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2006/03/31

GWT・クラス開きに際して

 もうすぐ新学期が始まりますね。最初のHRは生徒も教員も緊張するもの。特に新入生の担任になると「こいつ、どんなヤツ?」という生徒からの視線も感じちゃいます(^^;; 

 生徒間の協力を大切にしたい、クラスの雰囲気を和やかにしたい、1人1人の生徒が自分の価値(うーん、大げさな言い方になってしまうなぁ)を意識できるようにしたいという時に、お薦めの本があります。

学校グループワーク・トレーニング
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896593073/qid=1143756014/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/503-7061123-6187963

協力すれば何かが変わる―続・学校グループワーク・トレーニング
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896593081/qid=1143756057/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/503-7061123-6187963

 これは、小学生から高校生まで使えるネタの宝庫です。グループを作り、問題解決を目指して、1人1人が協力していくというアクティビティー。そして最後には「振り返りシート」を使うことで、誰がどんな役割をして、その役割は、どのような意味があったのかを考えることを通じて、リーダーシップやメンバーシップ、励まし役などなどの大切さを体感していくものです。

 私がクラス開きで使うネタは「人間コピー」。課題となっている絵を、廊下に課題となる絵を張り出します。それを、生徒が見て暗記をし、描いていくというアクティビティーです。誰でも、何回でも、見に行って良いのですが、1回に見に行ける生徒はグループで1人だけ。もちろん、メモをとっては行けません。

 そうすると、「見に行く人」「絵を描く人」「アドバイスをする人」「雰囲気を作る人」など、そのグループでの役割が見えてきます。頑張ってグループを引っ張っていく人だけが目立つのではなく、目立ちはしないけど、重要な役割を担っている生徒もいることがクリアーになります。

 話しは変わりますが、今年の授業はグループ学習を取り入れてみようか、と思っています。こちらからの一方的な授業で、生徒が与えられたことだけをこなすのではなく、お互いに協力することで授業を作り上げていくつもりです。もっといえば、4人の班を作り、お互いに協力することで学力を伸ばすという、早い話が生徒の力を借りてしまうっていうことです。

 コンセプトは、「教えて、取り組ませる with 協力」。教えてから、生徒は問題に取り組み、1人で解決できないときにはお互いに協力しあうことで、その壁を越えていく。詳しくは、次回にでも書いてみます。

2006/03/27

来年度の授業

 まずは、関係のない話から。
 首都圏の高校で英語教師をする友人から連絡をもらったのだが、この春休みがずいぶんと忙しいそうだ。というのも、彼のいる学校ではこの時期に担任が家庭訪問や保護者との連絡に忙しくなる。進級が出来なかった生徒に、通信高校などへの転校か、それとも原級留置(いわゆる留年)をするのか、または退学をするのか、の選択をしてもらわなければならない。それなのに、保護者は連絡が取れない、勤務先に連絡をすると辞めていたり、または勤務先自体がなくなっていたりする。もちろん、自宅にもいないことも少なくない。本人との唯一の連絡手段がメールだそうだ。彼の学校は、そういう生徒が各クラスに5-6人いるようで、新聞記者ではないが、「夜討ち朝駆け」だそうだ。
 そういう生徒の今後だけでなく、こういう時にどのような対応を周囲の大人=教員がしたかは、生徒にとって大きな財産にもなれば、重荷にもなる。目立ちはしないが、こういう仕事も教員にはあるんですよ、と教員を目指す人には、ぜひとも覚悟を持ってほしいと思う。あまり表には出ないだろうことの一端を書いてみました。

 そういう彼の話を聞くと、来年度の授業のことを考えられる自分は幸せだと思う。だからこそ、手抜きはしたくないし、目の前の問題に正面から取り組んでいきたいものだ。

 来年度の授業のアウトラインについて、かなりまとまってきた。
(1)主語・動詞を見抜く
 これは感覚なのだが、英語の苦手な生徒は主語動詞という文構造で骨格をなす部分がみえていないのではないか、と思う。日本語にすると、何故か後ろから訳そうとしていく傾向もある。だから、まずは主語と動詞との関係をクリアーにさせたい。そのために、拙著『基礎英語』の文型で使っているような1234に分ける方法がいいかな? ただ、目的語と補語とは最初のうちは、ある程度は曖昧なままでいいかも。最初からぎっちりやって、やる気がなくなることがいちばんの不安。

(2)単語の数を増やす
 教科書の単語だけでなく、拙著「短文で覚える英単語」を授業で取り入れることになった。1回の授業で4文を覚え、次回のテストでは前回と前々回とを併せた8文の試験をしていく。本当は、3周程度はやりたいけど時間の関係で無理なので、前回のテストに前々回を加えることで、1周で2週分の効果がでるように工夫する。

(3)精読を中心に
 卒業生では、「和訳先渡し授業」を1年間試みてみた。これは、精読が自分たちで出来る生徒には一定の効果があるように思われる。しかし、精読をしなくても、なんとなく分かったような気になってしまうという欠点もあるわけで、少なくともうちの学校では1年生の時点ではマイナスの方が多いだろう。内容を理解させることにより英文読解のバリアを低くすることが目的ならば、授業の前にそれを補う導入をすればいいだけの話で、「訳中毒」にするよりも、新しい英文を自分たちの力で読んでいくサポートがしたい。

(4)音読と書写の徹底
 授業中での音読は、なかなか難しい。生徒は恥ずかしさを感じるだろうし、学習者にある英語アレルギーは大きな課題だ。そんな中で授業中に音読させ、自宅でも音読を促していくということは、一つの技術。若いときには、その若さで生徒はついてきてくれるだろうが、30代の半ばになってくると技術が必要になってくる。
 自宅での音読や書写については、記録用紙を配るしかないだろうなぁという気がする。それを、提出させるしかないかなぁ。自己申告ということになるけど、やらないよりはその方がいいかな? もし、何かいいアイディアがあれば、教えて下さい。

 それにしても、生徒は英文を汚さない。There is a pen on the desk.なら、There is a pen (on the desk).と( )でくくらせたり、修飾関係まで徐々にしていくことも必要だよね。これは、出てきたときに、教えていくことにしよう。

 まずは、(1)のための練習ドリルを作らないといけないなぁ。

2006/03/24

アドラー心理学の勧め

 少し遅れたけど、今月号の『英語教育』(大修館)を読んでいて、またまた菅正隆先生の記事が気になった。果たして、これを読んで勇気づけられる先生がどれだけいるのだろうか?と疑問に思いました。詳しくは後におくとして、今クラスが行き詰まっているとき、授業が騒がしくてどうしようもないときに、どうすればいいのか?という私なりの1つのおすすめを書いてみます。

