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2008/01/27

人材はいないのか?

本日(2008/01/26)の東京新聞朝刊に気になる記事が。

  • 東京都港区では本年度初めて、早稲田アカデミー(豊島区)の講師が新人教員対象の研修の一部を担当し、発声方法や授業の進め方などを教えた。
  • 代々木ゼミナール(東京都渋谷区)によると、2002年度ごろから教員研修のための高校への講師派遣以来が本格化し、現在は公私立あわせて百校近くあるという。受験に絞った指導の方法から、推薦入試の志望動機書の書き方まで”伝授”している。

 もちろん、所属場所にかかわらず優れた教授力を持っている人はいるでしょう。早稲田アカデミーや代々木ゼミナールから派遣される方々の中にも、優れた方がおられるに違いないと私は思います。

 でも、素朴な疑問があります。

 どうして初任者研修という、教員に大きな影響を与える研修の時に、どうして先輩教員がこういうことを教えないのでしょうか。優れた実践を重ねている先生は、少なからずいるでしょう。そういう先生が中心となり、受講する教員がお互いのアイディアを持ち合って、議論したって文殊の知恵となるものです。(こういうときに、英語で話し合いをさせたり、英語で授業を行えという前提のために、議論が深まらないケースもあるかもね) 

 中学校は「中学校」というカテゴリーで話しをすすめられますが、高校では学校によって全く違う世界となります。
 「中学校」なら、多くの家庭がそこにはあり、塾には通えない生徒だっているでしょう。そういう生徒たちがお互いに高めあうことが学校なのであり、何度もこのブログで書いているように、授業は授業で切り離せるものではなく、教育という枠組みの中に位置するものだと私は思っています。教育なのだから、そこには「営利」という感覚はなじむものではないので、底に働く多くの教員は、「残業」「休日出勤」という意識をあまり持つことなく、仕事をしているのではないのかなぁ。

 少し話がそれましたけど、現場で力量がある先生も、まとめ役として講師をされていないのかなと私は思いましたけど、どうなんでしょう?

 代ゼミのケースも同じです。受験に絞った指導って、どんな指導なんでしょうか? 英語であれば、TOEICや英検のような試験であればまだしも、複数大学を受験するならば、対策なんてできないのでは? ましてや、今年度のセンター入試みたいに傾向が変わったらどうするのかな。
 推薦関係の志望動機書の書き方の”伝授”って、何でしょうか? 自分がどうしてその大学で学びたいかを書けばいいだけでしょう。それを読み手が理解してくれるように書けばいいだけであって、それとも、読み手が「ういヤツじゃのぉ」と思ってくれるような書き方をご指導いただいているのでしょうか。誰が読むのか分からないし、さらには、そんな細かいテクニックの入れ知恵が、その生徒の10年後20年後の幸せに通じるのでしょうか。

 東京新聞の河上亮一氏のコメントと、方向性が似ていることは私にとっては複雑な思いもありますけど(苦笑)

 書くとPRみたいなので、これ以上は書きませんが、和田中学だって、中学校とは関係なく、地域本部が近所の公民館を借りて、補習をすればいいだけでしょう。SAPIXにしたって、「将来、地方で展開する場合、公立との連携のノウハウを蓄積する意味もある」(東京新聞)というねらいを公言してます。

 教育とは何なのか。
 学力低下、学力低下をおおきな声でいい、それで利用しているのは誰なのか。
 公立学校には人材がいないのか。

 私も予備校に行っていましたが、予備校には同窓会はほとんどないでしょう。「恩師を囲んで」なんて、あまり聞いたことがありません。しかし、学校にはあります。「母校」という呼び名があるほど、深く心に刻まれるものでもあります。

 ちょっと話がそれますが、だから教員は匿名でもなんであっても、生徒に愛情を持たないブログを書くべきではないと私は思っています。

2008/01/26

進路とは生き方に通じるのでは?

(1月24日)

 本日は英語Ⅱの授業が2時間。アボリジニーの芸術についての内容なのだが、思ったよりも生徒も興味を持ってくれているようで、授業終了後に充実感のある疲労感(^^) ただ、次の文が解釈で疑問を感じました。

  • I wanted to paint dingoes hunting in the rainforest.

TMを見ると、hunting in the rainforestがdingoesを飾っている(熱帯雨林で狩りをしているディンゴ)と書いてあるのですが、知覚動詞のようにSVOCの方が自然ではないか、と思って同僚の先生方に相談しました。調べ方が悪いのかもしれませんが、「ロイヤル」にも「江川文法」にも書いてなく、俺の考え過ぎかなぁと思っていたら、paintもSVOC(C=現在分詞)を取るとありました。

  • 例解 現代英文法事典(安井稔、大修館書店)

これを読み、疑問も氷解。もっと英語の力をつけないといけないと、痛感しました。

 その後、とあることで困ったことが。。。詳しくは書けないのですが、自分の知らないところで勝手に自分の名前を使用されてしまいました。学校では決してないようなことも、一般社会の中ではされることもあるのですね。前日のブログの内容がまさか自分に降りかかってくるとはなぁ(苦笑)

 LHRでは、進路について。「勉強しないで、管理栄養士になりたいんだけど、どうすればいい」ということを昔の卒業生に聞かれたことを話の掴みに。「他者の献立を作る」という大切な仕事と、「勉強しないで」という前提とは相容れないものだ、人間はずっと学び続けていくことが大切ではないか、とまさに「担任教」の時間(苦笑)
 「少しでも偏差値の高い大学」という視点ではなく、「どのような生き方をしたいか」という哲学をベースとした進路指導ができるところが、「進路多様校」でのいいところでしょう。ただ、勉強することは大切だことだという視点は忘れず、「勉強をしたくないし、働きたくないから、、、」という視点は絶対に持ちません。
 入試等で自宅学習が増えるので、「今の自分から15年後の私」へと、「15年後の自分から今の私」へと手紙を書かせる予定です。「将来のために現在をガマンする」という生き方は私は賛成できませんが、「現在を精一杯生きれば、将来につながる」と思っています。

