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2007/06/28

ホッとする一時

 娘が猫を拾ってきました。生後1ヶ月程度の子猫です。しかし、狭いウチではすでに生き物を飼っています。夏祭りでもらってきた金魚、とそのお友達にと近所のペットショップで購入した金魚が合わせて10匹。亡き父が「子どもの情操教育に」とおいていったメスの鶏が2羽。相方が見知らぬ人に「これを○○さんに渡しておいて。渡せば分かるから」と言われて受け取ったはいいが、その「○○さん」から「???」と言われて、そのまま飼わざるを得なくなったウサギのチップ。

 だからもちろん、最初は反対しました、ネコを飼うことに。

 「どうしてネコなんて拾ってきたんだ!」というと、娘は相方(ネコ大好き)と連合を組みます。「かわいそうだったから」 「かわいそうだからと言っても、、、」というと、娘がひと言。

 「『誰か拾って下さい』と書いてあったから、拾ってきた」

とても説得力がある理由だなぁ、これは。そこで、チロルと名前を付けて、新たなメンバーが増えました。

 鶏(トッポとトッチ)はもう5歳を超えたというのに卵を産むし、ウサギのチップは炎天下で倫太郎と遊んでいて脱水症状を起こすし、チロルは寝ていると足を噛んでくるし。。。と、これからもいろんな事件があるんだろうな。

 職場の私が普段いる部屋は学校でいちばん暑い。西側の最上階、誰も使いたがらない部屋なので、一人でいられます。昨年の教育実習の時以来、ここには常にお菓子が用意されるようになりました。冷蔵庫を開けると、チョコレートやお茶が用意されていますし、秋以降になるとポットにはお湯が用意されていて、ココアやレモンティがあります。

 そして生徒が「お菓子ちょうだい!」といって遊びに来ます。移動教室での授業の合間や放課後、昼休みに遊びに来てくれます。「暑いねぇ、今日はお茶をもらうね~」とペットボトルからお茶を明けるうちはかわいいんですけど、先日は2Lのペットボトル一本を持っていきました(苦笑) 
 冷蔵庫の中のものは、「どうぞ、いいよ」としか言わないことに決めているので、その時も何も言いませんでした。しかしさすがに2L。帰りのSHRに行くと、まだ500cc程度残ったペットボトルが彼女の脇にあります。何人かで飲もうとしたらしいのですが、大きくて飲みづらかったり、すぐにぬるくなってしまったりと、ペットボトルごと持っていくマイナス点に気づいたようです。それからは、1本で持っていくことはなくなりました。
 そこの冷蔵庫から生徒が持っていくお菓子の袋が廊下に捨てられていないこと、お茶を飲んだ後、どの生徒もコップを洗うことは、受け持っている生徒の優しさの証です。毎年感じることだけど、いい生徒に恵まれたなぁと思うときも、ホッとする一時ですね。

 教材研究をしているときに入ってきたO君。教科書を開けている私を見て、「何をしているの?」 授業のために勉強をしているんだよ。「授業の準備をしているんだぁ」

 これって、どっちに解釈すればいいのでしょうか。

 最後にですが、もうすぐカウンターが「33333」となります。この「33333」のキリ番を踏まれた方には、「高校入試短文で覚える英単語1700」と、非売品状態になっているその「解説書」とをプレゼントします。キリ番を踏まれた方、どうぞご連絡を下さい。

2007/06/24

教育実習完了と、ある場所で感じたこと

 教育実習は完了。研究授業も終わり、残すは明日1日。実習生の指導教官である、英語教育の世界では著名なW先生がお見えになったのには驚きました。ご挨拶をしたときに、「いろいろと大変だったのでは?」とねぎらいのことばもいただき、素直にホッとしました(苦笑) 「彼もこれをきっかけに勉強をする気になったようですから」と申し上げると、「本来は準備を完全に行ってから実習をするべきなのだろうけど、実習がきっかけとなり勉強するようになることもありますから」といわれました。実習生だった彼も、W先生のことばをかみしめてこれからの学生生活を過ごして欲しいものです。

