英語新聞の特殊効果、発動!
勤労感謝の日なので、学校はおやすみ。修学旅行以降、モードを変えて、ストレスの高い授業や課題が続いていたので、こちらもホッとしています。ちょっと正直な気持ちです。
とはいえ、ESSとの「デュエル」は続けていきたいので、こちらは英語新聞(Daily Yomiuri)の記事を読むことにしました。前日に渡して、予習をして臨むという約束だったが、相変わらず男子が中途半端だなぁ。女子に比べて男子はよくいえばさっぱりしている。でも、本音をいえば、子どもというかガキっぽさが残りますね。こういうときには、不適切な行動(=予習が中途半端)な行動にはあまり関心を持たず、適切な行動(=予習をしてきた)を行った生徒との関わりを増やすようにしないと。
読んだ記事は、http://www.yomiuri.co.jp/dy/national/20071122TDY01304.htm の前半部分のみ。構文自体は難しくないのだが、分からない単語が多くなると、その構文自体が見えなくなってくるということを経験させ、だから単語力をつけようということが本日の「マジックカード」の効果。
- Miyazaki, 69, allegedly told the special investigation squad of the Tokyo District Public Prosecutors Office that he gave the money to Moriya as a present to celebrate his 60th birthday in September 2004.(Daily Yomiuriより)
ここでは、tell O that節を辞書から引用したものと比べさせます。
- He told me that he was a lawyer.(『ユニコン英和辞典』)
いつものように□(四角)で名詞のグループを囲ませて、that節に気づかせて、「今まで学習してきた知識で対応が出来るでしょ」といことを気づかせます。「おぉ、今まで学習してきたことって、すごいことなんだ」って素直に思ってくれるESSのメンバーが私は好きです(笑)。
- The Self-Defense Forces personnel ethics code clearly prohibits SDF and ministry staff from receiving financial benefits from any interested party--even if the money is meant as a gift.
ここでは、ethicsという単語の意味を難儀。教える教員にこの概念がないということか(^^;; prohibit O from doing、receive O from ... とを教え、なんとか英文も読み終わりました。
ピーナッツ(銅)も生徒が100番を超えてきたので、飽きるころかなぁと思い、この英文の中で200番台、300番台に出てくるものをピックアップして、「もう少し覚えると、もっと英文が読みやすくなるぞ」とアドバイス。500番台ではなく、200番台や300番台を5,6個というのがミソです。
「今まで学んできたことで、英語新聞が読めるようになっているんだ」
「ピーナッツ(銅)を続ければ、英文が楽に読めるようになるんだ」
という2つの狙いはなんとか成功かな、今日のデュエルで♪
昨日の研究授業の後で、質問を同僚の先生から質問を受けたことが、
- 1年生のときから、ああいう授業をしていたのですか?
ということでした。もちろん違います、と答えました。思いつくままに書いていくと、
- 1年生の1学期は人間関係作りなので、グループ学習はしなかった(人間関係の変化が多くあるため)
- 1年生の1学期は、授業の規律を持たせたかったので、ペアワークの割合は低め
- 英語では、名詞にスポットを当てて、「名詞のグループが出てきたら□(四角)で囲う」ことを徹底させる。(his mindやthe deskも最初は囲ませました)
- 名詞の固まりが意識できたら、動詞を意識させ、SVの感覚を作らせる
- SVが意識できるようになってから、コロケーションに移動。
- 3~5の作業は教科書だけでなく、「短文で覚える英単語1700」を使用した。(1年生の1学期は、これだけで授業の25分は使った)
- 「短文で覚える英単語1700」の小テストは毎授業で行い、学習した英文を音読・筆写→暗記させる
- 2学期以降は、グループ学習。生徒の主体性を大切にするように行い、1つ1つの英文の構造などは1学期に比べて解説を低めにしていく
- 英検などの過去問を使い、1学期の最初と2学期の途中での学力の伸長を数字で生徒に意識をさせる
など、です。そして、これは生徒指導と両輪です。「俺が掟だ!」((C)マイク・ハマー)ではないけど、教室にゴミを捨てたり、壁により掛かったり、ウトウトすることは絶対に許しませんでしたけど、いわゆる「生徒指導」的なことは80%出来ていれば、目をつぶりました。100%を目指すことは正しいことなのかもしれませんが、80%できれば合格点でしょ、と自分で思っています。こう書くと、「それは生徒へこびているのですか?」という100%を目指す人たちがいるみたいですけど、自分たちだって100%正しい行動などできないでしょ。ホントに、「100%正しいアドバイス」ほど、役に立たず、毒になるアドバイスなどないものです。あれも、これも完璧を目指していたら、やっていられません。(80%は目指していることも忘れないで下さい)
ちょっとグチっぽくなりますけど、だからこそ、担任を教員は持った方がいいんです。クラスが一定の安定性を持たせるためには、そのバランス感覚がいちばん持てるのは担任を行うことです。「教育相談係なので、、、」「研究主任をしているので、、、」「海外にいく仕事が多いので、、、」とまぁ、担任を行わない理由を何度も聞きました。しかし、「教諭」という仕事をしているのになぁ、、、と私は思います。
とある英語教師としてはちょー有名な先生が、「底辺校に行きたい」といっているのを伝聞で聞いたときに、「真剣に希望すれば、誰だって行けるよ」と心底、その人を軽蔑しました。口先で適当にいうだけで、「でも、自分にはそれが出来ない状況がある」という言い訳をする教員に、生徒に80%を目指させる資格すらないように私には思えるんですけど、どんなもんですかねぇ。
(追記)
担任をした方がいいというのは、悪意なく「80%を目指さない」「100%を要求する」ケースがあるからです。担任業をある程度、分かっている人なら、80%をめざし、100%を目指さないということですのです、念のため。
また、「底辺校」に行ったことがない先生で、「自分は進学校での実績だけで勝負しているんですよ」というなら、そうしっかりと主張した方がいいということです。「底辺校」の先生にもこれは使えるでしょ、こういう視点でやってみるといいのではないですか、という角度で実績を発表すればいいだけでしょう。それなのに、「うちの生徒はこんなことをやったら、こんな風に伸びましたよ~」と普遍化しようとするから、、、となるわけです。要は、生徒との距離感や共有する温度がどのようなもので、どのような援助(指導ではない)をしたかという具体例が、他者にとっては大きなヒントとなるものでしょう。学校での「指導者」とは、部活動の顧問だけのような気がします。














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