(1月25日)

 本日はALTとのTT4連続。いつものように、拙著の単語集をフレーズ分け、コロケーション探しをして、SVを生徒に考えさせます。その後、日本語で私が説明をして、ALTが英語で説明 → 音読と対面リピート。ALTには、いろいろなグループに対面リピートで参加してもらっています。その「裏番組」として、私が他のグループにはいると、「えーーー、J先生の方がいい!」といわれることも(笑) 「うるさい、今回はガマンしろ」「じゃ、ガマンする」と妙なコミュニケーションを取りながらも、こういう「無駄」もいいものです。
 教科書は、相変わらずのちょー簡単な内容なので、問題→dictation。問題の時には全て簡単だと思っていた英文が、dictationとなると小難しく感じるようですね。smallをまだsmollと書く生徒もいるのですが、dictationを終えてからペアでお互いにチェックさせ、その後に答え合わせ。
 ALTとのTTは生徒が喜びますね。単に楽しいだけではなく、目に見えない「意欲」と転換できるような援助が次に必要かな。

 放課後はようやく英検テスト。やはり、うまくはいかないものですねぇ(苦笑) 2級は何度かブログに出てきたFさんが合格しているかどうかのギリギリライン。お得意の「マークミス」がないことを、ただ祈っています。

2008/01/22

人と人とのつながり

 哲学的なことを考える1日。といっても、底が浅く、哲学というには軽すぎるか?(苦笑)

 自分での自分の本を売り込むことに、疲れた、もーぜんぶやめる!と某ミクシーに書いたところ、マイミクである卒業生から教員をやめると勘違いされてしまいました(^^;; その時の卒業生の暖かい思いに思わずウルウル。教師という仕事は、生徒に救われ、生徒に育てられることがあるという、特権的な仕事です。生徒が「お客様」であれば、こんな経験はほとんどないのだろうな。

 先日のある研修会では、とても精神的に安定して「大岩」のイメージがある先生にも、メンタル的な危機があったと伺い驚きました。今だから申し上げられるのですが、私も昨年の5~6月に同じようにメンタル的な危機がありました。あの時のことは、その危機を完全に脱し対までも、辛い思いがよみがえります。また、他にもあるのですが、こちらのことは今の職場を転勤してからじゃないと書けません(^^;; 
 まぁ、良い意味での同僚性が失われ、そのプレッシャーがかけられるのは、困ったもので、「あの先生は生徒を○人やめさせた」と妙な「評価」をする人がいたり、自分の気にくわない生徒(私のクラス)を話題にして、「赤点をつけて、単位を落とすことも担任の仕事だ」なんていわれたような夢をずーーーっと昔に見たなぁ。もちろん、夢の中で拒否しましたけど(笑)

 故・河合隼雄氏が「人生は道草があるから楽しい」というようなことを本でよく書かれています。これは、ホントですね。「真水」には魚は住めないのと同じように、道草もせずに、最短ルートで毎日過ごすことは、「正しい」のかもしれませんが、「思い出」「楽しみ」にはなりません。時にはする道草、時にはするサボり、時にはするちょっとした悪いこと、そんなことが、日常生活のエネルギーとなっていくという人間についての理解なしに、人間を扱うことは難しいのではないだろうかなぁと思います。その難しさから逃げるのにいちばんいい方法は、「正しさ」を全面に出すこと。「これは、決まりだ」という「決まり」で押しても何も生み出しません。筋を通せば解決するのであれば、世の中はもっと単純です。

 通さねばいけぬ筋と、曲げてもいい筋、そして時には曲げてもいい筋があり、どーでもいい筋にまで力を入れていたら、人間は耐えられなくなるのでは?

 頂戴するメールの中には、私がさも特別な教員であるかのような誤解をされる方がおられますが、そんなことはありません。ごくごく普通の教員に過ぎません。
 でも、同じ職場には同じ思いを持ってくれる同僚がいて、すばらしい生徒と卒業生に出会えたことは、ラッキーだったと思っています。

 って、何を書いているんだ、俺は?(笑)

 まぁともかく、本日も授業にESSは両方とも順調。何度かブログで登場したFさんは、おそらく今度でパスするかな。あとの可能性のある2人も最後までトライさせていきます。

2008/01/21

正しく音読をしてリスニング

 降るはずだった雪も降らず、生徒はいろいろな意味で残念そう(笑) でも、今日も全員が出席したので、こういうときは1日がすてきに過ごせますね。

 昨日は、某塾から英語の苦手な生徒への学習方法の提案というタイトルで、社員研修の依頼があったので、市川の某ホテル。終了後、多くの方々とお話をする機会があったのですが、その中のお一人が、高校時代で同じ部活の仲間と大学時代に同級生だったということが分かりました。世間は狭いですね。
 英語の苦手な生徒に対する自分のノウハウをお話しすることはイヤではないのですが、様々な事情があり、営業的なことを行わざるを得なくなり、疲れてしまいました。これからは、自分の本の紹介は一切やらないと心に決めました。(もちろん、塾のための営業ではないので、勘違いなさらないで下さい) 得手不得手があるとすれば、私には営業は無理です。