 ちょっとある出来事で感じたこと。そして、1つの提案。

 「やる気がないなら、できるようにはならない」「やる気をまず持たせないと」

このことば、教員が使うのはやめませんか? ただ困ったことに、これが真実(事実ではない)に近い。もちろん、私は真実だと思いませんが。
 この裏には、「前向きに検討します」が「とりあえず聞いておきましょう」という風に聞こえる私の耳には、「だから、私の授業が生徒は理解できないことは、当然なんだ」と聞こえてしまいます。

 こう話すといわれることは、「だったら、どうすればみんなが勉強するようになるんだよ!」と非難にも似た質問です。確かに、この答えを持っているわけではありません。しかし、「やる気のない生徒」が100人いたら、5人でも、10人でも増やしていくための試行錯誤はしています。お釈迦様ではないのですから、全員を救えるはずはないけど、人間なのだからそれなりの方法で教えていけば、少しは増やせると思います。そのパーセンテージを少しでも増やしていくことを考えたらどうなのかなぁ。

 例えば" of "の使い方は、英語の苦手な生徒にとっては困る前置詞です。これをどう教えるか、は確かに難しいものです。大辞典で用法を調べたり、「ロイヤル英文法」で調べたり、またまた「ネイティブスピーカーの前置詞」を読んだりしても、それを説明すればするほど、分からなくなります。
 だったら、”『A of B』は『BのA』”といちばんシンプルなルールから入ったらどうでしょうか。「分離」などと教えるのではなく、「所有」から入っていくことが、英語とお友達になる近道だと私は思います。

  • the capital of Japan

なら、ofに○をつけて、A(the capital)とB(Japan)を探させます。解説の時には、「Aがthe capitalでBがJapanとなるからこれは「Japanのthe capital」、つまり「日本の首都」という意味だね」と私は3段階で説明しています。1段階目→3段階目にダイレクトで説明すると、中には迷う生徒が出てきます。しかし、2段階目を入れることによって、迷う生徒は少なくなってきます。

 ホンの小さな工夫ですけど、その小さな工夫で迷う生徒が少なります。この小さな工夫の積み重ねが、分かりやすい授業を作り上げていくのでしょう。流行の教授法ではなく、生徒が「分かった」と思えるような授業が、名人技ともいえる授業の土台となっていますから。(一般論として、です)

 ただ、「まったく勉強もしないで!」とか「やる気を持たないなぁ」と生徒に対して感じることはあります(^^;; ただそれは、あくまでも職員室の中だけで、そして前向きになるためのグチにしませんか? 心からそう思ったら、、、ですよね。

(一部訂正)

2007/06/20

疲労困憊

 久しぶりのブログ。「文法は教えられるか?」をもう少し書きたいのですが、現在、教育実習中につきもう少しご容赦を。関係が近い卒業生を教えるのは難しいですね。教員希望であれば、これからの(現在完了進行形かな?)教師受難の時代に、中途半端な力ではやっていけないでしょうから、どうしてもきつくなってしまうなぁ。自分の教育実習の時はどうだったのか、と振り返ることも必要なのでしょうが。

 彼もこのブログを見ているだろうけど、教員を目指している人、なったばかりの人には、職人の技を見習って欲しいものです。

 職人技とは、難しいことをあたかも簡単に行い、カン(当てずっぽうではない)で正しい判断をすることができる、熟練技です。この技は、いろいろな流儀があるようで、例えば寿司職人などは、いろいろな握りがあると聞きました。調理人の塩コショウの加減、左官職人の水加減など、職人技は色々なところで見ることができます。

 この職人技は一朝一夕に習得できるものではなく、基本的な技術に裏打ちされたものです。仕事が終わってから、自分の修行に費やす時間も、特に見習いのうちは、多いようです。

 これは教員も同じこと。授業には完全なマニュアルなどありません。今日は1時間目だからわざとハイテンションで行こう、3時間目だから落ち着いて授業に入ろう、5時間目だから途中で気分転換を入れようなど、何時間目にあるかによって気持ちを変えます。それ以外にも、クラスのこの頃の雰囲気は上がり調子なのか下り調子なのか、良いことがあったのかイヤなことがあったのかなどなど、いろいろな情報を授業のベースにします。

 授業の前に、正直申し上げて、私は怖さを感じるときがある。恐怖ではなく、畏れです。だから、授業の準備はしっかりと行うし、指導案を書かなくても、頭の中で流れを確認します。授業中には、生徒が私の説明でしっかりと理解できているか、説明にもれはないか、この手順で良いのかと、メタ認知を働かせます。こういう基本的なことがあってこそ、「生徒の実態に応じた授業」「生徒が分かると考えられる授業」が成立すると私は信じています。