 アドラー心理学という心理学があります。強引にまとめると、生徒も教師は、立場は違うが、同じ価値を持った人間だという原点に立ち、誉めず叱らず、勇気づけ、責任をとらせていく、という考え方です。
 例えば、小さい子どもが食事中に水をこぼしたとしましょう。それをどうしますか? 「何をやっているんだ!何回言っても分からないとは、、、」と怒りつつ、親がこぼした水を後始末をする。。。アドラー心理学では、「あらあら、こぼれてしまった。どうしよう?」とまずは問いかけます。子どもから反応がなければ、「水がこぼれたから、それを片づけるにはどうすればいい?」といって、子どもに自分で雑巾を持ってきて、拭かせます(責任をとらせる)。それが終わってから「ありがとう。これでまた綺麗になったね」と感謝をします(適切な行動を勇気づける この「感謝」には抵抗があるかもしれませんが(^^;; ) その上で、「今度から水をこぼさないようにするのにはどうすればいい?」と問いかけて、同じ失敗がないように考えさせます。

 こんな事を書くと、「甘い!」なんていわれそうですけど、大切なことは同じ失敗を繰り返さないこと、そして自分がどこで間違ったのかを感じさせることではないでしょうか? なるほどなぁと思った人も、そして「甘い甘い」と思っている人も、
『クラスはよみがえる』(野田俊作・荻昌子著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4422111272/qid%3D1143199911/503-1608833-8423950
をご覧になることをお薦めします。
 紹介しておいていうのも矛盾かもしれませんが、全てをこの本のようになんてすることは、私には無理です。ただ、生徒に対して「ありがとう」という感謝の気持ちを述べたり、責任をとらせることなど、自分が納得できることを学校現場で使うことは有意義だと思います。(責任をとらせる=辞めさせる、と勘違いする人がいますが、そういう意味ではありません。)
 読む時間がなければ、生徒に意識的に「ありがとう」という回数を増やしてみる。プリントを後ろの生徒が集めてくれたとき、掃除を一生懸命にしてくれたとき、学級日誌を書いて持ってきてくれたとき、何気なく「ありがとう」というだけで、生徒との関係は変わります。実際に、私がそうでしたから。

 さてさて、菅正隆先生の今月の記事を見てみますと、今まで騒がしかったけど、4月から上手く変えるためにはどうすればいいのか、という質問です。最初に申し上げますが、私はこの先生の記事を読むのが楽しみです。しかし、以前のクロレッツと同じように、色々な意味で?です。別に菅正隆先生を全面的に否定しているわけではないので、誤解しないで下さいね。

 しっかりと躾る、というのが今回のトピックです。そのために、先生は「授業時間の厳守」「授業は英語で」「指示への即座の反応」の3点が躾のための「具体的例」とされています。

 まず、授業時間の厳守は大賛成。私も、本当に特別なことがない限り、これは守っています。生徒にpunctualを求めるなら、まず自分が模範となるべきです。

 「授業は英語で」 これって、ホントですか? もちろん、授業の最初のsmall talkは心がけています。でも、授業を英語でやったとして、どれだけの生徒が理解してくれますか? 特に、英語の学習自体が苦手な生徒に対して、「授業は英語で行うものと思いこませ」たならば、授業に参加しない生徒が続出でしょう。
 また、授業は英語で行うということと、躾とどれほど関係があるのか私には分かりません。日本語を最大限に使っても、分かる授業であれば、生徒はいうことを聞くものです。最高の生徒指導は授業です。

 「指示への即座の反応」も同じ。躾とどれほど関係があるのか私には分かりません。切り替え、ということなのかな?

 そして、これらの「躾」の定着のために、「教員間の意志統一」、最初の授業での「所信表明」、「前年度のことまでは忘れさせる」、「決してあきらめない」の4点をあげています。「教員間の意思統一」は、なかなか難しい問題です。これは、全ての先生がYESといえる(いわざるをえない)ことから、始めるしかないでしょう。だから、例としては先生は「始業のベルを守る」とされており、まさにそれは同感です。それ以外は、何があるのか、ぱっとでてきませんが。

 「所信表明」では、「「3月には~できるようになる」と具体的なゴールを示すことで、生徒のやる気を引き出します」とあります。なるほど、確かにそれは必要かもしれない。しかし、1年後の自分をイメージできる生徒は、どれだけいるのでしょうか? 大人だって難しくないですか? だったら、「○○をすれば、次の時間で△できる」というように、もう少しハードルを低くして、成功体験を少しずつ積み重ねる方が良いと思います。たとえ一度失敗しても、次の時に○○すればいい、という方が私はいいと思います。というのも、1年後に~できた生徒は大きな自信になるでしょうが、~できなかった生徒はどうなっちゃうのかなぁ、って気がするんです。それよりは次の時間で△できる、とした方が「落ちこぼれ」てしまう生徒の数は少ない思われます。

 「前年度までのこと」については、またいつか話したいと思います。

 そして、いちばんの問題と私が思ったことは「決してあきらめないこと」です。どうしてかといえば、実効性が難しい100%正しいアドバイスだからです。
 タバコを吸っている人に「タバコは体に悪いからやめなさい」、勉強しない子どもに「勉強は大切なのだから、勉強をしなさい」、アルコールを飲み過ぎる人に「飲み過ぎは体に悪いから、飲むのをやめなさい」といって、「分かりました!」と行動する人がいますか? 誰もいないでしょう。一方、正しいアドバイスをした人は、「せっかく自分が言ったのに、聞かなかった」と自分が与えた「正しいアドバイス」を聞かなかった相手が悪い、というようになります。この100%正しいアドバイスをした人は、全く悪気がないんです。悪意が0です。だから、これが困ってしまう。
 実効性を求めるなら、どうやってタバコをやめさせるのか、どうやって勉強させるのか、どうやってアルコールをやめればいいかということを、具体的に提示すべきでしょう。
 「生徒の目先を変えるような楽しい活動や話題を取り入れながらでも、躾の部分は絶対に引かない姿勢」とありますけど、こうチャレンジした先生は多いのではないでしょうか? おそらく、菅正隆先生は、これが上手にできたのだと思います。しかし、できない先生もいるわけです。さらにいえば、できない状況にいる先生もいるわけです。そういった苦しんでいる先生に対して、この「あきらめるな」という100%正しいアドバイスは、どんな意味があるのでしょうか? そういう先生を勇気づけますか? 「そうだ、こうしよう!」と思うようになるのでしょうか? 私には思えません。
 「あきらめていい」なんて言っているんじゃないんですよ。あきらめないようにするためには、どうすればいいのか? あきらめてしまうような環境にいる先生方のサポートはどうなっているんですか? そういったサポート体制こそ必要ではないでしょうか? 特に若い教師を育てる時には、必要になってくるでしょう。

 私が心理学や教育相談に関心を持つきっかけの1つは、英語教育だけではどうしても生徒との関係が立ちゆかなくなっていくと感じたからです。高校は、教師と生徒との間に一定の「のりしろ」がないと、退学(転校)する生徒が増えてきます。それでも良いのでしょうか? 英語教育の中に、教育的・心理学的な視点を取り入れてくることが必要だと感じたから、心理の道に入りました。(この頃、その道も外れているけど;苦笑) 

2006/03/23

上手なペンキ塗り(またまた、英語教育とは関係なし;笑)

 教室が暗い、、、と思ったことありませんか? 電気をつけても、何かどよーんとした暗さが残っている。そんなときは、教室のペンキ塗りはどうでしょうか?

