« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006/05/30

学力が低いと、幼いのか?

 この時期は教科書の営業攻勢の時期でもある。それにしても、販売数が多い出版社は、やはりよく他社を研究していますね。さすが、という感じです。教科書の難易度を3段階に分類している会社もあれば、5段階に分類している会社もあります。5段階に分けている会社の方が、話しをしていると営業の方がよく見ていました、といっても、少ないサンプルですけど(^^;;

 教科書の5段階に高校生の英語のレベルを分けたとき、D~Eランクの学校の教材は少ないのが実情です。ただ、その中でも評判がいい、というか、それなりに実績を上げている教材もあります。そういう教材を見ていて、感じたことを今日は少し。

 確かに、D~E、特にEランクと称される生徒は、なかなか英語の勉強には取り組まないでしょう。アルファベットもかけない生徒も少なくないわけですから、そういう生徒に対して、少しでもソフトなイメージを持たせようとする気持ちはよく分かります。

 その中でも旺文社の「プレップイングリッシュ」は有名な一冊でしょう。それより、易しいものに、「グリーン・プレップイングリッシュ」という教材があります。この本の最初はアルファベットからです。確かに、アルファベットから入ることも必要だなぁと思うと、その指示には、アルファベットを音符に合わせて入れて、「ABCの歌」を歌ってみよう! とあります。

 歌うんですか?高校生が、ABCの歌を…

 その一方で、その次のページには辞書の弾き方で、「UとCという記号は何を表しているのかな?」(UとCとは□で囲まれて入れます) ABCの歌の後は、名詞の可算・不可算名詞に入っちゃうんですか?

 それはともかく、次のページにはなんと筆記体の練習。そのタイトルがスゴイ。

 「君もアイドル! 筆記体を練習してサインをしてみよう!」

 アイドルですか…。うーん、と思いながら、ページを進んでいくと、英単語の覚え方が出てきます。そこには、単語を覚えるコツが書いてあるのですが、その最初に書いてあることが、、、

 動詞はジェスチャーをしながら覚えよう。

 ジェスチャーですか・・・?ジェスチャーが出来る動詞って、何があるの? 高校生が、walkと出てきたら、歩くジェスチャー? jumpだったら、飛び跳ねる?TPRのことですか?

 もう一度、タイトルを見てみました。これって、いま流行の小学校の教材かな?って。やはり、違います。「高校英語の基礎作り」と書いてあるので、まぁ、ターゲットのメインは高校生でしょう。

 いくら勉強が出来なくても、発達段階まで子どもだというのでしょうか? 高校生としてのプライドを傷つけるような教材って、どういう感覚で作られたもんなんでしょう。

2006/05/28

保護者会総会と、ESS

 昨日は保護者会総会ということで、土曜日だが勤務日。数十人の保護者が来ました。授業参観への参加は、学校によって差があるようですね。保護者は見てみたいけど、生徒は来て欲しくない、そんな感想がよく双方から寄せられます。

 昼休みに、卒業生の保護者が私の部屋に。この部屋は学校の西側最上階にあり、夏は暑く、冬は寒い。もちろん、クーラーはなく、ヒーターがあるといっても、6畳用のガスヒーターが1台あるだけなので、夏は40度を超えるし、冬はヒーターの周囲でも14-16度という環境。ちょっと離れると、コートを着ながらデスクワーク。「民間では」とよくご批判を下さる方は、こういう状況はどう思うんでしょうね?なんて、邪気を発してみたり(笑) 

 それはともかく、来室された保護者には、卒業生の弟が在校中なので、保護者会総会にいらしたので、寄って下さりました。高校時代の「実は…」という話し(笑) 「そうだったんですか」という話題もあったけど、話題の大部分は在校中に、こちらの耳には入っていた(笑) わざと騙されていることもあるんですよ~と話していると、昼休みが終了。

 保護者会総会では別の保護者と会う。近況を伺うと、そのお母様はうれしそうに「娘が、学校の模擬ブライダルで花嫁に選ばれました~」 毎日の専門学校での生活が楽しいようで、充実している様子がうかがえました。その後、夕方に本人からメールが来て、「元気にやっていますよ」とメッセージ。

 卒業生の近況を伺い、やはり生きる力のある人間はバイタリティーがあるなぁということと、こちらを意識してくれていることに感謝。ありがとうございます。こういう話しを伺えると、ホントに力づけられるし、この仕事をやっていてよかったと思います。全て順風満帆ではないけど、結果的にこちらが真剣に向き合った分は必ず帰ってきますからね、この仕事は。