 経験を積み重ねれば、イヤでも教師としての「技」は身に付いてきます。それを、他の人がまねをしようとしてもうまくいくはずがありません。まずは、基本に忠実に授業を行うことが大切なのでしょう。基本をおろそかにして、他の先生の職人技のまねをしたところで、それは自分のものではなく、うまくいくはずがないんです。

 

 話は全く変わりますが、内田樹さんのブログに本当だよなぁと感じる記事が。この頃、至るところで、人間関係のトラブルが目につきます。
http://blog.tatsuru.com/2007/06/20_1056.php
 教育が国家百年の計ならば、何があってもすぐに壊れることはないでしょう。しかし、徐々にボディブローのように「効果」が現れてきます。

 ちょっと口調を変えて。。。

 昨日は畏友のIさん(33歳独身男、いわゆる起業家)と久しぶりに千葉のT。相方の実家から送ってもらった地鶏を楽しんでいると、彼曰く「グロスで考えたとき、日本人の人間力が落ちているのではないか」。
 そういえば、学校現場でも気になるニュースがあった。数日前の新聞で取り上げられていた「モンスターペアレント」。確かにそういう保護者も中にはいるのだろうけど、そういう保護者と対応できる教員はいないものなのか? 弁護士を窓口にというのも、なんだかなぁ、だ。
 弁護士に任せるよりも、教員が対応した方が、日本文化の中の学校の役割を考えるとよっぽどいい。ただし、そのためには、教員を増やさなければ。教員増がない限り、医師不足に苦しむ病院と同じように、どんなに「箱」を整えたところで、有意義なものにはなりにくいのでは?
 私の経験では、学校に文句を言ってくる保護者の多くは、話を聞いて欲しいという保護者が多い。子どものことで相談をしたい、という保護者も同じケースがよくある。そういう保護者の話を聞くことで、保護者が落ち着き、その影響が生徒に及ぶこともよくある。どの保護者だって、自分の子どもを心配しているし、いろいろな課題を抱えている。話をしたいというのは、当然の欲求だろうその一方で、多くの保護者は、普段の子どもとの会話でイメージをして、話さなくてもいいと納得させているのでは。(でも、子ども、特に男の子だと、学校のことは話さなくなっているだろうから、心配になりますよね。)
 ちょっと横にそれすぎたければ、畏友氏の「人間力」とは「コミュニケーション能力」とニアイコールのような気がする。自分のいいたいことを、適切な表現や方法で相手に分かってもらうこと。相手のいいたいことを、納得するしないは別にして、理解すること。(もちろん、相手とコミュニケーションをしないという権利も私たちは持っているけど)
 相手を理解できない(する能力のない)人ほど、自分が上の立場にいると、高圧的な態度に出るのはどうしてなのだろうか。

2007/06/12

地方大学が壊れていく!

 名人の作った茶碗1つと、工場で大量に生産される茶碗10個、どちらの方が価値がありますか? 一方は、数百万円。もう一方は、10個で3000円。

 ピカソの絵が1枚と、愚息の倫太郎の落書き10枚。どちらの方が価値がありますか?間違いなくピカソでしょう。

 ところが、値段が付かないと、私のような素人には分かりません。もちろん、倫太郎の落書き程度なら分かるでしょうが、美術を専攻している学生の絵も、ピカソの絵もあまりその違いは分からないし、工場で大量生産された茶碗を「○○名人の作品」といわれれば、大切に扱ってしまいます。素人には、価値というものはなかなか分かりにくいものなのです。(プロであれば、そこに+αの要素が入り、違う次元で価値を決めるのは難しいことかもしれないけど)

 読売新聞によれば、各大学の交付金を成果主義で決めるとか。(http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20070612i213.htm?from=main2)