 必要なものはまずはペンキ。これは、教室や廊下の壁塗りということであれば、すぐに手に入ります。一斗缶でだいたい数千円。

 ローラー。刷毛で塗ることもできますけど、やはりローラーの方がきれいに塗れます。使い捨て用でもきれいに塗れるので、安いもので十分です。もちろん、ローラーと一緒に、ペンキとまぶすローラー置き(名前が分からない・・・)も必要です。

 マスキングテープ。これは、使い道が2つあります。一つ目は、スイッチや窓枠など、ペンキを塗りたくない場所を防護するのに使います。もう一つは、床の部分におく新聞紙をとめるために使います。新聞紙で保護しないと、ペンキが落ちたときに「悲劇」になるかも(笑)

 刷毛。細かい部分を塗るのに、これは欠かせません。

 まずは、壁についているガムやホコリを雑巾やヘラを使って落とします。シーラーを勧められることもあるけど、室内はそこまでしなくても大丈夫。大きな汚れを落とすだけで、きれいに塗れます。そして、マスキングテープで防護したいところを養生します。手の届かない教室の真ん中の柱は、2m程度のところにこのマスキングテープを貼り、「-」とこれ以上は塗らない、とすると、出来上がりが綺麗になります。

 ペンキは、多めにつけましょう。そして、最初は縦「|」に塗るのではなく、斜め「\」のようにゆっくりと塗ります。それから、斜めの部分のペンキを縦にのばしていきます。ゆっくりとローラーを回さないと、顔にかかってしまうので、要注意。特に、下方向に塗るときは要注意です。何度も、汚れた経験があります、私(笑)

 そんな感じで、教室を全て塗り終わると、見違えますね、その美しさに。ワックスを塗り、教室をペンキ出ぬると、クラスにゴミが出なくなります、私の経験では。

 あ、そうそう、後片付け。流水で洗い流すしかありませんが、特に刷毛はしっかりと洗い、干しておかないとカチンカチンに固まってしまいます。あとローラーは、いくら洗っても完全には綺麗にならないので、ムキにならないように!(^^)

 クラス開きの4月や5月に、こんなことをして、教室を綺麗にすると、お互いに気持ち良くなります。もちろん、これだけで教室の雰囲気が良くなるわけではないけれど、こういう小さいことの積み重ねがクラスの個性を作り上げていくんだと思うのですが、いかがでしょうか?

2006/03/22

上手なワックス掛け(掃除はしっかりと!)

 この時期は大掃除がある。この時になると、ワックス掛けの上手な先生と下手な先生とが出てくる。どんな教師かっていうことが、なんかがこのワックス掛けでは如実に表れる(気がする)

 ワックス掛けといっても、最初からワックスを掛けることはない。まず、ワックスの剥離剤を50倍程度に薄めて、それを使いポリッシャーで教室を全て掃除する。このポリッシャー掛けも技術のいる作業だ。力任せに左右前後に移動させようとしても上手にいかない。軽く持って、上下に軽く力を入れて、左右に移動させる。汚れをしっかりと落とすように、ゆっくりと移動させることがコツ。

 この剥離剤がポリッシャーの掃除する場所に常にあるように、ブレードを使って剥離剤を集めていく。この剥離剤がある程度、汚れてきたら、バキュームで吸い取る。ただ、まだきれいなのに剥離剤を吸い取るともったいないので注意。

 そしてバキュームで吸い取ったところを乾いた雑巾で乾拭きをしていく。剥離剤をいつまでもそのままにしておくと、汚れが染みついてしまうので注意注意。

 こんな感じで、教室をきれいにしてからワックスを掛ける。ワックスは水性と油性とがあり、油性の方が高いようだけど、長持ちする。水性はすぐに落ちてしまう。このワックスを、モップにかけて、教室を奥から順々にきれいにしていく。それが完了してから、乾くまで30分~2時間程度そのままにしておく。天気の悪いときにワックスを掛けると、この時になかなか乾かない。特に湿りっ気があるときは要注意。

 乾いたと思ったら、もう一度塗る。2度塗りをすると、本当にきれいになります。ちなみに、水性だったら3度目も必要だけど、油性なら2回でOK。とにかく、きれいになります。

 その教室がきれいかどうかは、担任の大きな力量が表れる気がします。掃除の時間にも来ない先生で、尊敬できる人はあまりいませんね。特にトイレ掃除に当たっている人は、それが如実に表れますよ~。

 あと、教室が汚れてくると、そのクラスで特別指導がなぜか起きます。気をつけましょう♪

2006/03/21

教科書の特殊指定廃止

 「公正取引委員会は16日、教科書の採択に絡んで出版社が教育委員会関係者らに行う営業活動を強く規制した「特殊指定」を廃止する方針を発表した。商習慣の範囲での贈答や接待、出版社が採択関係者に説明会を開いたりすることが大幅に自由化される見通しだ」      (http://www.asahi.com/edu/news/TKY200603160359.html

 うーん、これも多くの国民が指示する小泉構造改革の1つなのでしょうか? 確かに社会の格差拡大は、中学や高校の教員にはヒシヒシと感じられることでしょう。授業料の納付状況を知るものは、かなりシビアに感じることができるからです。結局、強いものがさらに強くなり、切り捨てられるものは、切り捨てられていく。それを、教科書にまで入れていくんですね。内容を精査の推進ではなく、商習慣の自由化、ですか。

 先日のブログで、辞書の売り込みに関して、小学校や中学校では最大規模でもあるT社の「他社は何パーセント引きますか?」という話しを書きました。たった高校1校に対しても、こんな売り込みが来るんですから、広域採択ではどんな売り込みがされちゃうのでしょうか? さすが最大手です。真鍋ブログならともかく、こんなブログでいくら批判されたって、あまり関係がないでしょうけど(笑)

 教科書の採択は、小中学校と高校とではぜんぜん違います。義務制では、広域採択といって、市町村や郡などを単位として、その地区では同じ教科書を使うというものです。その採択権は、教育委員会(もしくは採択地区協議会)が持ち、そこで選ばれた教科書を学校で使うというものです。一方、高校では学校単位で決めることが出来ます。目の前の生徒にあった教科書を選ぶことができるのです。

 広域採択のぜひは脇においておくとして、教科書の特殊指定廃止には、どんな意味があるのでしょうか? 広域採択をされている方は、その地区の児童・生徒にいちばんあった教科書を選んでいるのでしょ? そこに、贈答や接待なんていうことと、どんな関係があるのでしょうか? 毎回のようにマスコミに取り上げられる地歴科の教科書なんて、これがOKされたら、どっかの出版社は贈答や接待をするのかな?