 昨日の続き。ESSの活動で、ちょっとしたアイディア。出来るだけお金を使わずに、楽しみながら英語を話せる場所はないかなぁと思っていたら、あったではないですか。成田です。ここは、観光客が多いし、学校からもそう遠くない。そこで、「押しかけ通訳」でもできないかなぁと思ったわけです。参道の一定区間を、案内するということです。

 そのためには、日本の文化や、地元の歴史も勉強する必要があり、それを相手に分かるように英語で発信する必要があります。英語だけの勉強ではなく、面倒な作業も多くなるかもしれないけどどうする?と生徒に聞くと、「やってみたい!」とのこと。実際にそれができるかどうかまだ分からないけど、可能になりそうなら、しかるべきところに相談しないといけませんね。もし、実際に行うことが無理でも、ALTに協力をお願いして、「通訳ごっこ」でも、楽しそうですよね。実際のコミュニケーション場面っていうやつでしょうか?

2006/05/26

魔法のかけ方

 今日は球技大会。試験は頑張ったのだが、ウチのクラスは4競技で全て一回戦負け(T.T) クラスのT君が「でも、サッカーは2回戦までいったよ!」といったが、だって、それはシードのくじを引けたからだろ!と軽いつっこみ(笑) でも、みんな頑張ったね。ありがとう。

 このブログは、もしかしたら生徒が見ているかもしれないので、書けないこともあるけど、1つだけ魔法をばらしてみます。 皆さんは、「おはよう」という時に、どんな風に相手にいいますか? 元気におはよう? 小さな声でおはよう? それとも会釈だけ? 今日の魔法はその「挨拶」についてです。

 といっても、やることはスゴイ簡単。単に「おはよう」というだけではなく、「おはよう、田中君」「おはよう、高橋さん」と後ろに名前を付けるだけです。名字で呼ぶか、下の名前で呼ぶかは、その生徒のキャラクターをよく見て、私は決めています。

 挨拶に名前を付けるだけで、受け止め方って違うんです。そういえば、恩師のS先生も、それまでお勤めになっていた大学とは全く違い、現在の勤務校は英語力がない学生が多く、そのやる気を出すために、「名前を覚えて、「君なら出来る」という言葉掛け」をなされているようです。150-60人になると、名前を覚えるのも、なかなか大変ですけど、大きな効果があります。

 話しは全く変わりますけど、今日の東京新聞の朝刊に面白い記事が。それは、キャリア官僚を目指す学生が減ってきた、というもの。これって、教員にも同じ事がいえるのではないか、という気がする。余計なことを書くと、グチっぽくなってしまうので(苦笑)、ご覧下さい。 

 妹が昔、とある流通業に勤めていた。あえて、「泥船」と揶揄された会社に彼女が入社した理由は、「この会社を皆さんの手で作り直していこう」という社長の話に感動したことだった。ところが入社して、彼女が知ったことは、優秀な社員に限り、同業他社へと転出していく現実。そして、徐々に「出来る社員」が減っていき、彼女も3年でその会社を辞めました。

 教師を志望する人は、エゴグラムのNPが高い人が少なくないので、まだ持っているけど、これから先はどうなるのかなぁというちょっとした危惧もある。あ、、やっぱりグチっぽくなりそうだ(笑)

 話題転換。
 ESSの新計画を立てたんだけど、それに生徒が乗ってくれるかなぁ。その新計画は、次回のブログに。

中間考査終了

うはー、というほど、ボロボロ(笑)
あまりの腰痛に耐えてかねて、久々に体のメンテナンス。

腰痛ってきついなぁ、というと尊敬する同僚のT先生より

ようやくこっち側にくる年令になったね

とニヤリ。行きたくないよ~と思いつつ、四捨五入して40歳になると20代の頃のような無理はきかないのね。

昨日で、中間考査が終わり、結果が徐々に出て来た。先ほどのT先生も私のクラスを見て下さっているのだが、

なんかクラスでやっているの?