 この成果主義って、何なんでしょうか? 論文を1人あたり何本、書いているのか? その内容は誰が善し悪しを決めるには、かなりの能力のあるスタッフが必要でしょう。まさか、本数だけでは決めませんよね、紀要にしか発表しない論文ばかりでは。。。
 それとも、学生の就職率? 教員採用の合格率? これから団塊世代教員が多い都道府県では、バブル気味になるでしょう。
 学生の面倒をよく見る先生と、見ない先生。「成果主義」に基づき判断するとしたら、前者になると多くの人が思うでしょうが、だったらこの両者の区別は、誰がどのように決めるのでしょうか。誰にもできませんよね、これは。

 お金を生み出さない、成果が形となって現れない分野は受難な時代です。この頃、教育分野がターゲットになっています。

 「OD(オーバードクター)問題」なんてどのくらいの人が知っているのでしょう。日本の根本を揺るがすようになりませんか。理系に優秀な研究者が残らなければ、技術立国の日本という国の基礎が、失われませんか? 大学の問題の素人の私でさえ、ちょっと考えただけで、怖くなります。
 それに、日本文化で、成果主義とは本当に受け入れられるものなのでしょうか?成果主義であろうと何であろうと、学生のために働く大学の先生は働くし、働かない先生は働かないし。成果主義じゃ解決しないのでは? こんなことを進めていけば、立ち回りが上手などっかの情報番組の司会者みたいなのなっかり多くなったり。「いちばん悪いのは国民ですよ!」って。

・・・・・・・・・・・

いいたいことがあまりにも多すぎて、これ以上は過激になりそうです(笑) 

今回の問題にしても、大学の先生はどう考えるのでしょうか。教授会の中だけではなく、どんどん発信をしてもらいたいなぁって思います。

2007/06/10

主語と動詞との補足

主語と動詞との補足の関係での補足。

主語と動詞とを見抜くことが大切だと書きましたが、どちらが大切かといえば、主語なのではないでしょう。だから、名詞句と動詞句、前置詞句、ofのなかで、最初に名詞句を生徒には考えさせます。

生徒の平均的な学力が、かなり低ければ、主語と動詞との組み合わせから始めるのではなく、主語だけをチェックするのも方法だと思います。

2007/06/05

文法は教えられるか?⑥

昨日の続き。プリントの使い方で、いくつか補足を。"of"のプリントを生徒で生徒が活動していて感じたことです。

 指示文通りにやらない生徒が2割程度。ofに○を全ての問題でつけてから、問題に取り組む生徒。AとBとを書かない生徒。Aだけ縦に全部つける生徒。こちらの指示通りに行わない生徒がいるんですよね。「こうやった方が自分には理解できる」というのであれば、それはまだポリシーとして理解できることもありますが、単に指示を聞いていなかったり、面倒くさいという生徒がいることは残念なことです。そういう生徒を少なくするために、指示を与えるときは、2回以上は確認した方がいいでしょう。

 前置詞と動詞のチャンクのプリントで感じるのが、名詞のプリントは1ページ3分もあれば、だいたい終わります。しかし、前置詞のプリントにはかなりの時間がかかります。つまり、名詞句は理解しやすいのですが、前置詞句は理解しにくい部分なのです。単に訳しにくいというだけでなく、前置詞という概念が持ちにくいようです。だから、できるだけ前置詞句はたくさんの例を出した方がいいと思います。

 動詞も同じですね。助動詞をcanは「~することができる」、mayは「~かもしれない」と教えてから、「その後の動詞は原形となり、動詞に助動詞の意味が加わる」というのはその通りです。でもそれ以上に、『canは「~することができる」だから、can singで「歌うことができる」、can flyで「飛ぶことができる」』と例をたくさんあげた方がいいと思います。

 説明はできるだけシンプルに。具体例を与えて、「なんとなく分かる」状態にさせ、それを音読させたり、筆写させることで、体で覚えさせていく。文法を教えようとするのではなく、紹介して、仲良くさせる方が苦手な生徒にはより効果的なのではないでしょうか。

 「これでわかる基礎英語」の改善点が見えてきました(笑) 大がかりに改訂ができることがあれば、そんなページを増やしませんか、Kさん?

