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2007/07/27

はいさー

 沖縄に行ってきました。直前まで慌ただしく準備ができないかと不安だったけど、なんとかこなせました。

<初日>
 長女とガマ体験。轟ガマ→マヤガマ→クラシンジョウ→ヌヌマチと4カ所。時間の関係もあり、中に入ったのは轟とクラシンジョウの2カ所。
 轟ガマは、中にはいると水の流れが轟いているので、そう呼ばれるらしい。中にはいると、左右に分かれ、一度に2クラスが中に入れる。
 3月の時と同じ「暗闇体験」。ガイドさんも含め、長女と私の懐中電灯を消すと、午後の3時過ぎだというのに全く光がない。完全な暗闇。「怖かったら、ガマンしないでいうんだよ」と娘にはいったけど、10秒間をよく体験できたね。
 ピーク時には2クラスの生徒が入って説明を聞くところに、1000人もいたそうです。ガマから投降をしたのは600人。真っ暗闇の中、そんなにも多くの人が生活をしていたことは想像もつかないほどです。
 ガマ体験では、集団ヒステリーに気をつけないとなぁと改めて思いました。
 ガイドさんが長女に、「ガマに入ってみようなんて偉いね」といわれてプライドがくすぐられたようでしたが、沖縄の話を聞くにつれ、「日本は戦争しないの?」と何度も聞いてきました。どんなことでも、子どもが犠牲になることは、絶対に許されないことですね。ただ、どんなことにも理屈はついてしまうことが、悲しいことです。

<二日目>
 座間味島へフェリーで。島に到着してすぐに「21・ざまみ」の方と打ち合わせ。担当者が変わったので、顔合わせでもありました。
 まずは家族で無人島へ。そこでライフジャケットやフィンを借りて子どもと珊瑚礁の上をシュノーケリング。きれいだなぁ、ホントに。インストラクターの方も親切でした。彼女の写真集、「海はみんなの宝物」には、座間味の魚が飛び出てくるかのように、生き生きと撮影されています。
 本当に比べるとアクティビティーも安いし、民宿も安いし、島の時間はゆったりと流れているしと、ホントに座間味島は良いところですね。

<三日目>
 「美ら海水族館」。巨大なジンベエザメを見てきました。

<四日目>
 国際通りでお約束のお買い物。ほとんどポーター。

帰ってきて今日の新聞を見ると、ついに国立大学も天下りの場所に成り下がったか。山形大学が文部科学省の元事務次官が学長に迎えることに? しかも、投票で2番手だったのに、なぜ会議でその人になったのか? 記事によれば、

  • 結城氏とともに記者会見した選考会議議長の坪井昭三・山形先端医療研究所会長は、得票数が少なかった結城氏を選んだ理由について「視点が非常に広く、どうしたら山形大を特徴ある大学にできるのかということをはっきり表明した点がかわれたと思う」と述べた。

なるほど。しかし、どうして選挙で2番目だった人を1番手をさしおいて学長にゴ推挙アソバサレルとは、「視点が非常に広く」という表現が分からない私の頭では理解できない。内部の自助努力がないのか、それとも文部科学省からエライ人が来ればいいことでもあるというさもしい気持ちがあったのか、そこはよくは分からない。しかし、自分たちの大学の代表を内部から選べないとは、あまりにも情けない。自分たちの大学のこれからを自分たちで選べないのに、学生に対してキャリア教育とはちゃんちゃら可笑しい。現学長以下、今回の最終選考会議のメンバーは、どんな顔で学生に応対するのだろうか? まさか、「自分の人生を自分で決められるように」なんていうことはないだろう。自分たちの大学のこれからを、民主的な手続きで決められないのだから。あ、学生に対応をすることはないかな、、、、少なくとも真摯に応対することはないだろう。自分たちを特権階級と勘違いしているのかもしれないし。

それでなくても、易化している山形大学。この先どうなるかは、火を見るより明らかです。高校教員の目からして、こんなことをする大学には自分の生徒を行かせたいとは思いません。最終選考のメンバーや、選考会議議長の坪井昭三氏や現学長などは、大学の歴史に名を残すような気がする。「地域に根ざし、世界を目指す」なんて白々しいことは、webの紹介にすることが恥ずかしくないのだろうか? 