と聞いてこられたので、「何かあったんですか?」と逆に尋ねてみると、

いやね、妙にA組の平均点が高いんだ。他のクラスよりも、7点、9点高い。地理でこんなに差がつくことは、まずないんだよね

「いやぁ、T先生のフォルダーにハッキングして、生徒に問題を教えておいただけですよ~」

なんて答えながら、内心はしてやったり♪ 今年は、生徒にかけた「魔法」がかなり効果があるようだ。

 英語の試験も終了。こちらも、平均点が高い。A組の平均点は、私が教えている他の2クラスよりも8点ほど高く、某クラスよりはなんと20点以上も高いではありませんか!! こちらも、ニヤニヤ(*^_^*) ESSのある生徒は、何と満点です! もちろん、入学後の試験ではずば抜けた成績を取っていたわけではないけど、彼女の努力に脱帽。正直、満点とるのはきつい問題でした。

 他の同僚からは、「どんなマインドコントロールしているの?」と言われたけど、そんなことはない。結局は、担任としてのお仕事をしただけです、きっちりと。この「担任学」なんていうのは、広い意味での研修の中から、ヒントを得て、それを経験則の中でいかしていく作業。信頼関係を作るまでに時間がかなりかかるので、出来上がったところだけを見ても、なかなか分かってもらえないでしょうね。

 学校での英語教育は、それだけが単体で行われているものではない。そのクラスではHR担任がクラスを運営し、その運営を支える学年全体の雰囲気がある。(高校にもなると、学年単位までの雰囲気が強いかな?) 中学校では、またその奥に学校の雰囲気がある。 そこまで考えないと、英語教育の実践の報告というのは、不完全なのではないかなぁという気がする。

 以前にブログにも書いたけど、「英語教育に科学性」というのは私にとってはあまりにも非科学的。同じような仮説で同じような結果、という数学的な考えには100%反対。生徒は人間であり、1人1人性格も違うし、考え方も違う。その別々の「条件」に対して、同じ投げかけをしたって、結果が変わるのは目に見えているでしょ。

2006/05/20

総会と懇親会

 昨日は、所属しているNPOの総会。委任状と出席者で、総会成立の過半数ギリギリだったので、ちょっとヒヤヒヤしていました。所帯が大きくなってくると、こういうことが起きるのかもしれないね。

 こちらのNPOは英語教育とは直接、関係がない精神・保健・福祉がメインの団体だ。昨日の総会の後の研修会でも、広汎性発達障害についてがテーマだった。スタッフで昨日の講師だったK先生によれば、広汎性発達障害は、大きく分けると自閉症とアスペルガー症候群とになるそうだ。学校でよく見かけるのは「高機能自閉症」の生徒はよくいるとは、思っていたので、興味深いテーマではありました。ただ、こういう場合にはどこまでをサポートしていくのか、どんなケースで医療につなぐのか、またまた、医療ではなく学校で対応すべきではないかという意見もあり、どの業界にもいわゆる「リベラル」「コンサバティブ」があるのだなぁと、講演の後の質問を見ていて感じた。数学のように答えが出ないものについては、それに対する「思想」がその人の答えの土台となるので、意見の応酬がその人の「意見」ではなく、「アイデンティティ」そのものへ切り込むことがあるんですね。非常に、教育と似ています。

 身内を誉めるのも何だけど、こちらのNPOの研修会はかなりの講師が今年も予定されています。その中でも「怒りをコントロールできない子どもの理解と援助」というテーマでは東京学芸大学総合教育科学系のO先生が予定されており、スゴイですよ、ホント。

 また、このNPOのメインスタッフとして活躍されているW先生が主催されている、まつど教育相談研究会もすごい講師が多く来られます。興味のある方は、ぜひともどうぞ。

 総会の後に、NPOの代表を務めるK先生(講師のK先生とは違う)と隣に座ることになり、興味深い話しをいくつか伺う。K先生は、いくつもの顔を持つマルチ人間。本籍は心理なのだが、その心理を取り巻く問題に関わるとどうしても脳科学に入らなければならない、とのこと。

 K先生は脳についてお詳しい方なので、以前から、疑問に思っていたことを、少し尋ねる。一つ目は、英語が出来ない生徒について、短期記憶と長期記憶、という視点のみをベースとして考えることの是非、またIQというデータのみで英語力が伸びる伸びないと考えることが出来るか、という2点。

 前者に関しては、どう考えても、英語が出来ない(単語を覚えられない)=長期記憶が劣っている、という考え方は違うのではないか、という経験則からの確信があったので伺ってみた。「長期記憶が問題なんだよ~」と、ある著名な先生とアルコールの席で言われたことがあった。でも、英語が出来ない生徒も、携帯電話の使い方はスゴイですよ~、しっかりと覚えています!と「弱気な反論」(笑)をしたことが頭にあったので、どうしても聞いてみたかった。

 つまり、興味があるかどうかは、長期記憶の能力のウンタラカンタラよりも、よっぽど大きな要因になるのではないか、という当然のことをそのK先生に伺ったところ、ノータイムで「もちろん、その通りですよ」 そこで、「それを裏付ける理論がある本や論文はありますか?」と伺ったところ、こちらもノータイムでブルーバックスを紹介してもらう。

