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2007/12/31

英語教授から英語教育へ

 本年度最後のブログ。

 教育相談的に英語教育を考えてみることが必要なのではないか、と考えます。学校の英語の授業を英語だけで捉えられるところはないでしょう、塾ではないのですから。
 底辺校で働く先生には、次の雑誌にヒントや勇気づけの言葉が多くあります。

  •  学校教育相談の実際(児童心理2007/12月号臨時増刊、金子書房)

 この中で、目白大学学術顧問の真仁田昭氏が次のように書いています。

  • 「教育相談」という活動には失望や落胆の思いを繰り返し味わいやすいところがあるが、なお、心を新たにしてその活動を続けられるのは、彼らのやがての変化・成長に対する信頼があってのことと考えていたからである。その信頼を「希望」と呼ぶならば、まさに「希望」ありてこその活動といえるとの考えがあったからである。(p.4)

 これは、底辺校での英語教育にもあてはまるのではないでしょうか。生徒の可能性に対する、成長に対する信頼がなければ、授業はつまらないものです。昔、ある会合で伺った話で、SELHiから底辺校に赴任してきた英語教師がその現実を受け入れられずに、授業はいい加減となり、研究室ではいつも寝ていた、ということを聞きました。その人にとっては、生徒に対する信頼=希望がなく、学校での時間はまさに絶望だったのではないでしょうか。

 そういう学校で教育活動(授業も含む)の難しい面は、個人的な問題だけではなく、組織的な課題もあります。結局は腹をくくって、生徒の成長のために突っ張ることができるかどうか、という問題も出てきます。実際、生徒の問題行動が起きたときに、時にはどーでもいいと思えるようなことに対して、自己存在を見せつけるがごとくに文句ばかりいい、「担任の先生、しっかりと指導して下さい」という言葉をいってくる、自分の役のなんたるかを知らない上司気取りのナントカ部長(主任)だっているかもしれません。その時に、この希望を持って教育活動ができるかどうかが、教師としての仕事をしていけるかどうかのリトマス試験紙のような気がします。

 私たちは学習塾や予備校ではなく、学校教育という枠組みで授業を行うのですから、教育的な視点で授業を作り上げる必要があると私は信じて疑いません。少々憎まれ口をたたけば、この土台が違うから、英語教育がご専門だという研究者の中には、現場ではなかなか使えない英語教授方法についての議論ばかりしている人が少なからずいるのでしょう。その意味では、教員免許の更新での講義は、研究者の本質が見えるいい機会になるのかもしれません。

 清流ではなく、雑多という水の中を立ち位置にして、人間に対して基本的信頼感を大切にして、目の前の生徒が市民となっていく援助をしていくという責任感を持つことが英語教師には必要なのではないでしょうか。
 生徒との信頼関係がなければ授業など成立しません。進学校ではその先生の英語力や教授力そのものが信頼関係のベースとなりうるでしょうが、そうでない学校ではさらに教師の人間力までが生徒には見られているのですから。そこまで含めたものが、英語教育と呼ぶものなのでしょう。特に、若い人は英語教授法だけでなく、英語教育をもっと考えてほしいものです。

 アドラー心理学を学び始めたとき、どの本を読んでも最初に出てくるのが「人間観哲学」でした。心理学の本なのに、、、と妙な気もしましたが、アドラー心理学を学べば学ぶほど、実際に生徒と接すれば接するほど、この哲学の大切さを感じたものです。この哲学がないところに、透き通った意味での教育など本来は存在しないものではないかなぁ。

 教師としての成長のために、必要なことは「生徒のせいにして、あきらめない」ということです。これは、授業もそうだし、部活動もそうですね。心の中で思っても、決して口には出さない。(愚痴をこぼすことは大切だけど、その愚痴は信頼できる人に対してだけ!)
 部活動で成功している人は、本当に生徒のせいにしませんね。もちろん、自嘲気味に、いうことはいますけど、あきらめない人=生徒の可能性を信じ抜ける人が、生徒の可能性を広げている実感があります。

 先ほどの雑誌では、和井田節子氏が「問題を1人で抱え込まないために」というタイトルで、問題を解決するためには連携・協働が必要だとして、次の4つのステップを提案しています。(pp.21-26)

  1. 「問題」に気づく
  2. チームを作る
  3. 見立てと方針をさぐる
  4. 実際に動く

これは、教育相談だけでなく、授業でも同じではないでしょうか。アクションリサーチに近いのでしょうが、授業(生徒)の何が課題か、その課題を乗り越えるチームを作り、そのための見立てと方針を話し合い、実際に1年を通しての授業を行っていく、という作業が求められていると私は思います。(だからこそ、個々の教師の業績給なんてバカらしいと私は考えています)

 和井田氏はさらに続けます。

  • 「問題」を解決しようとするときには、通常三つの力が要求される。第一は「理論化」(中略) 第二は「サポート」の力 (中略) 第三は「マネジメント」
  • これら三つの力がある教員というのは、子どもを適切に理解し、適切に支援指導ができ、職員間の関係をつないで問題解決に向けた動きができる教員ということになる。これは、教員力ともいえる教員の中に育成したい大事な力なのではないだろうか。

教育相談についての記事なのに、英語教育にそのままあてはまる気がするのは私だけではないでしょう。理論化のために、いわゆる英語教育の知識と英語力が、サポートのために授業の展開力が、マネジメントのために教員同士や専門家とのネットワークが、それぞれ要求されます。

 大学での英語教育では、こういう視点で行われる講座もあっていいと思いますが、ほとんどないのかな。どうなんでしょう。もしないのなら、教員で作っていきたいものです。私たちは評論家ではなく、現場の人間なのですから。 

 まとまらないなぁ。私にはまだ「理論化」の知識が足りないようです(^^;; 

 これで今年は最後のブログとなりますが、今年は喪中のため、新年のご挨拶ができません。それでは皆様、よいお年を。

英語Ⅱ授業評価

なかなかアップできなかった英語Ⅱの授業評価です。

質問 A B C D 平均
先生の話し方は聞き取りやすい 39 33 1 0 3.5
黒板への書き方や文字は見やすい 30 39 5 0 3.3
先生の説明は分かりやすい 47 23 4 0 3.6
授業の内容はちょうど良い 36 36 2 0 3.5
授業の進み具合はちょうど良い 28 42 4 0 3.3
発言しやすい雰囲気がある 21 33 20 0 3.0
先生は質問によく答えてくれる 24 38 5 0 3.3
先生の指名の仕方は適切である 16 38 14 0 3.0
先生の授業に対する熱意を感じる 44 31 0 0 3.6
授業を通して力がついてきた 37 30 7 1 3.4
授業時間の始めと終わりは守られている 23 42 8 0 3.2
教材(プリント等)は工夫されている 33 40 0 0 3.5
生徒は予習等授業の準備を行っている 7 28 34 5 2.5
生徒は授業に真面目に取り組んでいる 23 44 5 0 3.3
生徒は課題等はきちんと提出している 31 33 9 1 3.3
生徒は復習をしている 4 25 39 9 2.3
生徒は授業内容は理解できている 12 48 13 1 3

自分の授業の偏りがとても分かります。全体の前で発言させることはほとんどないので「発言しやすい雰囲気がある」は少ないとは思っていましたが、その際の「指名の仕方は適切である」では、指名の偏りがあるのですね。そして感想を一気に!

