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2007/08/31

どんな鏡でもきれいに映るか?

 夏休みも終盤になって、ようやくESSも終了。最終日には、文英堂からいただいた英検対策の問題集「英検合格オールインワン」で6人は準2級、1人は2級の過去問を行いました。サイレンススズカを手綱にとった武豊の気持ちになることが多かった夏休みだけど、同馬のようにレース中に骨折→予後不良にはしたくない。結果を見る限り、なんとか10月は既定路線でいけそうです。夏休みの中では、「1文覚えてcopying」がはまった感もあって、トレーナーとしてはうれしい限り。
 その後、旅行社の I さんが来校されて、修学旅行の打ち合わせ。たっぷり2時間。下見ではスノーケリングや無人島体験をしなかったので分からなかったが、家族旅行で行き、実際に体験して初めて分かることが多かったので、今までとは違った視点での打ち合わせでした。細かいところまでサポートをしてくれて、迅速に対応をしてくれるT社の担当者に心から感謝。Tといっても、乗務員解雇で社会問題になった東武トラベルではありませんので、念のため。あれ以来、東武電鉄にさえ乗ってないくらいなので。
 そのあと、某社の方の話を伺い、それから奨学金関係である団体の方と会合。実績のある千葉の姉妹団体のYさんにご足労を願い、システムや方法について話を伺う。「バブルの頃には、給付の奨学金を出すといっても断られたんだけどね」とYさん。時代は変わり、今では「奨学金を今年もお願いします、来年もお願いします」と逆に頼まれるようになったそうです。それだけ、教員も生徒の学校生活に必死なんですよ、と答える。

 実際に子どもが小学校に通ってみて、小学校の先生方の真剣さや、一生懸命さには頭が下がります。それと同じように、教育相談の研修会に行くと、生徒の成長をサポートしようとする先生方にこちらも励まされます。同僚を見回しても、思想や信条は違っても、生徒に向き合っている人が多く、なるほど、と思うような実践をされている人も少なくありません。

 先日のブログに紹介した「教育不信と教育依存の時代」にもあるように、この頃の児童学生のいちばんの問題は教育意欲の減退ではないでしょうか。http://www.benesse.co.jp/newsrelease/20061211_2_kyouiku.html

 ここには、1980年代の資料はないけれど、高校生の資料を見て、この流れ通りだとするならば、もう少し80年代の生徒は勉強をしていたことになるのでしょう。進学することも難しくなりつつあった時代だし、勉強せざるを得ない生徒が少なくなかったのだと思います。では、80年代、90年代の若者は優秀だったのでしょうか。
 バブル絶頂の時、それに狂っていた人たちは優秀だったんでしょうか。頭脳集団があつまっている金融業界のしていたことはどうだったんでしょうか。バイト先に来る某証券会社の人たちのお金の使い方は異常といってもいいほどでした。就職するときには、解禁日に旅行に連れていったり、リクルーターたちの「3S」は社会問題となりましたよね。
 その一方、高校(中学)の中には、校内暴力の割合も高く、便器が壊され、校内をバイクで走っているケースもありましたよね。大学に入学できない浪人生も6桁はいた時代で、合格できずに自殺をした若者だってニュースになったでしょう。
 そう思い返すとき、本当にあの時代の教育が理想的だったのかと立ち止まってしまいます。

 そんな反省があって、教育政策は変遷してきたのだと私は理解しています。それと、あの時代の教育の反省はどこで行われ、どのように活かされてきているのでしょうか。

 中教審では、小学校の授業時間数を増やす方向で考えているようです。http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070831k0000m010093000c.html

 今の子どもたちを考えていると、キーワードは閉塞感ではないですか。そして、子どもたちは、教員がその姿勢を見習わなければならないとよくご指導をいただく民間企業の商売のターゲットになっていませんか。80年代、90年代に比べて、子どもたちの周りには遊ぶものはたくさんあります。

  • 「自分の脳を自分で育てる」(川島隆太・くもん出版)

によれば、テレビゲームをしているときは、脳はほとんど動いていないようです。そんな子どもの脳の動きを止めてしまうゲームが、すごい勢いで売られていますよね。これって、子どもの学習意欲の減退の一因じゃないのでしょうか。子どもの脳を動かすべきだと思うなら、川島隆太東北大学教授には「反テレビゲーム運動」をしてもらいたいと思っています。子どもの前に遊ぶものがたくさんあるのに、それで遊ぶな、っていってもねぇ、無理でしょう。大人だって、むりじゃないの?