 次に、IQの件。IQは今は学校では計らないことになっているが、この関連性についてどうなっているのかなぁという素朴な疑問があった。K先生は「関係があるとしたら、IQという総合的なものよりも、WISCの方が分かりやすいと思うよ」という話しをもらう。そこから、WISCについて説明を受け、なるほどぉ、と納得しきり。数学は抜群に出来るんだけど、なぜか英語が出来ない、なんていう人がこのWISCを受けると、ダイレクトに結果が表れるかもしれませんね。でも、このWISCというテストはキットが必要で、だいたい15万円ほどかかるそうです。

 最後にPRになるけど、そのK先生に拙著「中学短文で覚える英単語1700」を高く評価してくれた。どうしてですか?と誉められているのに、突っ込んだところ、

1)脈絡のない単語を覚えることは、かなり不合理
   →1単語に1例文では合理的ではない
2)内容のあるセンテンスに、イラストがついていることがいい
   →イマドキの子どもは、視覚からの影響を受けやすいので、これがあるといい。

と言われた。1)はよく言われるけど、2)はこちらが意図したことだったのだが、あまり英語教育関係者からは言われたことがなかったので、ちょっとうれしかった♪ 
 ちなみに、ウチの生徒は1学期中間考査までに50の例文を学んだので、232の語句を学びましたよ~、とPR(笑) 「こんなに勉強をさせられたことはありませんよ」と多くの生徒に言われたけど、毎回行った小テストの平均点もだんだんと伸びてきたので、中間考査が楽しみです。
 あ!!でも、興味がないと長期記憶が!!(笑)

ホントは、こんな単語集で勉強しないで、しっかりと精読をして、文章の中で単語を覚えるのがいいんだけどね。ちなみに、紀伊国屋書店では平積みをして下さっている店舗も多いようで、ありがとうございます。

2006/05/17

動機付け

 生徒もようやく、チャンクが分かってきたようだ。「この部分は意味的なまとまりを持つから、□(四角)で囲め~」なんていう前に、すでに囲んである生徒が多数出てきた。生徒の中には、ゲーム感覚でチャンクを探したり、前置詞句を探したりする生徒も出てきて、今日も5時間目でさえもウトウトする生徒は0人。結構、これって大変なことなんですよ~、と自画自賛してみる(笑)

 中学校時代は「お客さん」だった生徒が多いのだが、この頃は「従業員(?)」として活躍している生徒も少なくない。方法は、前日のブログ通り。昨日まではヒントが最初から出していたけど、今日はほとんどノーヒント。それで、やれるんだよね。

 こうやって主語動詞を意識してくると、生徒は英文の内容が分かるようになってくる。すると、楽しくなってきて、先へ先へ自分で進むようになる。当然のことなんだけど、分かれば、楽しいんだよね。最高の生徒へのモチベーションは、しっかりとしたシラバス(先を見通した指導計画)をベースとした分かる授業なわけなんです。このシラバスは、柔軟性が必要で、目の前の生徒によって、ある程度の変化は必要なものです。

 ところが、世の中では学ぶ意欲(モチベーション)をいう人は多いんだけど、どうも研究の中にはピント外れが多いような気がするなぁ。いわく、海外への憧れだとか、映画を字幕なしで理解したいとか、いろいろという人はいるけれどホント? 大学入試を目指して、という人もいるけれど、そういうモチベーションだけで進むとしたら、大学入学後は勉強しなくなるだろうに。

 このモチベーションの研究で欠落しているというか、欠落せざるを得ないのは、教員と生徒との信頼関係と、および授業のわかりやすさという、モチベーションの土台の調査が実質的に無理だからではないだろうか?信頼関係が結べていない先生が、研究に協力するかといえば、それはしないだろう。いわんや、自分で研究すらしないだろう。

 授業にしても、たった1時間を見ただけで、その先生の授業の何が分かるというのだろうか? そこに至るまでの授業の積み重ねがあり、日頃の人間関係があり、自分の授業でいうなら、チャンクを理解させるまでの取り組みを知らずして、「ここの生徒はチャンクが理解できているんだ」と感想を持つことに、どんな意味があるのか? 大切なことは、チャンクを理解させるまでの道筋ではないではないか? その方法を知らないで、日本的な授業批評、「いやぁ、いいですねぇ」といわれたって何も生み出しません。

 うーん、攻撃的な文章だなぁ、疑問形になると(笑) 反語表現ですから(^^;; 

