2012/01/29

マニュアル

3ヶ月ぶりのとある会合。自分なんかがここになんでいるのかな、と思う顔ぶれですが、勉強会もそうですが、その後の飲み会がおもしろい。ちなみに、英語や教育の勉強会ではありません。会も完全にクローズドで、数人で行っているので、ホンネでいろいろな話しができるメリットがあります。

講師の方から、飲み会の中でこんな問いかけがありました。

  • 長期的目標を持つことは大切だとみんな思っているけれど、成功している会社(長く続いている会社)は長期目標を持っているか?

何でもそうですけど、長期目標を掲げて、そこに近づくような中期目標、そして短期目標と定めていくという人は多いでしょう。目先のことばかりしていては、間違ってしまうことも多いということか。

  • 長期目標を持って成功しているところもあれば、あえて持たずに成功しているところもある。遠くを見つめながら今を行動していくことが大切だという考え方もあれば、遠くのことなんて分からないから足下だけみればいいという考えもある。つまり、正解はないんだよ。長期目標を持とうが足下のみを見つめようが、倒産するところは倒産する。

そんな話しを、具体的な会社名を揚げながら教えてくれました。正解がないとは、漠然としているなぁとそのときは思ったものの、「その場における最善に判断ができる人となり・能力」があれば、どこをみようと船の指針は問題ないのでないかなぁと感じました。「船員」のモチベーションにしても、「モチベーションをあげよう!」といっても、上がるものではない。羽生二冠も次のようにいっています。

  • テレビでサッカーの試合を観ていると、解説者が、「ここで集中!」「集中力を切らすな」と叫んだりしているが、私は、集中力はそんなに簡単に自在にギアチェンジできるとは思えない。(『決断力』)

これは、「集中力」についてが話題ですが、モチベーションも同じこと。簡単にギアチェンジすることはできません。

いつもながらの我田引水で、これを学校で考えてみると、「長期目標(中期目標)」にあたるものは、シラバスやCan-doリストでしょうか。確かに、「卒業までに、こんなことを身につけさせたい」という目標を持って、うまくいくこともあるでしょう。その一方で、リストがなくてもうまくいくことだってあります。もちろん、あっても失敗することもあるだろうし、なくて失敗することもある。

モチベーションの高め方の方程式があれば、こんなに簡単なこともありません。学校だけでなく、企業でだってノウハウを知りたがります。今までいろんな人が、いろんな試みをしてきて、成功も失敗もあったでしょう。でも、誰でもが実践できるモデルなどありません。その人の方法はその人のスタイルであるからです。

なんだか、もっと必要なことがあるような気がするんですが、うまく言語化できません。これじゃ、あまり説得力はありませんなぁ(苦笑)

2012/01/22

オリジナリティのススメ

地元の教育委員会主催の「楽しい化学教室」の講演会へ。講師は、「はやぶさ」計画の中心人物であるJAXAの川口淳一郎先生。科学者の魂が感じられるお話しでした。
ご講演の中で心に残ったことばを書き留めておきます。

  • 「はやぶさ」は「偉業」ではなく、「こうすればできる」ということの積み重ねである。
  • オリジナリティが誇りであり、オリジナリティが「格付け」から脱皮できる方法。
  • 高校から大学に行くときに、自らの人生を決められるはずがない。
  • 大学までは材料集め。
  • 誰もが、「学び」から脱皮するときが来る。
  • 先代からの学びから、オリジナリティに移行する。
  • 見えるものはみな「過去」のものである。
  • 学んだことはみな練習問題。
  • いつの時代でもイノベーションなんて用意されていない。
  • 過去の全てを学ぶのではなく、必要な時代のみを取り上げる。
  • 原点と目標を揺るがせない。
  • 本物には力がある。
  • アイディアで変革
  • 製造から創造へ
  • 個性とインスピレーションを伸ばす人材育成
  • 高い塔を建ててみなければ、新たな水平線は見えてこない
  • Think different=天の邪鬼のすすめ

英語長文を早い時間で読ませて、内容を把握させるということを目標とするならば、その練習として実力+αの英文をじっくり読み、スラスラ感を持てるようにトレーニングを重ねていくということに、異論を持つ人はいないでしょう。どのようにじっくりと読み、どのようなトレーニングをするかについては、いろいろな考えがあるのでしょうけど、大まかな方向性については問題がないと思われます。