 家族で団らんの時間を、といっても、両親とも働いている家庭が多く、夜になれば親は親で疲れた上で、家事を行うわけですから、子どもと話す余裕は多くないものです。子どもたちだけで家にいることだって少なくありません。これは、「人件費の抑制」「能力主義」のひとつの「成果」でしょう。低賃金で、高い成果を求められた大人全員が、家に帰ってまで、理想的な親などできるでしょうか。できない人の方が多いでしょう。自分たちのことを振り返ってみれば、分かるはずです。その一方で、親自身はそんな自分に負い目を感じてるものです。しつこくなりますが、ワーキングプアの問題を聞くたびに、退職金の数十兆円を感じるのは、問題が違うのでしょうか。

 親が家庭でゆっくりする時間を持つためには、テレビやゲームに「子守」をしてもらうのが簡単な方法です。しかし、川島隆太氏の本の通りに脳が動くなら、それは子どもの脳の動きを止めていることになるんでしょ。だからこそ、DSを買わせて、100マス計算をさせろってことなんでしょうかねぇ。

 子どもにとって、携帯電話なんて、すごいおもちゃですよ。いろんな世界が見えてきます。子どもたちが携帯を買えるようにしておきながら、気軽に使えるようにしておきながら、犯罪に巻き込まれるようなサイトをそのままにしておきながら、それを作り上げてきた民間企業や大人たちは、「今の子どもたちには、道徳をもっと教えろ」なんていうその心には恥ずべき自分はないのでしょうか。(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070830it11.htm) 道徳教育は、まずやるべき場所は、、、じゃないかなぁ(笑) 大人社会って、そんなに道徳的ですかね。

  ただし、こういう世界の中でしか、「居場所」を見つけられない子どもたちがいることも確かです。ゲームや携帯を使用禁止にしたところで、解決にはならないことも事実です。

 話がそれましたけど、学習意欲の減退は、学校と家庭だけの問題に特化してはいけないと私は思います。派遣社員やフリーターなどのワーキングプアの問題がクローズアップされるたびに、自分たちの将来の生活に不安を感じる高校生がいることを、大人社会はもっと真剣に考えた方がいい。派遣社員や人材派遣を行って、美味しい思いをしているのは紛れもなく、民間企業でしょう。自分たちのしていることは棚に上げて、自己責任という名前で悪者を作ったところで、自分がのっている棚の足下が崩れていくことも自覚をした方がいい。

 少子化→労働力の不足がこれから問題となるのなら、どんな子どもたちも社会に出て活躍できるようにするような教育こそ、国の政策に必要なのではないでしょうか。そしてそれは、教育だけで行えるものではなく、社会のシステムの裏付けも必要です。どうも、そのシステムが逆方向に行っていることが、大きな問題なのだが。

2007/08/28

材料だけを増やしても、美味しいものはできますまい

 ESSの活動もそろそろゴールが見えてきました。1日2時間も、よく勉強をしましたね。音読に同時読み、それに筆写と、面倒な作業ももくもくとこなしたあなた方は、私の誇りです。拍手拍手(・・||||rパンパンッ
 ということで、今日も生徒が予習をしてきた英語の勉強。リスニング、解説、1分間黙読(日本語にしない)、リスニングに音読×3回、心の中での同時読み、同時読み×3、筆写×3(センテンス単位を覚えて筆写)、ディクテーション、リスニング。これで、だいたい2時間コース。この暑い中、本当によくやりきりました!