卒業生として、非常に悲しく、そして残念な思いで一杯だ。

2007/07/22

文法は教えられるか?⑧

 先週、ベネッセのテストが戻ってきました。ESSの生徒の偏差値が75だったので、素直に喜んじゃいました♪ 受験者の平均も、53以上あったようで、これも素直に喜んじゃいました♪ 偏差値上昇のために勉強している訳じゃないとはいえ、結果としてそれが表れたら、そんなことをいうほど聖人君主じゃありませんから(^^;;

 河合隼雄氏が亡くなりました。教育相談に興味を私が持ったのは、「日本人とアイデンティティ」(講談社)がきっかけでした。なんとなく書店で気になったので手にしただけだったのに、当時の自分が抱えていた課題やモヤモヤと言語化できなかったことが、氷解するように解決したり、納得できたりするようになりました。多くのメディアで河合氏の功績は書かれていますが、教員から心理の世界に入っていく走りだったのかな。
 これがきっかけとなり、教育相談に対して積極的に関わるようになり、多くのすばらしい人たちと出会えることができました。自己分析のためのカウンセリングのカウンセラーをお願いしたO先生からは、教育や生徒、そして同僚とのスタンスの取り方を気づかせてもらいました。ちょうど、その時に放映されていた『僕の生きる道』というテレビドラマ(主演・草彅剛)からも大きな影響を与えられました。
 特に「死」に対する考え方は自分の中で大きく変わりましたね。いかに生きるかとは、どんな死を選ぶかということで、人間は死を迎えたときに、それまでの生き方の「決算」をしなければならない、と。いつかは、、、と思っていてもできないことがあるし、やらないことがある。60歳になったら、、、と20代や30代のうちから考えるのではなく、いま行えることを行うことが私にとっては「正解」です。

 さて、話を文法は教えられるか、に。

 中学校の時のことを生徒に聞くと、共通していることがあります。それは、塾や家庭教師に教えてもらうと、中間考査や期末考査では点数が伸びるけど、実力テストでは点数が伸びないということです。
 さらに共通していることは、多くの生徒はこの状況を、「内申点が良くなるから」と受け入れてしまっていることです。もちろん、実力テストでも点数が伸びた方がいいとは思っているのですが、通知票の評価があがればいい、と思っているのです。

 では、定期考査と実力テストとの差があるでしょうか。

 例えば、助動詞を学んだとすると、He goes to...で、「mustを入れろ」なんていう問題が出て、He must go to ...とする問題があります。「助動詞+動詞の原形」という文法があるので、そういう問題も出るのでしょう。
 すると、生徒はどう覚えるかといえば、「助動詞の役割はよく分からないし、前後の文脈もよく分からないけど、canやmustがでてきたら、動詞のsをとる」とするのです。もっといえば、有機的に覚えていないので、試験が終わったら、ほとんど全てを忘却します。同じように、現在完了が出てきたら「~してしまった」「~したところだ」と訳し、haveの後には動詞にedをつけると覚えます。だから、"I have amed..." "I have goed..."なんていう訳の分からない英文ができてくるのです。不定詞も同じ。want to ~で「~したい」と覚えているので、"I want to buy a new bike."を訳すことはできても、"I want to baseball."という英文をつくってくれちゃいます。
 早い話が、定期考査はその時に習った文法が出題されることは当然なのですが、それだけを覚えている、つまり、木の枝だけを考えて、幹を考えなくても、解答できるところで生徒の成績は上昇しているのです。幹のない枝ですから、試験が終われば、地面の落ちます。でも、考えようによっては、そんな暗記方法もすごいパワーが必要ですけど。。。

 だいたい、主語と動詞の基本が分かっていないのに、どうやったら助動詞や現在完了が分かるというのでしょうか? 