  • 音読とリスニングの授業をこれからもやってほしい
  • 3学期は授業中寝ないでしっかりと授業を受けて100点を目指す!!
  • 英語の力が以前に比べてついてきている気がする。リスニングと音読の効果が出てきているのかなと思った。
  • 授業を通して、本当に力がついてきたと思うし、先生の熱意ある授業が好きです。
  • ちょっと進むのが早かったりする。
  • 2学期になって授業ができるようになった。
  • 授業わかりやすい
  • 英語の力がついてきた気がする。
  • 1年の時と違って音読中心の授業になったので最初は内容理解が難しかったけど、なれると覚えやすくて頭に入りやすいやり方だと思えるようになった。
  • 何度お音読をしたので効果をUPしたと思う。
  • 授業が分かりやすかった。質問しやすかった。
  • 練習問題をもっと入れてほしい。
  • だんだんと点数が上がっているので、授業の内容がよいと思った。
  • よくできました。
  • 何回も書くのは大変だけど(筆写のこと)、確実に力になっていると思うので、よいと思う。
  • 次のテストも頑張る!
  • グループで授業をしていて、分からないところは友達に聞けるから、やりやすかった。
  • 点数の点が上がってうれしかった。
  • 少し進むのが速くてついていけないときがある。
  • 先生の授業は、やり方が他のクラスと違うから、あきないし楽しいので英語の授業が好きになった。
  • 普通にノートに書くよりも、プリントの方がわかりやすい。
  • 今回のテストでもうちょっと取れればよかった。もっと3学期はがんばります。
  • 名詞を□で囲むとかはとても分かりやすくてよいと思うけど、同じことを何回も言うのはあまりよくないと思う(^^;;
  • もっと点数をとろうと思いました。
  • だんだん力がついてきたと思う。今回は平均点まではいかなかったけど、次はもっととりたいと思った。
  • 授業中、必ず眠くなっちゃう。だから大きい声は出さないで下さい。目が覚めちゃう。
  • グループでの授業は、わからないこととか友達に聞いたりできるし、声も出しやすくて力がつく。
  • グループでやるからわからないとことか聞きやすくて他の先生と違うやり方ですごいいいと思います。
  • 雑談をもっと聞きたい。
  • もっと進路とかについて話が聞きたいです。
  • やはりまだ英語には苦手意識があるので、それをなくしていきたいなぁと思いました。
  • 最近ハードできつかった。
  • だんだんと英語が分かってきたような気がする。思ったよりもテストができていなかった。
  • 先生の親バカ話が楽しいです(^^) りんたろうくん、かわゆす♪
  • グループ学習は、分からないところを友達に聞いたりできるのでやりやすいです。
  • 中間の時よりもテストの点が上がった。
  • 最初は英語とか意味わかんなかったけど、だんだんとわかるようになってきた。グループでできるからたのしく授業を受けられる。
  • 説明が分かりやすい。もう少し「遊び」感覚での覚え方も加えたら、楽しくて、覚えやすいと思う。

以上です。同じ授業でも、様々な視点があります。そして、「自由記述」には、ホントにいろんなメッセージがありますね(笑)

2007/12/30

今年の語録

 ようやく忘年会も本日で終了。子どもたちが相方の実家に帰っているので、ずいぶんと肝臓に負担をかけてしまいました(笑) 今日は、The 職人さんと忘年会。その道を極めた人とのお付き合いは大きな財産です。

 忘年会で伺った話や、今年に自分が出会った気になる言葉を。同じ方に、今までと同じことを伺ったこともありますので、過去ブログと重複したらご容赦を。また1つだけ、伝聞もあります。

  • 勉強の出来る子どもには勉強が出来ることがいかに、つまらないことかを教え、出来ない子どもには勉強が出来ることが大切なことだと教える

 勉強が出来るということで他者を見下す子どもにはしたくない、しかし勉強が出来ないことを開き直る子どもにもしたくない、という思いを教えられました。

  • 学校とは、家庭と市民社会とをつなぐトンネルのようなもの。高校は出口に近いので、市民社会的な感覚を大切にしないといけない

 うーむ、なるほど。幼稚園や保育園は家庭的な雰囲気を大切にすることは、入り口に近いからか。時に、保護者の要望の中には家庭的な価値観に近いものがあるかもしれないけど、それはどの段階での要望なのかを見極めた上で、考える必要があるでしょう。もちろん、受け入れられない場合には、その理由を相手に伝える必要があり、と。(納得させる、といわないことが傾聴に値するでしょ)

  • 学校での問題は学校に起因する。しかし教師は、家庭のせいにしたがる。

 耳が痛い(^^;; 誰しも帰属意識を持っている場所を汚しはしないでしょう。学校に帰属意識を持っていれば、マイナス行動をすることはないでしょう。

  • 組合から授業評価や、公開授業を積極的に行おうという考え方は、組合の考え方とは反対の方向になるのでは?

 教員という仕事は、他の仕事に比べて特殊な仕事だと思う。公立学校の教員であれば、法律的にも、「地方公務員法」の中のさらに、「教育公務員特例法」というしばりがあります。様々な意味で、勤務時間という意識を持つことがないですから。
 だからこそ、教職員組合は、他の労働者組合とは違うカラーであってもいいのではないのかなぁと思います。自分たちは教師としてのプロの仕事をしっかりと行う、そしてその延長線上として妙な圧力が学校現場に来ることを全体で阻止をする。また、自分たちも「妙な圧力」とはならないようにする。こういう感覚を持つ教員は少なくないと思うんですが、全体となると??という方向性が生まれるのはなぜ?

  • 女の子だったらオシャレもしたいし、映画も見たいでしょ。奨学金とは、そういうものじゃないの?それに、貸与の奨学金ってどう思う? それは奨学金じゃないでしょ。

 この言葉は、仰った人が仰った人なので、これは感動。普通であれば、私が会うことができるような立場の方ではありませんが、人と人とのつながりは大切ですね。ちなみに、返還義務のない奨学金を作られている方です。

  • 江戸末期には志塾ができた。教育の最終地点は、志塾なのかもしれない。

 志があるところに注目。尊敬すべき先生の言葉だけに、いまの教育の状況が表れている?

 そして、最後にクラスの生徒のひと言。

  • 俺、冬休み嫌いなんだよね。学校がないとつまらないんだ。日曜日の午前中になると月曜日が待ち遠しいんだ。

 うれしいね、このひと言。

(12/31に一部修正・加筆)

2007/12/26

多謝&多謝

 本日は、ESSは8時から開始。11月から参加した生徒がこの学年では最後の生徒でしょうか。アップアップの状態のようですけど、周囲から「私も最初はそうだったよ」と励まされて、頑張っているようです。

 今年は、というか、今年も正月はどこにも行かず、ESSと忘年会の日々がこれから続きます。今日は元同僚のT先生、明日は某社のOさんとKさん、明後日は某ベンチャーの4人組などなど、楽しみですが、運動不足に気をつけないと。

 今年もまだブログを書くつもりではいますが、1日120を超えるアクセスをいただき、心から感謝していますm(__)m 実際にブログを通じてのやりとりをされた、mikamamaさんとは夏のelecのtmさんの研修会で初めてお目にかかりました。ネットとはすごいものですね。

 メインテーマは、英語を通じての生徒の成長です。自分で考え、自分で行動できていくような、そんな自信と力を英語の授業を通じてつけたい、ということが私なりのライフワークなんです。
 で、ESSは、アンテナショップ的な授業です。今はwritingシリーズを行っているのですが、この中で実際の授業ではどれを取り入れて、どれは無理なのか、という私なりの「予行演習」的な要素が強く、そのための授業を生徒に付き合ってもらっているようなものです。その見返りが、生徒の学力がアップする(といいなぁ)ことです。

 能書きはともかく、お越しいただいた方のIPを見ていると、ホントにいろいろな方が来られて、感謝しています。学校関係者が多いのですが、企業の方も多くお見えになっていることが、うれしいですね。また、検索ワードで「ワックスがけ」「ペンキ塗り」で来られている方は、ちょっと意図と違っているかもしれません(^^;;

 今年ももうわずかです。よろしければ皆様からのご感想を、コメント覧にお願いします。なかなかコメントしにくいというか、絡みにくい内容の時もありますけど、今日は完全フリーでどうぞ(^^) いただくと励みになりますので、よろしくお願いします♪(反応がないと寂しいのは教師の病気でしょうか?;笑)

2007/12/25

英語的基礎学力のつけ方(最終)

 本日もESS。せっかくのWritingシリーズなのに、牽引役の生徒が体調不良のため来られずに残念の一語。
 生徒が課題をしているときに、先日の基礎学力テストの資料をベネッセのHさんがお持ち下さいました。「1年次(特に1学期)の『英語的しつけ』の重要性」については、その後に大きな影響を与えるということをお話しすると、ノータイムで同意して下さいました。特に、中堅校以下の学校では、この『英語的しつけ』が大切になるのでしょう。『英語的しつけ』は、単なるノートの取り方や授業の受け方ではないと私は思います。

 (1)~(3)で話してきたことを(話したかったことを)まとめると、

  • 英語の基礎学力は、単語と文法という考え方は、間違ってはいないけど、正しくもない。

ということです。だから、いくら単語を覚えさせても、文法の問題集を2周行っても、定着しないのです(と、言い切るのはちょっと怖い気もしますけど;笑)

では、英語的基礎学力とは、何かというと、、

  • 基礎英文法の概念的理解と、その構成要素としての英単語

ということです。「基礎英文法の概念的理解の範囲」とは、「英文を読む(聞く)上で必要な文法」です。冠詞のaとtheは、基本的な単語でしょうが、その違いは最初の段階では必要ないでしょう。思いつくままにいうと

  • 冠詞のaやtheが出てきたときには、名詞がその後に表れて「名詞句」を作ること
  • 「前置詞+名詞」で前置詞のグループ(前置詞句というと、あーだこーだいう人もいるかもしれませんので、グループといいます)を作ること
  • 英文には主語があり、そして動詞もあるということ
  • don't( doesn't / didn't ) doで動詞のグループをつくること

などなどかな・・・? 