 教える技術というのを考えてみると、ある課題で止まってしまいます。それは、「教える技術が高ければ、良いteacherなのか」ということです。

 もし、技術が高いのはいいことでしょう。でもだったら、技術が上手な人の授業をビデオにでも撮り、それを流したって構わないわけです。極論ですが、ロボットでもOKとなります。でも、そんな授業って魅力的でしょうか。私にはあまり魅力的には思えません。

 となると、授業には教科指導以外に、+αがあるわけですよね。数字にも見えない、受けている方もおぼろげの中にしか見えない、そんなαがあるのです。教えるのは、「教科」だけでなく、「教科を通じての何か」となるのです。

 教科指導がどーでもいいといっているわけではありません。分かる授業こそ最大の生徒指導ですし、学校のいちばんの役割は、生徒に基礎学力をつけることです。それは絶対に間違いないし、100%正しい。でも、それ以外のことも考えてもいいのではないでしょうか。ことば遊びでいうならば、教員と教諭との違いみたいなものです。(法律的な違いをいっているわけではありません)

 教科指導のノウハウは、料理でいう材料集めのようなものです。新しいネタを仕入れるようなもので、せいぜい、下ごしらえをする程度です。でも、どんなに素材を集めようと、美味しい料理ができるかどうかはまた別問題。お客さんが、美味しいと思うかどうかも、さらに違う問題になるのです。材料にこだわらなければなりませんが、拘りすぎて一部のグルメのための料理になってしまえば、普段の食卓との間には大きな乖離ができてきます。

 しかし、「研修」で得られるのは、材料だけです。調理方法は、なかなか得られるものではありません。「こんな時に、こんな言葉かけをする」、「テンポの良い授業とはなんなのか」から、授業を通じてどんなメッセージを自分の人間力とともに送り出すか、などなど、完成した料理を相手に食べてもらえるように努力することが必要だと私は思います。食べてもらえず、左から右に聞き流されちゃ、美味しい食事ももったいないですからねー。

 いままでのことはホンネ。

 でも、こう書くと、「だから私は素材にこだわらず、料理方法を自分で考えます」という人が妙な勘違いをするから困ってしまう。たいして素材がなければ、料理などできないもの。このバランスが難しい。

2007/08/26

悪口は人のためならず

 犯罪のことはよく分からないけど、新聞を読んでいると、30~40歳の犯罪が目立ちませんか。

 読売新聞のサイトをちょっと覗いただけで、こんなにあります。現代の若者が学力低下と比べられるのは、30代とでしょう。もし、30代の教育が成功していたとするならば、これだけ犯罪が目立つのはどうしてでしょう。教育の成功を、目先の偏差値ではなくて、人間の生き方に重きをおくならば、こんなに事件が多くなることはないのでは。それとも、いつの時代も30-40歳はこの程度なのかな・・・?

  •  「教育不信と教育依存の時代」(広田照幸・紀伊國屋書店)

この中に次のようなデータがあります。

  • 十四歳未満の子供が殺人ないし殺人未遂で捕まった数は、昔の方がむしろ多かったです。一九六〇年代は一〇年間で五三人、七〇年代が二一人、八〇年代が一七人、そして九〇年代には一〇人。(中略) 二〇〇〇年度に入ってから、警察の対応も変わってきたためか、ここ二・三年はおそらく見かけ上は「急増」しているのではないかと思いますが、それは未確認です)(pp.167-68)

 「KY」は日本的な用語ですね。大切なことは、「K」ということなのでしょう。戦いがなく、最終的に「みんな仲良く暮らした」となる昔話が多い国の文化らしいと感じます。もちろんそれがいいところもある。しかし、その「K」に思想まで支配されてしまうことの危険性も、どこかで感じておかなければならないでしょう。「エビデントベース」が大切なんだというのは、ある職業に対してだけでなく、私たち1人1人に対して投げかけられるべきものなのかもしれません。偉そうに「エビデントベース」といっている人は、全体の流れが「K」に支配されているときは、それを反対なさっているのでしょうね、たぶん。