 だから、どんな文法が出てきたときも、一定のレベルに生徒が達するまでは(この「一定の」というのがくせ者なんだけど;苦笑)、主語と動詞、そしてフレーズ分けはした方がいいと私は思います。例えば助動詞を教えるのであれば、「次の動詞の原形が来る」と動詞との関係だけで教えるのではなく、やはり主語も説明の中に加えていく。その後に、動詞の目的語があれば、動詞と関連づけながら教えていき、前置詞句も同様にしていく。ここをしつこいほどやって、生徒が自分たちなりの英文の読み方を作れないと、いつまでたっても生徒にとって英語はヒエログリフと同じです。なんか記号が書いてあるだけです。

 つまり、文法は、それだけというポイントとして教えることは、難しいのではないのでしょうか。文というまとまりの中で、その文法の役割を考えさせていく方が、生徒は納得できるというのが経験則です。

 ただ、納得できることと、定着することはまた別問題になります。生徒の学習意欲をつなぎ止めつつ、定着させる活動をさせるところが、また難しいところなんですけどねぇ。

 

2007/07/18

個人ではない、チームだ

 夏休み前の最後のESSを1時間。センシンテキな日本語を使わない授業。とはいえ、内容が中学2年生程度のことだからできるのか?
 予習をしてきているかどうかで、全く違いますね。最初の頃とメンバーの入れ替えはある程度合ったけど、今いる7人で最後まで進むのでしょう。詰め将棋と同じで、結果から遡れば簡単なんだけど、途中から結果を見ることは難しいなぁ。

 夏休み直後に、もう一度修学旅行の下見も兼ねて沖縄行きが決定。ガマを全クラスが見られるということで、訪れるガマを見てきます。その後、座間味島に渡り、体験学習のうちの「無人島」と「シュノーケリング」を行ってきます。一応はCカードを持っているので、潜ってきたいんだけど、数年間も潜っていないし、家族と一緒に過ごしたいので、この2つにしました。

 7月30日から、ほぼ毎日、午前中にESSの活動をします。午後は、英語が苦手な生徒を対象とした夏休みの講座を行います。後者を受講した生徒は、秋の英検3級を受けることを前提としています(もちろん、例外あり)。前半は1年生の復習にして、後半は2学期の予習。予習をしたら授業が分かるようになるんだよ、ということを知ってもらいたいということと、予習の仕方の講習もかねています。

 暑い夏が予想されるので、図書室に予約を取りに行くと、今年4月に赴任をされた司書の先生から「(図書室のすぐ脇で私が授業をしているので)倫太郎先生の英語の授業をBGMにいつも、仕事をしていますよ」。「『チャイムが鳴るから教室に入れ~』といつもいっていますね。しっかりと生徒指導をしている先生もいるんだなと思っています」とお褒めのことばが。授業(開始時刻も含めて)を大切にすることが、生徒指導であるという感性の共感にパワーをいただきました。

 数人の生徒が、この先生が部活動の顧問をされてから、生き生きとしていたと感じたので、「○○君と△△君が、先生が顧問をされてから、いい表情をしてきましたね」というと、とてもうれしそうな表情で、「そうですか、しっかりと見てくれている先生がいることを、あいつらにも伝えておきますよ!」

 その後、クラスの成績一覧表をチェックして、捺印→学年主任に提出(担任の仕事)。受け持っている授業のクラス原票に記名して教科主任に提出(教科担当の仕事)。一段落ついてから、夏休みの講習の準備。疲れたときに、五穀菓子を同じ学年の先生に差し入れてもらい、パワー復活しました。こういうお菓子の隣におくと、スナック菓子は。。。に感じますね。

2007/07/11

寝ているときでも、地球は回る

 ようやく夏休みが見えてきました。今年の夏休みは、ESS(英語の勉強会です)や苦手な生徒への補習に加えて、10月にある沖縄県の座間味島への修学旅行の準備をしなければ。座間味島への3連泊というプランは珍しいかも。
 旅行代理店の担当の方の仕事も速くてきぱきとしていて、こちらも仕事がしやすいので助かります。大手の代理店(K)ではイヤな思いをしましたが、小さな会社(失礼!)だと仕事も丁寧になるのかな?