2006/05/15

ESSと裏ESS

 今年は久しぶりに、というか初めてESSだけの顧問となった。運動部ではないのは少々寂しい部分もあるけれど、それはそれでやれることは、またあるというもの。

 ESSには、英語の力を伸ばしたいという積極的な気持ちがある生徒と、英語も出来ないから、先生が補習みたい伸してくれるみたいだから、取りあえず顔でも出すかー、という生徒に分かれる。前者はもちろんESS。後者は「英語、そんなに、好きじゃない」の頭文字のESS(笑) 通称、裏ESS。

 5月の連休後からの活動なのだが、この裏ESSにも、直後に全滅するかなぁと思っていたメンバーだったが何人か生徒が学習を続けている。こちらで行うことはきわめてシンプル。授業で行った復習。

 授業では、第1課で文型がターゲットということもあるので、文の構造を中心に行っている。どこが主語で、動詞はどれだ、目的語の名詞句を□(四角)で囲ませて、前置詞句に代表されるような「どこ/いつ/どのように」という英文の「おまけ」があれば、それは( )でくくらせていく。そして、それを主語はⅠ、動詞はⅡ、目的語はⅢ、副詞句はⅣと分けていく。(この方法は、批判があることは100も承知だけど)

 それを終えてから、音読。授業では5回程度しかできないけど、裏ESSでは10回は最低、読んでもらう。「内容を知らない人に説明するつもりで読むんだよ」と言いながら、生徒が読んでいく。分からない読みがあると、手を挙げて聞いてくる。

 音読を終えてから、筆写(書写)。これは、tmさんのサイトにもあるように、「著者になったつもりで」書きなさい、と注意を与える。授業中は2回、裏ESSでは3回、書かせていく。

 そして、リスニングにオーバーラッピング。「心の中でオーバーラッピングなら出来るんだけど、声に出すとぜんぜん出来ないよ~」という生徒に、語の連結などを説明し、本日の裏ESSはお終い。突き抜け力はまだないけれど、しっかりと勉強をしてくるし、その努力は十分に称賛に値するほどだ。こういう生徒が力を伸ばしていく援助は、本当に教員にとって、大切な仕事だよね。

 その後、裏ESSにも参加していた、ESSのメンバーと同じ教材のシャドイングとディクテーションの行い方のレクチャー。時間はすべてで1時間ちょっと。生徒もつかれたけど、こちらも疲れました~。

 話は変わるけど、比較表現の授業の展開を考えている人は、こちらからリンクされているtmさんのサイトを是非とも見てもらいたい。比較表現を教えるにあたって、いろいろなヒントがちりばめられている。私もいくつか、「あ、こういう風にしたいな♪」というものがありました。書いている問題集にも、ちょっとヒントをもらい、書き直そうと思ったり(^^;; 

 どんな理念やきれい事よりも、1つの実績の方が人は興味を示すもの。理念で人が動くといえば、なかなか難しい。それを頭に入れておきながら、自分なりの理念を大切にした方が、教員としてはしっかりと動けるかなぁという感想を、とある先生のサイトを拝見していてい感じた。

 開隆堂から白表紙の教科書が届く。こんな形となって、検定を受けるんだなぁ、という驚きの気持ちを持ちつつ、ワープロ原稿が形になったことにちょっとした感動。相変わらず、編集者の人の能力に脱帽です。 Ⅱからの参加だったために、なかなかカラーは出せなかったけど、範囲内では自分なりによく出来たなぁという気持ちだ。

(一部加筆・訂正しました)

2006/05/14

覚悟はありますか?

 今日は、なかなか表に出ないこと。というよりも、光が当たらないこと。確かに、進学がスゴイ、SELHiで実績を上げる、などなど、それはそれで多く先生方の努力の上に成り立っていることは、よく理解している。そして、そういうことは、光があたることだ。その一方で、多くの先生が努力をしているが、ほとんど光が当たらないことがある。

 今日、首都圏のある先生方と話しをする機会があった。その時とある先生が、「この頃、複雑な家庭がさらに増えてきた感じがする」といった。それに同意する教員がほとんど。曰く、「母子家庭で、3人兄弟。子どもの全員が父親が違う」 曰く、「母親が外国人で、母子家庭。母親はフィリピン、ブラジル、ラオス。日本語が不自由なため、意思疎通が難しい」 曰く、「両親ともいなくなり、祖父母の家庭から通っている。祖父母が、孫と養子縁組をする」など、とにかくその複雑さは以前にも増している。