 ちょっと話がそれてしまったけど、教育はその世代だけで切り取って考えられるものでもありません。ある世代が問題だというのであれば、その世代が人間形成を大きくするときの環境を作り上げた世代はどうなのだ、親の世代はどうなのか、学校教育した世代はどうなのか、とその世代に関わった人たちには、さらに大きな責任があるではないのでしょうか。若者にネットカフェ難民や、非正社員としての労働を与えるような世代がいまの若者批判をすることに、もっといえば、若者が自分たちの将来に不安を感じる世の中を作ってきた世代が若者に「希望を持て、夢を持て」なんていうのは、「テレビゲームで脳は働くなる」という研究で有名になった人が、どっかのソフトの監修をしているほどの矛盾がありませんか。

 多くの大人が自分たちのために時間を使い、受け入れてくれ、成長のための援助をしてくれているという実感を子どもが持つことこそ、成長には欠かせないものでしょう。教育相談的な視点とはこういうものなのでしょうけど、理念から入ろうと思ってしまうから、この視点が浮いてしまうんですよね。100の理念よりも、1つの実践の方がよほど人の心を打ちます。理念は研究者に任せて、現場の教員としては実践を大切にしたいものです。

2007/08/25

若者が悪いのか?

ジニ係数が上昇しているようです。

http://www.asahi.com/life/update/0824/TKY200708240401.html

これは、高校の教員なら何となく感じる人も多いかもしれません。

 知人から、奨学金の話を受けました、もちろん生徒のです。持つべきものは、、、と思いながら話を進めていくと、学区が違うということで結局NG。給付型の奨学金はほとんどありませんから、がっかりしました。

 彼が勤務校の学区のグループを紹介してくれたので、そちらの奨学金のお願いにいったのですが、メンバーが少なくなってきたためにその余裕がないということでした。困ったものだなぁ、ホントに。進学を希望しても、経済的な問題があり、あきらめざるを得ない生徒をみていると、少しでも動かないとなりませんね。また、近いうちに、アクションをおこしてみようかな。

 少しディープな問題ですけど、生活保護が必要だと思われるほどのケースをお持ちの先生で、その申請方法のノウハウが必要な方は、ご連絡下さい。

 学校という場所は、生徒の色々な情報を持っています。家庭環境から本人の状況、人間関係などなど、親戚以外には学校しか持っていない情報がたくさんあるのです。だから、何か問題があったときには、学校が扇の要になれるはずなんですよね。しかし、その要になりきれていないのはなぜ? 要になろうとしても、組織としての努力よりも、個人の動きに依存しているようでは、その先生がいなくなったとたんに、レベルが落ちていきます。それじゃまずいでしょう。 こういうのも含めて、本当は教育相談なんでしょうけど、教育相談の敵が教育相談になっている現実もなぜ?

 自分の利益や保身を考えすぎ、あさましい心を持つと、あさましさの完結のために、身近にあるものを利用しようとするのは、人間の性か。民間だろうが、公務員だろうが、違わないでしょう。そうなると人間の顔は必ず醜くなっていく。利益や保身を考えるのは当然だろうけど、考えすぎるのは、、、でしょう。どっかの国立大学でも、猟官運動があったとかなかったとか。そんなに彼は理事をさらに4年間したいのか? 

 その一方で、この暑い夏休みの中、部活動で頑張っている生徒、勉強を頑張っている生徒、偉いですよね。なんの見返りもなく、あさましさもなく、好きだから打ち込めている。若者批判をするひとたちは、自分の顔を鏡に映しながら、同じことばをいってみると、考えも変わるかも。そういう若い者の中に、経済的な理由で学校に専念できないとしたら、大きな損失でしょう。団塊の世代の退職金の数十兆円と聞くと、その温度差に戸惑うだけです。

 フルキャストやグッドウイルなどのナントカ費という「ピンハネ」が問題になっている。人材派遣は労働者のためのものなのか。
 先日、海外にいくという恩師と成田でラーメンを食べていたら、隣の席に座った3人組が店主に「今日で、来るのは最後になるんだ。契約の3ヶ月が終わったからね」といっていた。店主が「そりゃ寂しくなるね」というと、若者は「正社員になりたいんだけどね」といっていた。
 ここでも、団塊の世代の退職金の数十兆円との温度差に戸惑うのは私だけ?