 英検まであと3日。ESSのメンバーは順調に成長しており、英検サイトからDLしたリスニングの問題を行ってから、同じくDLしたスクリプトを音読させています。リピーティングや重ね読みだけではなく、正しく音読がいちばんのリスニング指導だと改めて実感。
 本日は、英検用の問題集から、実際のテストよりもやや難しめだと思われるリスニングをしたところ、思ったよりも点数が伸びていますね。「記念受験」という気持ちも多少はあった生徒も、そして私も、結構、色気が出てきました。
 その後、土曜日のセンター入試の並べかえ問題。伸び盛りのFさんは、見事に全問正解。適語補充の語法問題も、「ピーナッツでやった単語が多くあった」といい、ある程度、できたようです。うーん、すごいね、君たち。並べ替えでは、「まとまりを見つけて、主語動詞を考えること」を最初と最後に行わせ、「ヘンだなぁと思ったときには、間違っている可能性が高い」という、抽象的なのか具体的なのかよく分からないアドバイスなんだけど、これが生徒にはなぜか受けいられます。どうしてだろうね。

 授業では、対面リピートを新出語句にも取り入れて、早めに終わった「できるお友だち」グループには、英語の対面リピートだけでなく、「日本語→英語」や「英語→日本語」の変則対面リピートという名の問題の出し合い。けっこう盛り上がりました。

 本日の東京新聞に山口二郎氏の記事が秀逸。

  • こと人文・社会科学に関する限り、十年一日の教育でなぜ悪いのだろうか。そもそも人間は、十年どころか、プラトン、アリストテレスの昔から何千年ものずっと同じ問いを考え続けてきて、まだ答えを見いだせていないのである。私たちの時代に新しい意匠を競っても、後世の人間からバカにされるのがおちである。

これは、英語教育にも当てはまりはしないのだろうかなぁ。時流に乗ろうとするのもいいし、先進的なものを考えていくこともいいけど、もっと泥臭い教育が私には魅力的です。パソコンを使ってのナントカlearningなど、私には受け入れることができません。
 大人が子どもの成長を援助して、その子どもが人格を完成させる人間へとなっていくさまを喜びとして見られるという特権が教師の楽しみです。ときには泥臭いこともあるけれど、その臭さがなくなってしまったところにあるのは、無味乾燥としたコンクリートの建物になってしまいはしませんか。

2008/01/20

「ゆる(英語)教師」のススメ

 午後からESSの日(土曜日)。 英検が近づくにつれて、生徒の真剣さも高まってきたようです。一方、私は英検対策に食傷気味になっているけど(笑)

 昨日のブログの続きになりますが、教員のメンタルヘルスについて考えたいと思います。

 まず、教員はマジメな人、しかもそのマジメに「とても」がつくほど、マジメな人が多いと感じます。書類を書き、授業を行い、勤務時間が終わった後に会議を始め、児童・生徒のためなら「そこまでやるの?」と勤務時間など関係なく始めます。

 「教員は民間では使い物にならない」なんて言われますが、確かにそうでしょう。ウソついてまで紙を作ったり、賞味期限を書き換えてものを売ったり、偽装請負をしてみたり、事前に得た情報で株の売買をしたりなんて、ほとんどの先生方が「受け入れられない」というでしょう。「間違ったことをしているのはおかしい!」と考えたりと思ったら、どっかの紙のメーカーにも、どっかのお菓子メーカーにも、どっかのカメラメーカーにも、どっかの放送業界にも入れないわけです。私は喜んで、使い物になりたくないですね。
 若者を、「使い捨ての労働力」とさえ呼ばれる日々雇用などの非正規として雇用し、莫大な利益を得て、それを経営者と株主に還元している大企業のエライ方々のメンタリティーと、児童・生徒を成長させて、自分たちの人生を歩ませようと教育をしている教員のメンタリティーとでは違うのは当然です。

 確かに不祥事がマスコミで報道をされることもありますが、100万人ほど教員がいるわけですから、その中には不祥事を起こす人たちもいるでしょう。その中の1万2万の仲間が不祥事を起こしているのであれば確かに問題ですが、ほんの一部でしょう。

 教員がメンタル問題が原因で休職している人が多いようです。(http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20071229ur05.htm) 確かにそうでしょうが、これが全てではないでしょう。実際、療養休暇を1年間に30日以上取っている教職員がとある市町村では4%程度いるようですし、ギリギリの状態まで働いて退職をする人だって少なくありません。

 この危機を引き起こすものは転勤や生徒指導の難しさ、保護者とのトラブルなどがあるようです。
 そして危機を回避させられるものは、同僚からの支えと管理職のフォローです。疲れていると思った教員(特に採用から5年程度までの若い先生)をフォローして、ときには休暇をとらせることも必要だそうです。

 いちばん危機を引き起こすものは、同僚が同僚を管理する形態でしょう。休暇を取ったり、仕事でスランプになったときにも、「仕事なんだからしっかりしろ」「この程度はやれ」という、管理職を狙っている同僚(ナントカ主任のケースが多いかな?)が、「ういヤツじゃのぉ」というお褒めをいただきたいために、他の職員にけしかけるケースなど最低でしょう。
 小学校のように、管理職の影響力が強いところであれば、「今年は○○研究校になったから、これをやるぞ! がんばって文部大臣賞を取るぞ!」なんていうケースも大変でしょう。こんなときはその学校に通う児童が被害者になってしまうケースさえあります(これは、保護者として感じていることです)。
 同僚性の大切さを考えたとき、教員の能力給はこれを失わせはしないでしょうか。

 ちなみに、高校では小中とは教員のメンタルヘルス問題が異なるようです。小中学校に比べて、高校は地域性や偏差値によって、同じ高校とは思えないほど違いがあるものです。授業料の滞納や減免率1つをとっても、学校によってぜんぜん違うでしょう。だから、高校では特定の学校にメンタルヘルスの問題が生じるようです。