 最初から演繹的に行ってもうまくいかないので、導入で例を出すようにして帰納的に大まかなことを教えます。そして、問題。次に音読やリスニングなど、「例(説明)→ 練習」を繰り返すことで、概念を生徒が持てるようにします。名詞句なら、a tall tree, a big houseなどです。(最初はanがつく語は極力、無視します。)
 最終的な目的は、「生徒が意識して文法を考える」ということです。そのために、writingという作業は最高ですね。ちなみに、ESSの生徒たちは文法を意識するようになっただけでなく、ちょっと高くなった鼻が自分のできなさを知ることで折られ、謙虚→学習の必要性を意識するようになりました。

 話がまた横にそれちゃった(^^;;

 多くの英語教師は、文法の概念を、問題集や長文を読むことで作り上げたのではないかなぁ。だから、英語教師は、自分の持っている概念を、上手に生徒に伝えることが出来ないのかな、と私は勝手に思っています。これも蛇足だけど、自分の持っているものを基準として、その概念を上手に伝えられない人は、自分と同じレベル(概念を作るレベル)の生徒に教えたがるのかも。

 この英語的基礎学力の比率を徐々に減らしながら、英文の量を増やしていくことで、英語的な基礎力は増えていきます。ただ、問題集ばかり行っていても、この基礎的概念を持っていない生徒にとってはチンプンカンプンそのものです。せっかく授業で問題集を取り入れて、基礎的概念を持つきっかけをさせるなら、それを意識化させることが必要でしょう。そのいちばん基本的な手段が、英文和訳だと私は思います。その英文和訳をした後で、音読をしたり、筆写を行ったりして、さらに概念を深化させていきます。(拙著『これでわかる基礎英語』『Road34』が、文法毎に音読筆写用の英文があるのはそのためです)

 こう書くと、必ずと言って良いほど、次のような疑問を持たれます。

  • bとdとの区別がつかない生徒もいるのに、どうやってそんな概念的理解なぞさせられるのか?

では、ホントにいつもbとdを間違っているのか、pとqを間違っているのでしょうか。そんなことはないでしょう。それに、「これができるかな?」と教師が考えるときには、いちばん苦手な生徒を意識することはよくあることですが、2:6:2を考えれば、そういう生徒を意識しすぎることは、全体の動きを止めることにもつながります。家庭教師ではないのですから、いかに全体が助け合いながら、学習しあえるかを意識してもいいのではないかなぁと私は思います。それで、区別がつかない生徒は救われるでしょう。

 英語を勉強させるということは、子どもにセロリを食べさせるようなものです。(ちなみに、私は今でもセロリの臭い(香りではない;笑)すらNGです!)  だから英語教師は、生徒とどうやって付き合っていくかというコミュニケーション能力も必要だし、相手の心を考えていく思いやりや人間的な奥深さも必要なのでしょう。

 最終回の割には、あまりまとまらなかったかな・・・・?(苦笑)

2007/12/23

ガックシ

 有馬記念終了。

 購入した馬券も終了。

 スタート10秒で終了。

 自分には「バク才」はないということも再確認、って、何回確認すれば気が済むんだろう(苦笑)

 編集のKさんはDメジャーからワイドといっていたけど、見事に3着に入っていましたね。おめでとうございます!

 

頭が東なら、尾はどちら?

 久しぶりに中山競馬場。午前中にESSでのWritingシリーズを行ってから、午後は京成電車で一路東中山。もちろん目的は、明けて本日の有馬記念! 買い目は本日の最後で。

 前回のブログの続きを書こうと思っていましたが、気になる記事が「英語教育」(2008/01)にあったので、素人としての突っ込み、突っ込み。あくまでも、素人としてなので、記事をしっかりと読み込めているのか不安なので、誤解があればご指摘を。

 気になる記事とは全ての「脳科学」。暴力的なほどの簡単にまとめてみます。全部をまとめるのもなんだかなぁと思ったので、いくつかのみを。

1.「脳内を最適に活性化する英語教授法とは」(pp.10-13)

 学習者のレベルに適した英文だと脳が活性化するが、難しいと活性化しない。また、その英文の背景知識を与えると、それは学習者の内容理解の「手がかり」となっている。
 Narrow Readingを行ったところ、「効果があった」という報告。ちなみに、「読解トレーニング」はたった6日間の実験。

 前段については、脳科学を待つまでもあるのでしょうか? 自分のレベルの英文なら読む気になるが、難しすぎる英文だとやる気にならなくなるのは当然のことでは? それに、Narrow Readingにしても、6日間ということにあえて目をつむったとしても、だいたい「初級学習者」は英文を読むことなどなかったのでは? 継続的に、同じトピックの英文を読んでいれば、誰でも「読みやすくなり」「速く読めるようになり」「語彙や内容が分かりやすく」なるでしょ、そりゃ。

2.「上級学習者は語彙をどのように理解しているか」(pp.21-24)

  • 外国語教育学では、自分の能力の限界を少しだけ上回る程度のインプットを得ることが実力をつける早道である
  • 上級者(TOEIC 900点以上)の場合、意味論と音韻論は独立的なものではない

ここは、引用のみ。So what?

3.「母語が違うと英語の情報処理時の不可が異なるか」(pp.26-28)

 異なります。

・・・・・・

 だんだん疲れてきたので、ここで終了。共通していることは、難しい単語が多いなぁ。読解が困難さを極めるのは、小林秀雄の論文並みでしょうか。

 さて、問題。

犬がたくさんいます。頭が東を向いているとき、尾はどちらを向いているでしょうか。

<学者A>
 犬を種類毎に分けて、調査をしました。その上で頭が東を向いているときには、共通して尾は西に向いていることが分かりました。ただし、種類によっては、若干南向きになるものもありましたが、それは風が吹いていたからかもしれませんし、目の前の餌を見て尾を振っていたからかもしれません。目の前の餌が何にかによって、角度が異なることが今後の研究材料でしょう。

<学者B>
 犬を大きさ毎に、大型犬、中型犬、小型犬に分けて調査をしました。結果は、尾は西に向いていることが分かりました。ただし、大型犬は誤差が2度、中型犬は4度、小型犬は6度ありました。これは、体長の違いのために、誤差が生じたものだと考えられます。この誤差を少なくするためにも、サンプリングの数を増やしていきたいものです。

<小学生C>
 学校で、東西南北について学びました。東の逆は西だから、西に決まっているでしょ! 頭が東なんだから、当然じゃないの。おじちゃん、なんでそんなことを聞くの? 意味わかんない!

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 脳科学に共感できたのは、「音読は英語学習によい」といことに、お墨付きを与えたときだけだったかな。「音読は英語学習に有害だ」という、トンデモ主張があったことにたいして、「そんなことはないぞ!」ということを、主張したときだけだったかな。

 真面目に研究している人には失礼になるでしょうが、脳科学が脚光を浴びてきているから、いろいろと特集されてして、「論文作成の手段」として考えられてはいないだろうか。何か注目を浴びると、それを利用(活用?)して、実績作りの手段としての使われているのを見た経験がみなさんありませんか。

 機械的に、科学的に行うということは、「脳科学的に、こういう学習をすれば、生徒が伸びますよ」という抽象論ではなく、「こういう風にしたら、伸びましたよ」ということです。それは、「この方法論で行えば、A先生だって、B先生だって、C先生だって伸びるのです!」という究極の結論を求めることにつながります。

 ところが、現実はそんなことはないでしょう。生徒との人間関係といういちばん大きな視点が抜けているからです。その土台を見失えば、「英語教育」とはならなくなることになりませんか。
 だから、「○○教育」を語るのであれば、いろいろな生徒をしる必要があり、教師自身が高校時代に経験した「成績上位校」のみにいるだけでは、「○○教育」の一面しか見えていないことだと私は思います。(だから、公立中学校の先生と話すと、教育について深みを感じることが多いのかな)

 「英語教育」ではなく、「英語教授」となると、同人誌になってしまうし、「教育」に重心がいってしまうと、概念的になりすぎたり、時には不満になる危険性もある。そのバランスを上手にとってこと、「英語教育」なのではないかなぁ。

 話がそれたけど、今月号に寄稿した先生方は、1年後や2年後、ご研究の方法で学生(生徒)の学力が伸びた、やる気がアップしたという報告を行うことで、説得力がますのでしょう。

 本日は、1番人気だろうけど、メイショウサムソン。そこから、ポップロック、ダイワスカーレット、ロックドゥカンブへの3点流し。ウォッカは雨&大外枠なので消します。単勝1,馬単で1-8、1-6、押さえに1-7。

2007/12/20

医龍Ⅱ最終回

 最終回。

 プロがチームを作り、お互いにプロとしての仕事を行い、お互いに成長していく。「生涯発達心理」そのものです。

 信頼関係は、お互いの技術への信頼が土台となるから、自分の技術を磨くことを忘れない。どんなに大変な状況でも、最善の仕事を行います。

 そんな職場に憧れる人は多いのかもしれません。

英語的基礎学力のつけ方(3)