そして、どのようなトレーニングがベストかということは、答えが出ていません。もし、「ベスト」のものがあれば、それを使えばいいだけです。日本経済を覆っているデフレ対策の模範解答がないのと同じように、ベストのトレーニング方法はありません。景気が悪くなったら公定歩合を低くして、良くなったら高くしてなんていうだけでは、対処できないのと同じです。税金を上げて税収を高めようとすれば、個人消費が悪化するという「デメリット」だってあるのですが、こと教育については、何かを行ったときのメリットにばかり焦点が向けられて、デメリットについて語る人はあまり知りません。授業の中だけを考えれば、単語の練習を十分に行えば、読解の時間を減らすことになるかもしれないし、読解を十分にとれば音読の時間が少なくなるかもしれません。あれもこれもと授業の中に取り入れれば、生徒の自宅学習に頼ることになり、そうすると自宅学習をしてこない生徒(生徒層)は「切り捨て」となっていきます。
話しが拡散してしまいましたけど、現状という器を受け入れつつスタートすることを考えれば(その器を教科担当1名の力で変えていくことは非常にたいへんだし、上から何らかの指示があっても変えられないことの方が多い。私たちは正論で解決できる社会に暮らしているわけではないのです)、方法論はあくまでもひとつの目安であり、その器に何を入れていき、「美味しい飲み物」を作るかは、先生1人1人のオリジナリティによるものしかないのです。だからこそ、そのオリジナリティを求められる現場の教師としての矜持を持つ必要があるんだけど、それが往々にして「共通理解」「方向性」という美辞麗句で阻害されることがあるのかなぁ、と思うことがある。求めている方向性が同じなのであれば、何に力を入れるかという「優先順位選択権」くらいは、私たちが持ちたいと思いますが、いかがでしょうか。

こちらの生徒への期待と、生徒のこちらへの欲求との均衡したバランスが、いちばんの生産性の器となります。そのバランスをどうやって作り上げていくか、そのバランスをみないで授業のみをみて、トレーニング方法だけを真似したって大やけどをしてしまうってことです。

その大やけどの元となる「トレーニング方法」について、宗教的に「これが正しいんだ」というえらい先生なんて信用してはいけません。オリジナルのトレーニング方法を探していくための「練習問題」なんですよ、本やネットの情報というのは。

2012/01/10

特効薬

本日より学校も始動。初日より授業ですが、楽しみです。
昨日は、冬休み最終日だったので、自宅で鍋。妻が某資格を取るための実習だったので次女とリアル倫太郎と鍋の買い物に行きました。次女の強いリクエストもあり、牛肉ではなく豚肉&刺身用の魚をシャブシャブ用に購入してきました。美味♪
ブログを書き終えたら、朝食用におじやを作ります。

「英語教師的物心」がついてから、生徒の英語力が下がってきたと、いろいろなところで聞くようになりました。大学入試に合格しやすくなったとも聞くようにもなりました。
これは、現場の先生方の皮膚感覚が中心ですが、実際にベネッセの資料を見ても大学は合格しやすくなったようです(受験者数と定員の関係を見れば当然か)。

そこで、英語力を上げるため・受験者数を増やすため(=入学者の水準を上げるため)の方策がいくつか出される。
曰く、使える英語のためには実用性が大切になってくるのだから、コミュニカティブにしなければいけない。
曰く、相手の話を理解して、自分の主張をするために、ディベートをしなければいけない。
曰く、多読をしなければいけない。
曰く、発音をしっかりとさせなければいけない。
曰く、音読中心の授業である。
もっとあるでしょう。とにかく、A→学力向上の「A」がたくさん出てきました。あ、そうそう、「英語教師のスキルを高めるために、悉皆研修」なんていうのもありましたよね。(教員免許の更新制はちょっと意味が異なってくるかもしれませんが)

大学も同じこと。
曰く、一芸入試である。
曰く、受験科目も減らして、受験者数を増やす。
曰く、AO入試を使って多様な受験生を増やしていく。
曰く、5教科7科目に戻して、要求水準を高めていく。
こちらも、A→受験生の確保(=入学者水準を上げる)の「A」をさんざん探し続けています。

おそらく、なんですが、いろいろな「A」を提案してきた人は、おそらくその「A」がうまくいった経験を持つ人なんでしょう。コミュニカティブの授業で手応えのあった人は、その良さを伝えるだろうし、多読で良かった人は、それがいいというでしょう。一芸入試やAOで成果のあった大学は、その良さを訴えるでしょう。

しかし、彼と彼女は違うパーソナリティ(歴史)だし、あなたと私とも異なるわけです。その異なったパーソナリティ(歴史)、もっといえば、異なる意識を無視する形で、自分たちのやり方である「A」を他者に導入させてもうまくいくはずがない。もっといえば、「A」は現実の否定から入ることも多いので、その導入で閉塞感が打開できるような錯覚さえ引き起こさせるんです。現実が悪いのは、○○が原因であり、それを打開しなければいけないというと、「改革」の名の下に、支持を得やすかったり、新しいことを「実績」としてPRしたがる一部の士職業人に注目されやすいのかも。(英語教師批判や政権交代のとき、こんな雰囲気だったかも)