 娘の通う小学校の先生の力量はとても高いようです。1年生に入ったばっかりの時には、ほとんど崩壊状態(笑) 我が家に遊びに来る同級生を見ていても、(^^;;;の状態でした。しかし、1年経った今、授業中では規律が守られ、遊ぶときには遊ぶ、勉強するときには勉強するといった雰囲気が出てきました。児童に愛情を持ち、しっかりと指導してくれている先生に心から感謝しています。
 本来であれば、こう現場で頑張っている先生の意見を、教科書の採択ではさらに積極的に取り入れるべきでしょう。それなのに、公正取引委員会の方向性は、接待や贈答、説明会ですか。方向が違いませんか?

 この公取委の案に対して、文部科学省は懸念を示しているようです。今回は、文部科学省のいう通りではないでしょうか? 

 公取委は、この特殊指定廃止について、国民から意見を求めているようです。kyoukasho-torihiki@jftc.go.jp までどうぞ。

2006/03/19

リライト→ワークショップ

 最後の最後に来ました~。教科書の課末の部分のリライトが大量に来ています。まだまだ未熟者の私は、調子のいいときと悪いときとで、この課末のリライトの出来が違っちゃいます。昨日は調子が良かったということと、怪獣3人と相方が外に遊びに行ったということで、随分とはかどりました。何せ、10レッスン全ての課末ですから、1日ではとうてい終わりません。

 教科書は、随分と制約の多いものなんですね。それに、今回は英語Ⅱからの参加だったので、グランドデザインや課末はどうしても今までの流れを踏襲せざるを得ないので、それに従って行ってきました。

 偉そうになんか書いちゃいましたけど、関わっているのが「Aランク」教科書なので、どうしても感覚が合いません。「これは、生徒には難しいんじゃないですか??」とどうしても思えてしまいます。英語が得意な生徒に教えたことのない私にとって、「難しいのでは?」「難しいのでは?」「難しいのでは?」と何度も問いかけながらの作業でした。スーパー進学校から着任された同僚のK先生も、「所詮は高校生だから、大してできるわけじゃないよ」ということを話していました。難しい問題を課末で行うのなら、それはそれで構わないんだけど、それなら○○が必要なんじゃないかなぁと思うわけです。この○○はまだ企業秘密(笑) もし次回も呼んで頂けたら、そのアイディアは出版社に投げかけてみるつもりです。ともかく、他の教科書と同じような感じですね、今回は。

 「Cランク」の教科書に対して、いくつか提案もありますが、それは近日中のブログに書いてみます←この言い方で、そのままになっている話題がいくつあるの!(笑)

 話しがいつものようにそれてしまうけど、X社の教科書では著者同士がずいぶんともめているとも聞きました。はっきりいえば、自分のレベルに合わせることができない他の著者を「罵倒」するようなことをメーリングリストでしているとか、していないとか。優秀な人間が1人で何かをするよりも、普通の2人が協力した方がよっぽどすてきな仕事はできるものです。聞いた話が本当かどうかは知らないけど、採択数を見ているとあながち、嘘ではないのかなぁという気もします。売れてませんから。

 「サロン的英語研究会」と思われるものがあります。そこでは「Aランク」の学校の先生が多くいる傾向があり、お互いに話すことは英語教育や場合によっては1つの思想のみ。技術や方法論、思想のみを語り合うような研究会ってありませんか? もしかしたら、都道府県の英語部会なんかもそのサロン的な傾向があるところもあるかな?一方、「非サロン的英語研究会」は、生徒への愛情、他の教員への思いやりがあふれているものです。なんかこのことを書くと、色々と文句も来るかもしれないけど(笑)、でも悩んでいる教員への思いやりがない人があーだ、こーだいったところで、壁にぶつかっている教員の心には入っていかないでしょう。東京外大の故・若林先生の本には、いたるところに生徒への愛情、悩んでいる教師への思いやりが出てきています。また、横浜国大の佐野正之先生(現帝京大学)も、同じ香りを感じます。悩まない教師は、怖いですよね。しかし、この気持ちがない人がどんな提言をしたところで、どんな立派な正しい提言をしたところで、どれだけの意味がそこに存在するのか私には大いに疑問です。教養とは、知識ではなく、他者に対する思いやりだと信じて疑わない私は、強くそう思います。
 まぁ、全ての先生方は「自分は愛情を持っている」とお考えなのでしょうけど(^^;; 別に、どなたかをイメージして書いているわけではありませんので、誤解ないように(笑)

 夜は夜で、以前に話しをしたワークショップ。約50人の講師の方々を前にしてのワークショップは、ハングル演習を通じて英語が出来ない生徒の気持ちを体験してから、もう少し具体的な方法。主語と動詞をどうやって生徒に意識させていくか、という演習を行った2時間でした。講師の中には、畏兄のF先生に3年間英語を教わった方もおられて、「同じようなことを、私も高校の時にやりました~」と言われました。あらあら、考えることは同じなのね(笑) 

 ともかく、講師の迫力がとにかく良かった。ほとんどの方が大学生なんだけど、かなり熱心に取り組んでくれたので、こちらもついつい力を込めてしまいました。ホント、教える事への情熱を持っている人たちは、輝きますね。ぜひとも、将来は教員になって欲しいものです。そして、こういう人たちを上手に伸ばしていこうと努力をしている塾の取り組みにも脱帽。このWSが生徒さんの英語力向上に少しでも役に立てばうれしいものです。

 WSが終わってから、この塾の教室長の I さんと千葉のいつものお店で一杯。エネルギーにあふれている彼は、とても輝いています。そして終電で帰宅。

2006/03/18

音読は幼児に伝える気持ちで

 2月から授業がなかったからせいか、英語教育に関しての内容がこの頃、ブログには少なかったですね。読み返してみて、感じました(^^;; でも、授業のなかったこの2ヶ月でかなり充電ができました。だんだんと、新学年モードになってきました。

 卒業生から、私は「音読教の教祖」と言われたことがあります(笑) 確かに、音読、音読とくどいくらいに話してきました。どうして音読が必要かといえば、これはサイトの「どうして英語が分からない?」にもある程度、書きましたけど、次のように思うからです。

 英語が分からない--書いてある英語は絵と同じ(画像的認知)
    |
    |この2つをつなげるものが、音声(音声的認知)
    |
英語が分かっている--書いてある英語はテキストとして理解(意味的認知)

 東京大学の市川先生は、画像的認知→音声的認知→意味的認知と認知が深まっていくと書いてあり、私も以前はそう思っていました。でも、画像的認知と意味的認知とをつなげるものが、「音読」だと付け加えた方がいいような気がします。もちろん、音読の効用はそれだけではなく、精読では分からなかったことに、気づくことさえあります。

 数年前は、とにかく声に出して読みなさい、とだけ話していました。自分のペースでいいから、とにかく読め、といっていました。この頃は内容によって、音読の方法を少し変えています。物語であれば、「幼稚園の子どもに伝える気持ちで」と言います。目の前に子どもをイメージしながら、その子どもに語りかけるようにしよう、といいます。論説文であれば、子どもに説明するように、紀行文であれば、その著者になったつもりで子どもに伝えるように、音読をするようにいいます。

 意味的認知につなげるのが音読であるならば、内容を意識しながら、どうやって音読をさせていくかということを考える必要があると思います。これはシャドーイングやオーバーラッピングでも同じです。「ワレワレハウチュウジンダ」と機械的に読むよりも、「我々は宇宙人だ」と内容を考えて、のど仏を手で叩きながら読んだ方が相手には伝わるのと同じ事です(笑)←ちょっと分からないって!