 教員の仕事は際限がないものです。やろうと思えば、いくらでも課題は見つかる。その上、事務的な仕事まで多くある。部活動1つにしても、中途半端な位置づけの中で、教員が行うことになっている。土日に1日働いて、その休日手当が1200~1300円(職場までの交通費を含む)なのに、生徒が待っているからと、部活動に出る。その上、「教師は学校のことしか知らない」という心ない中傷さえ浴びせられる。そりゃそうでしょ、これだけ学校と自分の生活が密着しているなら。

 メンタルヘルスを大切にするためにも、「ゆる教師」になりませんか。あれもこれも全て行おうなんて考えない、優先順位を決めて、「どーしてもこれだけは」というものだけを大切にすればいいだけで、それ以外のものは「どーでもいいよ」としたらいかがでしょうか。

 先日の講師の先生のお話が胸に滲みます。

  • こなすことのできた教員は、どこかで「いい加減」さが必要で、仕事の優先順位をしっかりと持っている。これは、大学でいわれるよりも、同僚の教員が伝えることが必要だろう。「寝ているのか?」「レポートよりも、元気な姿で学校に来ることが大切だ」と同僚が若い先生に伝えることが大切だ。

 先生方が、元気な姿で生徒の前に姿を現し、安定した状態で生徒と接することがいちばん大切なことです。
 自分たちが生徒だったときには、どんな先生が好きだったか、RCサクセションの「ぼくの好きな先生」は、事務仕事をする人でも、ギチギチに仕事をする人でもないでしょう。自分の生き方を持って、安定した精神状態で生徒と向き合う先生こそ、生徒にとっては救いになるのではないでしょうか。
 そう考えると、「ゆる教師」もすばらしいと思いませんか?(^^)

2008/01/19

実感をもて! いや、持って下さい。

 金曜日はALTとのTTの日。彼とはウマが合うこともあり、授業の内容も細かい部分まで決めなくても大丈夫です。生徒の様子を見ながら、「つかみ」の話題を決めたり、イマイチだと思ったら別の話題に変えたりとします。こちらが想像もしなかったことに反応をするので面白いものです。ちなみに、本日の「つかみNo.1」は「クリスマスディナー」について。ちょうど、家庭科での調理実習と重なる話題だったので、J先生が自分で作ったアップルパイの話題に盛り上がりました。
 話題に引き込まれた生徒を見ていると、しっかりとこっちを見ていますね。普段はあまり積極的でない生徒でさえも、「ツボ」にはまると隣の生徒に「いま、こんなこと話しているの?」と聞いているし(^^) そんな積み重ねが、生徒の力になっていき、授業を作り上げていくのだなぁと実感。

 放課後は、英検対策の勉強会。まずは準2級組から。本日の課題は2つ。1つは、「Question」が終了した直後に答えを選び、絶対に変更しないということ。もう1つは、No.11~始まる問題の選択肢を事前に読まずに、問題を解くこと。

 前者の目的は、問題が終わってから、「1番かな。いや、でも、、、もしかしたら2番かも。どっちにしようかな。。。」と思っているうちに、次の問題に進み慌てる生徒がほとんどなので、それを矯正するため。

 後者の目的は、事前に問題を読むことの大切さ。問題文を読み、内容を想像して、積極的にリスニングをしていくことが大切だよと伝える。

 終了後、答え合わせをしていると、今まで点数が取れなかった、No1~10が7~9点取れるようになっていました。そして、No11~30は事前に問題を読んだときに比べて、読まずに行うと難しいという実感を生徒が持てました。(この「実感」が大切) 

 終了後に、本日の感想の共有。良かったところと悪かったところを全員で共有することは大切です。本日の気づきは、「自分の英語力に対する信頼が大きくないから「最初の答え」に信頼が持てないが、最初の答えがあっていた。結構、英語力がついてきているんだね」ということでした。ちなみに、準2級組はほとんどが、ESSの生徒ではなく、普段の授業だけを受けている生徒です。

 その後は、いつもの「ピーナッツ」のリピーティングをしていた2級組の5人と2級のリスニングの過去問題。準2級組と同じアドバイスで、「自分の英語力を信じて、最初の答えを選ぶこと。選んだ直後に次の問題に移り、選択肢を確認して、問題文に備える」と伝えました。

 本日の結果は、伸び盛りのFさんがなんと、初の大台20点! 一皮むけたみたいです。その他の生徒は、、、(苦笑) まだ信じ切れていないのね、自分たちの力が。
 Fさんに感想を聞いたところ、「選択肢にばかり関心が今まで向いていたけど、リスニングに集中できた」ということをはっきりと言っていました。もともと力がある生徒だったけど、コツが分かったようで、これからはコンスタントに20点以上取れるだろうな、彼女のは。

 なるほど! もしかしたら、俺のアドバイスが生徒に正しく伝わっていなかったのかも、と思い、ちょっと軌道修正をしましょう。相変わらず「最初の答え」と生徒に伝えていたけど、それでは上手にできないこともあるのですね。

 夜は、心理関係の勉強会。本日のお題は「教員のメンタルヘルス」について。なるほどな、と初めて気づくこともあれば、何となくそうかなぁと思っていたことが、言語ができたことがいちばんの収穫。「モンスターペアレンツ」という言い方があるけれど、これはBPDの保護者の一部と理解した方がいいのではないかと思っていたところ、講師の千葉大学のH先生が同じことを仰っていたので、やっぱりそうか、とちょっとホッとしました。(ホッとしても仕方がないんだけど;苦笑)