2007/06/04

文法は教えられるか?⑤

 教育実習も2週目。行動科学マネージメントの必要性の痛感。1つの行動を有意に細かく分析して、パソコンに入力していくような作業です。入力されたデータで、「サイボーグ」が自分と同じように行動できるようになれば、正確に分析できた証拠です。ただ、どうしても、意識せずに行っている部分があり、それが往々にしていちばん大切なデータになっています。

 教育実習のY君へのアドバイス。「授業とは、自分が『俺はこのくらい知っているんだぞ』という自己顕示の場ではない」ということ。教えすぎる人はどうも、この傾向が強い気がします。もしかしたら、「生徒は勉強しない」「しっかりと教えなければならない」という人は、そういう気持ちをどこかで持っていないか?と自省を込めて考えました。
 「上から目線」で「俺はこのくらい知っているんだ」という気持ちで進めれば、授業を受ける側はそれを敏感に察知します。教師に求められているんは、「上の立場」で授業をするが、「教室を学ぶ方向へとコントロール」という力量なのではないでしょうか。

 『俺はこのくらい知っているんだ』という気持ちがあれば、教える時間=教師が話す時間は長くなります。他教科はともかく、英語の授業で教師がしゃべりすぎても、学力は伸びないでしょう。それは、鮨の握りを目の前でいくら見ても、握りができるようにならないのと同じです。だから、「活動」が大切になります。

 でも、「活動」→「生徒の動き」となって、ビンゴになったり、ALTとのゲームになったり、する傾向はなぜ? ビンゴもゲームもいいかもしれないけど、それは「教室を学ぶ方向へとコントロール」の流れで行えればいいのでしょうけど、それ自体が目的化しているのは、どうなんでしょうねぇ? 
 「活動」とは、体の動きだけでなく、心の動きもそうでしょう。集中して、積極的に学ぼうとしているのであれば、それは活動だと私は思っています。内的な活動を大切にすることが、「生徒をその気にさせる」ことであり、大切なことなんじゃないかなぁ。

 今日は動詞と前置詞、ofなどのプリントです。動詞については、いくつか批判がありそうなきもします。例えば、want toを熟語として捕らえることには異論があるでしょう。ただ、あくまでも苦手な生徒対象ですから、そこはご理解下さい。

「sonohoka.pdf」をダウンロード

2007/06/03

文法は教えられるのか?④

昨日の続きから。20年以上もお世話になっている理髪店での話。

 そこのマスターは、子どもに仕事の愚痴を言わなかったそうです。そして、息子が小さいときから「この仕事は楽しい」、「この仕事は儲かるんだぞ」といって釣り銭としていつも用意してあった3万円も含めて「売り上げ」といって数えさせていたそうです。

 「あれが失敗だったんだよなぁ」というマスター。息子2人を知っている私は「どうして?」と聞くと、「1人が床屋になってくれれば良かったんだけど、2人ともなってしまったからなぁ」。「結局、2店舗目を出すことになったからね」という彼の顔には、困っているのは1割、うれしいのが9割でした。

 大人が楽しく働くという姿が、子どもの職業教育にはいいことだという証明ですね。

 英語が苦手な生徒は、文のまとまりが分かりません。画像としての認知にとどまっているのです。だから、I bought some books yesterday.を I bou ghts omeboo ksyes terd ay.などと書くことがあります。

 まずは、このまとまりを、フレーズ単位で理解させます。そのためのプリントが次のファイルです。(問題の後の番号は、「高校入試 短文で覚える英単語1700 CD付き」の例文番号です)

「meishi.pdf」をダウンロード

 まとまりを、「名詞」「動詞」「前置詞」で覚えさせます。意味が分からなくて学習しないなら、と最初からプリントの下には単語の意味を書き、問題を解けるようにします。リズミカルに授業を進めるために、この制限時間は3分。分からなければ、飛ばしても構いません。

 3分後に答え合わせをして、発音練習。これもテンポ良く、発音をしていきます。声が大きく出れば、「声が大きくなってきたから、なんかうれしいな」などと適切な行動を勇気づけることも忘れずに。

 宿題のプリントを渡しても良いし、同じプリントを渡して、「できるだけ下の単語の意味を見ないで書いてみよう」と言っても良いし、宿題を出します。
 これで、私が教えている生徒は、だいたい「名詞句」を経験することができます。この作業の積み重ねで、名詞句を理解してくれるようになるのです。

2007/06/02

破壊される教育

英語とは全く関係ないこと。

 「教育はこのままで良いですか?」といわれれば、関心のある人ならばおそらくNOと答えるだろう。ただし、どのようにすればいいか、といえば、関心の度合いに応じて、立場によって変わってくる。「医療はこのままで良いですか?」「政治はこのままで良いですか?」「年金はこのままで良いですか?」という質問でも同じこと。

 道徳をいうならば、それは学校だけで教えるものなのか? タバコを投げ捨てる大人を通学中で見ている子どもに、「ポイ捨てはやめよう」と学校で教えてどんな効果がありますか? 世の中の規則を守りましょうと学校で教えられた子どもが、脱税をした落語家をテレビで見て、どう思いますか? 

