(これは、結構きついけど、やるといったら、やらないとダメ) 1時間程度行っても、合格できない生徒も数名はいるので、その時には「ディクテーション」のようにヒント(答え?)を与えたり、最終的にはグループ解答(笑)をしてみたり、ともかく、成功させることで、終了させます。(この、「成功イメージ」で終わらせることがコツかも)

2は、また後ほど。

2008/07/07

英検3級合格の方法②

 ちょっと公私で多忙な日も終わり、ようやく日常へ。日常へと戻ったら、西の方で教員採用試験を巡る事件がありましたね。似たよう話しは知っている人も多いのかな。非常に親しい人から、とある話しを伺って驚きました。すごいなぁ。

 さてさて、公表されている情報だけを話すと、今の3年生が入学したとき、一般入試の倍率は1.06倍。134名合格で、不合格者は7名のみでした。入学が280人なので、ほぼ全入に近い倍率です。

 教科書をちょっと(?)背伸びをしてから、次に考えたのは、単語でした。何のかんのいっても、単語力がなければ、やはり英語は読めないし、聴けません。だから、どうやって単語を増やそうかを考えました。
 ちょうど、卒業した学年には単語力を増やすために、「VITAL3000」をやっていたのですが、それはそれで、テストビルダーを使って問題を作りやすいという利点はあったのですが、「細切れの単語」で定着するとは思えなくなっていました。もちろん、単語の脇に例文はあり、単語と例文を覚えれば力はつくのでしょうけど、それをやりきれるユーザーがどれほどいるでしょうか? 

 ということで、手前ミソながら、拙著の「短文で覚える英単語1700」を行いました。ただ、その時は、CDが標準装備されておらず、音声といえば、バーミンガムアクセントバリバリのALTが吹き込んでくれたものだけです。(この頃、DLする人も少なくなりました)
 で、これと、教科書とを使い、1学期の授業の始まりです。

 1学期の課題は、「英語的しつけ」です。授業の受け方や勉強の仕方、そして宿題なども含めて、どうやって学習していくかという具体的な方法です。この時に、「しっかり勉強しよう」「予習してきてください」「復習しなさい」では、ダメ。勉強するなら、具体例を提示して、「このように勉強する」、予習なら具体的に何をどのように勉強するのか、復習するなら具体的に何をどのように復習するのか、全てが必要となります。「具体的に、なにをどのように」というのを落とすことが、生徒との最初の温度差になってしまうと、この後に嫌なことが待ち受けるかも(って、これも抽象的だけど;笑)

 以前にも書いたように、この時期に「なるほど」ボタンを生徒に何度押させたかが、重要なことです。英語が分からなくて入ってきた生徒にとって、「この先生、分かるよ」と思うことは、そのまま信頼関係作りにも役に立ちます。

 この「英語的しつけ」にどう取り組んだかは、また次回ということで。

2008/07/02

英検からの取材終了

英検協会からの取材も終了。

 協会からはSさんとライターのNさんのおふたりが来校。普段通りの授業を見ていただきました。取り立てて準備をしたといえば、教室の後ろにイスを用意したことと、グループ学習のためのグループ分けの机の移動をしていたくらいでしょうか。生徒も必要以上にこちらには気を遣わないのが、いいですねぇ。教育実習の研究授業ではないので、気を遣い過ぎられるのも辛いものもがありますのでhappy01 
 違うといえば、私のネクタイ姿でしょうか(笑) 事情を知らない生徒からは、「どうしたんですか?」といわれたので、「今からデート」というと、「先生、そんなことばらしたらまずいですよ!!」。予期せぬ反応に、まだ自分も若いと思われているのだ、とちょっとうれしく思った私はどんだけなんだ(笑)

 見学していただいた授業の2時間目は、同僚の先生がお手伝いをしてくれて、授業をビデオに収めました。こちらも、完全に普段通り。8月19日の発表のためのビデオ撮りです。いつも通りの授業を、ウソなしで発表します。神奈川県の先生には、ご批判をお願いします。

 取材に見えたお二人に授業を見学していただいてから、3名の生徒にインタビューがありました。インタビューの間は、別件があり、全て一緒にはいられませんでしたので、どのようなやりとりがあったのか、よく分かりません。(記事で読むことを楽しみにしています)
 インタビューの部屋に入ったときに、将来の夢を聞かれたときにFさんが、「人のためになる仕事に就きたい」と答えたのは聞きました。うれしいね、こういう気持ちを彼女が持ってくれているのはup
 生徒インタビューが終わってから、とある女の子の話題になりました。彼女は、授業で自分の順番かと思えば飛ばされたり、旧に違う方向に指名の流れが進んだり、という経験をしました。その時、「ラッキーsign03」と思っていたそうです。これって、寂しいことだと思いませんか?というと、Sさんから、「ホントにそうですね」と共感をしてくれたことが印象的でした。「ムッとする」というのではなく、「ラッキー」と思うまで、彼女はどういう気持ちの変遷だったのでしょうか。
 先日のすばらしいお話を生徒になさった同僚は、「教師は、大きな挫折経験をした人がなった方が良いよね」と話していました。挫折は人を育てる、とはいわれることですが、「挫折経験は、生徒を生かす教師を育てる」ものです。「生徒を殺す教師」は、やっぱりダメですよね。(これは、小学生の保護者としての気持ちでもありますけど)

 生徒のインタビューを終えてから、雑談も交えて、1時間程度のお話を。自分としては、ちょっとマジメなキャラになりすぎたか?sweat01 いちばんよそ行きの姿だったのは私だったということか(笑)
 普段の授業にたどり着くまでの、方法論的な道のりから、哲学(授業に対する気持ち、という表現が適切かな)まで、好きなことを話していたのですが、それをじっくりと聞いて下さったSさんとNさんに深謝。ややもすれば、「こなす」という雰囲気になりがちな英語の授業ですけど、英語で傷ついた生徒が分かることによって、学習が楽しくなれば、生徒にとっても教師にとっても、授業がストレス源ではなく、エネルギー源になるものです。同じ時間を過ごすのであれば、よっぽどその方が素敵だと思うんですよね~、ということをお話しした1時間でした。でも、長く時間がかかったってことは、無駄話が多かったのかな(苦笑)

 「高校生にもなって英検3級では。。。」という人もいますが、私はそうは思いません。(以前はそう思っていましたけどcoldsweats01) 中学校の時に、英語の苦手な生徒にとっての英検の3級は「憧れ」、準2級は「別世界」みたいです。だから、高校2年生でも合格すると、すごく喜ぶものです。「憧れ」が手に入り、自分に自信がつき、学習意欲が出てくるものです。こういう成功体験の積み重ねが、「生きる力」に繋がるのだと私は思うのですけど、いかがなものでしょうか。

 STEP英語情報には、11・12月号(11月5日発行)に掲載予定です。プロフィールにある息子の33年後の写真が載ります(笑) 

« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト
無料ブログはココログ

おすすめ