ここ十数年の結果を見ていると、「A」という特効薬などないんじゃないかな。

私は私、あなたはあなた。他者のやりかたを見ていて、そこで受け入れたいものがあれば受け入れて、自分の一部にしていく。おそらくは、そんな方法しかないんじゃないかなぁと、思います。
それが、自分のやり方になっていくまでには時間がかかるかもしれないけど、その試行錯誤で教師は成長していくのではないだろうかな。

2012/01/05

サマータイムブルース

町内会の子どもを集めて、英語の勉強会も開始。といっても、3人の中学1年生とのんびりと勉強会ですが。教科書のLesson1から、簡単に意味をとって、音読→オーバーラッピング→シャドイング→Read&Look upという流れで、約1時間。It is ~をCDでは/イリズ/と読んでいるのに、/イトゥイズ/から抜け出せていないので、フラップを練習。町内会長を完走しても、続けていきたい。うん、自分としての地域貢献です。

昼間は、1月からの授業の教材研究とクラス通信作り。教材研究でパプアニューギニアについて調べていたら、環太平洋地域では、1992年から現在まで、約10回もの地震津波が起きているのですね。こんなに多いとは驚きました。

類義語をOALDでチェックしていると、dominateが"to control or have a lot of influence over somebody/something, especially in an unpleasant way"とありました。in an unpleasant wayを読み、dominate the world economically(ウィズダム英和辞典)のようなコロケーションがあるのだな、と妙に納得。

そのあと、リアル倫太郎と算数の勉強です。小学校3年生ってこんなに難しいことをしているんだね。ちょっとおだてたら、調子に乗って、次女(小学校5年生)の算数にチャレンジしている彼を見ていると、間違いなく父親よりも優秀に思えてきた、という親ばかになっていました(笑)

学校の英語で実用性を前面に出して、「実用は○、非実用は×」としていると、前回のブログで最後にリンクを張ったような本が説得力を持ってしまいます。もちろん、筆者の英語教育の知識の古さにため息をついたり、英語を必要とする人間の「選び方」がよく分からなかったりと、それなりに問題はあります。しかし、実用(実践的コミュニケーションに近いのか?)という物差しで考えれば、確かに筆者の主張にもうなずけるところがある。

教育という枠組みの中で英語教育を考えて、筋道をつけない限り、このような学校英語への批判は続くのではないかなぁと私は思います。何度も書いているように、大学入学者は全体の半分。さらに、入学者の半分は推薦(AO)であることを考えると、定員割れをおこしている大学も含め、一般受験で英語を使うのは全体のたった1/4に過ぎません。
その上、上記の著者がいうように、実用としてなら全体の10%で構わないという(この計算がどこまで正しいかは分からないけど)。

教育という枠組みでも大切な英語学習、そしてその結果、自分がそれに努力を加えれば、実用にも生かせることができる、という元々の物差しで考えられないものだろうか。(昔ながらの文法訳読式がいいといっているのではありません)
過度な実用主義、過度な「教養」主義ではなく、生徒の成長を促す英語教育という物差しが、大切だと思います。

明日の中学生との勉強は、語順について。

この意味順だけど、拙著『高校これでわかる基礎英語』(2003)とつながる部分があります。併せてご覧下さい。(って、営業かw)

2011/12/31

2011の終わりに

あと数時間で2012年。

今年ほど、ブログの更新が少なかったのは、初めてでは?

311の東日本大震災は、私にとって大きな影響を与えました。(もちろん、私だけではないでしょう) 大船渡に行ったときに見た(広い意味での)風景は、なんとも言い難いものでした。あるラインを超えた瞬間に、町が全てがれきになっています。海に近づくと魚のにおいが鼻をつきます。「リアスホール」というところで避難をされておられる方も多くおられました。仮設の着替えの場所は段ボール製で、オープンスペースには低い壁の敷居があるだけです。ホールの外には自衛隊が浴場を作っていました。

そして、東京電力福島第一原子力発電所の爆発。テレビで流されていた「安全神話」。東京大学教授、大阪大学教授の「安全だ、安全だ」ということばを最初は信じていました。(というより、信じたかったといった方が適切か) マスコミでは、上杉隆氏たちが危険性を訴えていても、テレビは東京電力のコマーシャルを流しているせいか、危険性を正確に伝えていたようには思えません。しっかりとしたメディアは、自由報道協会くらいでしたか。
「原発は大丈夫か」と生徒がいってきたときに、私はとある東京大学教授のインタビューをそのまま伝えていました。「200km離れているのだから、安心みたいだよ」と。二本松に住む友人とその家族を心配していました。