 来年度は非常勤講師を増やすそうで。

http://www.asahi.com/life/update/1218/TKY200712180356.html

 非常勤講師は退職をした先生や教員採用試験を受ける既卒者が対象となるのでしょうけど、教師も「非正規雇用」が増えてくるということになるのでしょうか。民間の企業での「非正規雇用」がもたらす、雇用者側・労働者側、そして社会的な弊害が徐々に増えてきそうですね。「人件費の抑制」の結果、非正規雇用が増え、そのしわ寄せが若者に向かい、雇用不安から、結果的に少子化が発生し、国の活力が失われつつあるといわれています。
 教員の組合も、自分たちの労働条件から、非正規雇用(ワーキングプア)のもたらす問題に視点を移していった方がいいような気もします。生徒や卒業生のことを考えるならば、こういう問題こそ、教員が取り組む優先順位のいちばん上のことなのではないのかなぁと私は思います。ネオリベと呼ばれる社会に突き進んで本当にいいのでしょうかね。
 関連した話ですが、保護者や卒業生のワーキングプアのことで次のサイトが参考になります。

 「フリーターにならない教育」に共感をして、進めるならば、「フリーター(非正規雇用)を生み出さない社会構造」になるような行動するべきでは。

 再び本題へ。前回のブログの内容をもう少し深めていきます。

 「概念的理解」というと小難しい言い回しとなりますが、「理屈を理解しているか」ということです。成績上位の生徒も含めて、生徒が、時には私たちさえも、完全に理解しているように誤解しているような気がします。

 英文を読んでそれが理解できたとき、英文を聴いてその内容が分かったとき、問題集の文法問題を解いてほぼ正解をしたとき、「自分はこの程度は完全に理解している」と思うものではないでしょうか。
 でも、これは「寿司職人を見て、握り方が分かった」というレベルに過ぎず、「自分で握りが出来る」ようになったわけではないのでは。実際に握って初めて、「しゃりの量は」「握る強さは」「さびの量は」などなど、疑問がでてきて、自分がどれほど分かっていなかったかが分かるものでしょう。
 それと同じように、いかに英文を読んで理解できたとしても、聴いて理解できても、問題集の並べ替えが出来たとしても、それが完全に身に付いているとは限りません。もっとしつこくいうなら、

  • He lives in London.

という文を聞き取れたとしても、並べかえるだけでは完全ではないわけです。この英文が分かったという生徒に、英文を提示せず

  • 彼女はフランスに住んでいます。

という英文を書いてみなさい、とか

  • She (               ) (                ) (                    ).

という穴埋めをしなさい、と指示をすると、正解率はどれほどの割合になるでしょうか。

 國弘正雄氏が、「自分のレベルよりも2ランク低い英文を音読しなさい」という理由の1つもここにあるのではないかと私は思います。自分たちが考えているよりも、「理屈理解」のレベルは2ランク以上低い、だからまずは2ランク下げて音読・筆写をすることで理屈を理解しよう。その理屈が理解できれば、今までよりも英文の深みを瞬時に理解し、それは「スラスラ」と英語が理解できるように感じることにつながるのだ、ということではないでしょうか。

 少し戻って、それを英語の授業にあてはまるとどうなるのでしょうか。「文法からはじめるか」「(広い意味での)英文理解からはじめるか」と、高校の英語の教員なら考えることがあるかもしれません。(英語の苦手な生徒対象しか分からないけど)
 でも、これは車の両輪のようなもので、文法という理解だけでもダメだし、(広い意味での)英文理解だけでもダメだし、反復をしていかなければならないのだと思います。
 「わかりやすい授業」とは、この両者が上手なバランスを持っている授業。「力がつく授業」とは、この両者のバランスが、継続的(最低でも1年?)に行われている授業。そして、「生徒が楽しみにする授業」とは、この作業を通じて、生徒が自分たちの力がついてきたと実感できる授業、なのではないでしょうか。少なくとも、私はそんな気がします。

  • ウチの生徒は、リスニングと会話だけで、文法も出来るようにりましたよ!

という先生がいたら、その生徒さんは自分で概念的理解を得られるように努力をしたすばらしい生徒なのでしょう。そういう生徒と巡り会えたことに感謝をした方がいいかも。

 あ、もしかしたら、授業外でそういう勉強をするようにした、そんな先生のすばらしいご指導の賜なのかもしれません。

2007/12/18

英語的基礎学力のつけ方(2)

 ベネッセの基礎学力テストの結果が戻る。やはり「チームやんちゃ」はある程度出来ていたようで、学年で最高の平均点。ただし、「チームおしとやか」は、、、の結果(苦笑) 授業中に活発かどうかは大きなさになるのかな。ただ、今であればもう少し変わるか。
 英語のみが全国平均を上回っていることにほくそ笑み、ただこれからは必要悪としての「二極化」の学力を考える必要があります。それにしても、前回の英検で準2級に合格した生徒よりも、同じテストで3級に不合格(not passed B)の生徒の方が点数が高いのはどうしてだろうか?(笑) 

 PCの故障が電源かと思ったら、スイッチ部分が原因でした。のめり込んだスイッチがずっとオンの状態になっていて、壊れてしまったとのことです。ショップに持ち込み、ちょっと見てそれを判断した店主に感服しました。プロとはこういうものなのですね。

 前回の続き。

 「英語の基礎力」として考えられるものは、何なのでしょうか。

  • 単語力
  • 文法力
  • 聴解力

といったところかな。もちろん、発音が出来るかどうかという問題は、単語力や聞解力にいれることにしておきます。

 単語力を増やすために、単語集を利用して、「1学期は100番まで」などといって、覚えさせることがあります。(私もかつては、行いました) 単語を覚えさせる理由は、「単語を覚えれば、長文が読めるようになる/リスニングができるようになる」と思うからでしょう。
 しかし、しっかりと覚えてきた生徒が長文が読めるようになるかというと、リスニング能力が上がるかというと、必ずしもそうではありません。「必ずしも」とは書きましたが、上がらないケースの方が多い気がします。これはどうしてなのでしょうか。

 文法力を上げるために、ブリッジ教材などを使って、文法をbe動詞からおさらいすることがあります。なんとか1冊を終えて、中学校の部分をやり終えた~と思っても、では英文が読めるようになっているかというと、そんなことはありません。

 単語にしても、文法にしても、しっかりと学習した生徒でさえ、読めるようになっていないことが問題なのではないでしょうか。

 単語を覚えることが「基礎的知識」(前日のブログ参照)だとするならば、そこに概念的理解がなければ英文は読めないわけです、作れないわけです。だから、、

  • boy / a / tall

で名詞句を作れという課題を出せば、"a boy tall"という解答が多数寄せられることは想像に難くないことは、分かってもらえるでしょう。boyやtallの意味が分かっていたとしても、その順番という「概念的理解」が必要なのです。

 そこで、文法的に教えることが必要になるのでしょうが、「形容詞の使い方」と、1つの例を与えて、そこから文法を教えるという演繹的な教え方で、はたして生徒がわかるでしょうか。私は分からないと思います。この使い方を教えるためには、最低でも4~5の例をあげて、生徒に意味を確認させて後で、帰納的に導入した方が分かりやすいのでは。

 その後、帰納的に概念的理解をさせたといっても、それはあくまでも「生分かり」という何となくの理解に過ぎません。そこで、再び例をあげて、再び説明。例をあげて、説明、というようなサイクルをいくつもする必要があります。

 その例をあげてから、新しい例を示して、独力で解かせる。さらに、音読や筆写を通じて、その理解を自分のものとしていく。

 英語でいう、基本的な概念的理解を獲得するためには、このように「例」と「説明」とをうまく組み合わせ、その上で音読をさせる必要があるのではないかと私は思います。

 英語的なセンスのある生徒(学力の高い生徒)は、自分たちでこの概念的理解を持っていきます。だから、特に説明しなくても構わない部分があるのですが、センスのない生徒(学力の低い生徒)は、ここを上手に説明しないと、さらに分からなくなってしまいます。

2007/12/16

英語的基礎学力のつけ方

 タワー型のPCが故障。電源が古くなったのだが、相方が接触不良と勘違いしたようで、スイッチを強く押したために、スイッチ陥没(苦笑) あとで、PCショップに行ってきます。強引に進めようとしたらダメだって!と思いながら、これって何でもそうだなぁと2人で納得しました。

 それはともかく、英語の基礎学力について少し書いてみます。自分の考えをまとめるために書いているので、途中で考えの変化があるかもしれません。いうなれば、ブログ書きはセルフカウンセリングみたいなものかな。