 

2006/03/17

授業開きに際して

 卒業式が終わったと思ったら、あと20日足らずで新入生がやってくる。先日の説明会には、卒業生の妹や弟が何人かいて、なんだかホッとした気分。

 今年は、春休みの宿題としてのブリッジ教材を配布しなかった。というのも、入学してくる生徒の多くは英語に拒否感を持っているので、積極的にこちらが使いたいとも思わないような教材を渡して、自学をさせる意味など私にはないと思われるから。勉強の仕方も含めて、そしてその意義付けも含めて、入学後に勝負したいと思っていますよ。

 その説明会では、英語科からという時間をもらったので、試験で70点程度までの生徒は中学1年生の教科書を、それ以上の生徒は2年生の教科書を、それぞれ50回、できたら100回音読しておいて下さい、という話しをする。ちょっとざわめく会場(笑) 一日5~6回音読すれば、そのくらいの数字にはなるでしょうから、と付け加える。

 三省堂さんより教科書をプレゼントして頂き、高校2年生の生徒に中学1年生の教科書を100回(1日5回×20日)音読させる取り組みをしたことがある。メンバーの中でいちばん、英語が苦手だったWさんが、70回を超えた頃に、「高校2年生の教科書(ExceedⅡ)が分かるようになった気がする」といっていた。本来は、中学2年と3年の教科書もトライしたかったのだが、いろいろとあり、そこまでいかなかったことが、とても残念だ。

 この4月からの新入生では、英語教師として勝負をかけたいと思っている。ようやく、「ウチの生徒には、こうやれば英語が出来るようになるんではないか?」というアイディアがまとまったので、それをやっていくつもり。かなり、無理なことをしようと思っているのだが、その無理をどれだけ生徒に受け入れてもらえるかがこちらの「教師力」だと思っている。1つ言えることは、生徒に無理を課すならば、こちらも無理を引き受けなければならない。いい加減な授業をしたり、小テストを自分たちで答え合わせをさせたり、中途半端な教材研究などもってのほかだろう。30代最後の学年なので、いろいろとやっていくつもりだ。詳しくは、ブログではなく、サイトへ書いていきますよ~。

 2:6:2(3:4:3)の理論、というものがあるそうだ。どんな集団でも積極的に取り組むのが2(3)、取り組まないのも2(3)、そして中間層が6(4)、という考え方だ。これは、王ダイエーホークスが、首脳陣の研修として大学の先生に教わったことだそうで、ダイエーが常勝軍団になるきっかけは、この考え方の導入だったと野球部の顧問の先生が話していた。
 指導的な立場の人は、その集団の中で、「取り組まない2(3)」にどうしても目がいってしまう。ところが、その集団の雰囲気を作るのは中間層で、その中間層がどちらに流れていくかで、集団の生産性が決まってくる。問題行動を起こす生徒にばかり目がいくと、どうしてもそのクラスは荒れていきますよね、それと同じ。

 来年度に計画している無理とは、この中間層をどれだけ引きつけていけるか、が大きなポイントになるだろうな。中間層がこちらについてくれば、自然と「取り組まない2(3)」も変わってくる。例え、表面上は何も変わっていないようでも、心の中ではダイナミックな動きがあるんでしょうね。

 新しく着任される先生と新1年生はコンビを組むことになるのだが、かなりの切れ者の先生らしい。お互いに共通の知人も多くいるので、その先生と協力しつつ、1年生のうちに英検3級を100人以上、合格させたいと思っている。さてさて、、どうなることやら、、ではあるが。

 新1年生では、修学旅行をメインで担当することになった。この係になると、旅行代理店が決まるまで、「営業攻勢」にずいぶんと時間を使われる。今のうちから、普段以上に教材研究と準備をしておいた方が無難だろうな。授業2割、教材研究(準備)8割っていうことを忘れないように、と自省を込めておこう。

2006/03/14

クラス作りの教育相談的な基礎知識

 この頃、精神的にトラブルを抱えている人が増えてきているようです。とある首長さんが先日、自殺をされたようですけど、あの記事を読んで「うつ」を想像した人が多いでしょう。4-5人に1人がなる病気です。以前は「精神分裂症」と呼ばれていた統合失調症は、1000人に8人がかかります。うつにしても、統合失調症にしても、病気はその人を選びません。私もかかるかもしれませんし、あなたもかかるかもしれません。

 パーソナリティー障害も増えてきましたね。アメリカでは数人に1人が、そのパーソナリティー障害だといわれています。自分は優秀な人間で、周囲は自分のためにつくして当然だという意識の自己愛性パーソナリティー障害(これは、教員が多かったりするのかな?;苦笑)、見捨てられ不安が強い境界性パーソナリティー障害がなぜか目立ちます。(俺が引きつけられるのかなぁ、ってことは、、、(苦笑)) また、反社会性パーソナリティー障害を疑わせるような犯罪も新聞では出ますね。

 高機能自閉症をご存じでしょうか? 自閉的な傾向を持っているんだけど、知能的には高いものがある人たちです。アスペルガー症候群もそのグループであり、100人につき1人はそうだとも言われています。アスペルガー症候群だといわれるかなりの有名人さえいます。

 さてさて、生徒がちょっと元気がないな、遅刻がちになったな、午後から元気が出て来たぞ、という時に「甘え」と考えますか? 「クラスのみんなが自分の悪口を言っている」「休み時間に、自分を監視している人がいる」と生徒から相談をされたときに、「いじめはいけないぞ」とクラスでいったり、「それに負けるな」と励ますことで、やった気になっていませんか?

 放課後に自分のところに話しにきて、終了時刻が近づくと、なぜか大きな話しになってしまう生徒に対して、ある時は親身に、忙しいときはちょっと冷たく、といった対応の温度差が激しいことはないですか? 

 湖の絵を描いたときに、どうしても「青」と書きたがる生徒に対して、「濁っているから茶色だよ」といって、その生徒とトラブルを起こしたことはありませんか? いじめられている生徒の中には、少なからずアスペルガーの子どもたちがいるようです。

 教員に必要なことは、直すことではありません(医師ではないですから)。自分の力量を超える時には、専門機関につなぐことが必要です。一番最初に気づくのが親を除けば、教師かもしれませんが。

 パーソナリティー障害にせよ、高機能自閉にせよ、「レッテル」を張ることが大切なのではなく、そういう生徒と、いかに付き合っていくか、そういう生徒がクラスにいるときに、どうやってクラスを運営、授業を運営していくか、ということを考えるために、ある程度の知識が必要になってきます。

 複雑な時代と十把一絡げにするのではなく、必要な知識はしっかりと持った上で、クラスを考えていくことが大切なことだと私には思いますが、いかがでしょうか? 