 また、授業料の減免の家庭(=一定の収入がない)や生活保護を受けている家庭、授業料の納入が出来ない家庭も増えているということも、すべての先生の共通した感覚。

 ある先生曰く、外部からの通報があったので、近所の駐輪場に行ったところ、そこで消化器を倒し、タバコを吸い、ゴミを散らかしていた。そのため、駐輪場の管理人から学校に連絡をしてきた。そういう連絡があると、教員はそこに直行する。そして、管理人さんから日頃のグチや文句を言われ、謝ってくる。ちなみに、警察よりもよっぽど早く対応をするので、こういうときには学校に連絡がやってくる。

 ある先生曰く、遠足でとある場所に行ったところ、本部に待機している職員のところに、その施設の人がやってきて、「便所でたむろをして、他のお客さんが使えない」「禁煙場所で、喫煙している」「マナーが悪い」といわれ、「どうにかして下さい」といわれた。(場所が広いために、引率の職員だけでは対応が出来ないところが、苦しいところ。)

 ある先生曰く、保護者に連絡が取りたくても、夜しか連絡がつかない。つまり、自分の自宅から電話をかけるしかない。保護者の中には、自宅に電話がなく、携帯でしか連絡がつかないケースが少なくなく、そうなると電話代がかなりの金額になる。しかし、この電話代は全く支給されない。

 ネガティブな話題となってしまったが、これはほんの一部の事例に過ぎない。だが、このような状況の中で、多くの先生が生徒の自立や学力の向上を考えながら教育活動に勤しんでいる。全く表に出ないことで、逆に目立ってはいけないことなのだろう。多くの先生が、そういう生徒が学校生活を続けていけるように、ギリギリの中で生徒と関わっている。

 これから、教員の労働条件はさらに悪化するだろうとも言われている。そして、世間が驚いて、記録として残っていくような勉強活動(教育活動ではない)が出来て、部活の指導を楽しめる、なんていう学校の割合はさらに減っていくだろう。

 さて、それでもあなたが学校の教員になる覚悟はありますか? かなり大変な仕事です。ある意味、最高のセイフティーネットです。やりがいはとってもあります。

2006/05/08

調子に乗って、授業のマニュアル

柳瀬先生からコメントをせっかくのコメントをいただいたので、最後に授業のマニュアルについて考えてみたい。といっても、グチっぽくならないように注意しないと(笑)

 なんでこんなことを考えたのかといえば、生徒の中学校の時の授業の様子を聞いたことがきっかけだった。入学直後の生徒の英語力のチェックのために英検3級のテストを受けさせたところ、こちらの想像以上に悪い。(正解率は平均で40%。もちろん4択です) 

 中学校でどんな授業をしていたかといえば、「面白かった」、ビンゴをやったり、歌を歌ったり、ゲームをやったり、特にALTが来ると楽しかったということなのだ。そこで、「教科書や問題はどうしたの?」と聞くと、「先生が塾に行っている生徒を指名して答えさせて、それで授業は終わった。だから、自分はちんぷんかんぷんだったよ」と屈託のない笑顔(^^;; こちらが返答に困ってしまいました。
  もし教育実習で学生がこういう授業を見て、「現場とはこういうものなのだ」と思ってしまったり、初任者がそんな先輩教員を持ち、「現実はこうなんだ。そうか」と思ってしまったりしたら、悲劇ではありませんか?

 もちろん、こんな先生は少数なのだろうけど、英語の授業といえば「ビンゴ」「ゲーム」とうい印象を持つ生徒がとにかく多いことに本当に驚いている。授業が面白いのは結構なのだが、それで力がついているのかといえば、ついているとはお世辞にもいえない。実験は楽しかったけど、一種のレクリエーションで終わってしまった化学の実験みたいなものだ。
 その上、塾に通っていた生徒と、そうでない生徒との間にある学力差。これは切実な問題である。塾に通っている生徒と、通っていない生徒との学力の差を数字にしたら、すごい差になるのではないかなぁという皮膚感覚。

 こんな思いを抱えて、授業のマニュアルがあってもいいのではないか、と考えたわけです。今まで、コミュニカティブな授業、コミュニケーション重視を言ってきた人たちがいて、その上で教科書が対話形式中心になっている。生徒が発言するという物差しを重視して、授業の評価をしてきた。
 一方で、同じような違和感を持ってきている先生さえも、ナントカ主事が学校にやってきて、「あなたの授業は生徒の発言が少ない」「コミュニカティブな授業ではない」とやられ、工夫がいらないビンゴで遊んだり、どっかの勉強会で明日にも使えるというベンリなゲームを仕入れたりして、生徒の動きが活発になるようにしてきたのではないだろうか? そうすれば、見かけは動きがあり、生徒は学ぶ意欲があるように見える。しかも、たった週3時間という貴重な時間の中で! だから、中学校の英語の先生にあーだ、こーだいっても、問題の根本的解決にはならないわけです。

