真実? 自信過剰? 思い上がり? それとも・・・?
年に1度のバリウム。ちょうど試験中だったので、午後から休暇を取り、自宅で「静養」です。2月に胃カメラ、7月にバリウムと、40代を迎える準備が着々と完了しています(笑) 「ゲップをしないで下さいね」といわれてもねぇ![]()
ブログも柳瀬先生に紹介されたので、倍程度のアクセスが。もう少し、日本語を整えておくべきだったと後悔をしています。ただ、誤解ないように、蛇足になると恐れつつ、もう一度、書いてみます。
「医龍」というマンガが好きです。その中で、藤吉という内科のドクターがこのようにいいます。
- 医者が人の命に関われるのは、せいぜい5パーセント程度
マンガじゃないのよ!というなかれ。マンガの中で藤吉医師は一流の内科医として描かれています。海外でも通用するほどの内科医です。その彼でさえ、5%。
振り返って、英語教育を考えてみます。
学校で行われる教育は、「授業」「部活」「HR(学年行事なども含む)」と大きく分けられます。そして、「授業」は9教科あり、英語教育はそのうちの1つに過ぎません。提供者側の教師は1教科しか教えていないので力が入る気持ちも分かりますが、生徒は9教科も受けているのですから、割合からいったら1/9に過ぎない。単位数で考えたって、英語1の標準単位は4なのですから、4/28程度に過ぎません。
それなのにどうして、英語先生たちは、自分の人生をかけているかのように、いやもっとはっきりといえば、生徒の英語力の向上させられるかどうかを、50%や60%、いや、もしかしたら、100%引き受けるかのような気持ちになってしまうのかなぁ。ガツガツやっていると、相思相愛の生徒はいいかもしれないけど、ストライクゾーンが狭くなるだけの危険性だってあるわけです。
5%程度なら、英語教育について研鑽しなくてもいいのかといえば、そんなことはない。どうやって5%に近づいていくか、そのために色々と学ぶことになります。その5%が学習者にとって、最初のきっかけになったり、中押しになったり、最後の一押しになったりと、計算通りになることもあれば、予期せぬような援助にだってなることもあるからです。
英語教育の5%だけで最大の援助が出来るかといえば、私にはどうもそうも思えない。(ここが、医療と異なるところでしょうか) その先生の持つ人柄や、ちょっとしたコミュニケーション、ちょっとした何かが、生徒にとって5%をα倍にする効果がある気がします。そして、このαが生徒にとって最後の勇気づけとなる部分、後になってみれば思い出になる部分になる気がします。そこを私は「居場所」というキーワードで書いてみました。(まだ完了していないんだけどね)
どうしてかって? うーん、うまく説明できないけど、なんとなくそう思うんです。
このαの部分がスムーズに出来る人ばかりなのでしょうか。少なくとも私はそれに迷っているし、畏れを持っているから心理学を学びはじめたし、ブログも書き始めたし、異業種の人たちと話すこともあります。ホント、いろんな異業種なのよ(笑) どーして、こんな職業の人たちと知り合うの?というような、いろんな職業の人との話は面白いんですよね。
またまたマンガからの引用になりますが、今度は「家栽の人」(8巻)より。
- 調査官は、自分の人生を教科書にしてしごとをするんじゃないですか?
- 私たちが少年に対してできることは、小さなことです。だけど小ささを恥じて、それをしまい込む人が多すぎるんです。
英語教育について学ぶのは、興味深いものです。ぼやーっとしている課題の解決法を提示してくれることもたくさんあります。たとえば、靜哲人先生の新著は、今の私の課題を解決してくれるヒント満載です。DVDまで購入してしまいました。(ただ、一部の英語ネイティブの発音で「?」というものもあったけど)
でも、これが前任校だったら受け止め方は全く違っていただろうな、とも思います。It isをイリィズと発音できない生徒もいました。(イリィズとは言えても、It isを読むと、イット イズになってしまうという意味ね) 昨年に読んでいたら、「なるほどー。でも、無理だね」で私は終えていたという妙な自信があります。
英語教育は受け入れ側の条件が整って、ストンと心に入ってくる傾向があるのでは? 受動態の導入方法で悩んでいるときに発音指導はストンと入らないだろうし、大学入試の長文読解で悩んでいるときに、be動詞もストンと入らないでしょう。
入らないときは、スルーしちゃいましょうよ、そういう話題は。なるほどなーと思えれば十分すぎるし、場合によってはその記事は飛ばしちゃってもいいかもしれない。そのくらいの心の余裕をもって、雑誌や本は読めばいいんじゃないだろうか。
あれも、これもやっていると、ついていけなくなったときに、辛くなってしまうでしょう。
あれも、これもやり続けられたら、ふと振り返ったときに孤独感を持つかもしれません。
だからこそ、5%の感覚を大切にしながら、英語教育と付き合っていけばいいのではないでしょうか。その5%を絶対視しすぎた結果、同人誌的なグループが出来上がったりさー、世の中の英語教育は俺が背負っているんだぜオーラギラギラの人たちの周囲にナメクジが発生したりさーお友達が集まったりさー、ともかく宗教的ともいえるような個人崇拝をしてしまうようなグループだってあるじゃないですかー。ホニャララ運動とか、ホニャララ会とかあるじゃないの。
それよりも、自分の気になる課題を解決できるような、緩やかな人的ネットワークを持てる方がよほど、健全だと私には思えます。
だからこそ、「べき」だとか、「はず」という語を多用しない方がいい。それは、教師を傷つけたり、長い目で見たときに、やる気を失わせたりする魔法の言葉。そんな魔法の帽子をかぶる人には気をつけた方がいいよ、ホント。英語教育で「はず」「べき」というのはあり得ない。人の倫ではないんだから。
あ、最後に攻撃的になってしまったけど、ともかく、肩の力を抜いて、自分のペースを大切にしたいものです。














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