しかし、私が住んでいる場所は、市内のホットスポットです。線量計を借りてチェックしたところ、確かに高い。千葉市内の倍以上の線量であり、娘が通う中学校では校庭の除線が行われるほどの高さです。


「放射能の影響はニコニコ笑っている人には来ません、くよくよしている人には来ます、
これは明確な動物実験で解っています。」なんてことをいっている人が大学の教授の任につき、現在は福島医科大学の副学長だとか。人は肩書きで信じてはいけないということが再確認できました。

大震災や原発事故は、その人やその組織の真実を浮き上がらせてくれました。

年間20ミリシーベルトまでは子どもに許容させようとした文部科学省。文部科学省は、子どもの健康と教育とを司るためには巨大な権限を持つべきだと私は思っていましたが、それもこの組織にはできないのですね。子どもの健康を守ろうとしない組織の下に、子どもの健康を守ろうとする教員がいるというのは、何かマンガじゃないですか。
文部省時代のキャリア官僚であり、ゆとり教育を推進していた寺脇研氏は、文科省が20ミリシーベルトまでOKという理由に対して、文部省に科学技術庁が加わったためだ、とテレビで発言していました。本当に、氏は無責任な人ですね。加わろうと、加わらなくても、子どもの健康を守るのが教育の基本でしょうに。
 愛国心を訴える政治家であれば、将来の日本を背負っていく子どもの健康を考えなければおかしいでしょ。日本という国家が持続可能な社会になるためには、次の世代の健康を守りつつ、教育を行う必要がある。「愛国政治家」こそ、20ミリシーベルト問題について批判すべきなのだ。その批判をしないで、愛国心を訴えるのは、論理的に矛盾している。まさか、人気取りのために愛国心を訴えているわけじゃないでしょ。

だいたい、わずかな放射線量であったとしても、人体には影響を及ぼすようです。0.9ミリシーベルトなら影響はなく、1.5ミリシーベルトだと影響があるというものでもない。つまり、悪影響を与えるものを少しでも低くすることは、必要なことです。放射線の影響を受けにくいといわれている50歳以上の年寄りは、自分たちの利益や保身のために、子どもを踏み台にするな!
 あと、「原発問題について他の多くの人がしているから、あえて自分は発言しない」という人の心の中は、権力に睨まれたくない、という保身がなかったのだろうか? 

とまぁ、震災はその人(組織)のありのままの姿を映し出してくれたのではないかな。

そんな中、英語って何のためにするのだろうか、なんて真剣に考えてしまいました。学校って何のためにあるんだろうかって、考えてしまったわけです。
そんな「哲学」の世界に駆け込みすぎると活動が停滞してしまうので、目の前の問題に取り組もうとしてきましたけど、なかなかブログまでは到達できませんでした。(って、いいわけか、これはw)

でも、「どうして英語を」という自分なりの答えを持たない限り、このような本が幅をきかせるでしょうね。


いろいろとあった2011年。2012年が少しでもいい年になるように、努力していきたいものです。

3つの認知

あっという間に今月も中旬。4月から引き受けた町内会長のお仕事も、やや負担になってきたか。とはいえ、前向きな理事さんに支えられているので、あと3ヶ月ちょっと、頑張ります。約500世帯が加入している町内会なので、いろいろと難しい部分もありますが、よく見てみると、トラブルの元となっているのは、町内会の中に建物を持っているが、そこには暮らしていない大家さんが原因のことが多い。これって、どーしてだろ?(苦笑)

本日は備忘録的に、「認知の3段階」について、書いておきます。

文字の理解には、次の3つの認知の段階があります。

  1. 画像的認知
  2. 音声的認知
  3. 意味的認知

外国語を見たとき、最初はそれを「画像」として認知します。

맨유는 12월18일 오후 9시(한국시각) 영국 런던 로프터스 로드 스타디움에서 열리는 2011-12시즌 프리미어리그 QPR과의 원정경기에서 웨인 루니와 마이클 캐릭의 연속 득점으로 2-0으로 승리했다.

맨 유는 QPR전 승리로 최근 리그 7경기 연속 무패(6승1무) 행진을 달렸다. 12승3무1패(승점 39)를 기록하며 맨체스터 시티와 치열한 선두 다툼을 이어갔다. QPR은 최근 1무3패로 부진에서 벗어나지 못해 강등권 추락의 위협을 받게 됐다.