 生徒とネットカフェ難民の話をすると、強く反応してきます。それだけ、自分たちの将来に対して、不安を感じているのでしょう。そんな不安を払拭せず、「いまの若者は」という人たちは、不安を感じつつ、学校生活にいそしむ高校生をみるといいのではないか。

 「1年の計を立てるなら穀を植えよ、10年の計を立てるなら木を植えよ、100年の計を立てるなら人を植えよ」といわれます。教育が国家百年の計という所以です。
 そんな中、「できなかったことが、できるようになった」「分からないことが、分かるようになった」「努力が実を結んだ」という成功体験が多ければ、それが生きる力になるのではないでしょうか。英語の授業は、その成功体験を生ませることができる可能性を秘めています。

 と、考えれば、英語の苦手な生徒に英語を教えることの、このすばらしさ、楽しさ。なんていっても、のびしろがありますからね。

 いまから父の墓参り。子どもたちと行ってきます。

2007/08/24

もっと蛸壺を!

 ようやく、全ての原稿が出来上がり、編集者のKさんへ。今までは「初稿はいつ戻ってくるのですか」とせかしていたのに、今回はそれが完全に逆。早く渡さないと、早く渡さないと、と自分を自分で脅迫していたような1ヶ月でした(苦笑) 
 頭の中で寝かしておいたこともあり、書き始めたら何とかなったけど、相変わらずのスロースターターの自分に自己嫌悪。

 忙しい中、1泊2日で相方の実家へ。山形といったら日本酒と蕎麦。朝5時に家を出て、「ここの蕎麦を食べずして、山形の蕎麦を語るな」といわれたので、食べに行かないと。白鷹町の「千利庵」。確かに、今まで食べた山形蕎麦で最高かもしれないな。マスコミとタイアップするようなお店ではないので、本当に知る人ぞ知る、そんなお店で堪能しました。さらにいいことに、ここには「もりそば」しかメニューがないのです!! まさに、直球だけで勝負するような店主の心意気と自信に感動しました。

 夏になると、なぜか手の皮がむけます。理由が分からず、病院に行って検査をしたのですが、結局、原因が分からずそのままになっています。
 その時に、医師が水虫の話を教えてくれました。

  • 水虫が丸いのは、周囲から自分たちを守る防御手段
  • 水虫は同じ薬だと免疫を持ってしまうと現場は感じるのだが、研究者は、水虫は免疫を持つほど高等なウイルスだとは思っていない

ということです。

 何でも我田引水をするクセを持つ私は、水虫と学校とを考えてみました。

 外部の人たちに「言っても仕方ないな」「共通のことばを持てないな」と思ってしまうと、「言ったら分かってくれる人」「共通のことばを持つ人」とだけ話すようになってしまうのではないか。その先にあるものは、一種の同好会というか、サークルみたいなものになりはしないか、ということです。蛸壺のような人間関係になる危険性もあるかも。
 かといって、そうではない人たちと話すことも疲れることです。ストレスも溜まります。居場所が私たちは必要ですから、居場所を壊して、オープンすぎるのも辛いものです。
 そこで、自分の入れる蛸壺を増やしたらどうでしょう。あっちに蛸壺、こっちに蛸壺、前にも、後ろにも、いろんな所に蛸壺があれば、いろんな人に会えるかな。

 最近、驚いたこと。私にとってはモラルの問題。別に聖人君主のように、清く正しく美しいのが教員らしく、なんていう「モラル」にそんなに価値があるとは思わないけど、生徒の情報、個人情報については、モラルが必要だと思います。それに対して感じない人もいるのですね。このブログを読んでいる人も関係者にいるかもしれないので、あまり深くは書かないけど、かなり著名な人までが「え、そんなこと、しちゃっているんですか?」とびっくり。

 心理関係の勉強会では、資料に名前は載せません。載せるのは性別と年齢のみ。しかも、場合によっては回収です。うーん、なんだかなぁ。

2007/08/11

左目が痛い

 それにしても暑いですね。最高気温が35℃を超えると、さすがに泣きたくなります。

 夜はゆっくり寝ようと思ったら倫太郎の吐血が・・・。39度以上の熱があった日の夜中に、急に立ち上がった彼の口から血が。。。泣きながら彼が言ったことは、「鼻血が出た」。