2006/03/13

先行きが不安だなぁ

 3年ほど前に、講演活動で全国を飛び回っている教育関係者(本人が「評論家」という肩書きを嫌がるので)の人と、ちょっとしたことで、意見の相違があった。「これから、中堅校はどうなっていくか?」

 英語Ⅰ(Ⅱ)の教科書は、3ランクに分けられます。偏差値が60以上を意識したA(代表はCrown(三省堂)でしょうね)、45-50程度以上を意識したB、そしてそれ以下のCという3つだと出版社は意識しているんじゃないかな?もちろん、「身の丈に合っていない」と驚くような教科書が採択されることもあるみたいですけど。

 いわゆるBランクが意識される学校は中堅校と呼ばれている。この中堅校が今後、どうなっていくのだろうか?ということで、彼と意見が一致しなかった。

 話しは横にそれるが、給食費の滞納が問題になっているみたいですね。いちばんの問題は、払えるのに払わない、という家庭が少なからずあるみたいです。知人のお子さんの学校では、なんと1/3以上の家庭が払っていないようで、そのまま卒業してしまうようです。

 これは、学校の範疇を超えている問題の気がします。もともと、お金に関しては事務(市町村や都道府県)の仕事でしょうから、教師が関わる問題ではないのですが、しかし、督促をしても払わないケースが多くて、いつのまにやら「ゴネ得」になっている実情は残念なものです。

 またまた話しは横にそれるけど、小学校1年生になって電車に乗ったとき、父親が子ども料金のチケットを必ず購入してくれました。当然のことなのかもしれないけど、園児のフリをしていればタダなのに、でも必ず子ども料金を払ってくれました。子どもながらに、小学生として認められたと。うれしかったことを覚えています。

 電車の一件は、世の中のルールは守らなければならないことということと、大人になることの自覚を促す1つのきっかけになった気がします。

 給食費の件はこの視点で考えるとどうなるでしょうか? 子どもの成長を考えたときに、マイナスになっている気がします。もちろん、経済的な問題で免除があるのは当然です。しかし、そうではないケースを考えると、それを見ている子どもにはマイナスになる気がして仕方ありません。

 さてさて、冒頭の件に戻ります。彼と私、片方が「中堅校はしっかりとした教育の方向に行く」といい、もう一方は「中堅校も授業が成立しにくい状況になっていく」と考えました。どちらの見込みが正しかったのでしょうか。

 問題を起こす生徒は、もともと問題を起こしたくて起こしている生徒は、そう多くないんです。結構、タバコを外で吸っているときにはヒヤヒヤしているものです。(注意してみると、だいたいすぐに消しますよ) 問題を起こすことで何かの動きを期待しているケースさえあります。その気持ちをしっかりと受け止めることは大人の役だと私は思います。ただし、ダメなものはダメ、という厳しい姿勢も必要なわけで、この「愛情のある壁」としてのバランスが教師には求められるんでしょうね。

 以前にも書いたけど、「誰にも負けないものを持ちなさい」なんていう偽善の励ましの言葉は百害あって一利なしでしょう。世の中は広いんですから。それよりも、「できなかったことが、自分にも出来た」という達成感を持つことで、自己尊重意識を持てるような教育を俺はしたいな。 

2006/03/10

新しい教材の発想(メールへの返信)

 先日のブログでも書いたように、「これでわかる基礎英語ノート」の原稿を書きました。書いた理由については以前に述べた通りで、If you want something done well, you should do it yourself.ということです。

 何か教材を作ろう、と思って書いても上手くいかない。実際に失敗しました(^^;; 今にして思えば、恥ずかしい見本原稿を書いて、編集者のお手を煩わせたこともありました。

 恩師の佐野正之先生に監修をお願いした「高校これでわかる基礎英語」にしても、昨年秋に上梓した「中学短文で覚える英単語1700」にしても、実は両方とも教材にしようと思って作ったわけではなかった。最初に、生徒の学力の向上にはこれが必要だ」という思いがあり、最初は「特製プリント」だったんです。

 そして、それを使って授業をしていると、また新しい発想が生まれてくる。「これが必要だと思ったけど、こんなのもあったらどうだろう?」というものです。そこで、今度は「これでわかる基礎英語ノート」を作成しました。(これは、出版されるかどうかはまだ不透明だけど、オファーは来ました)

 こういった発想だけなら、多くの先生がもたれているはずだ。そして、ここに「教員という実践者」としての視点を取り入れていく。今までの発想に縛られる必要はない。大切なことは、「できるだけ合理的に、英語が分かるようになる」という発想。おそらく、いわゆる進学校の先生とはこの発想は違うかもしれないけど、英語の苦手な生徒に対しては、これが必要なんです。「これでわかる基礎英語」では、同じ章に「形容詞、分詞の形容詞的用法、関係代名詞、to不定詞の形容詞的用法」をいれましたけど、これは「名詞を形容する」というルールつながりの方が、生徒は合理的に考えられます。また、現在完了にしたって、最初から用法を分けるんではなくて、haveを「~という今の状況を持っている」と考えれば、学習者は気持ち的なバリアが低くなるはずです。

 また、その学習をしたら、「自分がここまでやった」という気持ちを学習者に抱かせることも大切です。これは、大きな自信になって、それ以降の学習をしていこうという気持ちを勇気づけるものです。サイトで書いていた「目指せ! 英検準2級・3級」で協力してくれた生徒は、感想の中で、「自分でここまでやれるとは思わなかった」と書いた生徒が多くいました。1人ではなく、友人たちと勉強していくことで、挫折しないで、協力的な雰囲気まで出来上がっていく。これは、学校の形としていちばんの理想ですね。

 話しがまとまらなくなったけど、いま、また「こんな教材があればいい」と思うようになり、資料集めを始めました。その話しを教科の準備室で話していたところ、非常勤講師のI先生から、「どうして中学生用の教材を発想が多いの?」と言われたんですけど、結局、苦手な生徒が躓いたところが中学校なので、そこを解決する手段を考えるとどうしても、中学校用の教材に行き着いてしまいます。

 進路を考えたときに、英語が出来ると大きな武器になります。その援助をしていこうと思い、まとめていくと自然と教材になっていく、ということです。

 また、何かあれば、ご連絡をお待ちしてあります。

2006/03/09

涙でした(笑)

いやぁ、やっぱり泣いちゃいました(^^;;

やっぱり、いいもんですね、担任は。

卒業式は、娘を嫁がせるようなものかもしれませんね。(まだ、経験はないけど;笑)

出て行って欲しくないような、でも、出て行ってもらわないと困る。出て行ってから、遊びに戻ってきてくれるのが楽しい。

式の最中にA君が怪しげなパフォーマンスをするような気配。しっかりと、事前に釘を刺しておいたんだけど。。。

でも、なんとか思い留まったようで、大丈夫でした。

全てが終わり、卒業生の退場。

他のクラスは、飴を投げるという、俺には相応しいとは思えないパフォーマンスをする中で、ウチのクラスは誰もしませんでした。

それを見たら、なぜか分からないけど、涙、涙でした(^^;; それにつられて、3年間、私のクラスで、生徒指導でいろいろとありましたKさんも泣き、他の女子生徒もボロボロ。男子生徒も(T.T)