 基礎学力とは、「基礎的知識」と「概念理解」ということは、昨日のブログ通り。難しい言葉を使うというとこうなるのでしょうが、具体例を挙げて簡単にいうなら

  • 基礎的知識 : a big house  「大きな家」
  • 概念的理解 : 冠詞+形容詞+名詞の語順 (冠詞 a の使い方)

となるでしょう。冠詞の使い方が、基礎力の中での「概念」として必要かどうか疑問なので、(   )でくくりました。

 基礎的知識を持っていても、概念的理解がなければ応用はききません。

 算数の九九にしても、九九を理屈抜きで覚えること(基礎的知識)だけでなく、「かけ算とは何か」ということ(概念的理解)があって、子どもたちはトランプの枚数を13×4ということが出来るのでしょう。

 ただ、この概念的理解がなくても、学習内容が簡単なうちは「なんとなく」で解けてしまいます。a big houseについて概念的理解がなくても、a small houseは分かるでしょうし、かけ算の概念的理解がなくても、「13枚のカードが4種類あります。全部で何枚ありますか」と聞かれれば、13×4と計算ができます。しかし、「なんとなく」が効かなくなってくると、そこで急に分からなくなってしまいます。

 では、最初から概念を教えた方がいいのでしょうか。

 「a big houseのbigは形容詞で、これがhouseという名詞を飾っている。形容詞は、冠詞と名詞の間において名詞を修飾して、、、、」と最初から教えたときに、「なるほど!」と思う生徒はどれだけいるでしょうか。
 「かけ算とは『基準量がいくつか』という意味です。4×3は『4が3つある』という意味となります。これから学ぶ九九では、、、、」と最初から教えたときに、「なるほど!」と思う児童がどれだけいるでしょうか。

 そうなると、基礎的知識と概念的理解は両方とも必要だけど、基礎知識→概念的理解(帰納的学習)とするほうがいいのか、概念的理解→基礎知識(演繹的学習)としていくかの、入り口が大切な問題になってくるでしょう。もちろん、『繰り返し学習』のなかでは、両方に行ったり来たりする必要がありますが、入り口(学習者のモチベーションにいちばん影響を与えるとき)では、どちらに重心を置くかは、次の2点が大切になります。

  • 学習内容
  • 学習者の発達段階(抽象的なことが理解できるかどうか)

また、いかに「概念的理解」を生徒に伝え、理解させるかも、大きな問題です。ちなみに、『これでわかる基礎英語』は「帰納的学習」でこの概念的理解を得ることが出来るように工夫したつもりです。(って、ちょっと最後にPR;笑)

この項つづく(予定)

 

2007/12/15

基礎学力の「基礎」とは?

 本日は午後から学習会のため東京の某大学へ。いつ訪れても立派な設備だなぁ。最後までいたかったのだけど、家庭の事情のために中座。お目当ての「全国学力調査の結果」について聞くことができたので、よしとしましょう。

 本題とは違うところで、気づきがありました。

 基礎学力とはなんぞや、分かっているようなんだけど、あまりはっきりとした定義を分かっている人は少ないでしょう(私もその1人ですが) ただ、基礎学力の中には「概念理解」が欠かせないという話がありました。九九であれば、九九をいえるだけでなく、かけ算とはなんぞやという「概念」をあわせて「基礎学力」となるということでした。

 では、英語でいうとこの「基礎学力」とは何なのでしょうか。「概念理解」とは何なのか。「なるほど!」と思うこともあったので、書くつもりだったのですが、また詳しくは明日にでも。

2007/12/14

OCの評価を公開(気を遣われました;笑)

初めてうける授業評価。本日でOCが終了したので、まずはそちらの評価の公開です。教科の特性で、あまり関係のない設問は脇においています。
 評価 A:そう思う  B:だいたいそう思う  C:あまりそう思わない  D:そう思わない
 平均 A 4点  B 3点  C 2点  D 1点 としたときの点数(満点4)

     設       問 A B C D 平均
先生の話し方は聞き取りやすい 30 22 1 0 3.6
黒板への書き方や文字は見やすい 24 27 2 0 3.5
先生の説明は分かりやすい 36 15 2 0 3.7
授業の内容はちょうどよい 29 22 2 0 3.5
発言しやすい雰囲気がある 21 14 13 0 3.4
先生は質問によく答えてくれる 30 22 1 0 3.6
先生の授業に対する熱意を感じる 34 18 1 0 3.6
授業を通して力がついてきた 26 19 6 1 3.4
教材は工夫されている 30 23 0 0 3.6
自分は授業に真面目に取り組んでいる 28 24 1 0 3.5

次にコメントを一気に紹介

  • 倫太郎先生の授業がいちばん熱意を感じます。生徒のことをよーく考えていると思う!(絵文字付き)
  • 先生のたまにある話は興味深いものが多い。勉強嫌いの友だちにも話してほしいから全てのクラスを担当してほしいと思う。
  • 特になし。
  • 説明が分かりやすいから少しずつだけど、できるようになってる気がする.
  • OCをやってから単語を勉強したり、音読の大切さが分かるようになりました。単語はもっとじっくり勉強したいです。
  • 1学期に比べ、発言しにくい雰囲気になってきた。
  • 話の内容が分かりやすい!! 理解しやすい!
  • 楽しく授業が出来ていいと思いました。結構英語が好きになりました。
  • OCの授業はわかりやすくていいと思います。
  • 単語をもうちょいやりたかった。
  • 最高です。
  • 授業の内容がわかりやすい。トピックを、聞いて探すのがむつかしい。
  • 高校入試リスニングの旅は、とっても力がつくのでいいと思う。勉強の仕方とかを教えてくれて、助かる。
  • ALTとかの授業は本場の英語がきけてうれしい。
  • 英検受けたいと思ったんだけど、家で勉強できる自信がなくて、どうしようか悩んでいる。もっと英語が出来るようになりたい。
  • OCでの授業を生かして英語を力つける!
  • もっとリスニングの力をつけていきたい。
  • 「リスニングの旅」をやってリスニングの力がついたと思う。進路の話もためになった。
  • 授業が楽しくて、分かりやすいです。でも、あったかいから眠くなりますzzz
  • リスニングのやつは役に立つから良いと思う。あと、分かりやすい。
  • リスニングの聞く力が少しでも身についたと思う。
  • とにかく勉強だなと思った。基礎学力をつけないと仕事でも役立てないと思った。授業内容がとても良いと思った。

うーん、なんだか気を遣ってくれたのがありありと分かる内容(苦笑) 彼らも大人なんだなぁと感じました。

 本日は職場の忘年会だけど、緊急の用が出来てため、ドタキャン。少々残念。

2007/12/13

採点完了!

 採点完了。本日は答案返却が2クラスだったので、それに併せて授業アンケートも実施。

 オーラル・コミュニケーションⅠは使用している教科書が「日本でいちばん易しい教科書」((C)某教科書会社の営業マン))だったので、あまり点数の差がつきませんでした。どれだけ点数を高くしないように、間違わせるようにするかを考えないととんでもないことに…(^^;; こちらのアンケートは明日の2クラスがまとまったらこちらでアップする予定です。

 英語Ⅱの平均点はかなり高かったようです。2クラスとも70点以上で、90点以上の生徒も数名とも両クラスにいます。こちらはアンケートはまだですけど、平均点をSHRで話をすると生徒が「あれだけ勉強させられたもんなぁ~」とうれしそうな表情。そうでしょ、そうでしょ。授業であれだけ勉強をして、それでテストで悪い点数だったら泣くしかありませんから。寝るヒマなし、誤魔化しきかず、毎回の提出物がありますが、それで生徒が自分たちの力がついたと実感できるのなら、大変かもしれないけど行うものです。こちらの授業アンケートは来週の月曜日なのでそちらも楽しみです。
 「熱意」を押しつけられると困ってしまいますが、生徒の成長を考えて行動することが教師の成長を促すもので、その結果が熱意なのではないかと思います。「熱意」といっても、お上にいわれたことを誠実に行う熱意もあるのかもしれませんが、生徒の成長を促す熱意の方が大切だと思われます。ただこれから始まる教員評価や免許更新制度というシステムの中では、前者の熱意を大切にする教員が増えていくのではないかと、ちょっと心配です。

 ちょっと今日は昔話。かなり前のことです。

 彼が私のところに突然に電話をかけてきたのは、とある北日本への修学旅行の直前の木曜日のことでした。「日曜日からの修学旅行に行かない」と突然に話してくる彼の言葉に驚きながら、金曜日に話を聞くということで、その日は終わりました。

 翌日に話を聞くと、彼は家族関係の話をし、修学旅行に行くためのお小遣いがもらえないといいました。経済的には困っている家庭でもなく、どうも家族関係にその原因があるようでした。

 結局は、彼は修学旅行に行くことになります。

 帰ってきてから、彼と面談をしました。彼の話を聞きながら、家族の関係をB5の紙に書いていきます。父、母、姉と彼との関係や、父母関係、父姉関係を図に書くことで、(彼が思いこんでいるだけかもしれないけど)家族の抱える課題を生徒に意識化させます。