 何度かブログでも使用した「モンスターペアレント」。この言い方はちょっと誤解を与えるかなぁと反省中です。教師バッシングで3法案が通過した後、今度はそのターゲットが親に移動しているだけかもしれないですね、恣意的に。
 「今の若者は」というけれど、”エビデントベース”なんて単語が好きな、教育評論家の人たちは、60年代に比べて少年の殺人事件の数が、現在は遙かに少ないことをどう思うのか? 犯罪件数が減ってきていること(単位人数あたりでも少なくなっている)をどう考えるのか?
 報道されると認知されるけど、報道されないことも起きている。何が報道され、何が報道されないのか、雰囲気に流されるのではなく、資料を集めて、じっくりと取り組むことも必要なのでしょう。英文の読み方に通じるところがあるかな。

 ようやく1学期の考査も終了。今日から答案返却です。今年からお付き合いすることになった生徒もやり方を理解してくれて、「倫太郎チルドレン」((C)地歴科A先生)になってきてくれたので、点数も上がってきました。中間考査では、下から2番目の平均点だったのが、今回は学年トップ♪ 素直にうれしいですね。数学も学年トップだったようで、生徒にその気持ちを正直に(大げさに?)伝えました。「君たちが勉強して、いい成績を取ったことは、素直にうれしい。これでこんばんは美味しいビールが飲める。ありがとう♪(^^)」

 考査問題の担当は、私ではありませんでした。いつも思うことなのですが、同じ教材を使っても、試験問題=ポイント哲学は違うのですね。他の学年のテストを見ていても、感性の違いを感じます。

1学期は授業をどうやってきたかというと。。。

  1. 新出語句の説明&発音練習
  2. 名詞のフレーズの説明&発音練習
  3. 配布した本文の中から、「2」で説明したフレーズを□で囲む
  4. 前置詞、動詞、of、接続詞節などで2~4の繰り返し
    答え合わせは、グループ(4~5人)で行う
  5. 本文の解釈
    「SがVする」「S=C」の文型に気をつける
    必ずグループの中で、お互いに考えて、答えさせる時間を持つ
  6. 音声練習(音読にリピーティング、オーバーラッピングをしっかり、それから再びリピーティング、最後にちょっと大人気分でシャドウイング)
  7. 時間があれば、本文の書写

6の時は、2~5で使ったプリントは見ずに、書き込みがされていない教科書で活動をすることが今年からの工夫。「リスニングをするときは、頭の中に紙芝居を作ること」といいながら、日本語の介在を減らそうとはしているのですけど、なかなか難しいですね。
 本文の解釈時やフレーズ分けなどではできるだけグループを使います。分からなければ、もう一度考えて、グループの中で話し合ってみよう、とか、代名詞が何を指しているのか考えて、グループで答えをまとめてみようなどと、とにかくグループ活動を使います。分からない部分を共有できたり、誰かに教えることによって定着したりということが目標です。
 教員による講義調の授業は、そのスピードについてこれる生徒にとってはいいでしょうが、グループで活動するときは、お互いに助け合い、自分たちのペースで学習が出来ます。一定の制約はあるけれど、自分たちのペースで学習を行うことができるし、「できた!」という実感が持てる様子が、こちらの想像以上でした。いったん軌道に乗れば、プラスのフィードバックがグループの中で生まれてきます。

 2学期からは、「2」の作業をなくすつもりです。「名詞のフレーズを5つ探そう」程度にとどめます。枠組みは作っておいた方が、学習はしやすいですからね。

2007/07/04

文法は教えられるか?⑦

 英語Ⅱは授業の最終日になんとか考査範囲が終了。1年生の時から教えている生徒ではなく、2年生から教えている生徒の多くがフレーズ分けを出来るようになりました。

  • some students from Stavbaru came to Ogano  (ExceedⅡ Lesson 4)

最初は some students は名詞のグループ、from Stavbaruは前置詞のグループとだけしていたのですが、今ではsome students from Stavbaruを「名詞のグループ」と多くの生徒が理解できてきたし、なんとか1学期の目的は達成できました。現在、学習している課は原爆ドームの模型作りの話なのですけど、政治家の意識と高校生の意識とのギャップを感じることが出来た試験前でした。「いい間違えは本音」とはよく言われますが、「言い切りは信念」なのでしょうか。

 この「⑥」までの中で、フレーズや主語・動詞の組み合わせを中心で書いてきました。では、これを知らない(あいまい度の高い)学習者に、文法を教えることが出来るでしょうか。具体的に例を挙げると、動詞の役割を知らない生徒に、助動詞をどう教えるのでしょうか、現在完了をどう教えるのでしょうか。