 確かによく見ると鼻血が出ています。それが口から出ただけなのですが、とにかく驚きました。すぐに座らせて、少し下を向かせ、鼻を上を軽く押さえて止血です。15分ほどゆっくりさせるために、「クレヨンしんちゃん」のDVDを見させました。

 なんとか鼻血も止まり、そのまま彼は寝てしまいました。でも、クレヨンしんちゃんを見ていると、ジーンとしてしまいますね。寝ている彼を横にして、最後まで見てしまったので、ともかく眠い(^^;; ポケモン、恐竜キング、プリキュア、、この頃、妙にアニメに詳しくなってしまったなぁ。。。

 ある日のこと。元同僚のT先生と、年中行事である飲み会。その先生の哲学にはいつも引き込まれてしまいます。今回のテーマは「生き方」。テーマといっても、たいそうなものではなく、飲んでいるうちに、そういう話になるというだけだけど。

 卒業生で、とある安定企業に勤めている生徒がいました。ところが彼が7年間勤めたその会社を辞めて、ラーメン店に修行に出かけたのが3年ほど前。重量挙げ部の生徒だった彼とは、1年のうち360日は一緒に過ごしていたこともあり、辞めるには相当の事情があったのかなぁと思っていました。
 理由を聞くと、「俺、この仕事をずっとしていていいのかな、と思った」ということでした。高卒の男子にありがちな、現場仕事、いわゆる現業職。会社のトップはいつも親会社からの出向。彼は7年経っても現場仕事で、それ以外の技術は何にも知らないまま、20代を終えるのがイヤだった、ということでした。そこで、ある日、地元で評判になってきたラーメン店に修行に入り、転職をしました。

 そんな彼が、ようやくのれん分けをしてもらえ、念願の店長になりました。以前に比べて、とてもキリッとした表情、そう、やりがいのある顔になっていました。見ているこちらが、うれしくなるような顔です。

 そんな話をT先生としていたら、「私たちは『生きている』のか、『生かされているのか』のかが大きな問題だ。自分の信念を持ち、他者のために行動しているのであれば、『生きている』、妙なしがらみや人間関係、利権の中で行動せざるをえないなら『生かされている』、という違いがある。もちろん、仕事ではせざるを得ないことはあるけど、心の中まで『生かされている』のはイヤだよね」 

 卒業生の彼は、自分の人生を『生きている』のですね。

 彼のような卒業生と会うと、思ってしまうんですね。英語の教員の役割って何かな、って。

2007/08/04

藤井システムは進化し続ける

 沖縄から帰ってきてからが、めまぐるしい。あ、そうだ、、7/31にち締め切りで開隆堂SunshineのTMがあった。。。急いでやらないと。。。ということで、3日間かかり切り。なんとか終わり、編集者の I さんに、3日間延長をもらおうとメールを入れると、なんと「20日まででいかがでしょうか」といううれしいご提案が! もちろん、ふたつ返事で受け入れました。ありがとうございました。I さん、すばらしいバカンスを楽しんで下さい♪

 そして、今度は、B社からの高校入試のための問題集作り。編集のKさんにねじを巻かれ、頑張っています。詳しくは発売間近になったら、またPR。今までとは違い、ちょっとしたサプライズがある一冊です。
 この企画のために、過去の高校入試のデータを集めて、それをエクセルに入力したところ、なんとデータ件数が4000件近くのデータが集まりました。そのデータの一部を書いてみると、、、公立高校入試では、so ~ that…やtoo ~ to…はまず使用されないが、指導要領を超えている国立私立の入試問題ではバンバン使用されています。とまぁ、こんな風に、実際のデータから、どんな項目が入試のテストに出ているかというものです。