 それを見ると、彼の家族はお互いに上手に関わりが出来ていないことが分かりました。彼が遅く帰ってくると頭ごなしに怒る父親、家事の順番でぶっきらぼうにいう姉、家族みんなに気を遣いすぎている母親がその図から浮かんできます。
 ただ、お互いに無関心かというとそうでもありません。彼が遅くなると心配する父親、文句を言いながらも家事をしっかりと行う母親、上手に家族関係を作りたいと思っている母親と、関わりをお互いに持とうと思っているのですが、不器用なだけでした。

 そこで、彼も上手に家族関係を作りたいと思っているので、彼に何が出来るかを考えさせます。その結果、今日から出来ると彼が話したことは、「挨拶」でした。起きたら「おはよう」、家を出るときには「行ってきます」、帰ってきたら「ただいま」、寝るときには「お休みなさい」という挨拶をするだけです。これなら出来る、と彼はいいましたが、「これで何か変わるかな」という半信半疑でした。ともかく1週間続けてみようということになりました。

 そして1週間後の面談で話を聞くと、変化が少しずつ出てきたようです。挨拶を通じて、お互いの存在を確認するようになり、以前よりも会話をするようになったとのことでした。彼の思いをとにかく聞き、また1週間後話をすることになりました。

 ところが、1週間後に彼は来ません。10日ほど経ったときにこちらから話を聞くと、うれしそうな顔で「この頃、家族関係がよくなってきた」とのことです。「1年以上ぶりに家族に食事に行ったんだ~」という弾む彼の声に、やっぱり、と思いました。大きな課題を持っているときは約束は守りますけど、それが解決すると面談の約束はすっぽかされることがあるのです。

 この後、彼はとても安定した高校生活を送り、希望通りの進路に進むことが出来ました。

 もちろん、これはあくまでも成功例です。うまくいかないときもたくさんあります。でも、生徒との人間関係は同じ課題に取り組んでいくという営みで築かれるものだと思います。そして、課題を超えようとする生徒の援助者としての存在に教員はなれるんですよね。これは職業上の特権でしょう(^^) 100の課題のうち、10を取り除くことができれば、あとは自分たちで生徒は解決が出来る力を持っているんです。最初の10を取り除く力と、生徒の成長力を信頼することが出来るか、そこが勝負なのでしょう。

 本日は午後から出張。帰り道に、卒業生が店長をしている成田の「ラーメンD」で辛みそラーメン。ニンニクを多めにサービスしてもらい、彼の顔とガーリックでエネルギー充填です。なんといっても今日は週1の楽しみの「医龍2」の日。プロ集団が集まったチームのすごさと、プロをまとめていく朝田の人間に対する信頼、そして次世代を育てていく人間性を見るのが楽しみです。どーせフィクションだよ、という相方の罵声にも負けず、本日も見る予定です。

2007/12/12

ペンキ塗り

 期末考査終了。今から採点です。「英語を勉強させられた~」という生徒の声は果たして点数に一致するのだろうか、期待はしています。
 明日から始まる答案返却では、生徒会から要望のあった授業評価を行うことになります。果たしてどんな結果になることやら。ここで公開をする予定です。

 本日は、生徒3名と教室のペンキ塗り。清掃後、机を中心に集めて、マスキングテープで塗りたくない部分の養生をします。二十数年の歴史を感じさせる壁ですから、本当は一度はスポンジで掃除をした方がいいのでしょうが、時間的な問題もあり、ペンキを塗ります。そうそう、その前に床が汚れないように、マスキングテープを使って新聞紙を床に貼り、ペンキが落ちてもいいようにしてから、塗り始めます。

 M君が新聞紙を使い何かをしているなぁと思うと、真ん中に穴を開けて、そこから顔を出しています。彼なりの「防御服」に新聞が早変わり(笑) こういう使い方もあるのだと、ちょっとだけ感心しました。

 ペンキ塗りは養生に時間がかかるし、手間もかかります。ペンキ塗りは、ただ楽しいだけ。汚れていたところが、急にきれいになるのですから、やっている方も楽しくなるものです。教室のペンキを塗ると、ゴミが減るんですよ。信じられないかもしれませんが、まずは環境を整えることは大切なことです。

 ペンキを塗りおえてから、3人をつれて、1年ほど前に出来たN食堂へ。最初はトンカツで有名なO食堂に連れていきたかったのですが、定休日なので仕方ありません。そこで、ご飯を2合は食べているだろう彼らの食欲に感心しながら、つかの間の休憩。

 食事を終えて、教室に戻り、新聞紙を片づけ、教室をもう一度整備して、ようやく完了。こう書くとすぐに終わっているようですが、所要時間は早くて2時間。平均して3時間(食事を除く)。

 誰がきれいにするというのではなく、教室の仲間がきれいにするというところが大切だと私は思います。そう考えると、誰にペンキ塗りを手伝ってもらうかという人選も大切なことなんですね。

 こういう仕事は、とても教員らしい仕事だと私には思います。ワックスがけやペンキ塗りの方法を教えてくれた前任校の同僚に心から感謝。

2007/12/11

英単語の話と学力向上

 しつこいですが、英単語の話、再び。

 とあるところで、「(中学生は)教科書だけの単語だけで、対応できるのでは?」といわれました。確かに、その通り。教科書だけの単語だけで対応は出来るでしょう、高校入試が最終目標であれば。しかし、必修語が100語になった結果、こんなことも起きています。

  1. breath, clever, repeat, solar, tiger
  2. ant, cross, ink, road, tissue
  3. lesson, Ms, nurse, sentence, toilet
  4. band, knee, moment, robot, violin
  5. chat, skirt, strict, tomato, training
  6. bottle, dress, hobby, nickname, sheet

これが何だかお分かりになるでしょうか。パッと見たところ、「基本単語」として感じてもおかしくない30語です。

・・・・・・

数字の「6」がヒントになります。

・・・・・・

答えは、、、

  • 中学校の6教科書で、1年生のある教科書に出ているが、他の5つの教科書には3年までの間、一切出てこない単語

です。つまり、日本のどこかの中学1年生は学んでいるのに、違う場所の中学3年生は卒業まで学べないということなのです。

これらの単語を、もう少し分けてみますと。。。

  • lesson, Ms, nurse(某教科書に中学校既習語として出ているもの)
  • breath, clever, repeat, tiger, ant, cross, ink, road, tissue, sentence, toilet, band, knee, robot, violin, chat, skirt, strict, tomato, training, bottle, dress, hobby, nickname, sheet(某教科書の英語Ⅰの教科書に出てこない単語)

 ちなみに、某教科書とは、中堅クラスの学校が使用する教科書です。この教科書では、lessonやMs, nurseは中学校で既習したとみなされています。しかし、実際に学んだのは1社の教科書で学習した生徒のみ。
 その上、repeatやroad, cross, sentence, dress, hobby, sheetなどは通常、高校1年生で学ぶ「英語Ⅰ」の教科書に出てきていないので、これらの基本語さえ知らない生徒が少なからずいるというわけです、もし教科書のみの学習だった場合には。
 つまり、他で学習をしている(出来る)生徒と、していない(出来ない)生徒との差が出てくるわけです。具体的にいえば、家庭教師や塾で学習が出来るグループと出来ないグループにより、単語力に差が出てきてしまう可能性がとても高いのです。

 「自分たちで行えばいいじゃないの」という人もいますけど、自分たちで学習が出来るようになるためには、学習スキルを身につけていることが必要で、現実問題でいうならば、どれほどの児童や生徒がそのスキルを身につけているのでしょうか。私はかなり低いと考えています。それに、学習できる環境がどれほど整備されているのでしょうか。中学生だったら、部活を終えて、自分で勉強しようとするときに、分からなくなったときに質問が出来る先生はいるのか、図書室は空いているのか、などなど、問題は多くあるはずです。

 和田中学では、実質的に塾を学校で開くことになっているのでしょうか。通常の塾の代金の半額のようですが、それは公立高校の一月分の学費よりも高額なものです。さすが、リクルート出身の民間人校長は考えることが違いますね。しかも、それに入るためには試験があるとかないやら。お金があり、学力の高い生徒には手厚くしていこうということなのでしょうか。
 AERA(2007/12/03)の記事(日給12万円の「異常」委託費ジョブカフェ内部文書入手、「高額人件費」のからくり)を読むと、リクルートがどんなことをしているのか、ただただ驚くばかり。税金を使ってノウハウを学び、そのノウハウを使って、新規事業とはさすがに民間会社ですね。そのDNAを社員や元社員は引き継いでいるのでしょうか。

