英語教授から英語教育へ
本年度最後のブログ。
教育相談的に英語教育を考えてみることが必要なのではないか、と考えます。学校の英語の授業を英語だけで捉えられるところはないでしょう、塾ではないのですから。
底辺校で働く先生には、次の雑誌にヒントや勇気づけの言葉が多くあります。
- 学校教育相談の実際(児童心理2007/12月号臨時増刊、金子書房)
この中で、目白大学学術顧問の真仁田昭氏が次のように書いています。
- 「教育相談」という活動には失望や落胆の思いを繰り返し味わいやすいところがあるが、なお、心を新たにしてその活動を続けられるのは、彼らのやがての変化・成長に対する信頼があってのことと考えていたからである。その信頼を「希望」と呼ぶならば、まさに「希望」ありてこその活動といえるとの考えがあったからである。(p.4)
これは、底辺校での英語教育にもあてはまるのではないでしょうか。生徒の可能性に対する、成長に対する信頼がなければ、授業はつまらないものです。昔、ある会合で伺った話で、SELHiから底辺校に赴任してきた英語教師がその現実を受け入れられずに、授業はいい加減となり、研究室ではいつも寝ていた、ということを聞きました。その人にとっては、生徒に対する信頼=希望がなく、学校での時間はまさに絶望だったのではないでしょうか。
そういう学校で教育活動(授業も含む)の難しい面は、個人的な問題だけではなく、組織的な課題もあります。結局は腹をくくって、生徒の成長のために突っ張ることができるかどうか、という問題も出てきます。実際、生徒の問題行動が起きたときに、時にはどーでもいいと思えるようなことに対して、自己存在を見せつけるがごとくに文句ばかりいい、「担任の先生、しっかりと指導して下さい」という言葉をいってくる、自分の役のなんたるかを知らない上司気取りのナントカ部長(主任)だっているかもしれません。その時に、この希望を持って教育活動ができるかどうかが、教師としての仕事をしていけるかどうかのリトマス試験紙のような気がします。
私たちは学習塾や予備校ではなく、学校教育という枠組みで授業を行うのですから、教育的な視点で授業を作り上げる必要があると私は信じて疑いません。少々憎まれ口をたたけば、この土台が違うから、英語教育がご専門だという研究者の中には、現場ではなかなか使えない英語教授方法についての議論ばかりしている人が少なからずいるのでしょう。その意味では、教員免許の更新での講義は、研究者の本質が見えるいい機会になるのかもしれません。
清流ではなく、雑多という水の中を立ち位置にして、人間に対して基本的信頼感を大切にして、目の前の生徒が市民となっていく援助をしていくという責任感を持つことが英語教師には必要なのではないでしょうか。
生徒との信頼関係がなければ授業など成立しません。進学校ではその先生の英語力や教授力そのものが信頼関係のベースとなりうるでしょうが、そうでない学校ではさらに教師の人間力までが生徒には見られているのですから。そこまで含めたものが、英語教育と呼ぶものなのでしょう。特に、若い人は英語教授法だけでなく、英語教育をもっと考えてほしいものです。
アドラー心理学を学び始めたとき、どの本を読んでも最初に出てくるのが「人間観哲学」でした。心理学の本なのに、、、と妙な気もしましたが、アドラー心理学を学べば学ぶほど、実際に生徒と接すれば接するほど、この哲学の大切さを感じたものです。この哲学がないところに、透き通った意味での教育など本来は存在しないものではないかなぁ。
教師としての成長のために、必要なことは「生徒のせいにして、あきらめない」ということです。これは、授業もそうだし、部活動もそうですね。心の中で思っても、決して口には出さない。(愚痴をこぼすことは大切だけど、その愚痴は信頼できる人に対してだけ!)
部活動で成功している人は、本当に生徒のせいにしませんね。もちろん、自嘲気味に、いうことはいますけど、あきらめない人=生徒の可能性を信じ抜ける人が、生徒の可能性を広げている実感があります。
先ほどの雑誌では、和井田節子氏が「問題を1人で抱え込まないために」というタイトルで、問題を解決するためには連携・協働が必要だとして、次の4つのステップを提案しています。(pp.21-26)
- 「問題」に気づく
- チームを作る
- 見立てと方針をさぐる
- 実際に動く
これは、教育相談だけでなく、授業でも同じではないでしょうか。アクションリサーチに近いのでしょうが、授業(生徒)の何が課題か、その課題を乗り越えるチームを作り、そのための見立てと方針を話し合い、実際に1年を通しての授業を行っていく、という作業が求められていると私は思います。(だからこそ、個々の教師の業績給なんてバカらしいと私は考えています)
和井田氏はさらに続けます。
- 「問題」を解決しようとするときには、通常三つの力が要求される。第一は「理論化」(中略) 第二は「サポート」の力 (中略) 第三は「マネジメント」
- これら三つの力がある教員というのは、子どもを適切に理解し、適切に支援指導ができ、職員間の関係をつないで問題解決に向けた動きができる教員ということになる。これは、教員力ともいえる教員の中に育成したい大事な力なのではないだろうか。
教育相談についての記事なのに、英語教育にそのままあてはまる気がするのは私だけではないでしょう。理論化のために、いわゆる英語教育の知識と英語力が、サポートのために授業の展開力が、マネジメントのために教員同士や専門家とのネットワークが、それぞれ要求されます。
大学での英語教育では、こういう視点で行われる講座もあっていいと思いますが、ほとんどないのかな。どうなんでしょう。もしないのなら、教員で作っていきたいものです。私たちは評論家ではなく、現場の人間なのですから。
まとまらないなぁ。私にはまだ「理論化」の知識が足りないようです(^^;;
これで今年は最後のブログとなりますが、今年は喪中のため、新年のご挨拶ができません。それでは皆様、よいお年を。














今年も、倫太郎さんに本当に教えられ、勇気づけられたことにあらためて感謝申し上げます。
私は、現任校に来て、初めて高校教師として、英語教育と、もっと言えば、生徒一人一人と接点ができたのだと思っています。
来年(以降)もよろしくお願いいたします。
Posted by: tmrowing | December 31, 2007 at 04:17 PM
☆tmrowingさま
昨年はお世話になりました。
私こそ、tmさんに教わることが多く、授業のアイディアをずいぶんと盗みました。そして、現在の学校でのご活躍ぶりは、すてきですね。ブログの行間から生徒との関わりが伝わってきます。
こちらこそ、これからもよろしくお願いしますm(__)m
Posted by: 倫太郎 | January 01, 2008 at 08:25 AM