 この話題も書きたいのですが、長くなってきたので、これはまた次回に。

2008/01/17

あと8日で英検です

 朝起きると庭に雪が! せっかく自転車で通勤予定だったのに、車で行くことにしました。電車も遅れ気味で、1限目の授業が心配されましたが、そのクラスはなぜか朝から全員が朝からいます(笑) ウチのクラスもそうだったけど、雪が降ったり、台風がきたりすると、出席率が高くなるんだよなぁ。どーしてだろ?(笑)

 2学期から懸案だった、ブログには書けない課題もクリア。課題が起きたときに、本当に自分が心理学を勉強していてよかったと思います。本や講演を通じての勉強もいいけれど、「事例検討」がいちばんだよね。どれだけケースを持っているかで、先の見通しがつきます。今回は3つのケースが同時におきて大変だったけど、生徒の可能性を信じつつ、援助し続けていけば大丈夫かと楽観していただけに、それが正しかったことが分かりました。とにかく「一点突破」が教育相談の基本です。理念を広げようとしちゃダメ。実例は理念よりも説得力がありますから。

 「関わること」はとても簡単だけど、「関わり続けること」はとてもパワーが必要です。これは、教育相談に携わるもの(≒全ての教員)は肝に銘じておかなければならないのでは?

 それは、授業にも同じことがいえるかな。「教えること」はとても簡単だけど、「教え続けていくこと」はとてもパワーが必要ですね。
 人間は感情を持つ生き物だから、どんなに正しいことを主張しても、「し続ける」行為がない限り、そこに信頼関係は生まれにくいもの。信頼関係がないところに、「教える/教えられる」の関係は生まれないものですね。

 授業もようやく本格的になってきました。ちょっと長い部分でしたが、なんとかクリア。今回から授業ではちょっとした工夫をしたところ、これもツボにはまったようです。内容を書きたいのですが、次回の教科書の改訂のスパイスにしたいので、ヒミツにしておきます(笑)
 ESSは、リスニング指導で四苦八苦。あれほど、「最初に答えだと思ったものを答えなさい」といっているのにもかかわらず、「もしかしたら、1ではなくて2かも、、、」という迷いを生じてしまうために、15点前後の点数しか取れません。「直感」で答えたら、20点は取れているのに!、と、生徒だけでなく、こちらもイライラしてきます(苦笑) 
 とある生徒が、「10月からリスニングが伸びてない気が…」というので、「確かに15点前後で同じ点数だけど、10月にあなたがこのスコアをとったのは準2級であって、今は2級の問題なのだから、力はついてきていると私は思うんだけど、あなたはどう思う?」と伝えました。
 英検協会のサイトからDLした過去問題のスクリプトを生徒に渡し、それを自宅で音読するという宿題を出しました。英検協会が過去問を見られるようにしてくれたこと感謝です。

 話題転換。小学校で授業数が増える見通しになったとか。

 言いたいことがたくさんあるけど、もう少し自分の中で落ち着いたら書いてみます。

 フィンランドの教育を見習うという姿勢はどこにもないのでしょうか。まぁ、確かに、雨宮処凛的にいうならば、若者を食い物にする会社が大きくなっているのであれば、フィンランド的な教育を求めることはないのだろうけどなぁ。

2008/01/14

了解しました

 本日はESSのみ。本日のメニューは次の通り。

  1. 英単語ピーナッツのリピーティング
  2. 英検の問題集から並べかえ
  3. 英検のサイトの過去問から長文問題

あまり、英検対策とかTOEIC対策という○○対策は好きではないのですが、問題に慣れておかないといけないので、今週からは英検2級の長文対策。
 ともかく、いつもながらのピーナッツリピーティング。777番まで生徒も学習をしてきたので、日本語を見ながら英語を聞いて、真似ての音読。50分となかなか長いので、集中力の鍛錬にもなるし、英単語の鍛錬にもなります。徐々にピーナッツも定着してきたようで、長文を読んでいて、「この単語出てきましたよね」という生徒の声もちらほら。「ただ、どんな意味だったかまだ思い出せない!」というときには、「コーヒーは熱いウチに飲まないと美味しくないからね♪」といって、すぐに本を開かせて、確認させます。

 その後、問題集の並べかえ。旺文社の対策問題集だけど、ちょっと難しくないかな? ちょっとというより、とっても。。。でも、生徒がジグソーパズルよろしく考えているので、まぁこれはいいかな。冬休みからのwritingシリーズと、この並べ替えで、ずいぶんと生徒は英語の作りと、まとまりについて意識をするようになりました。

 その後は、時間を計っての2級の長文問題。初めての過去問だったのですが、思ったよりもデキはいいかな。3Aと3B、4Aをそれぞれ7分で解いたのですが、半分は全員ができていました。「悩んだときには、最初に答えだと思ったところ」といい、4Aの選択問題では、「選択肢のキズを見つけて、アンダーライン」といいました。3番でのアドバイスがいいかどうかはともかく、4番の「キズを見つけてアンダーライン」は生徒のツボにはまった久しぶりのアドバイスのようでした。

 もしかしたら、ホントに何とかなるかなぁという思いながら、今週も学習に励みましょう。

 先週、ちょっとムッとしながら、冷静に考えたこと。

 とあるところから、生徒向けの奨学金の話をもらえるかもしれないので、そのことを管理職に伝えたところ、「それは出張にならないから、休暇を取って行って下さい」と最初にいわれました。「公的なものであれば別だが、それ以外は個人の資格で行って下さい」とのことでした。別にこちらは、出張にさせろとか、休暇はイヤだ、とかはひと言もいっていないのに、です。