これは、yahoo.co.krからコピペをしたのですが、このハングルを写そうと思ったら、文字として認知できるでしょうか。それとも、左上は□で、右上はHみたいで、下は「ヒ」の上がないものかな、、、というように、画像として認知するでしょうか。おそらく、後者でしょう。これが、文字の画像的認知の状態です。だから、bとdとが混乱したり、9とgとが一緒になったりする。文字を覚えたての子どもが、「逆さ字」を書くのと同じです。
この状態の時には、生徒は黒板を写すのがとにかく遅い。そして、覚えられない。その理由は、絵を写して、その形を覚えているのと同じだからです。

これを書き写し、何も見ないで書けるように覚えるのは難しいですよね。これと、同じです。

ここを脱却するのに、音読が必要になるのは、画像的認知を音声的認知に「格上げ」させるためです。音声にするためには、文字の発音のルールの知識が必要になります。英語の苦手な高校生でも、ジャパニーズイングリッシュであれば、基本的な発音はできるものです。dogも読めるし、readやbuyも読める。youngさえ読めます。youngを「ヤング」と読めるって、すごいと思いません? そして、お手本を聞いて、それをリピートすることもできます。
私自身の経験では、生徒は自分で「画像的認知」に留まっていると思っているのに、英語のレベルによっては「音声的認知」であることも少なくありません。学習性無力感を感じているだけのことが多く、この「思い込み」が生徒の学習意欲や、学力アップのいちばんの敵なのです。この思い込みを解凍するためには、教師の生徒との人間関係がいちばん大切であり、指導技術は二の次。(ここを分かっていない人があまりにも多い)
音声的認知で危険なのは、「お経読み」(意味が分からないのに、音読している)ができるようになってしまうところでしょうか。

このお経読みを乗り越えるための音読は、「意味を考えながら読む」こと。つまり、意味的認知へつながる音読です。ただ、「意味を考えながら読む」といってもあまりにも抽象的なので、「目の前の幼稚園児に語るつもりで」「アナウンサーになって視聴者に訴えるつもりで」と具体的な指示の方が分かりやすいようです。
意味を考えないとできない活動が、「read&look up」や「シャドイング」、「対面リピート」、「フリップ&ライト」などなど。

授業も、「画像的認知」→「音声的認知」→「意味的認知」という流れになっているかどうかが大切なんじゃないかな。だから、まとめとして、「シャドイング」や「フリップ&ライト」という活動が意味を持つと私は思っています。

2011/11/22

広島・山口シリーズ終了!

 第4回山口県英語教育フォーラム終了。昨年までの講演者を見て、私に務まるか不安でしたが、なんとか無事に終わることができました。自分の中で、今までの価値観が崩れていき、現在、残っているものは学生時代に石島庸男先生と話したことでしょうか。石島先生は教育学の先生で、彼との教育談義は私にとっての大きな財産です。
 あのころ感じていた、「教育はこうあるべきだ」という書生論的なものが自分の表面からなくなり、数字を追いかけていたことの反省。死生観をもっていれば、教師として何が必要かは想像できるのに、「現世」の喜びという数字を追いかけてはダメなんです。生徒は数字じゃありませんから。
 フォーラムで協賛をしてくれたベネッセさんは、「生徒データ」という数字を提供してくれます。その数字を活用するのではなく、踊らされてはダメだってことです。おそらく、ベネッセだって教員を躍らせたいわけではないでしょう。教師が自分の直感を信じて、迷ったときにその数字を見るというのが、本当の使い方だと思うんだけど、いかがですか。
 講演でお話しをされた、佐藤先生、萩原先生が生徒の話しをするときの眼差しは魅力的でした。お二人とも生徒が大好きなんですね。打算なしの愛情を生徒に持っている先生だからこそ、魅力的に感じます。「技術を捨てることも必要だ」なんていいましたが、萩原先生の技術は、さっそく昨日から授業で取り入れました。そして佐藤先生のお話は、高校生相手でも十分に通用する内容でした!(のび太とジャイアンの話し)
 また、このフォーラムの開催にあたり、日常業務に加えての準備というご苦労をなさった松井先生をはじめとする運営委員の先生方、そしてベネッセコーポレーションの方々、本当にお世話になりました。
 懇親会もおいしいおなべで、初めてのんべえさんと実際にお目にかかれました。別人格を見せてしまい、失礼しました(笑) 懇親会の後、そのままホテルに直行。そして翌日の10時の飛行機で戻ってきました。