最後のHRも、やはり同じ。

終了してから、なかなか教室から出て行こうとしない生徒。みんなでカメラを回して、写真撮影。全体の写真を何枚撮ったことやら(笑) 2ショットの写真も多数。

ホント、この仕事について良かったと思いました。

3年D組のみんな。ありがとう。

2006/03/07

明日は卒業式

 明日は卒業式。卒業生を送り出すのはこれで3回目だ。

 生徒会のスタッフが制作した3年生の「思いでビデオ」を見た。1年生の時の顔写真を、「ぺらぺらマンガ」のように順々に映し出していく映像から始まり、合格発表の時の様子、球技大会、文化祭、運動会と多くの写真が上手に編集されていた。

 顔写真をどのように映像化したのかと不思議に思い、生徒会顧問のM先生に伺うと、「全てスキャナーで取り込みました」とのこと。さぞかし手間と時間がかかっただろうに。。。でも、明日卒業する生徒はとても喜んでいました。本当に、ありがとうとうございましたm(__)m それをみて、思わず涙ぐんでおられたH先生を見て、こちらも我慢していたものがこみ上げちゃいました(^^;;

 高校生は1年生と3年生とでは本当に、違う。成長をしている。入学時は多くの生徒が大人の話をすることができなかったが、今ではしっかりと「理」が分かる人間に成長している。何かストレスを受けたら素直に受け止めるのではなくて、スッと流して受け止めたようにできるみんなを見ていて、「大人になったなぁ」って心から感じました。大切なことは反発することではなくて、自分が逆の立場に立ったときに、そのような行動をしないことだと担任は思う。他の人に美しさを求めたって、それは意味がないだけでなくて、押しつけの優しさ、押しつけの正しさに通じてしまうので、用心用心。

 畏兄のUさんが「クラス作りのピークは30代」と話していた。長く担任を持ち続けた彼のことばだからこそ、余計に説得力がある。ちょうど、30代のど真ん中を過ごしたみなさんとは、確かに今までのクラスの中でいちばん上手にクラス運営ができた、っていう実感はある。もちろん、副担任の先生やその他の先生にもとても助けていただきました。

 今日は、新1年生用の教材の綴じ込みも手伝ってくれてありがとう。44ページの両面印刷を350部もまとめて、ホチキスで閉じるのに、まさか3時間以上もかかるとは驚きでした。それを、豚丼1杯でやってくれたみんなに心から感謝。

 明日の卒業式、涙もろい私は自分が心配です、ちょっと。いや、とても。。。呼名のときには、泣かないようにしますけど、「花嫁の父親」のような気持ちで、明日は臨むつもりです。新たな旅立ちの日なんていう、きれい事はいいません。ただ、お互いに時間を過ごしたひとつの「けじめ」としての卒業式をしっかりと迎えて、この次は同窓会でどんちゃん騒ぎしましょう♪ 俺はカミさんとビールを飲んでそろそろ寝ます(^^)

2006/03/04

「教える」という情熱、そして担任という仕事

 何らかの拍子に思い出すことがある。学生の頃、居酒屋でのバイトやゴミの収集といったバイトだけでなく、塾でのアルバイトをしたときのことだ。今よりも、教えるテクニックなんて全くなかったし、もちろん英語の力も大したほどではない。でも、楽しかったんですよね、教えるということが。

 先日の講演が縁で、今度はとある塾から講師への講演を依頼された。その関係で、そこの塾に資料を受け取らなければなかったので、せっかくだからその塾の様子を拝見してきました。そこは個別指導として有名なところで、講師が何人かを受け持って、個別に教えているところです。

 いやぁ、楽しそうに教えているんですよね。活気にあふれている、という言い方がぴったりで、声に張りがあります。若いというだけでなく、教えることの楽しさ、分かってもらえたときの楽しさが、ヒシヒシと見ている方にも伝わってくるんです。よく見ると講師がみんな白衣を着ているので、その理由を聞いたところ、「生徒と区別がつかなくなっちゃうんです(笑)」と説明を受けた。確かに、若いから、そうだろうなぁ。

 教師になってから、仕事のイロハを教えて下さったK先生が、「私は教諭になりたくてこの仕事に就いたんです」と話していた。「先生にこそ、管理職になって欲しい」と周囲から酒の席で言われていたときのことです。教えることの楽しさをその先生は、実現されていたからそう思われるんでしょうね。

 ただ、情熱というのは、なかなか長続きしないといわれる。うーん、カミさんとの関係を考えると、ホントに確かかもしれないよね(笑) でも、人間の関係は、情熱を「第1エンジン」にして、どのような自分なりの生き方をしていきたいか、という「第2エンジン」こそ、その人の教師としての「価値」なのかもしれませんね。

 蛇足だけど、来年度もまた1年生の担任を希望しました。これで、11年連続です。順調に3年生まで進めば13年連続で受け持つことになります。担任をしていると色々な「仕事」が増えます。事務的なものよりも、例えばタバコやバイクなどといった特別指導のことや、家庭的な問題にどうしても介入せざる得ないときがあったり、いわゆる問題行動をサポートしたり、その上で成長の援助をしていくという作業がとても多くの時間が費やされます。

 これらは、守秘義務もあるので、決して表にでません。(外に出るとしたら、事例検討会程度かな?) 目立ちはしないけど、教員らしい仕事なんです。表に出ないから、世間からはこのたいへんさは理解されないんだろうなぁと邪気を振りまきたくなることもあるけれど(笑)、全ての基本にあるのは、やはり「教える」という情熱なんでしょうね。

 教師の高齢化が進むのに比例して、担任を希望する人が減っているかもしれません。希望しない人が、仕事として受け入れるのは好ましくないと私には思われます。

 今日は息子(3歳)と2人だけで初めて1日過ごしました。中山競馬場の中庭で一日過ごして、馬車やエレクトリックカーに乗ったり、体験乗馬など遊んできました。ホント、私にとって子どもは宝物です。帰りの電車の中で寝てしまった彼を抱きながら、その寝顔を見ながら、重みすら楽しめるものです。(家内にいわせれば、たまにだからそう思うんでしょうけど;笑)

 どの子どもも、誰かの宝物だったわけで、その宝物の教育をお手伝いする担任の仕事ってやっぱりすてきだと思った、という強引なつなげ方で、今日の日記はお終いです(笑)

2006/03/03

前向きの方が教師生活は楽しい

「ホント、生徒は勉強しない」「ホント、英語が出来ない」「ホント、勉強しようとしない」

この言葉を何回聞いただろうか? 存在しないことになっている(もう復活か?)偏差値でいうならば、45-50以下の学校に勤める先生は、こういうことを言う人が少なくない。確かに、勉強しないし、英語が出来ないし、勉強しようとしない。でも、そろそろ、そこから脱却しませんか?