 この頃、妙に林竹二が読みたくなり、本棚から取り出してくる。その中で、「林竹二 その思索と行動」(国土社編集部編)を読んでいたら、懐かしい一節がありました。
 それは同書の小野四平氏の文章の中で、斎藤喜博をかこむ授業研究会に林竹二が来ていた時のことです。下はその時の両者のやりとりです(これは小野氏の記憶だそうです)

  • 昔の人、あるいは先輩たちの語らなかったことのひとつやふたつを、私は、これまで語ってきたと思う。だれだって、努力すれば創造の世界にはいれるのだ。たとえば、私がこれまで作ってきた短歌のなかにも、私の先生の土屋文明もつくったことのない新しいものが、いくつかある。(p.38)

このように斎藤が話すと、林が黒板に次のように書いたそうだ。

  • 述而不作
    信而好古

そして、穏やかな調子で次のように語ったという。

  • 正しいこと、美しいこと、あるいは善いことについて、たいていは、すでに古人がのべている。だから、古人ののべていないことをのべたいということよりも、古人ののべていることすらのべられないことの方が、ずっとかなしい。私は、自分のことばが、古人と同じか、せめて、それに近いことを願っている。(p.39)

この本を読んだのは10年以上前だが、この両者のやりとりは今でも新鮮に感じる。先人が行っていなかった新しいものに価値があると考えるという気持ちは分かる。しかし、古いことにケチをつけ、新しいものを生み出そうとすることは、実績作りにいそしむどっかの世界の人たちにもあてはまるのではないか。もっといえば、実績作りのために新しいことを求め、実績作りのために古いことを否定することは、「変えるのだ!」という号令のもと、ナントカ改革に翻弄される教育の世界の住人であれば、その是非が分かるのではなかろうか。

 新しいことを求めることが、特に、英語教育の世界の中では、本当にいいことなのだろうか、とふと思ったりもする。『日本の英語教育200年』(大修館書店)を読んでいると、いろいろな歴史がここにあったのですね。有能な先人がたくさんいて、試行錯誤をして英語と向き合ってきたことが分かる。その一方で、その中でナントカメソッドだとか、ナントカアプローチなんていう目新しいものが出るたびに、それに飛びつき、実践・研究をし、発表をすることは、前向きで立派なんだろうけど、本当にそれだけでいいのかい?とさえ思う。
  今まで行われてきた実践の中から、自分がいいと思うものを選んで、カイゼンしていくことも大切なことではないだろうか。藤井猛九段は振り飛車を進化させ続けている。

 教科教育が行われる現場は教室の中だ。その教室では、クラス運営が行われ、そのクラス運営は担任を中心に学年の教員(関わりのある職員)、時には学校全体の職員で行われている。生徒の変化を察知したり、人間関係を耕したり、いわば、土を耕すようなものではないだろうか。もちろん、それぞれの教科指導もまた、土を耕すようなものである。

 英語教育はその耕作の一端に過ぎず、妙に成果が出たからといって、「自分はこんな成果が出ましたよ!」というのは、あまりにもさもしい根性ではないだろうか。その裏側には、他の先生方の協力もあったろうに。これは、ほんの数年だけ教員をやって、ナントカ先生として、教育を語る有名人と同じ土俵にいる気がしてしまう。もちろん、その先生が努力したことは確かだろうし、間違いないのだろうけど、それだけでは人間関係は動かないということです。

 『英語教育』(8月号)を読んでいると、tmさんの書評欄がおもしろい。ヒクソン・グレイシーが出てきたのもそうだけど、何よりも「存在」そのものをめざしているところがいい。どっかの格闘家と違って、昨年の大晦日のK1でヌルヌルする何かを塗ったといわれるAのような小細工もヒクソン・グレイシーはしない。同じように、何事にも本質をつく「存在」があり、それは自己表現やパラフレーズでは太刀打ちができないのだ、ということをtmさんはいいたかった、と私は勝手に思っています(^^;;

 同8月号のページを進めていると、え!!と驚く記事が。。。愕然としました。どこかで聞きかじった知識なのか?と驚いてしまいました。それはまた、近いうちにでも。。。まずは原稿をあげないと、企画が流れてしまいますので・・・、って流れたらまずいですので。

前半部訂正8/5

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