 学校で塾を開設するなら、教師が講師役を出来るようにすればいいだけだと、私には思えてしまいます。「暴論」と先日のブログにも書きましたけど、放課後の2時間を「学習タイム」として、最低週2回は必ず生徒はそこで勉強するようにすればいいではないですか、教材費以外は無料で。集団授業の発展的なことをしていくか、それとも個別で苦手な生徒に対応していくかは、本人たちに任せるとより、効果的かも。
 教員だけでなく、積極的に指導主事や行政職に籍をおいている教員にも手伝ってもらい、その上、地元で教員免許を持っている人たちからも応援を仰いじゃいましょうよ!近所に大学があれば、そこでの「授業」を、単位として認められるようにするという試みはいかがですか。とにかく、人的なリソースを増やすことは、生徒にとって間違いなくプラスになります。
 「忙しい」と教員や指導主事の先生は思うでしょうから、生徒の帰宅時の見回りの仕事は警察にお願いして、書類なんかはどんどん廃止をして、週案も廃止、ナントカ研究校というのもやめて、誰の実績にもならないけど、生徒の学力を高めていくシステム、経済的な問題を抱えている生徒でも、授業以外で学ぶことが出来るシステムを作れないものですかねぇ。

 教科書の難易度を上げたら、ついていけない児童・生徒が増えます。その時に、どうしますか。分からない生徒はそのままにしたり、塾に通わせますか。

 授業時数を増やせば、ついていけない児童・生徒は増えます。そのフォローはどうするつもりですか。

 教科書の難易度を高め、授業時数を増やせば、誰しもが「自分(の子ども)は学力が上がり、成績が伸びる」と考えているのかもしれませんが、私には必ずしもそうは思えません。分かる生徒を伸ばす指導もとても大切ですけど、その一方で学習が苦手な生徒に対して、どうやって分かるようにフォローしていくのかというシステムも考えなければならないと思います。

2007/12/10

生きる力と英語教育

 考査中なので、じっくり読書。読みたかった本がようやく読めています。週末に読んだのは次の2冊。

  • 「暴走老人!」(藤原智美著、文藝春秋)
  • 「生きさせろ!」(雨宮処凛著、太田出版)

 「暴走老人!」は、思ったよりもインパクトなし。エリクソンの心理社会的発達の8段階でいう、「老年期」に統合できる生き方だったのか、それとも「絶望」してしまう生き方だったのか、という視点もあっていいのではないかというのが、正直な感想。著者の視点もそれはそれで1つの視点だろうし、それは間違っていないけど、もう少しつっこむことも出来たのではないかなぁと思います。
 人間は必ず死ぬ運命で、誰しもが生きている限り、年をとっていきます。どのように年をとりながら、生涯をかけて成長をしていくかという視点も大切なのでは。次の世代に譲るところは譲り、自分の出番はコンサートのアンコールのように、スッと出て、スッといなくなるような年の取り方が私には理想ですが…。いつまでたっても、「余人に代え難し」なんていわれるようにはなりたくないものです。それは、自分が次の世代を育てられなかった証明でもあるのですから。

 ステキな年齢の重ね方を考えながら読んだのが、「生きさせろ!」です。著者の雨宮処凛さんのことは、元「ミニスカ右翼」としてはしっていましたが、この本は読者に、現在の「派遣」「請負」の実態を紹介し、そして若者がおかれている辛い立場を教えてくれます。
 本来であれば、社会に出て働くことは、喜びであるはずです。自分が他者のために役に立ち、この社会の構成者としての責任を持つことは大きな喜びでしょう。しかし、それがこの本の中に出てくる若者たち、正社員ではなく「派遣」「請負」労働をしている若者たちにとって、働くことは、「喜び」とはなっていないことが分かります。
 「フリーターにならないように」という号令がかかり、高校でもキャリア教育という名前で、色々な仕事についての紹介があったり、働くことの意味を話したり、インターンシップが行われたりします。でも、だからといって、社会の非正規雇用の人数が減っていくのかといえば、世の流れは逆に進んでいます。厚生労働省のサイトを見ても、「現状では非正規雇用の労働需要が強いことから、全般的に非正規雇用への流入が強まっており、このような傾向は特に若年層でみられる」とさえ、書かれています。企業が非正規雇用を増やしていくのに、学校では「非正規雇用はよくない」と教えるのは、何か変ではありませんか? ただし、「フリーターにならないように」という号令はその通りだと思いますから、文部科学省は企業に対して「正規雇用の推進」と「非正規雇用を減らす」ということを、強くいってもいいのではないのかなぁ。
 その上、非正規雇用を「食い物」にしているといわれている人材派遣の会社のトップがいろんなエラーイ政府の委員サマをなさっていたこともあるようで…。「過労死は自己管理の問題」と言い放った人は、アノ女性だっけ?

 「教え子を再び戦場へ送るな」という日教組のスローガンではないけど、「生徒を○○へ送るな」という「○○」に入る適語を入れなさい、という設問には高校教師はどう答えるのだろうか。
 年を重ねたときに、今の30代以下の若者がどれほど、自分たちの人生を「統合」させることができるのか、私は不安に思います。

 世の中には色々な先入観があります。国鉄が民営化されるときには、職員がいい加減な勤務をしているといわれたようですが、もし本当にいい加減な勤務を多くの職員、いや一部の職員でもしていたならば、あれほどの正確なダイヤで動いたのでしょうか。

 同じように「今時の若者は」という人もいますが、その人たちは本当に若者の実態を知っているのか、そして自分たちが若いときにはどういう人間だったのか、その上、今はどのような生き方をしているのか、と考えてみてもいいのではないかなぁと思います。
 幼少期から「冬の時代」を経験している生徒は鎧をつけることもありますけど、よく話してみると、優しいし、いいヤツばっかりですよ、今の若者は。少なくとも、若者を「使い捨て労働力」として考えているエライ人よりも、よっぽど優しいし、よっぽど周囲のことを考えられる人です。

 とはいえ、生きていく現実は、「風邪をひくな」という教育をしておきながら、「ウイルスがたくさん待っている町」に入らせるようなものです。だからこそ、こういう社会を変えようという声をあげるだけでなく、抵抗力=生きていく力を育むことが教師ができる生徒への「プレゼント」だと私は思います。
 だから、「分からないことが分かった」「自分に出来ないものが出来た」という生徒が感じ、それが達成感→自己尊重意識につながっていくことは、大切なことです。これが、やりやすい教科は英語であるのではないでしょうか。しかも、いわゆる底辺校での英語であればあるほど、これは、行いにくそうで、行いやすいのではないでしょうか。
 そう考えると、底辺校での英語教育には、透き通った意味での教育があり、その実現には尊いものがあります。
 「生徒が勉強しない」「生徒が自分のレベルについて来ていないだけだ」というのではなく、ごくごく小さなステップが、その生徒を人間的に成長させられるかもしれない、そんな思いを持って授業をしてみると、違う感覚で授業を行えるかもしれません。

2007/12/09

大学全入の時代とはいうが…

 木曜日の夜から諸事情によりPCを使えませんでした。2日間以上も、日頃使用してるパソコンを使えないと、想像していたよりも不便さがあるものですね。

 「大学全入」とは、最近になりよくいわれます。確かに、「大学の定員>大学入学希望者」という図式は近い将来に完成するのでしょう。ただ、「大学入学希望者」の中には、希望しても大学入学がかなわない生徒もいます。

 2年前の静岡新聞のサイトに次のような記事があります。

 この中で、苅谷剛彦氏は、「保護者の階層差と、生徒の学力差」であるといい、「学習意欲が低下しているのは全員ではなく、家庭環境にも恵まれない、勉強の不得意な子供たち」であるといっています。

 明確な数字はないけれど、皮膚感覚としてこれは分かるような気がします。これは、学費の減免についても同じことがいえるのではないでしょうか。進学校では授業料の減免は少ないでしょうし、いわゆる底辺校では減免が多いし、時には滞納も少なからずあるようです。(と、伝聞での言い方は、どうか察してください) 後者の学校に勤めている教員は、一括で購入させる教材は出来るだけ安いものを選んだり、時には値引きの交渉も行います。また、たとえ不完全であったとしても、自分たちで作ってしまうこともあります。

 とはいえ、いちばんの経済的な問題を考えるときが、卒業後の進路です。「この生徒には大学で学んで、社会に羽ばたいて欲しいな」と考えても、「経済力」がどうしても気になってしまいます。年収300万円の家庭で、私立大学に生徒を進学させるのはかなり大変です。「奨学金」を薦めることもありますけど、時には合格後の入学一時金が支払えず、大学進学をあきらめるケースすらあるのです。中には、学費を考えると、4大は無理だから、短大に進みたい、という生徒もいます。

 LHRなどで生徒に大学を薦めようと思っても、どうしても経済的な問題がある生徒のことを考えると、「どこまで薦めればいいのだろう」と考えます。学歴別の生涯賃金を話すときにも、それは同じです。生徒には全くの瑕疵はない問題であることが、より辛くさせてしまいます。

 「ウチは大学に行けないから」という生徒に対して、「学ぶことはどこでもできる」とか、「大学のために勉強するのではなく、自分を高めるために学ぼう」と私もいうこともありますけど、こういう言葉が口から出るときに、どこか良心が痛みます。多くの高校の先生がこんな思いをしているのではないでしょうか。

 立ち消えになりそうですが、教育再生会議で「大学進学へ資格テスト」というならば、その資格テストで上位30万人は大学での学費は無料にする、ということがワンセットであればぜひとも賛成したいのですが。道路作りも大切かもしれませんが、それ以上に人作りは日本という国には大切なことではないかなぁと私には思えます。

2007/12/06

向こう側から飛んできたか!