別に道徳ぶって、「そんなことを言うもんじゃありません!」「教師がそんなだからいけないんです!」としたり顔でいうわけじゃない。というのも、そういう先生方も、今まで、いろんな試みをして、それでもうまくいかず、なんらかの研修会でヒントを得ようとして参加しても、「サロン的英語研修会」でヒントすら得られず、ため息をついてしまう、そんな経験をされていることを十分に分かっている。蛇足だけど、生徒からいろいろな意味で裏切られた経験のない人は、いないんじゃないかな? こういうことがあるとき、傷ついちゃうんです、私たちも人間ですから。

でも、あえて、「そこから脱却しませんか?」と言ってみる。

「生徒が勉強しなくて」というなら、どうやれば勉強するようになるか、考えてみましょうよ。先日の財団法人日本青少年研究所の調査によれば、日本の高校生はアメリカや中国、韓国の高校生と比較して成績がよくなることには、あまり関心はないようです。その3カ国が約75%もあるのに、日本の高校生は33.2%に過ぎません。間違いなくいえることは、私たちが全ての生徒が勉強するようにできる、なんてことはないわけです。解決になりませんけど、この数字の背景には学校だけでなく、家族関係も含めた社会全体の風潮もあるわけで、その全てを私たちが完全に解決できるなんてことは、絶対にないわけです。

ただ、1人1人の大人が、自分たちができることを生徒にしていくことは、大切だと思うんですけど、いかがでしょうか? 自分たちができることを、生徒に援助していくだけでいいと思うんです。1人1人のその「積み重ね」が大切なわけで、私たち教師の仕事もまさに、そこにあるわけだと思うんです。

これは、自分自身に対しての戒めなんですが、自分に「いい訳を求めない」ようにしています。「宿題をしろといったのにしてこない」「勉強しろといったのに、しない」「音読しなさいといったのに、しない」→「いうことを聞かない生徒が悪い」という図式は、まさに私たちのエクスキューズなわけです。こういう時は、私の心に「邪気」が存在します(笑)

それならむしろ、「どうやったら、宿題をするのか」(どのような宿題を提案するか)、「どうすれば、勉強するのか」「どうすれば、音読をするのか」を考えた方がよっぽど、前向きで、邪気がなくなります。「○○といったのに、××しない」から、「どうすれば××するか」と考えた方が毎日が楽しい、楽しい。言葉は悪いですが、それがツボにはまったときには、ガッツポーズです(笑)

ピッチャーに、いろいろな投げ方があるように、私たちの生徒への教え方、接し方、いろんなやり方があるわけです。生徒の成長をうながす方向を私たちがみていれば、どんな方法でもいいと思います。

なんて、小生意気なことを書きましたが、まぁ、自分に対しての独り言ですので、お許し下さい(^^;;

2006/03/01

競争心がなくても、伸びる人

 「~してあげた/~してあげる」という言葉が使われることがある。私も、「この頃、家内が元気がないから早めに帰ってあげよう」と思い、早めに帰宅するのだが、どうもそういうときは、こちらがイライラしてしまう(って、犬も食わないかもしれないけど;笑)

 この「~してあげた/~してあげる」という行為は、自分の好意を、あたかも他人(公)のためだという一種の押しつけ的な行為ではないのだろうか? ところが、している方はその「いやらしさ」に感じることなく、それが受け入れられなかったり、自分の思い通りにならないと、イライラしてしまう。(って、自分に言い聞かせていますけど、何か?;笑)

 人間は、やはり、自分がやりたい、という行動を基本に考えるべきで、その上でその行動が公(他人)に対して相応しいかどうかを考える方が幸せなんだろうね。偽善にならないためにも、それは必要だなぁ、って実感しちゃった(^^;;

 話題転換。人が何かの行動を起こすときには、「怒り」「ライバル心」というものは、大きな要素になる。「あの人を見返したい」「あの人には負けたくない」というのは、多くの人にとってパワーになることは間違いないだろう。しかし、それって、瞬間風速的なエネルギーではないだろうか?

 今の教え子の中で、いちばん英語の力が伸びたYさん(英検2級)は、全くといっていいほど、競争意識がない生徒である。正直、私も「どうしてこの生徒がここまで伸びたの?」というほど、ノホホンとしている。(わずか1年半の間に英語が急に出来るようになっただけでなく、他教科も学年トップとなり、苦手な体育があるために学期末ではトップになれなかったが、中間考査だけならトップだった)

 その彼女に、「あなたの学習しようというきっかけは、何だったの?」と聞いたところ、彼女はノータイムで、「今のままじゃまずいと思ったから。自分で勉強の必要性を感じたから」と言っていた。そして、「アタシは競争心ってないんだよぉ。誰かと競争するのはキライだし、目立つのもイヤだよ」と加えた。

 彼女の入学時の希望は「専門学校」だった。技術を身につけたいと思っていた彼女だが、推薦入試で今年度、難易度が非常に難しくなった高崎経済大学に合格した。入試の英語の感想を聞くと、「あんな簡単でいいの?」というほど、ほぼパーフェクトな解答が出来たようだ。しかし、彼女には競争心は何故かない。

 競争心だけで勉強をした結果、大学に入ってから勉強をしない学生が多かったのではないか? それよりも本当に必要なことは、何かを学び、それを自分の精神の糧として成長に役立てることではないのだろうか? 詰め込み教育が否定された基本は、そこにあったのではないのだろうか? そして総合学習が考えられたのだろうが、その理念がどこかに行き、総合学習という時間のみが目的化してしまったところに何か間違いはないのだろうか? 本来であれば、教師の仕事は、基礎学力の育成を通じて、学ぶことで人生が幸せになれる、人生が豊かになるということを、生徒に伝えることではないのだろうか?もちろん、こんなことは法律にはない。しかし、その人に触れて学ぶ大切さを知り、その人に触れて人間的な幅を感じ、その人に触れて人生の幸せさを感じていく、「その人」の役割こそ、親以外には教師が生徒に感じてもらえるような「特権」ではないのだろうか?

 競争心は競争相手を必要とする。しかし、私たちの人生の精神的な幸せは、他人との比較だろうか、それとも自分の心の中に求めるのだろうか? 他人よりも良い車、立派な家、立派な学歴、高い給与。それとも、自分が満足できるような生き方。どちらを皆さんは求めたいだろうか? もちろん、衣食足りて礼節を知る、というのは真実の一面もあるだろう。やはり、経済的な余裕は必要だ。しかし、それだけに満足するのではなく、そこから精神的な幸せさを感じられることも、必要なことではなかろうか?

 話しは変わったが、Yさんはアパートが決まったらしい。向こうにいる、重量挙げをしていたI君がいろいろと案内してくれたようだ。人間と人間との関わりは、何事にも変えがたいものだ。うーん、今日はちょっとほろ酔い気分でビールが2本も空いちゃった(笑) 

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