 「休暇で個人の資格で行くのは分かったけど、だったらもし奨学金の話をがもらえるとしたら、私がどの生徒にその話をするか決めていいのですね」と聞くと、「そういうことになりますね」という返答。うーん、なんだかなぁ、ホントにそれでいいのかい?(苦笑)

 「そういう話があるんですか。生徒のためなのだから本来は出張にしたいんだけど、制度的に出張にはできないので、休暇でお願いできますか」というひと言があれば、こちらの受け止め方だって変わるでしょう。

 さて、コミュニケーションっていったい何なんでしょうか? 制度的な決まりを伝えたり、たんなる情報伝達をしたりすることが、コミュニケーションなんですかねぇ。潤滑油としてのことばや、やりとりこそ、コミュニケーションの大きな役割だと思うのですが、どーも私には英語でいうこの「コミュニケーション」の意味がよく分かりません。
 「自分の気持ちを伝える」というのであれば、全てI want to ~でいってしまうような、そんなことさえも、「実践的コミュニケーション」となってしまうわけでしょ。コミュニケーションだけでなく、アサーションも勉強しないと、大変なことになってしまいませんか。相手の主張を受け止めつつ、上手に相手に気持ちや内容を伝えていくことこそ、本当の「実践的コミュニケーション」なのではないでしょうか。

 「アウンの呼吸文化」の中で日本人にはこれはなかなか難しいかもしれないですけど、コミュニケーション英語となるのであれば、必要になってくるかもしれませんね。

2008/01/12

頼るのではなく、料理しよう

 1週間が終わり、本日はESSのみ。並べかえ問題が、出来たり出来なかったり。いちばん力がついてきた生徒はコンスタントに4題正解できるようになりました。平均すると3題かな。ともかく、英検まであと2週間なのでじっくりと学習させたいですね。

 この頃、学校にいろいろな会社から教材の見本が届きます。一括採択をしているから、送られてくるのかな。辞書でもいろいろな営業の方がお見えになりますが、ふるーい辞書をあたかも在庫処理として売りつけようとしていたT社の営業の方は会社を退職されたようですし、「他社は何割引ですか?」と聞いてきたこれまたT社の営業の方は、こちらが顔を覚える前に変わっていきますね。何でもそうですけど、いいところだけを言うのではなく、マイナス面もしっかりと話してくれる誠実な方がいちばん信頼できます。

 それはともかく、今日はちょっとした疑問。どうして、多くの高校では文法書を買わせるのか、という疑問です。tmさんのブログと話題性が被ってしまいますのが、モヤモヤとしていることです。

 以前に生徒から、爆発的な人気を誇る参考書の話題となり、こんなことを聞かれました。

  • この参考書を、最初から最後まで読めば、英文法は分かるようになりますか。

 参考書って、辞書的なものだから、最初から読めば分かるというものでもないだろうし、だいたいそれで分かるなら、どこかの学校で、英語の時間を「読書の時間」にしているでしょ、と答えました。もちろん、それで分かるような生徒もいるかもしれませんが、圧倒的な多数の生徒は通読で理解できることはないでしょう。

 参考書は、その著者が自分の分かり方で書いている側面もあるのではないでしょうか。だから、その著者の分かり方と方向性が同じでなければ、それを読むだけで理解することは難しいでしょう。(ちなみに、拙著『高校これでわかる基礎英語』は私の分かり方ではなく、こう説明することで、生徒が理解できた、という方向性で書いています)

 「生徒の分かり方」がいちばん実感できるのは、そこで教えている先生です。だから、自分で分かっている文法を、生徒の実情にあわせて教えることが出来るのです。というより、エラソーに誤解を恐れつつ申し上げれば、教えなければいけないのです。
 例えば、助動詞が本文に出てきたときに、SVの感覚が分かっていない生徒に対しては、もしくはSVがようやく出来た生徒に対しては、SVの復習から入っていくケースもあるかもしれません。 現在完了が出てきたときには、助動詞と対比させることもあるかもしれません。要は、生徒のその時の学力や学習している流れの中で、教えればいいのだし、それがベストだと私は思います。

 一方、参考書はそういう流れを考慮してくれません、というよりも、考慮しようがありません。よっぽど、参考書よりも教師が教える方が、生徒の理解は深まるはずなんだけどなぁ。

 だったら、どうして参考書を授業で使うのでしょうか。

 前回のブログで書いた先生(直接話法と間接話法)は、「これを理解させるために、参考書を全員に持たせるべきだ」と話をしていましたが、授業で理解できなかった生徒に、参考書で理解させることが出来るのでしょうか、と私は疑問を持ってしまいます。
 もっとはっきりいえば、参考書に頼って理解させるのではなく、自分の授業で勝負したらどう?と私には思えてしまうのです。

 もし、「直接話法と間接話法については、105ページに書いてあるぞ~。しっかりと読んでいけよ」というなら、授業は何のためにあるの? 「105ページをみんなで読んでみよう」といって、読むだけなら、授業は何のためにあるの? それこそ、英語の授業など、読書の時間と変わらなくなってしまうのではないでしょうか。「これだ準備をしても、指導をしても、生徒が理解できない」というexcuseのためなら、購入の理由も見つかるかもしれませんけど。全体像をおぼろげにも見えている人にとっては、参考書は分かりやすいけど、それだけで全体像を映し出そうとしても、なかなか難しいのではないかなぁ。いかがなものでしょうか。

 要は、参考書を使うときには、教員サイドがその説明に頼るのか、それともそれを使って自分の授業に厚みを加えていくのか、で効果は全く変わると私は思います。使いこなすのであれば、使いこなすべきその参考書は、「高校生として必要な教材」と教員サイドが考えているだけなのか、「生徒の学力を伸ばすための教材」なのかももう一度考える必要があるのでしょう。

「やっても無理だよ」ではなく、少しでも上達できたら、成人になったときに大きな自信となる、という視点も私には大切だと思えます。

2008/01/10

で、君はどうする?