 フォーラムの2日前は、広島大学へ。夕方からの講演の前に、特別研究という講座に参加してきました。大学院生の「合同ゼミ」で、数字が苦手な私にとってはよく分からなかったのですが、緊張感と新鮮さの両方をいただきました!
 午後は大学院生と話しをしたり、山口フォーラムの予行演習をさせてもらったりと、お世話になりっぱなし。
 オーディエンスのメインとなるはずだった3年生が諸事情で来られなく、10人程度を相手に話すのかと思ったら、なんと60人以上もお見えになって驚きました。リメディアルについての関心はやはり高いのですね。内容については英語教育の哲学的研究2をご覧下さい。柳瀬先生がまとめてくださりました。
 懇親会では食べたかった広島のお好み焼きやさんに!いやぁ、美味
up ビールを飲んでほろ酔いのときに、席の隣におられるのは樫葉みつ子先生だと分かり、急に昼間モードに。「成長する英語教師をめざして」では本当にお世話になりました。
 席替えの後は、広島大学の学生さんのパワーにたじたじ。すごいですね、ホントに。車でいろいろと送ってくれたガンちゃん、205号室のうさぎ2号さん、表面はおとなしそうなんだけど、、、のタッキー。皆さん、ありがとうございました。

 

2011/10/30

リアリティ

韓国修学旅行から帰国。初めての海外修学旅行だったので、右も左も分からない状態でしたが、担当の先生方、お疲れ様でしたm(__)m 大きなトラブルはなかったものの、私のスーツケースのキャスターが壊れてしまい、韓国でスーツケースを買う羽目に。今のウォン安を考えれば、市場で日本円で買うのは失敗だったか(苦笑)

その韓国旅行の期間中で2つ感じたこと。これは、前回のエントリーでも少しだけ書いた目崎雅昭氏のご講演でも強く感じたことと関連しています。なお、彼のお話の様子は氏のブログ(魂の旅人・目崎雅昭)に書いてあるので、ご覧下さい。

(1)リアリティはあるのか
 英語教師的発想では、「グローバルの世界では、英語が必要だから、英語が使えるよになったほうがいい(ならなければならない)」となるでしょう。うん、それは間違っていない。自分たちの「技術」(持っているもの)を相手に高く売るためには、その「価値」が高いと相手に理解させる(思わせる)必要がビジネスの世界では必要ですから、その「交渉の仕方」の方向性は間違っていないでしょう。
 その一方で、言葉にリアリティがあるのかといえば、どうも小さい。例えば、「グローバル社会では英語がビジネスの中で大切だ」といっても、じゃぁ、あなた、ビジネスの世界で英語を使ったのですか、といえば、使った人はおそらく0に近いのではないでしょうか。通訳のまねごとならそれは、リアリティはまだ小さい。リスクを背負って、交渉を実際にしたことがない人が、「いやぁ、交渉では○○が必要なんだよ」といっても、説得力はない。この交渉に失敗したら、数百万、数千万円の損失があるというリスクの中でこそ、リアリティはあるものです。
 目崎氏と帰りの電車の中で、知人の寿司職人さんの話題になりました。職人さんは腕はかなり高いのだけど、このご時世では経営的に採算がとれず、自分のお店をたたんでしまいました。目崎氏の発想は、ちょっと違う。

  • 香港で、出張の寿司職人だったらあたるよ。日本人の職人というだけで、うけるんだから、腕のある人なら富裕層に人気が間違いなく出るだろう。でも、そのためには営業が出来る人間が必要で、戦略的にコマーシャルをすることも必要だけどね。
  • 美容師とか自動車修理工は、技術で世界に出られる仕事だ。だからこそ、英語が出来ると広がってくる。

違う話題になったので、その後の広がりはなかったのですが、くだんの職人さんを売り出すことになれば、彼はその方法を考えられるでしょう。リアリティを持っているのです。

英語の教師が、ビジネスの世界でリスクテイクをしてきた経験があるのなら、リアリティを持つことばもあるでしょう。しかし、借り物の言葉には説得力はない。実態のない言葉に説得力を持たせようと、本や新聞で知識を得ているのかもしれないけど、化粧をしたところで実態は変わりません。

英語教師がことばの中に魂を入れる方法は、ビジネスパーソンとは違うものがある。それは、教師としての教育哲学や生徒理解がベースとなった自分の経験(コミュニケーション経験)であある。だから、十人十色で構わない(というより、十人十色が自然な姿)。
それを、「英語は、ビジネスの世界では必須なんだ」とか、「交渉のためにはディベートだよ」とか、押しつけられても困ってしまう。あなたは、その方法でやればいい。しかし、私はそれには与しない。それが、専門職としてのプライドじゃないですか。

