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August 26, 2006

和訳の勧め

 夏休みの補習も後半戦に突入。後半戦は、各自が自分で課題を見つけたり、前半の補習で理解が不十分だったところを見つたりして、分からない部分を質問に来るという「自学」的なもの。出席をとることもないので、生徒が来ないかなぁと思っていたら、杞憂でした。成績がいい生徒ではなくて、その反対の生徒が来ていることが、うれしいものですね。苦手な生徒こそ、この期間に追いついて欲しいですから。

 昨日のことだけど、Sさんが、間接疑問に苦労していました。

    例)Who is she?       I don't know     who she is .      

 ここの何に苦労していたかというと、間接疑問がなんなのかがチンプンカンプン状態だったということです。そこで、「"Who is she?"は『彼女は誰なの?』という疑問文、"I don't know who she is"は『私は彼女が誰だか知らない』という普通の文」と説明したところ、「どうして、疑問文じゃないの?」という彼女。
 『疑問文とは、何かを尋ねる文なのだから、この文は疑問文じゃない。私が分からない、といっているだけだ』といって、納得してくれました。

 問題は、例題の後に10題以上続きます。少し、英語が出来る生徒ならば、例を見て、問題を解くことが出来るでしょう。しかし、問題が出来るから、その文法項目を理解しているのかといえば、必ずしもそう言えないケースもあるのでしょう。特に、英語が苦手な生徒であればあるほど、これは顕著に表れる気がします。

 間接疑問の話しを他の先生(他教科も多数)としていると、どの教科でも同じような悩みがあるらしい。もっと言えば、母語である日本語を、意識せずに使用しているレベルに留まってしまっており、意識をして深めて考えることが減ってしまっているのではないか、ということがその場にいた先生方の共通した感覚でした。(ちなみに、生徒をしっかりと見ている先生方の感覚は、どんな研究よりも真実に近いでしょう。)

 私たちが一生の間で使う言語は、一般的な生活をする限り、間違いなく母語である日本語です。英語の使用なんて、高校を卒業してしまえば、ほぼ皆無という人たちだって少なくない。そう考えると、「英語を英語で理解する」なんていう高尚な考え方もあるけれど、「英語を通じて、母語を意識して考える」という考え方だってあっていいのではないでしょうか?

 和訳に対して、色々な見方があるけれど、それに対して反対する人は、どういう生徒をイメージしているのでしょうか? 帰国子女クラス? 中学校で英検2級? 準2級? 3級? 4級? 5級? 英語に対してまったく関心を持っていない生徒? いったいどの層をイメージしているのでしょうか? 
 また、「こう教えればいい」という理論を研究されている方もいるけれど、授業という制約の中で、それら全てを取り入れることは無理でしょう。4単位であれば、年間でせいぜい110時間。全員が「理想的な学習者」とは限らない。その他にも、その学校の事情というのもあったりして、どんなすばらしい考え方であっても、現実の中で、いかにしてそれを取り入れていくか、と教師は考えるものです。
 大学の時に、「付属中学校でしっかりと実践が出来た」と仰っていた先生がおられたけど、その先生は決してナンバースクールでは実践されませんでした。そして、そういう先生の実践というのは、ほとんどの場合が1回~数回。しかし、その学校で働く先生方は1年~3年も続けるのです。

  どんな指導方法にしても、その方法だけで留まっては不十分です。和訳もその指導方法の一部です。それをいかに、他の課題につなげていくか、が大きな課題となるのではないでしょうか?(どうして「課題」ということばを使ったかが、分かって下さる方には、分かっていただけますよね)

 さてさて、間接疑問の話しをしていた数人の同僚の中に、尊敬すべき学年主任のS先生がおられました。その先生が、「(日本語の)小論文をこれからは、取り入れたいんだよね。進路を考えたときに、小論文が書けないときついしなぁ」と話していました。確かに、そうだ。そのためにも、母語の感覚を鋭くすべく、和訳はあった方がいいに違いない。

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「教育」カテゴリの記事

Comments

いつもいい記事をありがとうございます。

以下の部分(*****より下)など特に賛同します。

TOEICで730点以上取る学生でも、驚くほど日本語が読めない学生がいます。斎藤孝氏の新書程度でも「抽象的すぎる」のだそうです。第一言語の書き言葉能力(リテラシー)は、あらゆる教育の基礎の一つと考えているだけに、私は大学の現場で危機を感じています。


*****
 間接疑問の話しを他の先生(他教科も多数)としていると、どの教科でも同じような悩みがあるらしい。もっと言えば、母語である日本語を、意識せずに使用しているレベルに留まってしまっており、意識をして深めて考えることが減ってしまっているのではないか、ということがその場にいた先生方の共通した感覚でした。(ちなみに、生徒をしっかりと見ている先生方の感覚は、どんな研究よりも真実に近いでしょう。)

 私たちが一生の間で使う言語は、一般的な生活をする限り、間違いなく母語である日本語です。英語の使用なんて、高校を卒業してしまえば、ほぼ皆無という人たちだって少なくない。そう考えると、「英語を英語で理解する」なんていう高尚な考え方もあるけれど、「英語を通じて、母語を意識して考える」という考え方だってあっていいのではないでしょうか?

☆柳瀬陽介さま
コメントありがとうございます。
メールの絵文字に代表されるような、感覚的な日本語が多いような気がします、いまの生徒は。これは、大きな問題だと思います。
和訳により、自分の日本語力を見つめ直すという「アウトプット理論」も否定されるものではないと思い、こういう記事を書いてみました。

はじめまして。大変勉強になるブログに出会えました。
私の最近考えていたことと共通する思いだと感じ、関連記事を書かせていただき、リンクさせていただきました。
またちょこちょこ勉強によせてもらいます。
ありがとうございました。

http://edvec.blog57.fc2.com/blog-entry-18.html

KUKURUさま
コメント、ありがとうございます。
和訳を最終目的とするのではなくて、
それを、どのような目標の中で位置づけるか、
ということは大切なことだと思います。
共通する思いを持って下さっている方がいらっしゃることは、
とても勇気づけられることです。
ありがとうございました。

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