 では、これで生徒の学力がついているのかといえば、はなはだ疑問だ。普通の高校の先生は、同じ感覚を共有してくれるだろう。だから、授業で単語を覚えさせたり、文法の定着にアプローチをかけると、一部の「詰め込みだ」「文法なんて必要ない」と生徒からクレームがくるから困ってしまう(苦笑) 

 教科書の著者や教科教育法の専門家、指導主事は、「この教科書を使って、こういうマニュアルに則って、授業を行うことで、こういう力がつく」ということを、まずは考えてみたらどうだろうか? (これは、出来ないだろうというイヤミで言っているわけではありません、念のため) 
 そのマニュアルに従って、授業のシュミレーションを教員がしてみれば、どこに穴があるかなんてことは、すぐに分かるだろう。そして、その穴の部分を、生徒の実情にあわせて埋め合わせていく作業が今度は今度は必要になってくるわけです。ここが、現場教員の腕の見せ所。

 マニュアルとで印象が悪いなら、指導案です。そのモデル指導案を作ってみたらどうかなぁ。そして、学生や、指導に行き詰まった先生が、それを参考にしてみる。多くの人が共通の土台の上にある教案だから、あーだこーだいうことで、授業は洗練されていくはずなのではなかろうか。

(一部加筆しました)

2006/05/07

「英語教師学」はないのか?

 授業のマニュアルにあるについて、その先を書いてみましたけど、どうもグチっぽくなっていけません(^^;; やめておきます。

 家庭裁判所の調査官、という仕事があります。触法少年などの審判で大きな役割を果たす仕事を持ち、その少年の生育歴から現在の心理状態までありとあらゆることを、調査していくプロフェッショナルです。この調査官は、調査官として採用されてから現場に出るまで2年もの間、研修があるそうです。少年の実像をしっかりと把握するために必要な知識や技能がその2年間で学ぶというわけです。法律から心理までその分野は多岐にわたっています。

 一方、教師の研修とはどうなんでしょうか? もっと具体的にいえば、英語教師の育成はどうなっているのでしょうか? 資格を得るための大学での講義・演習がそうなのでしょう。 そして初任者研修という、採用1年目の研修がそれにあたるのでしょう。しかし、本当にそれだけで構わないのでしょうか?

 英語教師としての資質として考えられるものといえば、英文学、英語学、教科教育法、心理学、教育学などとあるのでしょうが、すべてが英語教師としての方向を向いているかといえば、そうではないでしょう。
 それぞれが、(英語)教師の育成という方向性を向いているとは言い難いのではないか? 本来であれば、教科教育法がコーディネーターとなって、方向性を持つべきなのでしょうけど、どうもそうなっていません。教科教育法を、実用性の高いものとして考えるのであれば、例えば「授業の妨害をする生徒がいたときにはどうするか?」「進学校の授業あり方」「『底辺校』の授業のあり方」「学力差のある生徒への一斉授業」など、一種の「教師学」ともいうべきものを、考えてはいかがでしょうか?

 生徒の実情にあった授業の進め方はもとより、生徒との授業以外での関わり方、面談の仕方、バイクに乗ったり、タバコを吸った生徒への対応なんていうのもあっていいでしょう。そのために、心理学を大学で学ぶのでしょう? 教員志望の学生には自己分析があってもいいでしょう。自分はどんな人間で、どんな弱点があり、その弱点はどうやったらカバーできるのか、なんていうかなり重たいものも含むかもしれませんが。

 もちろん、すべてのことを学生時代や初任者研修で行うことは無理でしょう。しかし、そのような方向性で教員のあり方を考えていく、「英語教師学」という学問がなくて、それぞれの分野で、自分たちの思うような講義や研修を続けていく限り、結局はそれをどう生かすかは、その学生(教師)に負う部分が多くなってしまうわけです。画一的に教師をすべきだというわけでなく、方向性だけでも、コーディネーティング担当が必要ではないでしょうか。

 結局、いちばんの研修は「職員室での雑談」といわれています。私もそうでした。その学校の実情にあった話しを色々な先生から聞き、その中からヒントや解決策を持ち、それを実行に移していけるからです。課題を抱えている生徒への対処方法や、先生同士の役割分担(誰が指導して、誰がフォローするかなど)などなど、この職員室の雑談は教師の能力が表れます。この「職員室での雑談」を体系化する英語教師学があってもいいんじゃないかなぁと思うんですけどね。ちょっと無理でしょうか?