 こっちから矢が飛んできたか!というのが正直な気持ち。tmさんのブログでかいてあった「あるニュースサイト」を探したら、ここを見つけました。

 町村官房長官の発言だが、政治が「結果責任」ということは多くの政治家がいうことなのに、「自分たちの政策は間違っていない。しかし、それを現場が台無しにした」という発言は、この「結果責任」とどれだけ一致することなのか。それとも、「過程責任」とでも官房長官は考えているということなのだろうか。何かやろうと前向きに活動している教員は、こういう発言を聞いて、「官房長官にホめられるように、頑張るぞ!」と思うだろうか。疲弊する一方だろう。

 6時過ぎに郵便が来ることがあるんだよね、とは相方の驚き。郵政民営化の賜なのか。東北地方で、JRも通っておらず、バスが1日4本しかない地区で生まれ育った相方にとって、郵便局は大きな意味を持っている、というか持っていた。そこが廃止されるのではないかという不安もそちらではあるようで、お年寄りは不安に感じているとのこと。
 郵政民営化で、何かよくなったと感じる人は、どれほどの割合なのか。だれがこの政策で利益を得られることになったのか。あ、そうそう、少子化対策にもなるといっていたエライ人もいたっけね。

 地方の疲弊、現場の疲弊、これらをもたらしたのは、いったい誰だというのか。「末端」が常に悪くされてはいないか。

 若者世代と付き合っていると、彼がとてもマジメで、前向きだということがよくわかる。それを「今時の若者は。。。」というひと言で、否定する世代はどの世代なのか。自分たちの若いときのことをもう一度、振り返ってみるといいのではないだろうか。どんなにオイタをしたって、「若気の至り」で許されることだってあるだろうに。年を取って、若者を理解できなくなると、「道徳観がない」「傍若無人である」「規律を教えなければいけない」といい、あげくの果てには、「○○制」なんていう西の人もいたっけ。

 「家庭の教育力の低下」というのは、確かにその通りだと思う。(これはには、多くの原因が含まれていると思います) その一方、「地域の教育力の低下」もまたその通りだろう。「昔は怖い、おじさんがいて、近所の子どもを怒ることがあった」とはよく聞くことだ。家庭の教育力の低下を親世代(20~40?)の責任にするのであれば、地域の教育力の低下は、おじさん世代(40~?)の責任とはならないのか。家庭の責任だ!という人は、自分が地域でどのような教育に携わっているか。「仕事が忙しくて~」なんていう人はまさかいないだろうね。

 「自分は悪くない。悪いのは○○だ」というのは、飲みながらの話や、友人とのグチならばそれでも結構。しかし、人前でこう発言することは、全体的な志気を低下させていく。人のことをいう前に、自分は何が出来るのか、という前向きさが大人世代には必要ではないか。これこそ、若者世代に対する生きた教材とはならないのか。

 「自分は勉強ができる。しかし、できないのは、教材が悪いんだ」と若者がいったとき、どれほどの大人がその若者に共感するというのだろうか。

 久しぶりに怒っています、私。

 教育相談は、奥が見えない。先が見えると、必ずその先の課題が見えます。故・河合隼雄氏ではないが、「100の課題の10を軽減する援助」の難しさに対する畏怖を持ちながら行わないと、と自分を戒めながら。。。 

2007/12/04

量なのか、質なのか

 試験前でESSもなし。ただ、英単語ピーナッツは継続して行うことになっているので、今のメンバーなら毎日1ページずつ行ってくれているだろうという期待をしています。英語ばかり勉強して他教科が疎かになるのは、本末転倒なので、まずは勉強をしてもらいたいですね。

 明けて本日、PISAの結果を公表というか、オープンするというか、ともかくマスコミに載ります。やはり結果は、低下傾向というウワサもあるようで、昨日のブログのようなマスコミでは随分と学校がやり玉に挙がるのでは?

 「授業時間を増やせ!」「教科書の内容をもっと増やせ!」という前に、もう少し冷静に学力低下に関しては考えてみてはどうでしょうか。

 小学校の「発見学習」と、「教えて、考えさせる」学習とどちらがいいのかという二者択一だけではなく、どんな時には「発見学習」、どういう時には「教えて、考えさせる」学習で、どちらの比率をより高めていった方がいいのか、ということも真剣に考えなければならないのではないでしょうか。

 高校の授業は圧倒的に、「教えて、考えさせる」授業が一般的だと思います。
 例えば、接触節であれば、例題を使って説明をしてから、問題と解いていくという順番がで授業を進めていくのが普通でしょう。一方、発見学習だと、接触節の中から法則を発見させて、それから問題を解かせていくという形になります。高校の教員の立場からすると、発見学習はどうも奇異に感じられてしまいます。

 学習を始める小学校では、どうなのでしょうか。指導主事の先生方の影響力が強いといわれる義務制の学校では、ここを整理している人はどれだけいるのかな。
 「自分で課題を発見する」ことと、「自分で学ぶべき学習内容の法則を発見する」ことでは、全く違うことなのでしょうが、両方とも「発見する」という範疇でくくられていないかな?

 PISAの順位に一喜一憂するのではなく、もう少し冷静に考えてみてもいいのではないでしょうか。小学校の授業で分からなくなってしまい、そのまま学習に対してコンプレックスを持っていても、「学び方」「学ぶ技術」を持っている生徒の方がリカバーするのは簡単なのはいうまでもないでしょう。

2007/12/03

嫌いだったが、納得するようになってきました

 ブログが滞る。大体こういうときは、ブログに書けない内容、担任業的な仕事をしているときが多いので、この頃、お見えになった方には申し訳ありませんm(__)m

 今から楽しみなのは、12/4に公表されるPISAの結果です。何が楽しみかというと、どのようにマスコミが「学力低下」を煽るかということ。ホントにマスコミのこの問題に対しての哲学のなさにはガックリというか、もしかしたら多くの記者は学校に対して恨みでも持っているのではないかと思えます。

 「詰め込み教育」全盛時代には詰め込み教育を批判して、「ゆとり教育」の時には「ゆとり教育」を批判します。どうしろっていうんだい(苦笑) 教育を肌で感じたつもりになっている人間が書く記事ほど、偽善的な記事もありますまい。その一方で、溺れてしまっていると冷静に見つめることは出来ないし。このバランス感覚が大切。
 ちょっと嫌みっぽくいえば、日本のマスコミのレベルは世界では第何位に属するのだろうか? 

 『ゲド戦記』の「さいはての島へ」で、成長したゲドは自然のバランスを大切にしました。このバランスをどうやって持てるか、どんなバランス(誰にとってのバランス)を持っているかが大切になるのでしょう、教育でも。

 教育での労働組合も、「組合員は担任を積極的に持とう」「組合員は授業を自分から公開しよう」「組合員は休暇を極力取らないようにしよう」という合い言葉で仕事をすると、要求していることとのバランスも上手にとれるのではないかなぁ。「時代が変わった」という全てを隠してしまうフレーズは嫌いだけど、将来を見据え、一歩先にいる存在でこそ、尊敬される職人集団になりうるのではないかな。

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 卒業生から連絡があり、彼が勤めている塾で拙著を使いたいという話が出ているそうで、色々と聞かれてました。どこまで正確に伝わるのか不安になったので、昨日、直接伺って、室長さんに説明を。結局、「スーパーゼミ英語」の採択をしてくれる方向のようで、うれしかったな。採択をしてくれるということは、自分の方向性に共感してくれるということなので、それがうれしいんですね。

 学力低下、というのであれば、低下した児童や生徒の努力不足のみをいうのではなく、その児童・生徒が「なるほど」と思えるような授業を構築することが大切なのではないでしょうか。
 「英語がもっと教えられる学校に転勤したい」「今の生徒のレベルでは。。。」というのは職人として失格でしょう。目の前にある「素材」が、最大限に輝ける方法を考えていきましょうよ♪
 それにしても、そういうことを中心とする英語教育関係の雑誌は出来ないものでしょうか。

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