 授業が始まり3日目。冬休みのESSモードから、通常クラスモードへの移行はなかなか難しい(^^;; 東京開催から中山開催になると騎手はレース感覚を変えるのが大変だとか。それと同じような感じかな。

 通常授業は、約1ヶ月ぶりの授業だということもあり、正直に申し上げて、軟調。株価でいうとずいぶんと安くなってしまったのね。この思いは、夏休みや冬休みの後にいつも感じることです。この休みに学習が継続できるかどうかが、いわゆる偏差値の差になるんだろうけど、ここを乗り越えることの出来る生徒は残念ながら少数です。今週はリハビリ期間だとあきらめて、来週から本格的にペースをあげていくつもりです。
リハビリ期間と自分を慰めつつも、aha!体験ならぬハー↓体験もかなりあります。Readのスペルを半分近くの生徒がLeadと書き、辞書の用例を書き写させたところ、Eng-lishとハイフンまでご丁寧に書いてくれる生徒も1割ほど。俺は何を教えていたんだろうか??と凹みつつ、自分を励ましています(苦笑)

 ESSは、思った以上に順調です。25日の英検(2級)はどうなるかなぁ。合格するためではなくて、チャレンジするための受験のハズでしたけど、もしかしたらドラマが起こるか? 並べ替えの過去問では、5題中3~4題を生徒は正解しています。リスニングも、順調に伸びてきているようで、半分程度は出来るようになっています。後は、語彙・語法がどうなるか、かな。過去問題を行うことで成績が伸びてきているのだから、底力がついてきたということですね。ただ、6月に合格すればいいと思っているので、今回は過度な期待はせずに、全力で取り組ませたいものです。

 以前に、同じような学校に勤務している先生が、「直接話法と間接話法の区別を教えるのに難儀している」という話をしました。以前なら、「こうしたらどうですか?」「あんなのはどうですか?」と話をしていたところですが、この頃はしません。受け入れてくれたり、ディスカッションをしてくれたりすれば、話してみたい気もするのですが…。まぁ、なかなか難しいものです、自分も含めて(^^;;

 だから、このブログは自分にとっては、そういうときには言えないことを、こっそりと書いていて、溜飲を下げているようなものです(笑)

 ともかく、英語の読めない生徒は、長文が読めません。読もうと思っても、時間がかかる、内容が理解できなくなる、という症状があります。これって、どうしてなんでしょうか?

 その1つの理由は、フレーズやコロケーションという概念がないからではないでしょうか。例えば、、、

  • These people want a better system.

という文を見たときに、英語力のある生徒だったら、

  • These people want a better system.

というまとまりを意識できるのでしょうけど、この技術を持たない生徒にとっては、

  • These / people / want / a / better / system.

とバラバラに読んでいます。これでは、読む(解読する?)のに時間もかかるし、内容なんてさらに難しくなるでしょう。まとまりを掴むという技術は、文法を教える前に必要なんじゃないかなぁと思うのは私だけ?
 「前置詞句なんてないよ!」という人もいるかもしれないけど、「前置詞のまとまり」として教えることは大切でしょう。

 「構文集をやろう!」とか、「やっぱり、Forestだよね、Forest」を行ったところで、「生徒は勉強しないなぁ」「やる気がない生徒は…」というぼやきがでるだけです。だったら、まずフレーズやコロケーションから初めてもいいんじゃないかなぁ。教科書から抜き出して、自分たちで作るのがいちばんですね。(フレーズ型の単語集を薦めているわけではありませんので、念のため)

 こちらがいくら教えるよりも、生徒がその気になって受け入れようとしてくれるほうが、よっぽど学習効果はあがるという、当然の現実を見つめると、「わかった」という積み重ねが大切なものだと私には思えて仕方ありません。

2008/01/06

教材研究

 冬休み最終日。夏休みは忙しかったし、2学期になったら文化祭と修学旅行もあったこともあり、ようやく充電が出来た時間でした。「短文で覚える英単語1700」のフレーズ集の原稿も作り終えたので、それを編集者のKさんへメールを終えて、ようやく一段落つきました。それにしても、「短文で~」はずいぶんと引っ張る企画になってきたなぁ、我ながら(笑)
 英語教育は、人が行うものだから、どうしても「相関関係」となります。教材となるものは、自分の思いも大切だけど、独りよがりとなることなく、出来るだけが多くの人が思いが共有できる=相関性に納得することが必要ですね。学校の教員の目と、それ以外の人の目とではやはり使いやすさやこだわりが違います。そう考えると、採用品教材と店売教材とでは自ずと違う作り方になるのでしょう。

 教材研究は大切です。授業の中では英語を教えることも大切ですが、それ以外の周辺的な知識が授業を骨太にさせてくれるものです。3学期はオーストラリアのアボリジニーの話題となるので、アボリジニーの文化について勉強、勉強。ブーメランという武器について、という生徒が興味を持ちそうな話題から始まり、教科書で出てくるその芸術、先住民族としての歴史や、アリススプリングスでの白人との共生など、出来るだけ用意はしておきます。昔、一人旅でオーストラリアを回ったときの自分の経験もこういうときに生きますね。アリススプリングスで食べたカンガルーバーガーや、「裸足のもの、入るべからず」の看板(アボリジニーは裸足の人が多いためか)など、体験したことには生徒はよく聞いてくれますから。