2006/05/01

エゴグラム

 今日は総合的な学習の時間で、エゴグラム。ご存じの方も多いと思うのだが、これは妥当性が高い。ただ、高校生対象になぜか大人用のエゴグラムを行う先生もいるとか。妥当性を考えたときに、意味がないとはいわないけど、意味が薄れるのは間違いないだろう。

 高校3年生と1年生とでは、結果が全く違う。いちばん違うところは、やはりA(自我)。1年生の子どもっぽさはAの低さの表れで、3年生になると進路を目の前にしていわば哲学を始める。この差が大きいのだろう。

 さて、前回の続き。

 私自身も含め、多くの先生の教え方は経験則に成り立っているのではないか? いわば、良い授業の進め方を発見していくという「発見学習」のスタイル。(うーん、こんなところでも発見学習ですか;苦笑) 

 教師を料理人にたとえるなら、美味しい料理を作るのに、調味料の分量を目安もないままに、自分たちで考えていく。それなのに、レストランのオーナーは、「透き通るような、明るい味を作れ」といったような抽象的な対応しかいわない。

 その一方で、顧客は多様化している。素材の味を引き出して、それに気づくお客さんもいれば、とにかく何か腹に入ればいいという人もいる、またまた食事にはあまり興味なく、客同士のコミュニケーションが目的のお客さんもいる。だから、シェフは、お店が変わるごとに、そのニーズに応える要しなければならない。しかし、どこのお店に行こうとオーナーの抽象的なリクエストは変わらない。それどころか、10年に1度程度、オーナーもいうことが変わってくる有様だ。

 横道にそれたが、こんな状況で本当に授業力がつくというのだろうか? 生徒に基礎学力の定着を計るのであれば、教師も「基礎授業力」という考え方があっていいのではないか? もっといえば、大学で行われている「英語教育」を「英語教師演習」と変えてみたらどうなのか?(これについては、いつか書くかな?)

 「基礎授業力」というのは、授業の基本的な進め方、一種のマニュアルのようなもの。例えば、、、

1)本文のリスニング
2)新出語句の確認
3)新出語句の発音の確認
4)本文の解釈
5)新出文法事項の確認と演習
6)本文のリスニング
7)コーラスリーディング
8)個別に音読
9)まとめと確認

といったような、授業のマニュアルである。まずは、そのマニュアルに従って、授業の流れを確認していく。このマニュアルに、自分ならどのような変化をつけるか、ということ「マニュアルの改善」という第二段階があって、そして完全にオリジナルの授業という第3段階があってもいいのではないか? 授業の最初にスモールトークを入れるも良し、そこから、その日のターゲットに進めるもよし、本文の解釈はあまり深入りしなくてもよし、深入りしてもよい。最終的には、生徒が分かった、出来た!と思える授業であれば、どのような授業でもその先生の個性になりうる。

基礎的なマニュアルから、次の段階に進むためには英語的な知識はもちろん必要だろう。授業の進め方は参考にすべき先生も多くある。しかしそれだけでなく、やる気を考えるのなら、行動心理学も必要だろうし、生徒の発達を考えるなら、生涯発達心理学も必要だろう。そういったプラスαをどれだけ入れることによって、教師の授業力はアップするのではないか? 特に高校であれば、どのような高校で教えるかによってそのαは変わってくるだろう。

ところが、最初から名人と呼ばれる授業を見ると、それがショーのように一人歩きしないかな、という不安もある。手品なら、指ぬきから始めていくのに、最初から難しい技を真似したって、上手くいくはずがない。その指ぬきとしての授業基礎というか、授業のマニュアルはあった方がいいのではないか。

このマニュアルという考え方は、かなりの暴論かもしれない。というのも、複数でマニュアルを作るとなったら、まずまとまらないかもしれないし、教師の「授業権」の侵害といわれるから。しかし、「生徒が分かる」「生徒に定着する」ということをキーワードに考えれば、ある程度はまとまってくると思うんだけどねぇ(って、イヤミっぽいでしょうか?;笑) そして、ベテランで多くの生徒が「分かる」という先生に対してではなく、大学生や初任者に対してのマニュアルっていう意味です。

もうすぐ教育実習に来る生徒が「英語の授業は英語で行う」という演習を大学で行ったそうだ。英語の授業が英語ですか、、、。どれだけの学校で、そのようなニーズがあるのか? そんなことをするならば、日本語での模擬授業をした方がいいのではないか? そして、マニュアルでも作ってみたらどうなのだろうか?

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
無料ブログはココログ

おすすめ