 教師には道徳性・規範性が求められている。だから、100円のライターを万引きしただけでも、報道されるだろう。つまり、教員は「きれい」であることを求められている仕事なのだ。世間ズレしていないことを求められている。(本来であれば、政治家や宗教家はさらにきれいでなければならないのだが、実際はどうなんだろう?)

 その一方で、「教師は世間を知らない」というステレオタイプの批判もある。一方できれいを求め、一方で世間を知らないといわれる。この2つは、同居できるものなのか? 

 きれいさが求められるから、純粋な人がいて、真面目な人がいる。だから要領も悪いし、妙な経済性を求めない。

 学力にしてもそう。あの人たちは、学力を伸ばすというときの、「学力」をどう考えているのだろうか? 授業数を増やせば、学力が伸びるとでも思っているのか? それは、少子化は、児童手当で解決できると思うくらいにおめでたい。教員の能力給の導入というが、それで多くの教員がさらに働くとでも思っているのか? 教員免許状の更新制度で、教員の資質が高まるとでも思っているのか? 教育が人を育てる=人を知らなければいけない仕事なのに、この制度を考えるナントカ会議の人たちは、あまりにも人間を知らない人たちなのだなぁ。(更新のための講義をする側もイヤなのではないかなぁ?)

 こういう状況で、教員になりたいという人が、どれほど増えるのだろうか。どんな人がなりたいというのだろうか。そして、10年後の公立学校がどうなっているのか、非常に不安だ。

 大人が楽しく働くことが、最高の職業教育ではないですか? 大人が楽しく学ぶことが、子どもが学ぶ近道ではないですか? 道徳を教えろ、授業を多くしろというそのゴ提言に、怒りさえ感じている。そんなことをしている教員は山のようにいるのだから。

 ここ数年、身近で優秀(だと私が思う)な先生方が、定年を待たずして、何人も辞めていっている。そして、大学や私立学校に行っている。本当に残念なことだ。

2007/06/01

文法は教えられるか?③

 英語が読める人は何が違うんだろうか?と冷静に考えてみました。もちろん、達人的な読み方ができるのではなく、ある程度の英文が読める人は、全く読めない人と何が違うのかを考えてみました。

 すると帰着するのは、以前のブログにも書いたように、主語と動詞(述語)との組み合わせが分かるかどうかだと私は思います。もっといえば、英語の文の「種類」を見抜いた上で、主語と動詞との組み合わせ(時には、補語との組み合わせ)が読めるかどうかではないでしょうか。それに、この組み合わせが分かっていなければ、助動詞や現在完了などはもってのほかになってしまうのでは?

 批判もあるかもしれませんが、「英文には2つの種類がある」といいます。1つ目は「S(主語)がV(動詞)する」、2つ目は「A is B. → A=B」の文です。そして例外として「There is(are)」というタイプがあるといいます。(3種類といわないところがミソです。2種類+例外とした方が受け入れてもらえるんですよね)

 文法を教えるというと、不定詞や助動詞、分詞、構文に至るまでいろいろと与えてしまう傾向がありますが、私はまずは主語と動詞との組み合わせを徹底した方がいいと思います。分かっている生徒は、意識しないでも、この組み合わせを理解していますが、苦手な生徒には意識をさせて、この組み合わせを理解させる必要があるのです。ここをいい加減にしてしまうと、先細りになります。

  I    walk. 「私は歩く」
 S      V  (動詞のアンダーバーは、波線にしています)

問題数は、多くはいりません。答え合わせをしてから、何度も音読、筆写、そして時にはディクテーション。(一定の理解になれば、教科書でも副教材でも、主語と動詞との組み合わせを考えさせればよいだけです)

授業で使用したプリントを貼付しますので、ご覧下さい。

「sv.pdf」をダウンロード

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