 すると生徒はよく分からないまま、機械作業のように

  • 助動詞とはよく分からないけど、canとかwillみたいなものがきたら、とにかく現在形にすればいいんだな。
  • 現在完了とは、「~してしまった」と考えればいいんだな。

となる傾向があります。そして定期考査で出題される問題が、

  • I go to Tokyo this afternoon. (willを入れて、未来を表す表現に)
  • I have just finished my homework.(日本語にしなさい)

などなどでは、確かに点数は取れるかもしれません。しかし、それで助動詞の役割が分かったのか、現在完了の概念は理解できているのかといえば、ほとんど出来ていでしょう。

 そのため、考査の後の授業で助動詞や現在完了が教科書に出てきた時が悲劇になります。教員側は「せっかく教えたのに、どうして理解できないんだ? しっかりと復習しないからいけないんだ」と教員側は思ってしまい、生徒側は「自分は出来ないんだなぁ。やる気がなくなってくる」と思うようになります。

 中学校の時に塾に行っていた生徒に聞いてみると、だいたいの生徒が「中間や期末では点数が上がったけど、実力試験では偏差値は上がらなかった」といいます。これは、試験に出る傾向がある「機械的作業」を瞬間的に教えることは出来ても、それが理解や定着には結びついていないという現れではないでしょうか。自省の念も込めていえば(うーん、このフレーズ多用しすぎ(苦笑))、何のために文法を教えているのかを、考え直すことが必要なのではないでしょうか。(←歯切れが悪いぞ、って!;笑)

 文法は文法単独で教えることは出来ないのではないか、と私は思っています。必要に迫られた時(教科書に出てきた時)、学習した文法を使える場がある時(長文で出てきたり、英作文をしたり、ALTと使えたりする時など)に、文法理解の援助(教えるではない)をすることができるのではないでしょうか。

  • フレーズやSVを理解する→英文を読む→少し分かる→フレーズやSVの確認をする→もっと分かる=面白くなる→そこに出てくる文法を理解する→さらに英文が読めるようになる
  • フレーズやSVを理解する→基本的な英文を話せる→ALTとコミュニケーションができる=面白くなる→言い回しや文法を学び、高度な発話をしてみる→ALTが驚く→うれしくなる→もっと言い回しや文法を学ぶ→さらに高度な発話が出来る

 英作文は、「自分のいいたいことが言えない」と思う、良い機会のようです。最初からは無理なのでしょうが、フレーズやSVが分かり、「自分はある程度、英語が出来るようになった」と生徒が思ったときに行うとベストですね。先日、テーマが与えられた英作文を生徒にさせたところ、「自分のいいたいことが、ぜんぜん書けない。もっと勉強が必要だね」と生徒(成績は中間よりやや低め)が感想を話してくれました。

 英語は、「敵」となりがちな教科なのですから、「自分にこれが理解できた」と思うことが出来たら、生徒の成長にとってこんなにプラスになる教科もありません。

 生徒指導の難しさとか、モンスターペアレントなどいろいろ言われることもありますけど、「この先生の授業は分かる」と生徒が思うと、自然と生徒はこちらを信頼してくれますし、指導にも乗ってくれます → 生徒が教員を信頼すれば、保護者もこちらを信頼してくれるものです。それでも、生徒指導が難しい生徒や、保護者との関係は多少は残るでしょうけど、少なくはなります。そうすれば、教員側が精神的なストレスも減ってくるという、いいことずくめではないですか♪(パーフェクトにはなかなか出来ないけどね)

 いわゆる「底辺校」の英語の教員は、「国公立に何人入れるぞ!」という今をときめく数値目標もないのですから、プレッシャーのない中で、もっと自由に英語を教えられます。ドリル学習や文法のための文法をやめて、心理学+教育学+英語教育の3つを意識した授業ができたらいいと思うんですけど、いかがなものでしょうか?

追記) 同じ視点でtmさんが解説されていました。そちらを紹介しておきます。それにしても、tmさんからの影響が強いなぁ、俺は(^^;; 
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061123

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