教師は安易に技術論に走るのではなく、生徒の成長を願う気持ちがあれば、方法は後からついてくる。方法が出来上がってくると、結果は後からついてくる。後からついてくることを目標としているところに、教育の現場の息苦しさが出てきているのに、英語教師が自分たちで息苦しさを作ってどうするんですか。

自分たちの持つリアリティで勝負したいと私は思います。

(2)もあったのだけど、それはまた後日に。

2011/10/24

魂は引っかかりを作る

ふぅ。久しぶりのブログ。
この間にメールをいただいた方の中で、かなりの方に返事を差し上げていないと思います。ごめんなさいm(__)m
全く幸せなのか、不幸せなのか、どっちなんだろ。って、これは独り言です。

備忘録的に、思い立ったことのみを箇条書き風に。

  • ジョッキーは、「馬に助けられた」ということがあります。自分のミスを馬がカバーしてくれたという意味なのでしょう。転勤してから「生徒に助けられた」という感覚がより強くなりましたが、こんな経験を重ねていくと、「生徒に助けられた」という感覚がなくなり、それが「普通」の感覚となり、いつかしら「自分の指導力が向上した」と錯覚しないだろうか。
  • 「学力を上げる」という共通の目的を持っていたとしても、土台が違う人と話しているとどうも違和感がある。大学進学を目的にしているのか、人間としての幅を広げることを目的としているのか。透き通った意味での、自分なりの教育哲学を持っている人で前者の人っているのかしら。
  • 修学旅行のミニアルバムを作る関係で、2004年のミニアルバムを生徒に見せたところ、私の写真を見て、「ぜんぜん、変わってない!」と笑っていました。卒業生と会うときも、「先生、変わっていないね」といわれます。(老けていたのか、今でも若いのか;笑)内田樹氏ではないけど、自分に戻れるところが変わっていないことって、ホッとしませんか。
  • 年齢を重ねてきたせいか、以前よりも生徒の話を聞けるようになった。表面的な動きはなくても、内面での動きを生徒が持つことはある。エビデンスだの、コミュニカティブだの、表面的な動きを大切にする人もいるんだろうけど、そこに内面的な心の動きはありますか。「私を愛していますか?」と言葉にしないとあなたは安心でいない人でしょうか、それとも合気道で手首をもたれたときに感じる相手のパワーをあなたは感じられる人なのでしょうか。
  • とある経営者の方から聞いた話。「役職付きを降格させたいと思ったら、『○○までに、この課題をやって下さい』と少々無理なことをいえばいいんだよ。それで出来なかったら降格させる。すると、だいたい辞めていくから」と話していた。数値目標って、本当に人間にとって常にプラスなんだろうか。全体として目標にする数字はアリだと思うし、そういう業種もあるだろう。しかし、後から数字がついてくる業種において、数字を最初に設定することに妥当性はあるんだろうか。
  • 昔、電話帳を見ていて、1人1人の名前の裏に、どんな親の願いがあったのだろうかと想像したことがあった。でも電話帳というのはそんな「機能」ではなく、あくまでも電話番号を表示しているものだから、その想像の答えはない。一部の学校では、「大学合格実績」をサイトや学校案内に載せている。1人の人間が、大学に合格するまでにどんなドラマがあったのかと想像してみると、これもおもしろい。でも、電話帳の機能と同じで、その答えはないが、1人の保護者としては、その学校の中で、生徒と先生とがどんな人間関係で学校生活を過ごし、生徒が進路を決めていったかに興味がある。
  • 魂の込められている授業って、先生のふとした雑談が印象に残っていませんか?した方は忘れていても、された方は心のどこかに引っかかっている。相手の心に引っかかりを作るのは、技術ではなく、魂だと私は信じて疑わない。

明後日からの修学旅行のため、本日は友人の目崎雅昭氏にHRで講演をしてもらいます。敏腕トレーダーとして10年間ほど働き、カネの世界から、人間の幸せはなんだろうと思い、世界百数十カ国を10年間、放浪してきた彼の話が非常に楽しみです。今晩は、彼と船橋で飲む予定。楽しみにしています。