 授業でのプリント作りは、だいたい1週間前に行います。長期休業中に行おうとも昔は考えましたけど、方向が変わることもあるので、1週間前です。そのプリントを作りながら、授業の流れを再確認して、チェックポイントをメモしておきます。
 この表現は1学期に学んだところだから、この日は教科書を机の上に用意させておこうとか、この単語はどこどこに出ていたとか2時間前に行ったとかなどなど、チェックポイントは必ず用意しておきます。

 音声を使わない人もいるようですが、私にとってはCD(MD)は必需品です。生徒用のCDのサンプルをMDに録音します。EXCEEDのCDは音が少々、小さいので、ダビングはミニコンポで録音レベルを上げて行います。音声については、小ネタをしたこともありましたが、今は全く行いません。相手は高校生ですから、やはり大人の学習者として生徒を考えれば、そんな小ネタをする必要はないんですよね。

 授業では、最初はリスニングから入ります。何も予備知識もなく、分からない単語だらけなので、ほとんど全員が分かりません(全員が同じ状態という点が大切なところ!)。徐々に生徒が内容の断片を理解するようにします(ここが難しい点!)。その断片をお互いに情報としてグループ内で共有させます(これで、グループがグループ化していきます)。

 どの生徒も分からないという状態から、断片的な情報をあわせてジグソーパズルのように全体像を完成させたり(平等的タスク?)、課題を与えて、それをグループで話し合って完成させたり(要リーダータスク?)という性格の違う2つのグループ学習があると、私は考えています。曜日や何時限目の授業かを考えながら、組み立てるので、1時間目と3時間目とでは授業の方法が変わってきます。

 うーん、こう考えると教材研究は難しいものですね。こちらの準備が中途半端だと、授業のデキもよくないんですよね。
 2月に入ると、入試や行事で授業が飛び飛びになります。1月にしっかりとやっておかないと。

2008/01/03

相関関係? 因果関係?

 今年は転勤がなければ、3年生の担任予定。慣れないなぁと思っていた現在の勤務校もすでに9年目。生徒の進路決定の年でもあるし、緊張が続く年になりそうです。

 正月は、子どもと読書。全て、英語とは関係のないものばかりで、自分らしいな。今年の初映画は「たまごっち」ですから(苦笑) 3月に引っ越し予定のために、いろいろと荷物の整理もあり、新居に本を持っていきたい私と、ブックオフに持っていきたい相方との微妙な関係も始まりましたけど、集めていた漫画はブックオフ行きが決定しました。

 昨日、爆笑問題の番組を見ていると、分子生物学者の福岡伸一青山学院大学教授の発言が興味深いものでした。録画していたわけでなかったので正確には覚えていませんが、次のようなことを仰っていました。

  • ある長寿村があったとして、そこの人はヨーグルトを食べていたとする。そうすると、「長寿の原因はヨーグルト」というのは、必ずしも正しくないかもしれない。それは、他にも要因があるかもしれないからだ。多くの人が、「相関関係」と「因果関係」をごっちゃにしている。

 このごちゃ混ぜは、教育の問題でも当てはまるのかな。たとえば、「早寝・早起き・朝ご飯で学力は伸びる」というのであれば、江戸時代の学力は現在よりもかなり上だったということか。全国学力テストでいちばんだった秋田県は、早寝・早起き・朝ご飯の「達成率」が高いが、沖縄県は低いということか。フィンランドは、さらに高いということか。もし、「早寝・早起き・朝ご飯」と学力関係の間には、相関関係があるのか、因果関係があるのかを、おおきな声で主張する人たちははっきりさせるべきでは? 

 この学力問題について、研究者でも何でもなく、無責任な現場の感覚でいうならば、いくつもの相関関係がある、といえるのではないかな。ただ、強い相関関係と、弱い相関関係があるように思います。(この強弱は、観察者の意識によって感じ方が変わる危険性が高い!)
 さらに、学力低下については、学校(教員)の問題や一部の家庭の問題と矮小化して納得する=自分とは無関係というポジションをキープする人が多いことが問題を複雑化させています。具体例を挙げると、

  • 家庭の問題である(若い親はダメだ) 
  • 問題教員(指導力のない教員)が多い
  • 子どもの生活のリズムが好ましくない 

それぞれを、因果関係のように主張をする人っていませんか? 人間とはそんなに単純なものでもないでしょう。ただ、自分が安全地帯にいたり、自分のポリシーと合致する、「都合のいい原因」と、その結果には因果関係があたかもあるように感じてしまうこともあるかもしれません。

 振り返って英語教育。

 音読と学力向上の関係はどちらの関係? 問題集の学習と学力向上は? 多読と学力向上は? などなど、いくつもあります。適切な学習方法の指導を行っていると教授者が感じていても、それが学習者に伝わっていなければ絵に描いた餅に過ぎません。

 そこで、生徒を「納得」させて、その学習方法で力がつくことを「実感」させることが、私たちの仕事となります。どのように納得させて、どうやって実感させるのか、それは文字に表すことが難しい作業なので、他者に伝えることが難しい。そのため、「教師力」とか「人間力」という言葉で表されることさえあります。(これを具体的に書くための理論化する力が私にはないので、うまく伝えられません)

 だからどうしても、職人のような教育が教師には必要なのかもしれません。だけど、職人のように仕事が目に見えてこないから、誰が親方になるか、その人がふさわしいのか、という問題がまた出てきてしまうかも(苦笑)

 そんなことを考えると、自分にできることを行うことがいちばん大切だということに帰着します(うーん、なんだかなぁ)。
 今年も、そんなブログにしていくつもりですので、お気軽にお越し下さいm(__)m

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