2011/09/08

「子育てしているだけで、えらいよ!」

 卒業生から連絡があり、焼き肉へ。1人はママになり、1人はまだ独身です。ママになったYさんは、高校時代の面影を残しながらも、すっかりと母親の顔に。「45時間、かかったんだよ」というちょっと誇らしげ(?)の顔を見ながら、私はすっかり「孫を見るじいさん」となっていました(笑)。偶然、高校1年から3年生までYさんの担任だったので、帰ってきてから昔のアルバムを見ると、なぜだかうれしい気持ちになるものだな。旦那さんの話を聞くと、一緒にいた友人も、「旦那さん、ちょーいい人なんですよ!」。
 「優しい」という手垢のついた言葉ではなく、確かにそんな男性は少ないだろうな、というような人です。まじめに仕事をして、彼女と子どもを大切にしてくれているというだけで、それで十分だね。
 もう1人の卒業生Sさんは、長年勤めていた保育士をやめて、次の仕事をすべく、いまは勉強をしている最中です。同級生が結婚をして、母親になっているのを見ると、本人も少し焦りも感じているようです。Yさんの子どもを私が抱っこすると泣くのですが、Sさんはさすがに昔取った杵柄で、上手にあやします。「どうして保育士をやめたの?」と聞くと、いちばんは給与の問題みたいです。確かに、それだけ安いと、仕事としては続けられないよなぁと。。。年収で200万円を切っていてはね。。
 いろいろと話を聞いて、そして本題である「バースデーメッセージ」を書く。彼女たちの仲間の卒業生で私と同じ誕生日の女の子(という年齢でもないか;笑)へのサプライズメッセージだとか。「思いっきり、アツいのにしてください」というリクエスト通りに書き、彼女たちからのだめ出しも受け入れて、なんとか完成。私が総理大臣になったら、スキャンダルになりそうだな、これ(笑)

 人間は社会的な動物であるとはよくいわれますが、教師という仕事は、人間関係を築くという人間らしい仕事です。お互いに顔も知らず、性格も知らず、バックグラウンドも知らない中で、お互いに人間関係を作っていきます。
 それは生徒間でも同じこと。偶然にその学校に入学し、偶然に同じクラスになった人間と、ひとつのコミュニティを完成させます。小学校から高校(時には大学?)によって、担任のサポートはそれぞれ異なるでしょうが、基本的には自分たちの世界を自分たちの手で作っていきます。
 もしここに民間企業のような「利益」というものがあれば、「利益を上げられる人/あげられない人」のような区別が行われ、インセンティブを与えるために、席替えは利益を出せる人から決める!なんていう民間企業のようなことも起こったり(笑)。

 教員は、無条件で受け持った生徒を大切にしたいと思うものです。もちろん、親のような無条件の愛ではなく、家庭と社会とをつなぐトンネルの管理人として、生徒を大切にしたいと考えます。(そして、そこは卒業をして、社会で疲れたときに生徒が戻ってこられる場所でもあります。) 同僚を見すぎたり、えらい方ばっか見すぎたり、世間を見すぎたりするのではなく、自分が考える「社会」で目の前の子どもたちが出るとしたら、どんな力が必要なのか。そして、その力をホームルームや授業の中で育んでいきます。
 その「育み方」は、こちらが予想しているようになんていきません。何せ相手は「生もの」です。彼(女)らが、底つき感を持ったときや、何かで前向きな行動に変わったときとか、いろいろな「撒き餌」をしつつ、タイミングを逃さないように生徒を見ていると、勝負時が見えてきます。機械の生産ではないのだから、計画的にものごとなんて進まないのですよ。

 柳瀬陽介先生・奥住桂先生と共編著を行った『成長する英語教師をめざして新人教師・学生時代に読んでおきたい教師の語り』(ひつじ書房)は、柳瀬先生から原案の原案となる構想が提案されてから、誰に執筆を依頼するか、ということにずいぶんと時間をかけました。もっといえば、「この人の話をぜひとも聞いてみたい」と編者が思えるような人をピックアップしたり、信頼できる方にご紹介をいただいたりして、原稿のお願いをしました。

 執筆をなさった先生方は一人ひとり、教師としての土台が違います。小学校から大学までという校種も異なるだけでなく、学年や学校のカラー、そして経験年数などもバラバラです。集まった原稿を読んでいると、「これ、自分の状況では無理だな」という「決めぜりふ」など忘れて、「すごいなぁ」と思ったり、今の自分が恥ずかしく思えたりと(このごろ、前ほどアツくなれていないので)、原稿を読みながらワクワクできました。

 ガソリンを消費しすぎたり、昔ほどアツくなりきれなかったり、なんとなく疲れてしまっている先生にとってもエネルギーをくれる一冊です。

 そして、「英語教育」を学ぶ大学生には、自分が経験したことない現場の雰囲気を感じるためにも読んでもらいたい一冊だと思います。インタビューをお願いした千葉大生は現在、全員が教壇に立っておられるようですが、3年後にまた話を聞けると楽しいだろうな。「どんな感覚になりましたか?」と尋ねたいな。

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